ここはマッサラ島。
世に無数の海賊が溢れる大海賊時代にありながら、襲う旨味が皆無であるために騒乱とは無縁の何もない島。
「こんにちは博士! 今日も島の外のこと教えて!」
この少女の名はマシロ。十歳。
若者の島外移住により限界まで高齢化が進んだマッサラ島における唯一にして最後の若者だ。
「おお、マシロか! よし、今日は悪魔の実について話すとしようかのぉ!」
この老人の名はオーキッド。
若い頃に冒険家として数多くの島を巡っていたオーキッドは、島の誰よりも物知りなので、マシロに博士と呼ばれていた。
「悪魔? なんだか怖そう」
「うむ、確かに怖い部分もあるのぉ。悪魔の実を食べた者は……なんと呪われてしまうのじゃ!」
呪いと聞いて安直に死を連想したマシロが驚いて飛び上がった。
「死んじゃうの!?」
幼く可愛らしい反応にオーキッドが笑った。
「ほっほっほ。死ぬことはないよ。泳げなくなるだけじゃ」
「なぁんだ」
さっきまで怯えていたマシロが拍子抜けして鼻で笑った。
「全然怖くないや。でも海で遊べなくなっちゃうのはやだなぁ。気を付けないと」
マシロは悪魔の実を食べてもいいことのない毒キノコのようなものだと解釈していた。
「ほっほっほ。そうじゃのぉ。まあ、そうそう見つかる物ではないから安心しなさい。それに……」
しかし悪魔の実は単なる毒物ではない。
「悪魔の実を食べると、なんと魔法が使えるようになるのじゃ!」
悪魔の実を食べた者は、一生泳げない身体になることを代償に、魔法のような特別な能力が使えるようになるのだ。
「へー」
「反応薄いのう!?」
それを聞いてもマシロの反応は薄かった。
「だって、魔法なんてあるわけないじゃん。私もう十歳だよ? さすがに騙されないよ」
「呪いは信じとったのに!?」
魔法は信じないが、お化けなんかはまだまだ怖いお年頃なのだ。
「ぬぐぐ……ならばこれを見るのじゃ!」
そんな中途半端に子供心を忘れたマシロの前に、オーキッドはドンッと音を立てる勢いでとある物を置いた。
「ただのぽんぐりじゃん。あれ……でもこんな変な模様のやつ初めて見る」
手のひらに乗る大きさのそれはマッサラ島の森の木に実るぽんぐりというきのみに似ているが、普通のぽんぐりは滑らかな表面なのに対して、このぽんぐりの表面には渦巻き状の模様が隆起していた。
「これはワシが今朝の散歩中に見つけたものじゃ! これまで本物を見たことはなかったが、昔ワシが読んだ図鑑に載っていた悪魔の実は、まさにこんな模様がついた実じゃった!」
「えええええ!? じゃあこれが悪魔の実!? 泳げなくなっちゃう!」
可愛らしい女の子がしてはいけない鼻垂れ顔になったマシロがどたばたと音を立てて壁際まで後退した。
「食べればそうなる! じゃが、ワシはこれをマシロに食べてほしい!」
「なんで!? 博士が自分で食べればいいじゃん!」
「老い先短いジジイが魔法を使えるようになったところでなんの意味がある! この島の誰よりも未来あるマシロこそがこの貴重な実を食べるべきなのじゃ!」
「やあああああだああああ!」
悪魔の実を強引に口にねじ込もうとするオーキッドにマシロは抵抗した。
非力な女の子であるマシロでも老い衰えたオーキッドの腕力であれば拮抗できた。
「ぬぎぎぎぎぎ!」
「ふぎぎぎぎぎ!」
均衡を崩したのは突然外から聞こえてきた銃声だった。
「ぴえっ!? んぐぅ!?」
「なんじゃ今の音は!?」
この猛獣がいない島で銃を持つ住民はおらず、初めて聞く音に驚いたマシロは意識を完全にそちらに向けて身体の力を抜いてしまった。
一方で冒険家だった頃に自分で銃を使った経験があったオーキッドは意識を銃声に向けながらもマシロの口に悪魔の実を押し込む力を緩めなかった。
その結果、マシロは窒息しないためにどう考えても喉を通らない大きさの悪魔の実をそのまま丸呑みする羽目になった。
「ぎゃあああああ! 飲み込んじゃったあああああ! 呪われ……」
「静かに!」
オーキッドはマシロの口を押さえて叫び声を止めた。
「いいかマシロ。もしかしたら海賊が来たのかもしれん。ワシが様子を見てくるから、マシロはここで息を潜めて隠れているのじゃ」
見たことのないオーキッドの鬼気迫る顔に気圧されたマシロは声を出さずにこくこくと頷いた。
それから十分ほどが過ぎた頃。
「博士……もういい?」
待てども待てどもオーキッドが戻ってこないので、子供らしくじっとしていられなくなったマシロは、恐る恐る窓から外の様子を窺った。
「……え?」
そこには地獄が広がっていた。
「よっしゃあ! 一発即死! エクセレントボーナスも〜らい!」
地獄を作り出したのは、マシロと同じくらいの年に見える、桃色の髪をツインテールにした、たったひとりの生意気そうな女の子だ。
