あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜 作:高山 虎
「じゃあ、まずはドリンクバー取ってから行こっか!」
ユアの明るい声に促され、卓は受付横のドリンクバーコーナーへと向かった。
備え付けのグラスを手に取り、ユアが迷うことなくコーラのボタンを押してなみなみと注ぐのを見る。その横で、卓は無難に烏龍茶のボタンを押した。十五歳の健康的な身体とはいえ、中身の四十八歳は糖分の摂りすぎや強烈な炭酸の刺激を無意識に避けてしまうのだ。
「えっと、私たちの部屋は……」
「304だって! あーしら三階だね、エレベーターあっち!」
慣れた様子のユアに先導され、二人はエレベーターで三階へと上がり、薄暗い廊下を歩いて304号室を探し当てた。
ガチャリと重い防音扉を開けると、そこはこぢんまりとした、しかし二人で歌うには十分な広さのカラオケルームだった。革張りのソファに腰を下ろし、テーブルにドリンクを置いたところで、ようやく卓はホッと一息ついた。
「ふぅ……」
部屋に入って人目から解放された安心感もあり、卓はずっと深く被っていた帽子を脱ぎ、度の入っていない黒縁の伊達メガネを外した。帽子に押し込められていた美しい亜麻色の髪がふわりと広がり、隠されている神がかった美貌が、カラオケルームのモニターの明かりに照らし出される。
「――えっ?」
隣に座っていたユアが、不意にフリーズした。
目を見開き、口をぽかんと開けたまま、卓の顔を至近距離で凝視している。
「ゆ、ユア……?」
「ちょ、まっ、ええええええっ!?」
ユアは突然大声を上げると、ドンッ!とソファを蹴るような勢いで卓に身を乗り出してきた。
「な、なにこれ!? あんた、帽子とメガネ取ったらめちゃくちゃヤバいじゃん! 超絶美少女じゃん! なにこの肌!? 加工フィルターかかってんの!?」
「ひぃっ!?」
バシッと両手で卓の頬を挟み込み、至近距離から顔を覗き込んでくるユア。突然の急接近に、卓の心臓は別の意味で激しく跳ね上がった。
(ち、近い近い近い! 女子高生と顔が数センチの距離!? 俺は四十八歳のおっさんだぞ! こんなの完全にアウトだ、俺の頭の中のコンプライアンス警報がレッドゾーンを振り切ってる!!)
中間管理職としての防衛本能と倫理観が大音量でサイレンを鳴らす中、ユアは卓のツルツルの頬をすりすりと撫で回しながら興奮気味にまくしたてた。
「顔の作りが神レベルなのはどうにもなんないけどさ、この肌のきめ細やかさとか、髪のちゅるんちゅるん感には絶対秘密があるはずっしょ! ねえ、どんなスキンケアしてんの!? 美容室どこ!?」
「あ、あわわ……そ、そんな大したことは……!」
ギャルの怒濤の勢いにタジタジになりながらも、あたふたといつもやっているケアを口にする卓。
「えっと、洗顔のあとにすぐ導入美容液を塗って、化粧水、乳液、最後にクリームで蓋をするっていうか……」
それは他でもない、この二週間、開発部の松田たちから毎日スパルタで叩き込まれた手順そのままである。
「へーっ! なるほどね! やっぱり保湿命ってわけかー!」
ユアは感心したように頷きつつも、ふと自分の頬を触って小さくため息をついた。
「……あーあ。あーしも毎日それくらいやってるのにさー。それなら、あーしだってもっと可愛くなっててもいいんじゃね? やっぱ天から与えられた素材の違いかぁ……」
少しだけシュンと落ち込むユア。その様子を見て、卓は慌ててフォローを入れた。
「そ、そんなことないよ! ユアだって、その……じゅ、十分、可愛いと思うし……!」
言葉の途中で(しまった、女子高生に向かって『可愛い』なんて、おっさんのセクハラ発言と受け取られないか!?)と強烈な警戒心が頭をもたげたが、口から出たのは紛れもない本音だった。
実際に、近距離で見るユアは十分に美人だ。少し日焼けした健康的な肌は若さの象徴のように瑞々しく、ふんわりと巻かれた明るい茶髪もよく似合っている。パッチリと強調されたギャルメイクの奥にある瞳は素直で愛嬌があり、制服のミニスカートから伸びるスラリとした脚はスタイル抜群だ。
今の自分という規格外の存在と比較してしまうからいけないだけで、クラスの中心にいるような華やかな魅力に満ちている。
