FOX小隊が百鬼夜行で用心棒をするお話 作:空を飛ぶジンベエザメ
喫茶店を出たユキノは人混みの中でふわふわと揺れるイズナの尻尾を見つけると、文字通りの尾行を開始する。イズナはこちらに気付く様子を一切見せることなく、人でごった返す大通りからどんどん離れ、寂れた商店街を幾つか抜けた後、どう見ても廃屋にしか見えないボロボロの校舎の中に入って行った。
(百鬼夜行連合学園、第38旧校舎…老朽化に伴い、関係者以外立ち入り禁止…)
イズナが校舎の中に入ったことを確認したユキノは、校門の前に設置された立て看板を一瞥した。
(周囲に人の気配は感じられない…隠密部隊の類が身を潜めるのに最適な場所ではあるが…)
ここまで尾行して来たにもかかわらず、ユキノは旧校舎に潜入することを躊躇っていた。
(イズナ、と名乗ったあの生徒。本当に私の尾行に気付いていないのか…?)
当然自分の尾行の能力に自信が無い訳では無い。しかし、もし向こうがこちらの存在に気付いていて、敢えて尾行をさせてここまで誘い込んだとしたら?ユキノはその可能性を捨てきれていなかった。
(やはり応援を呼ぶべきだったか…?しかし、一度接触してしまった以上、ここで時間を無駄にする訳にはいかない…)
間近で顔を見られ、短いながらも会話まで交わしてしまった。もし本当に、彼女が自分達と同じものを追う目的で自分に接触して来たというのなら、ここでおたおたしている暇も、一度退くことももう出来ない。
(時刻は17:30ちょうど…定期報告まで、あと30分…)
夜になったら、迎えに行くね…
あの幽霊の発言も気がかりだ。沈みかけている夕陽が地平線に消えた時、あれは再び自分の前に現れるのだろうか?もしや、その為にイズナは自分にマークを…?
(…余計なことを考えるな、FOX1。今私がすべきことは、あの生徒の目的を明らかにすること、それだけだ…)
校舎に侵入し、必要な情報を収集し、帰還する。その程度のことなら朝飯前だ。そう自分に言い聞かせ、ユキノは夕陽を受けて暗く長い影を落とす旧校舎へと慎重に歩みを進め始めた。
幸い、校舎に入って直ぐにイズナの所在は掴めた。
「イズナどうしよ~う!?私、今日買ったコラボデッキ、カードショップに忘れて来ちゃった~!」
「大丈夫ですよ部長!カエデ殿が一緒だったのなら、きっと預かってくれているはずです!イズナ、モモトークで聞いてみますね!」
薄暗い廊下の奥から聞こえる能天気な話し声。およそ緊張感が感じられないその会話に、ユキノは首を傾げつつも、太腿に隠したホルスターから拳銃をそろりと取り出した。
(距離は約50…恐らくは二つ先の教室にいる……しかし、この会話は一体何だ…?)
「あ、返信来ました!『イズナちゃんの言う通り、私がクルミさんから預かってるよ!今度取りに来てよね!旧校舎まで行くのめんどくさいし!』だそうです!良かったですね、部長!けど、このクルミさんって何方でしょうか?」
「良かった~!えっとその人はね、今日ホビーショップでカエデとムシクイーンやってる時に会ったんだ。ムシクイーンに興味あったみたいだから、私のコラボデッキを貸してカエデとデュエルしたんだけど、私が一度も勝てなかったカエデにあっさり勝っちゃったの!キツネ耳の、ちょっと怖い感じの人だったんだけど、陰キャな私にも凄いフレンドリーに接してくれて、凄い良い人だったんだ!」
(クルミ、だと…!?)
拳銃のグリップを握る両手に、力が入る。まさか自分だけでなく、クルミの存在まで把握されていたとは。
(まさかこの会話も、敢えて私に聞かせる為に…!?)
「お前の行動は全て筒抜けだ」なにか生産性がある訳でもない、ただの友人同士の会話にしか聞こえないそのやり取りが、まるでそう告げているようにユキノは感じられた。これが、百花繚乱調停委員会の抱える隠密部隊の実力だと言うのか…
(やはり罠だったか…!やむを得ない、ここは一度…)
「やあぁあああ!!!」
踵を返そうとしたその時、自分の背後に巨大な影が立っていたことに、ユキノは気付く。影はふにゃふにゃした雄叫びを上げながら、棍棒のようなものをユキノ目掛けて振り下ろして来た!
