あさおん!〜48歳のハゲ散らかしたおっさんですが、朝起きたら超絶美少女でした。15億円の資産で「奇跡の歌姫」として二度目の青春を謳歌する〜 作:高山 虎
抜けるような青空が広がる、休日の午後。
都内でも有数の規模を誇る大型書店のビジネス書コーナーに、その場におよそ似つかわしくない一人の可憐な少女が立っている。
透き通るような雪肌に、光を反射する亜麻色の髪。誰もが振り返るような圧倒的な美貌を持つ十五歳の少女——佐藤優莉である。今日の彼女は、白のサマーニットにふんわりとしたミントグリーンのフレアスカートという、年相応の爽やかさと少しの大人っぽさをミックスした装いだった。
(えーっと、たしかこの辺りの棚に……あ、あった!)
優莉の視線の先、ずらりと並んだ難解な専門書の中に、目当ての一冊を見つけた。
『組織を動かすリーダーの心理学』——かつて優莉が三十代の平社員だった頃に読み込み、いつの間にか手放してしまった実用ビジネス書である。今日、由愛たち友人メンバーと遊ぶ約束をしていた優莉は、待ち合わせの前にこの本を探すためだけに、わざわざ少し早めに家を出ていたのだ。
(良かった、まだ絶版になってなかったか)
本を手に取り、ホッと胸を撫で下ろす。
レジで会計を済ませ、書店を出てスマホの時計を確認する。
「……まだ四十分も時間があるな」
由愛たちとの待ち合わせには少しばかり早すぎる。
「五分前行動、いや十五分前行動が染み付いているとはいえ、流石に早く着きすぎたな……」
長年のサラリーマン生活で培われた「遅刻は絶対悪」という強迫観念が裏目に出た形だ。
このまま待ち合わせ場所の駅前で四十分も突っ立っていては、ただでさえ目立つ容姿のせいで無用なトラブルを引き寄せ疲弊してしまうのは火を見るより明らかである。
「どこかで時間を潰さないと……ん?」
周囲を見渡した優莉の目に、通りに面した一件のカフェが飛び込んできた。
ガラス張りのスタイリッシュな外観で、店内は落ち着いたウッド調のインテリアで統一されている。休日のオフィス街に近いエリアということもあり、客層も落ち着いていて、静かなクラシックのBGMが外までかすかに漏れ聞こえていた。
「ここでいっか」
優莉は迷わずそのカフェのドアを押し開けた。
カラン、と心地よいベルの音が鳴る。自家焙煎のコーヒー豆が放つ、深く香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
「いらっしゃいませ。ご注文をお伺いします」
レジカウンター越しに、エプロン姿の若い男性店員が笑顔で迎えてくれた。
「ホットのブラックコーヒーを。サイズはレギュラーで」
店員が、一瞬だけ瞬きをした。女子高生のような可憐な少女が、フラペチーノやキャラメルマキアートでもなく、一切の迷いなくブラックコーヒーを頼んだからだろう。
しかし、すぐに「かしこまりました。お席までお持ちいたします」とプロとしての接客に戻り、優莉は会計を済ませて窓際の奥まった席へと向かった。
しばらくして運ばれてきた湯気を立てるマグカップを両手で包み込み、優莉はゆっくりと一口啜る。
「……美味い」
胃の腑に落ちていく、深くガツンとした苦味。
十五歳の美少女の肉体になり、味覚細胞も若返った優莉は、最近では甘いスイーツの暴力的なまでの美味しさにもすっかり魅了されていた。由愛たちとパンケーキを食べに行けば目を輝かせて頬張り、開発部の研究室で高級マカロンを出されれば感動に震える日々である。
しかし、それでもやはり、長年の労働の相棒であった『ブラックコーヒー』の味だけは、精神の根幹を落ち着かせる安定剤として特別な地位を保っていた。この苦味を味わう時だけは、中身のおっさんとしての自我が色濃く表面に浮かび上がってくるような気がするのだ。
◇
コーヒーを飲みながら、買ってきたばかりのビジネス書をパラパラと捲り懐かしさに浸っていた、その時だった。
「いやぁ、今週は大変でしたね。まさか休日にまで顔を合わせて打ち合わせすることになるとは思いませんでした」
「とりあえず、お疲れさん。でも、仕方ないだろ、来週の経営会議までにこのシステム統合の予算案を固めなきゃならないんだから」
優莉のすぐ隣のテーブルに、スーツ姿の男性二人組がどっこいしょと重い腰を下ろす。
休日出勤、あるいはカフェでの軽い打ち合わせだろうか。二人とも三十代半ばから後半といったところで、少し疲労の色を濃く滲ませた、しかしどこか充実感のある顔をしている。
優莉は何気なく視線を向け——そして、ギョッとして咄嗟に顔を背けた。
(なっ……あいつら……!)