「えっ……マジで? あーし、可愛い?」
「う、うん。すごく似合ってるし、スタイルもいいし……」
「っはー! こんなどエライ美少女に褒められるとか、マジ照れるわー! あんた、やっぱめっちゃいい子だね!」
卓の恐る恐るの言葉に、ユアはパァッと顔を輝かせて完全に立ち直った。そこで、ユアはふと首を傾げた。
「そういえば、受付のとき聞きそびれちゃったけど。えーっと、なんて呼べばいい?」
「えっ」
卓はビクッと肩を揺らした。さすがにこの美少女の姿で『佐藤卓です』と名乗るわけにはいかない。どう誤魔化すべきか。
「じ、じゃあ……『スグ』って呼んで」
「スグ! オッケー、スグね! じゃあスグ、カラオケに来たんだし、とりあえず歌お! あーしから入れていい?」
すっかり機嫌を直したユアは、テーブルの上のデンモクを手に取り、手慣れた様子でピピッと操作を始めた。
やがて、スピーカーから流れ始めたのは、最近の動画サイトで大流行しているアップテンポなヒットナンバーだった。イントロに合わせて、ユアはマイクを握り立ち上がる。
「いくよー!」
そして、ユアが歌い出した瞬間。卓は思わず「おっ」と目を丸くした。
声楽的な基礎やテクニックから見れば、息継ぎや発声に粗はある。しかし、彼女の声には人を惹きつける特有の『色』があり、音程(ピッチ)もリズムも非常に正確だった。何より、歌うことを心から楽しんでいる感情が声に乗っていて、そこにはただのカラオケのレベルを超えた魅力があった。
「ふぅー! やっぱこの曲むっずいわ!」
一曲歌い終え、満足げにソファにダイブしてきたユアに、卓は心からの拍手を送った。
「すごい! 歌、とっても上手いんだね!」
「えへへ、マジ? サンキュ! あーし、歌がめっちゃ好きでさ。実は、将来歌手目指してるんだ」
「歌手?」
「そ! 今日もホントは、一人でカラオケに来て練習するつもりだったんだよね。シンガーソングライターでも、バンドのボーカルでも、アイドルでもなんでもいいから、とにかく歌でプロになりたくてさ」
照れくさそうに、しかし真っ直ぐな瞳で語るユア。その言葉を聞いて、卓は深い感銘を受けていた。
(十五、六歳のこの年頃から、こんなにはっきりと自分の夢を持って、一人で練習に来るなんて……偉いなぁ。自分がこの歳の頃なんて、部活とゲームくらいしか頭になくて、将来のことなんて何にも考えてなかったぞ)
四十八歳の中間管理職としての目線で、目の前の少女の持つ若々しいエネルギーと志の高さに、卓はただただ感心するしかなかった。
「ほら、次はスグの番! なんか入れなよ!」
「えっ、私!? いや、私はその……最近の曲とか、全然わからなくて……」
「いいじゃんいいじゃん! なんでもいいよ、知ってる曲入れて!」
ユアにデンモクを押し付けられ、卓はタジタジになりながらも画面をスクロールした。
最近の曲はサッパリわからないが、せっかくカラオケに来たのだ、歌いたい気持ちはある。卓は記憶を頼りに、自分が大学生だった頃……つまり、今から三十年近く前の『平成の名曲』と呼ばれる壮大なバラードを検索し、転送ボタンを押した。
「……ん? なにこの曲。あーし、聞いたことないかも」
画面に表示された曲名を見て、ユアの頭の上に「?」が浮かんでいる。それもそのはず、彼女が生まれるずっと前のヒット曲なのだ。
静かなピアノのイントロが流れ始める。
卓はマイクを両手で握り、スッと背筋を伸ばした。学生時代に声楽サークルで徹底的に叩き込まれた、腹式呼吸の構え。そして、卓が静かに歌い出した、その瞬間だった。
『――♪』
部屋の空気が、一変した。
卓自身も驚愕していた。かつてのおっさんの分厚い声帯では決して出せなかった、澄み切った高音。喉の奥が限界まで開く感覚。昔取った杵柄である『声楽のテクニック』と、十五歳の少女の『ノイズの一切ないクリアな声質』が奇跡的な融合を果たし、スピーカーを通さずとも部屋中に響き渡るような、信じられないほどの美声が放たれたのだ。
正確無比なピッチ、豊かなビブラート、そして感情を揺さぶるような声の艶。ただのカラオケルームが、一瞬にしてプロのコンサートホールへと変貌したかのようだった。
「…………ッ!!」