「ああっ! ばあさんや! 頼むから目を開けとくれ!」
いつもマシロに焼き菓子を作ってくれる優しいおばあさんが額を銃弾に撃ち抜かれて倒れた。
「よくもばあさんを! このぉ!」
長年連れ立った愛する妻を殺されたことに怒り狂った木こりのおじいさんが桃色の髪の子供に殴りかかった。
「きゃー! 暴力はんたーい! なぁんて」
「あばばばばば!」
おじいさんの手は桃色の髪の子供に触れることなくその身体をすり抜け、それと同時におじいさんは感電した。
踊るようにけいれんしたおじいさんはしばらくして黒焦げになって絶命し、おばあさんの死体に重なるように倒れ込んだ。
「あははははは! ざーこ! 下々民がこのコーラルちゃんに触れるとか思ってんじゃねーよ!」
コーラルと名乗った少女が夫婦の死体を前に高笑いした。
「キコリーおじいさん、カシおばあさん……他のみんなは……」
マシロは窓から目の届く範囲で周辺を見渡した。
そして見つけた。
いつもマシロに美味しい魚を分けてくれた、釣りが上手なリョウシーおじさんが死んでいる。
マシロに可愛い服を作ってくれた、裁縫が得意なホウサイおばさんが死んでいる。
マシロが風邪を引いた時に薬草を摘んできてくれたヤクおじいさんも、マシロの家の雨漏りを修理してくれたケンチックおじさんも、マシロが服に付けた染みを落としてくれたランドリおばあさんも、マシロの髪を綺麗に整えてくれたトコおばさんも……いつもマシロに優しくしてくれた大好きなマッサラ島の島民たちが、みんな、みんな死んでいる。
「……博士は!?」
見つからないのはオーキッドただひとりだ。
目の届かない場所で死んでしまっているのではないかとマシロは心配したが、幸いにもオーキッドは生きていた。
「くっ……皆すまぬ! だが、おかげでこいつを取って来られた!」
コーラルへと向かって走るオーキッドはその手に武器を持っていた。
それはケンチックおじさんが仕事で使っていたゴム製のハンマーだとマシロには分かった。
「ぬううううん!」
「あはっ! だーかーらー……下々民がコーラルに触れるわけねえって言ってんぎゃっ……!?」
オーキッドがコーラルの頭に振り下ろしたゴム製ハンマーはすり抜けることなくコーラルに直撃した。
「ゴムは電気を通さんのじゃ! これが科学の力じゃあああああ!」
おそらく悪魔の実を食べて手に入れたと思われる能力で肉体を電気に変えているコーラルに対し、知識が豊富なオーキッドは電気を通さないゴムが有効であると考えた。
その推測は正しく、オーキッドの攻撃はコーラルの頭にたんこぶを作った。
しかし、それだけだった。
「いってえなあああああ!」
肉体的に弱い子供が相手であればゴム製ハンマー程度でも気絶させられると期待したオーキッドの見立ては外れた。
怯むどころか逆上したコーラルは身体から全方位に電撃を放った。
「ぐわああああああああああ!」
逃げ場のない放電を浴びたオーキッドは感電し、一瞬で黒焦げになった。
「ざっけんなクソジジイ! てめぇのせいで楽しい気分が台無しになったじゃねえか!」
オーキッドの心臓はもう止まっているというのに、コーラルは執拗に電撃を浴びせ続けた。
電流によって意識と無関係に動くオーキッドの肉体はまるで苦痛に悶えているようだった。
「消し飛べやあああああ!」
「はかせええええええ!」
我慢できずに漏れてしまったマシロの悲鳴は雷鳴のような轟音にかき消された。
「あ……あ……博士……」
コーラルが放てる最大出力の放電を受けたオーキッドの肉体は完全に炭化し、崩れて風に消えた。
「……ちっ、これが本番だったら恥かくとこだったじゃねえか」
苛立ちの原因をこの世から消滅させたおかげで少しだけ溜飲を下げたコーラルがこの場を去る素振りを見せた。
「あ〜あ。しゃあねえ、もっかい場所変えて練習すっか〜」
最後に不吉な言葉を言い残して。
「……もう、一回?」
コーラルはまた、人を殺しに行く。
マシロにとってのマッサラ島の人たちのように、誰かにとっての大切な人を殺しに行く。
「……止めなきゃ」
このまま息を潜めていれば、きっとマシロは助かるのだろう。
「……あいつを、倒さなきゃ」
マシロがコーラルに立ち向かったところで、オーキッドのように殺される可能性の方が高いのだろう。
それでもマシロは家を出た。
マッサラ島の優しい人たちを見て育ってきた心優しいマシロは、誰かが自分と同じ思いをすることが許せなかった。
そして何より。
マッサラ島の人たちに愛されて育ったマシロが。
同じくらいに島の人たちを愛していたマシロが。
憎きコーラルがこのままのうのうと立ち去るのを、見逃すなんてできるはずもない!
