あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜 作:高山 虎
「ここが東都ドームか……」
三月下旬、春の暖かな日差しが降り注ぐ東京。白い屋根の巨大な建造物を見上げながら、地方大学の二回生である小寺敬斗(こでらけいと)は、感嘆の息とともにポツリと呟いた。
彼の眼前には、日本のエンターテインメントの聖地たる『東都ドーム』がそびえ立っている。周囲にはすでに数え切れないほどの人波が渦巻き、どこを見渡しても熱気と興奮に満ち溢れていた。
今日、ここで伝説が生まれる。その歴史的瞬間に立ち会うため、敬斗は深夜バスに揺られてはるばる地方から上京してきたのだ。
彼が胸に抱いているのは、今、日本中を席巻している話題の覆面高校生バンド『渋ガ』への圧倒的な熱量である。敬斗は、彼女たちのデビューであるタイアップ自動車CMが放映された頃から古参ファンを自認していた。
今回のドームライブのチケット販売方法は、音楽業界の常識を覆す悪魔的な「ガチャシステム」である。ファンの射幸心を露骨に煽るその仕組みに対し、ネット上では一時賛否両論が巻き起こっていた。しかし、敬斗は迷うことなく、必死に貯めたアルバイト代を突っ込んだ。
結果として、彼は運良く九回目、つまり四万五千円分のグッズを購入した時点で、なんとかチケットを引き当てたのである。「天井」と呼ばれる救済措置に届く前だったのは不幸中の幸いと言えたが、それでも大学生にとっては大金だ。しかし、彼に後悔は一切ない。むしろ、五万分の一という選ばれし観客の切符を手に入れた優越感と達成感が、彼の心を満たしていた。
思えば、ここに来るまでの道のりからして、すでに非日常の連続だった。
ドームの最寄り駅である氷道橋駅を降りた瞬間から、街全体が『渋ガ』一色に染め上げられていたのだ。駅からドームへと続く歩道橋には、バンドロゴがデカデカとプリントされたフラッグが春風に揺られ大きくはためいていた。周辺の商業施設に設置された巨大な電子看板からは、彼女たちのMVが途切れることなく流され、大音量のサウンドが街全体を支配していたのだ。
これまで、夏の大型フェスに紗幕越しに出演したのを除けば、完全にネット上のみで活動し、一切の素顔を見せてこなかった彼女たち。公式からは『この日、私たちのすべてが解禁される』と意味深な匂わせが発信されており、ついに素顔を見せるのではないかと日本中の音楽ファンが固唾を飲んで見守っていた。
あの透き通るような鮮烈な透明感を響かせるボーカルは、一体どんな表情で歌うのだろうか。そして、それと完璧なハーモニーを奏でる、元気で力強いもう一人のボーカルはいったいどのような少女なのか。
さらに、動画からでも伝わる超絶技巧で涼しい顔をして弾き倒しているであろうギタリストは。無機質とも言えるほどに正確無比な重低音を刻むベーシストは。そして、楽曲全体を引っ張る、跳ねるような躍動感を生み出すドラムスは。
ついに彼女たちの実体が、この目で確かめられるかもしれない。その事実がもたらす高揚感は、敬斗の足取りをどこまでも軽くしていた。
「よし、まずは物販からだな」
敬斗は気合を入れ直し、ドームの正面に設けられた巨大な物販エリアへと向かった。
事前にチケット抽選を兼ねたECサイトで、すでに四万五千円分ものグッズを購入しているにもかかわらず、彼の足は物販の列へと向かっていた。
理由は明快だ。なぜなら、あまりの注文殺到によりネット通販分のグッズは現在「生産・発送待ち」となっていたからだ。今日ライブ会場でグッズを身につけるためには、会場で直接買うしかなかったのだ。
それに加え、会場でしか手に入らない「限定ラバーバンド」や「公演日入りマフラータオル」も存在する。推し活において、「ここでしか買えない」という言葉は、何よりも抗いがたい魔力を持っているのだ。
しかし、物販エリアに到着した敬斗は、目の前に広がる光景に絶句していた。
広大なテント群を取り囲むように、何重にも折り返された長蛇の列が形成されていたのである。最後尾の看板を持つスタッフの姿が、遥か彼方に霞んで見えるほどだった。
「マジかよ……みんなどんだけ早くから並んでるんだよ……」
その光景に圧倒されながらも、敬斗は列の最後尾に並んだ。春とはいえ、こうして長時間立ちっぱなしで並ぶのは体力を消耗する。しかし、前後に並ぶ見知らぬファンたちの背中からは、彼と同じように渋ガを愛する同志としての熱気が伝わってきて、不思議と苦に感じなかった。
列が少しずつ進み、巨大なグッズテントが見の前に近づいてきたその時だった。