「伏兵か!」
ユキノは素早く背後に飛び退くと、背後の人物が握っていた棍棒に一発発砲した。鋭い金属音と共に、錆びた鉄パイプが宙を舞う。
「動くな!!次は眉間を撃ち抜く!!」
ユキノの鋭い声が埃っぽい廊下に響く。
「は、はいぃ~…」
「これしきで降参するはずが無い。必ず近接戦闘を仕掛けてくるはずだ」ユキノのその予想は、裏切られた。ユキノを奇襲した人物は、近接戦闘を仕掛けるどころか、情けない声と共に両手を上げ、あっさりと白旗を上げたのだ。
拍子抜けしながらも、ユキノは拳銃を構えたまま、命令されてもいないのにぺたんと座り込んだ大柄な生徒に歩み寄る。その時
「い、今の銃声何!?」
「ツクヨ殿!?どうしたのですか!?」
背後の教室から、イズナと、もう一人小柄な生徒が顔を出した。瞬間、ユキノは拳銃を下ろすと、目の前で座り込むツクヨと呼ばれた生徒の背後に回り込んだ。
「ひぃ…!?」
首元で鈍く光るものを見て、ツクヨは小さく悲鳴を上げた。
「そこ、動くな!動けばこいつの喉を掻っ切る!」
ツクヨの首で大きなアーミーナイフをちらつかせながら、ユキノはイズナ達に向かって叫んだ。
「え、え、な、何…!?」
「あなたはさっきの…!?」
イズナ達はユキノの姿を見て、ただ唖然としている。
(あくまで白を切るつもりか…!ならば…!)
シャラン…シャラン…
突如、鈴の音が、響き渡った。じめじめした夏の空気が満ちる廊下に、纏わりつくような冷気が、満ち始める。
「な、なに…!?」
異常に気付いたミチルがキョロキョロと周囲を見渡す。いつの間にか、ユキノ達の足元に、煙のような白い靄が満ちていた。
(来たな、ロア…!)
ツクヨを拘束したまま、ユキノは暗い廊下の奥にぼんやりと現れたそれをじっと見据える。
「ぶ、部長!あ、あれ!」
「え」
シャラン…シャラン…
鈴の音が、響き続ける。驚きと恐怖で凍り付いたイズミとミチルの間を、あの幽霊が通り過ぎてゆく。ゆらゆら、ゆらゆらと、深い海のような着物を揺らしながら。
「はわわわわ…!な、何ですかあれ…!?」
「とぼけるな」
こちらに近づいてくる幽霊に、ツクヨは思わず顔を引き攣らせる。一方ユキノは、ツクヨの首にナイフの腹を添わせたまま、空いた手で器用に拳銃を構えた。銃口を向けられ、幽霊が足を止める。
『こんばんは。約束通り、迎えに来たよ。けど何だか、ややこしいことになってるね。貴女が後ろから抱きついているのは、貴女のお友達?それと貴女が私に向けているものを下ろして貰えると、助かるな』
「ロア、お前の質問に答える必要は無い」
ユキノは幽霊に冷たく言い放った。
『ろ、あ?それって、私の名前?私に名前を、付けてくれたの?』
幽霊は子犬のように、不思議そうに小首を傾げた。
「だったらどうした?呼ぶべき名があるのならそうしてやる。だがその前に私の問いに答えろ」
『うふふ』と、幽霊は笑った。
『ううん。私にそんなもの、無いよ。私に名前は、存在しない』
幽霊は歌うようにそう言うと、長い袖の中に隠れていた白い手をユキノ達に向けて掲げた。
「動くな!!それとも、これが何だか理解していないか!?」
『ううん、知ってるよ。でも、貴女達に私は撃てないでしょ?大昔から、そう決まってるもんね?』
幽霊はいたずらっぽく笑った。瞬間、どこからともなく鳴っていた鈴の音が、一際大きく響く。
「なん、だ…?」
突然視界がぼやけ始めた。まるで酷い立ち眩みのように、手元の拳銃の姿すらはっきりと捉えられない。
『申し訳ないけど、貴女の質問に答えるのはあっちの世界についてから。安心して、怖いものなんて何も無い。私はただ、貴女にお祭りのお客さんとして、楽しんで欲しいだけ…』
全身の力が抜けていく。拳銃とナイフが手から滑り落ちるのが分かった。
「……お祭り」
身体が言う事を聞かない。まるで見えない糸に引っ張られているようにして立ち上がる。
「楽し、そうな声…だな…」
視界がぼやけ、もはや何も見えない。しかし聴覚だけは何故かはっきりしている。鈴の音が段々と弱まり、代わりに賑やかな声と、お囃子の音が聞こえて来る。とても穏やかで、楽しそうだ―
『え、な、何?貴女も来るの?』
突然、幽霊の声が混じった。初めて聞く、困惑の声。
『ちょ、ちょっと待って!今は二人も連れて行けない…!私はこの可愛いキツネ耳さんの為だけに来たんだから…!』
幽霊の声に、戸惑いの色が強く帯びる。
『…そっか。貴女も、心が冷たくなっているんだね。でも、貴女のそれは、まだとても温かい。だからそれだけでお客さんになるのは、ちょっと違うかな。けど、扉がここまで滅茶苦茶になったら、今日はもう無理だ』
歪みに歪んだ視界の向こうに、あの青い着物が見える。ユキノはそれに、力無く手を伸ばした。
「待…て…」
幽霊が振り返ったのが分かった。
『今日は失敗しちゃったや。でもお祭りまでまだ時間はあるし、またいつかの夜に会おうね』
その言葉が耳を撫でたのを最後に、ユキノは意識を失った。