「うわああああああああああ!」
「ん?」
マシロの走る速度は年齢相応で、雄叫びまであげてしまっては当然コーラルに気付かれる。
「おいなんだよ! ジジイとババアしかいないのかと思ってたのに、いるじゃん! 高得点の……女子供!」
コーラルがすぐに電撃を放っていれば、それだけでマシロは死んでいた。
しかしできるだけ長くマシロで遊ぼうと考えたコーラルは、マシロが無駄と気付くまで自由に攻撃させて、それから絶望して逃げ出したところで殺そうと目論み、その場でにやにやしながらマシロを待ち構えた。
「いっけえええええ!」
ある程度接近したところでマシロはコーラルにとあるものを投げた。
コーラルはそれが石礫であり、コーラルに一切の痛痒を与えることなく電気の肉体を通り過ぎるだけだと予想して、回避どころか抵抗する気持ちすら持たなかった。
それがコーラルの敗因だった。
「あははははは! 石なんか投げてもコーラルには当たらないんですけどぉ!」
オーキッドによってマシロが食べさせられた悪魔の実の名前はボルボルの実。
ボルボルの実を食べた者は手から魔法のボールを作り出せるようになる。
「当たるよ。分かるの」
魔法のボールは標的に接触することで能力の発動条件を満たし、接触時に標的が抵抗できない状態になっているか、もしくは初めから抵抗する意思を持っていない場合に限り、その標的をボールの中に吸い込んで閉じ込めることができる。
「は? お、おい、なんだよこれ!? やめろ!」
コーラルに接触して跳ね返ったボールが空中で制止し、上下に割れて内部から赤い光を放った。
赤い光に包まれたコーラルは、この状況に陥ってようやく抵抗しようとしたが、既に捕獲判定は完了していた。
「お前えええええ! コーラルを何だと思ってやがる! この世界の神だぞ! 天竜人なんだぞおおおおお!」
赤い光に包まれた瞬間から電撃を放とうとしても放てなくなったコーラルは、断末魔のような絶叫をしながらボールの中に収まった。
「てんりゅーびと? 魚人みたいに、そういう種族ってことかな」
マッサラ島の外に出ると、そこにはマシロやオーキッドのような普通の人間の他に、小人や魚人のような別の種族が存在する。
そのことをオーキッドから教わっていたマシロは天竜人もそういった異種族の一種なのだと考えた。
「悪い海賊、ゲットだぜ」
そして悪者のいないマッサラ島で生きてきて、山賊のような悪者の別の分類をオーキッドから教わらなかったマシロにとって、悪いことをする人間は全て海賊だ。
こうして、海賊ではないが海賊のような振る舞いをしたコーラルは、本物の海賊たちが海軍に捕まって監獄に閉じ込められるように、マシロのボールという永遠の牢獄に繋がれることになったのであった。
◯
それから一週間近くが経過した。
その間、マシロはずっとマッサラ島の島民たちの墓を作り続けた。
非力なマシロでは人が収まる穴をひとつ掘るだけでも大変で、これまで経験したことのない筋肉痛に苦しめられる日々だったが、それでもマシロは全部ひとりでやり遂げた。
「オーキッド博士、私……旅に出るよ」
死体を穴に埋めて、その上に石を乗せただけの簡素なオーキッドの墓の前に立ったマシロが、大切な人たちに別れの挨拶をした。
その別れは元から決まっていたことだった。
マッサラ島の島民たちは高齢で、いつか必ずマシロがひとりになってしまうと分かっていた。
だからオーキッドはいつか来るその日に備えて、ずっとマシロに旅の準備をさせていたのだ。
「私……ううん、俺、夢ができたんだ」
女の子でありながら男の子に見える服を着たマシロが帽子をかぶってその中に長い白髪を隠した。
女の子のひとり旅は危険だから旅立つ時は男装するようにとオーキッドに約束させられていたのだ。
「博士に貰ったこの魔法で、世界中の海賊を捕まえてやる!」
マシロがリュックサックから取り出したボールを強く握り締め、それから空高く放り投げた。
「出てこい! コーラル!」
空中で開いたボールから光と共に飛び出してきたのは、マシロから大切な者たちを奪った忌々しい少女、コーラルだ。
「あああああ! やっと……やっと出れた!」