「ご案内中のお客様にお知らせいたします! 誠に申し訳ございません。好評につき、限定パーカー優莉カラー、およびラバーバンド由愛カラー、只今をもちまして売り切れとなります! 繰り返します――」
スタッフが持つメガホンから無情なアナウンスが響き渡った。
「ああっ……嘘だろ……」
その瞬間、周囲の列のあちらこちらから悲鳴やため息が漏れる。敬斗も思わず天を仰いだ。彼が最も推しているボーカル・優莉のイメージカラーをあしらった限定パーカーは、今日の最大の目当ての一つだったのだ。
「優莉のパーカー……欲しかったな……」
気落ちして肩を落とす敬斗。しかし、すぐにブンブンと首を横に振って切り替えた。
これだけ多くの人が、彼女たちのアイテムを渇望している。それはファンの熱量の高さの証明と言っていい。限定グッズが買えなかったのは悔しいが、あくまで本番はこれから始まるライブそのものなのだ。
「この人気だ、仕方がない。ライブ本番に向けて、気合を入れ直そう」
自分に言い聞かせるように呟き、敬斗は無事に残りの目当てのグッズを購入し、物販テントを後にした。
グッズ購入という大仕事を終え、空腹を覚えた敬斗は、ライブに備えて遅めの昼食をとるため、ドームに隣接する東都ドームシティ内の飲食店へと向かった。
しかし、ここでも彼は渋ガファンの熱気に直面することになる。
レストラン街や巨大なフードコートは、文字通り立錐の余地もないほど満席状態だった。見渡す限り、渋ガのライブTシャツを着た若者や、タオルを首に巻いたファンたちで溢れかえっている。
「すいません、ここ相席大丈夫ですか?」
ようやく見つけたフードコートの四人掛けテーブルで、一人で座っていた同世代の青年に声をかけ、敬斗は相席させてもらうことになった。
「あ、どうぞどうぞ。自分もさっき座れたばっかりなんで」
青年は快く頷き、敬斗はハンバーガーのトレイを置いて席に着いた。周囲の喧騒に耳を傾けると、聞こえてくる会話はすべて、これから始まるライブに対する期待と興奮ばかりだった。
「ねえ、今日ホントに顔出しあるのかな? 『すべてが解禁される』って、また紗幕越しとかじゃないよね?」
「いやいや、あれだけ煽ってたじゃん。絶対顔出すって!」
「どんな子たちなんだろうね。優莉ちゃんの声、めっちゃ透き通ってて大人っぽいから、クール系の美人かな」
「由愛ちゃんはあの力強い歌い方からして、絶対元気なギャルでしょ!」
隣のテーブルの女子高生二人組が、キャッキャと盛り上がっている。
反対側の席では、大学生らしき男子のグループが、真剣な顔で考察を語り合っていた。
「いや、俺はまだ『全員おっさん説』を疑ってるね。あんな超絶技巧のギターソロとか、寸分の狂いもない正確無比なベース、それにあの跳ねるような躍動感をキープし続けるドラム……。演奏技術からして絶対、裏にプロのスタジオミュージシャンがいるんだって。やっぱりおっさん覆面プロジェクト説が濃厚だと思うんだよ」
「でもさ。だとしたら、今日の解禁はどうすんだよ? 女子高生期待させといて、おっさんが出てきたら暴動待ったなしだぞ」
「だから、表向きの『演者』としてビジュアル要員を用意してるんじゃないかって。……でも、もし本当に女子高生が全部演奏してて曲も作ってるなら、日本の音楽シーンの歴史が変わるぞ」
「だよな。とにかく、この目で確かめるしかねえよな」
そうした会話を聞きながら、敬斗はハンバーガーを噛み締めていた。高い壁を越えて手に入れたチケット。外れた多くのファンたちの想い。それらすべてを背負って、彼らはあのドームという空間に入るのだ。
いよいよ入場時間が迫り、敬斗は指定されたゲートへと向かう。
ドームの周囲には、すでに開場を待つファンたちによる長大な待機列が形成されていた。列は少しずつ進み、敬斗の順番がやってくる。入場ゲートでは、今まで経験してきたライブとは一線を画す、厳重極まりないセキュリティチェックが行われていた。
目の前には、最新鋭の顔認証機能付きの専用端末を持つスタッフがズラリと並んでいる。
「デジタルチケットのQRコードと、写真付きの公的身分証明書をご提示ください」
スタッフの指示に従い、敬斗はスマートフォンの画面と運転免許証を差し出した。
端末のカメラが敬斗の顔をスキャンし、一瞬で「認証完了」の緑色のランプが点灯した。ダフ屋や転売ヤーの介入を完全にシャットアウトする、一部の隙もないシステムであった。
「はい、確認できました。こちらのバンドを左手首にお付けください。当ライブの演出で使用いたします」