優莉の心臓が、ドクンと大きく跳ね上がった。
彼らの首から提げられているネックストラップ。そこには、見慣れすぎたロゴマーク——世界最大のエネルギー企業である『サージョトレーディング』の社員証が光っていたのである。
それだけではない。優莉には、彼らの顔に見覚えがありすぎるほどあったのだ。
一人は、サージョトレーディング総務部の若手ホープである斎藤。そしてもう一人は、財務部のやり手である中谷であった。
(斎藤に中谷じゃないか……! なんでこんな休日のオフィス街のカフェに……いや、サージョの本社からそこそこ近いエリアだから、打ち合わせに使うのも不思議じゃないか)
優莉は手元のスマホをいじるふりをしながら本で顔を半分隠し、息を潜めた。
斎藤は、優莉(当時の佐藤卓部長)が直属の部下として手塩にかけて育ててきた男だ。少しお調子者で抜けているところもあるが、真面目で根性があり、現場の泥臭い仕事も嫌がらずにこなす可愛い部下だった。
中谷は部署こそ違うが、毎月の予算折衝や決算のたびにバチバチにやり合い、その後の飲み会では肩を組んで「お前のところの部署、金使いすぎなんだよ!」「うるせえ、現場の士気を下げる気か!」と酒を酌み交わした戦友のような存在である。
「お待たせいたしました、アイスコーヒーとカフェラテです」
店員が飲み物を運び、二人の男はネクタイを少し緩めながら喉を潤す。
隣の席に座っている、亜麻色の髪を持つ絶世の美少女が、かつて夜な夜な新橋のガード下で焼き鳥を貪っていた『佐藤総務部長』だなどとは、当然ながら夢にも思っていないだろう。
優莉はブラックコーヒーを啜るふりをしながら、彼らの会話に静かに耳を傾ける。
「そういえば、こんな時になんですけど……」
カフェラテのカップを置き、斎藤がふと声を落とす。
「佐藤部長、なんの前触れもなく行方不明になりましたよね」
「ブッ……!」
突然自分の名前が出たことに驚き、優莉は危うくブラックコーヒーを壮大に吹き出しそうになった。慌てて口元をハンカチで押さえ、必死にむせるのを堪えながら背中を丸める。
中谷が深く頷いて答えた。
「ああ。優秀だったのにな。財務部じゃ、競合他社からの引き抜きだったんじゃないかって噂でもちきりだぜ。でも、それならあの義理堅い佐藤部長が、引き継ぎもしていかないなんて考えられないだろ。あまりに急だったもんな」
「そうなんですよ。だから、総務部じゃ『失踪したらしいぞ』ってもっぱらの噂です。ここだけの話、部長はサージョの根幹に関わる機密情報を知っていたから、それ目当ての他社から狙われて、拉致されたんじゃないかって……」
「マジかよ……。まあ、うちは新エネルギー特許で儲けすぎていて、敵視している企業も多いからな。あり得ない話じゃない、か。俺たちも夜道には気をつけようぜ」
深刻そうな顔で頷き合う斎藤と中谷。
一方、それを隣の席で聞いている優莉は、呆れ果てて白目を剥きそうになっていた。
(おいおいおい、尾鰭がつきすぎだろ! 拉致ってなんだ、映画の見すぎだろ! 私はただ、開発部が作った若返り・性転換デバイスのスイッチをうっかりでポチッと押しちゃっただけだよ!)