一曲を歌い終え、卓がマイクを下ろしても、ユアは言葉を発しなかった。ただ、鳥肌の立った腕をさすりながら、信じられないものを見る目で卓を見つめている。
「あ、あの……ごめん、ちょっと古すぎたかな……?」
卓が恐る恐る尋ねると、ユアは突然ソファから跳ね起きた。
「し、ししょーっ!!」
「……え? ししょー?」
「師匠だよ!! なにあれ!? 今の歌なんなの!? ヤバすぎるっしょ!! 鳥肌立ちすぎてヤバい!! お願い、あーしに歌教えて!!」
ユアは卓の手をガシッと握りしめ、目をキラキラさせて懇願してきた。
「ええっ!? いや、そんな、私なんて大したものじゃないし……!」
「嘘だ! あんなのプロじゃん! 絶対なんかやってたっしょ! お願い、あーし本気でプロになりたいの! だから、今の歌い方のコツとか、教えてほしい!」
「う、うーん……声楽の基礎的なテクニックくらいでよければ、教えられるかもしれないけど……」
「マジ!? やったぁぁぁっ!!」
そこからの時間は、あっという間だった。
卓が腹式呼吸のやり方や、喉を開いて鼻腔に声を響かせるコツなどを教えると、ユアは目を輝かせてそれを吸収していった。
元々筋がいいこともあり、少しアドバイスをしただけで、ユアの歌声は目に見えて安定感を増していく。卓としても、自分の昔の知識がこの若い夢見る少女の役に立っているということが、純粋に嬉しかった。
歌って、教えて、また歌って。気がつけば、入室から三時間が経過しており、部屋の電話が退室の十分前を知らせるコールを鳴らしていた。
「あーあ、もう時間かぁ。めっちゃ楽しかったし、すげー勉強になった!」
荷物をまとめながら、ユアは名残惜しそうに伸びをした。フロントに向かい、卓は約束通り伝票を手にして財布を開いた。
「今日のカラオケ代、私が持つって言ったから……」
「はあ!? ダメダメ! あーし、スグにタダで歌のレッスンまでしてもらったんだよ!? おごってもらうなんて絶対無理! ワリカンにして!」
「いや、でも最初に約束したし……」
「ダメ! ワ・リ・カ・ン!」
受付の前でしばらく押し問答が続いたが、ユアの強固な意志に負け、結局卓はワリカンで支払うことになった。
「ごめんね、半分払ってもらっちゃって。……代わりに、私に何かお礼できること、ないかな?」
店を出て、春の風が吹く歩道で卓が申し訳なさそうに尋ねると、ユアはニカッと太陽のような笑顔を向けた。
「じゃあさ、これからもあーしに歌を教えてもらえないかな?」
「えっ……」
「今日だけじゃもったいないもん! スグ、また一緒にカラオケ行って、あーしの特訓に付き合ってよ!」
卓は言葉に詰まった。
一ヶ月後、自分が男に戻るか、少女として生きるか。身分も不確かなこの仮初めの身体で、新しい友人と「次」の約束をしてしまうことには、強いわだかまりがあった。
しかし……この三時間、カラオケの個室で夢を語り合い、無邪気に笑う彼女と過ごした時間は、どうしようもなく心地よかった。完全に絆されてしまっている自分に気づき、卓はふっと表情を緩めた。
「……うん、いいよ。私でよければ、また一緒に歌おう」
「やったー! よっしゃ、言質取った!」
ユアは自分のスクールバッグから可愛いメモ帳を取り出すと、ササッとペンを走らせ、一枚破って卓に押し付けた。
「これ、あーしのメッセージアプリのID! スグ、絶対連絡してよね! じゃあ、あーしこっちだから! ばいばーい!」
嵐のように現れ、嵐のように去っていく少女の背中を、卓はポカンと見送った。
手の中にある、丸文字で書かれたIDのメモ。
(……本当に、嵐みたいな子だったな)
だが、不思議な感覚だった。卓は、この美少女の姿になってから初めて、あのカラオケルームの中で『素の自分』でいられたことに気がついたのだ。社長の前での緊張も、女性社員たちからのスパルタ指導による警戒も、見知らぬ男からのナンパの恐怖も、ユアの前では一切忘れることができた。
「……今度、松田さんに頼んで、新しくスマホを用意してもらおう」
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卓は春の空を見上げながら、心の中のToDoリストに、新しい目標をそっとメモしたのだった。