スタッフから手渡されたのは、公式グッズの『シンクロライトバンド』だった。
「当ライブは会場内での録画、録音、写真撮影が一切禁止となっております。スマートフォンやタブレットなど、撮影可能な機器をこちらにご提示ください。カメラレンズの部分に、特殊な封印シールを貼らせていただきます」
「あ、はい」
敬斗は言われるがままスマートフォンを差し出し、表と裏のカメラレンズに、一度剥がすと跡が残る特殊なセキュリティシールを貼られた。
「公演終了まで、このシールは絶対に剥がさないようにお願いいたします。もし退出時に剥がした跡が確認された場合、例外なく、データの確認および消去をさせていただきますので、ご注意ください」
スタッフの毅然とした対応に、敬斗は少し驚きつつも頷いた。
この徹底した撮影禁止と封印シールの裏には、社長である優莉の、冷徹なまでのブランド戦略が隠されていた。顔出しはする。しかし、その姿を安易にSNSで拡散させて安売りするつもりはなかった。ライブという、この一瞬に参加する資格のある者だけが、そのプレミアムな経験を共有できるのだという、新たなブランド価値の創造である。
もちろん、敬斗はそんなビジネス的な思惑などは知る由もなかったが、ファンの心理として「ここでしか見られない」「参加できなかったファンにはわからない」という特別感がより一層煽られ、高揚感が高まってきていた。
「絶対に、この目に焼き付けて帰るぞ」
敬斗は封印されたスマートフォンをポケットにしまい、強い決意を胸に、ついにドームの内部へと足を踏み入れていった。
薄暗いコンコースを抜け、自分の座席番号が記されたスタンド席の入り口をくぐった瞬間。
「おおっ……」
敬斗の口から、感嘆の息が漏れた。
目の前に広がっていたのは、見上げるほど高く、そして遥か彼方まで続く巨大なすり鉢状の空間だった。五万人の観客を飲み込む東都ドームのスケール感は、テレビや映像で見るのとは次元が違う。すでに大半の席はファンで埋め尽くされており、ドーム内には五万人のざわめきと、開演を待ちわびる熱気が渦を巻いて反響し、独特の重低音のようなノイズとなって空間を震わせていた。
敬斗は自分の席を見つけ、腰を下ろしてステージの方へと視線を向けた。アリーナの中央に鎮座する巨大なメインステージ。しかし、そのステージ全体は、天井から吊り下げられた巨大な白い「紗幕」によってすっぽりと覆い隠されており、中の様子やセットの全貌は全く窺い知ることができなかった。
「……あれ?」
敬斗は首を傾げた。
「すべてが解禁されるっていうから、最初からバーン! って顔出しで登場するのかと思ってたけど……今日も最初は姿を隠すのかな?」
周囲の席のファンたちも、その巨大な紗幕を見て「えっ、今日も隠すの?」「演出の一部じゃない?」とザワザワと囁き合っている。
焦らされている。完全に、全員が彼女たちの演出に手のひらの上で転がされていた。しかしその感覚すらもが、今は心地よいスパイスとなっていた。
そうして開演予定時刻が近づくにつれ、ドーム内の空気は徐々に張り詰めていく。
ドキドキと心臓が高鳴る待機時間を過ごしていると、会場内に流れていたBGMの音量が、不意にグッと上がり照明の光量がわずかに落ちる。それと同時に、敬斗が左手首に巻いていた『シンクロライトバンド』が、突然青い光を放ち、テスト点灯を始めた。
「おっ」
周りを見渡せば、ドーム中の五万人の観客の腕が、一斉に青い光の海へと変わっていた。
BGMのビートに合わせて、五万個の光が同時に狂いなく点滅していく。
チカッ、チカッ、チカッ。
それはまるで、ここにいる五万人全員の心臓の鼓動が、一つの巨大な生き物として同期していくかのような、不思議で圧倒的な一体感だった。言葉を交わさずとも、この場にいる全員が同じ期待と興奮を共有していることが、光の瞬きを通して伝わってくる。
そして。
突然、会場を支配していた大音量のBGMが、プツンと途切れた。
同時に、ドーム内を照らしていたすべての客席照明が完全に落ち、深い暗闇が空間を支配した。
「――っ!!」
ついに、開演の時が来た。
その事実を本能で悟った五万人のファンたちから、ドームの屋根を吹き飛ばすかのような、いや、鼓膜を破り物理的な衝撃波すら感じるほどの、凄まじい大歓声が巻き起こった。
「「「うおおおおおおおおっ!!」」」
敬斗もまた、自分でも驚くほどの絶叫を上げ、立ち上がって拳を突き上げていた。
待ちに待った瞬間。渋ガの伝説の幕が、今、上がる。
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