外の様子が一切見えない真っ黒の闇だけが無限に続く謎の場所に一週間近く閉じ込められていたコーラルの目には泣き腫らした痕跡が残っていた。
「てめえええええ! よくも……よくもやりやがったなあああああ!」
自由に喜んだのは一瞬で、次の瞬間にはマシロへの怒りを溢れさせ、コーラルはマシロを殺すために電撃を放とうとした。
「あ……? おい、なんで出ないんだよ!?」
しかし、何も起こらない。
「無駄だぜ。自分の魔法だから分かるんだ。俺が捕まえた海賊は、俺を傷つけることができなくなる」
「はぁ!? なんだそれ、ふざけんな!」
凄むことしかできないコーラルに、もはやマシロは怯えない。
「ふざけてんのはそっちだろ! よくもみんなを殺したな!」
マシロはコーラルの頬をはたいた。
普通ならばマシロが感電死するだけのその行為は、コーラルがマシロを傷つける行為を無意識下で制限されていたために身体を電気に変化させられず、コーラルの頬に正しく痛みを与えた。
「痛っ!」
「この!」
マシロはコーラルの反対側の頬もはたいた。
「痛い! やめろ!」
「この! この!」
それからマシロはコーラルが泣くまではたき続けた。
「ほっぺが痛いぃぃぃぃ! もうやめろよおぉぉぉぉ!」
「はぁ……はぁ……」
はたいている側のマシロも泣いていた。
どんなにはたいても自分の手が痛くなるばかりで、頭の中の悲しみも苦しみもなくならないものだから、きっとコーラルを殺したとしてもそれは変わらないのだとマシロは理解した。
「いいよ。やめてやる」
マシロは聡い子だ。無駄なことはしない。
「コーラル、お前が乗って来た船まで案内しろ」
「はぁ? 指図すんじゃ……」
その代わりにマシロはコーラルを有効活用することにした。
マシロの指示を受けたコーラルの身体は勝手に動き、マッサラ島まで乗って来た船がある海岸に向けて歩き出した。
「おいなんだよこれぇ! お前の能力か!?」
「能力?」
「お前もコーラルみたいに悪魔の実を食べた能力者なんだろ!?」
悪魔の実を食べた者は魔法使いとでも呼ばれるのかと思っていたが、どうやら能力者と呼ばれるらしいとマシロは知った。
ついでに予想はしていたがコーラルが能力者であることも確定した。
「そうだ。俺の能力でお前はこの先ずっと俺に攻撃することも逆らうこともできない」
誰に教わったわけでもないのに、自分の能力で何ができるのかをマシロは漠然と把握していた。
不思議ではあるが、悪魔の実とはそういうものなのだと思ってマシロは気にしなかった。
「そんなの奴隷みたいなもんじゃねえか! コーラルは天竜人だぞ! 早く能力を解……」
「うるさい。俺がいいって言うまで黙ってろ」
「〜〜〜〜〜!」
ぎゃーぎゃー喚くコーラルにマシロが指示を出すと、途端にコーラルは声を出せなくなった。
「いいか、俺たちはこれから旅に出る」
歩きながら、マシロは一方的にコーラルに今後の方針を語る。
「俺のボールは抵抗しないかできない状態の相手しか捕まえられない。でも俺じゃ海賊と戦って抵抗できなくなるまで痛めつけるなんてできない」
性格的にも、腕力的にも、海賊と直接戦うなんてマシロでは無理だ。
「だからコーラル、お前が俺の代わりに戦え」
そこでコーラルの出番となる。
マシロにとってコーラルは戦いで傷ついても悲しくならない存在であり、何より強力な悪魔の実の能力者だ。
「それがお前の償いだ。お前の力で海賊を倒して、それを俺が捕まえる。その次は捕まえた奴も一緒に戦わせて、もっと強い海賊を捕まえる。それを繰り返して……俺は、この世界にいる全ての海賊を捕まえてやる!」
話している内に海岸に到着したマシロは、水平線の向こうにいるであろう、まだ見ぬ海賊たちへと空っぽのボールを掲げた。
「そうさ! 俺は全世界の海賊に宣言する!」
かつて、マシロはオーキッドに習った。
何かを完璧にやり遂げたとき、人はそれをマスターしたと言うのだと。
「海賊マスターに、俺はなる!」
マッサラ島にさよならしたマシロは、昨日の敵コーラルを強制的に友にして旅立った。
今は険悪な二人がこれからどこに向かい、何をするのか。
それはまだ、誰にもわからない。