心の中で猛烈なツッコミを入れる優莉。九条社長が「佐藤部長はアメリカ出張中に行方不明になった」というカモフラージュの設定をしてくれたのは知っていたが、まさか社内でそんな大げさな陰謀論が囁かれているとは想像もしていなかった。
(まさか、拉致されたと噂されている行方不明の総務部長が、女子高生になってカラオケで歌ったり、タワマンで自炊したり、株の配当金でウハウハしながら人生楽しんでますなんて……あいつら、夢にも思わないだろうな)
あまりの落差と滑稽さに、優莉は少しだけ吹き出しそうになるのを必死に堪えなければならなかった。
しかし、彼らの会話は続く。
「まあ、佐藤部長がいなくなって数ヶ月経つけど、なんだかんだで会社は回ってるし、新しい体制でも業績は右肩上がりだしな。俺たちの冬のボーナスも期待できそうだ」
中谷が笑いながら言うと、斎藤も「ですね」と頷く。
(そうか……)
優莉は少しだけ目を伏せた。
自分という歯車が一つ抜け落ちても、世界最大のエネルギー企業という巨大なシステムは何事もなかったかのように動き続けている。
頭では分かっていたことだ。会社とはそういうものであり、誰がいなくなっても組織が存続するように作られているのが正しい姿なのだから。だが、こうして元部下の口から直接「いなくても順調だ」と聞かされると、少しだけ胸の奥に冷たい寂寥感がよぎる。
だが、斎藤の次の言葉が、優莉の耳にハッキリと届いた。
「でも……やっぱり、佐藤部長が整備してくれたマニュアルとデータがあるから、今も総務部は回ってるんですよ。あれがなかったら、今頃総務部はてんてこ舞いでぶっ倒れてましたよ」
「……」
優莉の肩が、ピクッと反応する。
「ああ、それは間違いないな」と中谷も同意していた。
「あの人ほど、社内調整がうまい人、俺は見たことないよ。開発部の変人どもや、営業のイケイケ連中、それにうちみたいな細かい財務の人間……我の強い各部署の連中を、嫌味なく上手くまとめて落とし所を見つける天才だった」
「そうなんですよね。俺、何度も部長の背中見て勉強させてもらいました。いつも飄々としてるようで、誰よりも泥臭く会社全体のこと考えてくれてて……。部長が残してくれたあの共有フォルダの議事録、今でも俺たちのバイブルなんですよ」
斎藤の言葉には、お世辞や建前ではない、上司への純粋な敬意と感謝が込められていた。
優莉は、コーヒーカップを握る手にギュッと力を込めた。
胸の奥から、熱いものが込み上げてくる。
四十八年間生きた「佐藤卓」としての誇り。そして、少しの感傷。
決して目立つポジションではなかった。派手なプロジェクトを立ち上げて巨額の利益を生み出したわけでも、画期的な新発明をしたわけでもない。ただひたすらに、会社という組織が円滑に回るように、裏方として汗をかき、頭を下げ、部下たちを守りながら奔走してきた、地味で泥臭いサラリーマン人生だった。
だが、その日々は決して無駄ではなかったのだ。
自分が身を粉にして築き上げた部署。厳しくも愛した部下たち。彼らの中に、『佐藤卓』という男の仕事は、確かに息づいている。
それを知ることができただけでも、四十八年間の男としての人生は、報われた気がした。優莉の目頭が、少しだけ熱くなる。
「はぁ……」
斎藤が、アイスコーヒーのストローを弄りながら、深いため息をついた。
「今も部長がいてくれたらなぁ……。実は今度の新しいシステム導入の件、開発部との折衝が難航してまして。あいつら、現場の運用コストを全く無視して理想論ばっかり押し付けてくるんですよ。あの人ならどう切り抜けるか、相談したいことも山ほどあるのに……」
少しだけ弱音を吐くかつての部下の姿に、優莉の『上司としての本能』が強く刺激される。
(斎藤……お前は真面目すぎるから、開発部の連中の理詰めに押されてるんだろ。あいつらは現場の運用コストを盾にするだけじゃ納得しないんだ。システムの導入による『彼らの研究効率の向上』というメリットを無理やりでもいいから捻りだして逆提案すればいい)
優莉は無意識のうちに、腰を浮かせかけていた。
「私はここにいるぞ。話ぐらい聞いてやるよ」
そんな言葉が、喉まで出かかっていた。肩を叩き、アドバイスの一つでもしてやりたい。可愛い部下の悩みを解決してやりたい。居酒屋に連れ込んで、愚痴を聞きながら串焼きを奢ってやりたい。
しかし。
ふと、視界の端に入ったものを見て、優莉の動きがピタリと止まった。
——コーヒーカップの取っ手に添えられた、自分の手。
それは、長年のシワが刻まれた無骨なおっさんの手ではなかった。
白魚のように細く、透き通るように白い。爪先まで瑞々しく整い、ほんのりと桜色に色づいた、華奢で可憐な少女の手だ。
「あ……」
優莉は、ストンと席に腰を落とした。
我に返る。
そうだった。今の自分は総務部長・佐藤卓ではない。
十五歳の女子高生、佐藤優莉なのだ。
もしここで立ち上がり、「私が佐藤部長だ!」などと名乗ったところで、彼らは不審者を見るような目を向けるだけだろう。性転換と若返りなど普通の人間が信じるはずもない。それに、変に接触すれば、会社の機密情報保護の観点から九条社長に迷惑がかかるかもしれない。
何より……自分はもう、あの時、三つの選択肢の中から「この姿のまま、新しい人生を生きる」という道を選んだのだ。
会社の手厚いバックアップを受け、六億七千万円という莫大な資産を引き継ぎ、新しい戸籍を得て、第二の青春を歩み始めている。
過去の誇りは、胸の奥に大切にしまっておけばいい。今の自分には、由愛や玲奈、琴音、雫といった、かけがえのない新しい友人たちがいて、新しく始まる未来が広がっているのだから。
「……頑張れよ、斎藤。お前ならやれるさ」
優莉は誰にも聞こえないほどの小さな声で呟くと、部下たちの邪魔をしないよう、静かに視線を外した。
残りのブラックコーヒーを飲み干し、静かに席を立ち上がる。
優莉はそのまま、カフェの奥にあるトイレの洗面所へと向かった。
誰もいない洗面所に設置された、大型の明るい鏡。
そこに映し出された自分の姿を、優莉はじっと見つめた。
かつて毎朝鏡の前でため息をついていた、生え際の後退に悩み、疲れた顔をしてメタボ腹を気にしていた小太りの中年男性は、もうどこにもいない。
そこにいるのは、潤いのある透き通るような美肌、大きく澄んだ二重の瞳、そして肩のラインで美しく流れる亜麻色の髪を持つ、絶世の美少女だ。
優莉は、鏡の中の自分に向かって、ふっと悪戯っぽく笑いかけた。
「まあ、髪の毛もフサフサだし、腰も痛まない……こっちの人生も悪くないよな」
圧倒的な健康体と美貌、そして巨万の富を持ってやり直せる今の人生の方が、どう考えてもチート級に恵まれている。過去にすがる理由など、どこにもなかった。
優莉は、肩に提げたレザーバッグから化粧ポーチを開き、お気に入りの色付きリップを取り出す。
開発部のエリート研究員たちからスパルタで叩き込まれ、今や完全に優莉の身体に染み付いている慣れた手つきで、桜色の唇にスッとリップを塗り直す。艶やかさを増した唇が、彼女の顔をさらに華やかに彩った。
「よしっ」
小さく気合を入れ、優莉はくるりと踵を返す。
そろそろ、由愛たちが待ち合わせ場所にやってくる時間だ。今日は、彼女たちとクレープを食べて、雑貨屋を回って、思う存分「女子高生の休日」を満喫する予定なのだから。
過去の自分に別れを告げ、佐藤優莉は、心地よい風が吹く新しい人生のステージへと、颯爽と歩き出すのであった。
【明日非公開!】駆け込み読書はお急ぎください!
いよいよ明日、10/10の夜頃に『あさおん!』本編の大部分を非公開にいたします。まだ途中までしか読まれていない方は、ぜひ本日のうちに最後までお楽しみください……!
そして来週10/16には、ついにKindle版の第1巻が配信開始です!ぜひ予約ページのチェックをお願いします。KU会員なら追加料金なしで読めますよ!
▼ 各巻予約ページはコチラ
第1巻 https://www.amazon.co.jp/dp/B0HHYG48SY
第2巻 https://www.amazon.co.jp/dp/B0HHYHVM1S
第3巻 https://www.amazon.co.jp/dp/B0HHYHRFT1
次回の番外編はもし高校進学を選択せずに無人島生活を始めたら……というIFストーリです。
10/16の20:11更新予定です。お楽しみに!