「本日は座学はありません。これからすぐ運動場に移動して特別実戦演習を行います」
ある日の朝礼時、教室に集まった三人の生徒たちの前でアインが抜き打ち演習の実施を通達した。
「それにあたって本校の校長先生が仮想敵役としてご協力くださることになりました。ゼファー先生! どうぞお入りください!」
どこか熱のこもったアインの呼びかけに応じて教室の扉が開いた。
教室に入ってきた右腕に巨大な義手を装着した筋骨隆々の男は、なぜか海兵らしいしっかりとした装いではなく、上半身は裸で、サングラスをかけ、まるで海賊が着るような黒いコートを羽織っていた。
「……えっと、校長先生? その姿は……」
普段からこの姿なのかと思いきやアインの戸惑う様子からどうやら違うらしい。
「今日の俺は海賊役だからな。形から入ってみた。変か?」
「いえ! 普段と違う先生も大変かっこいいと思います!」
アインとの気の抜けた会話を聞いて威圧的なゼファーの風貌を警戒していた生徒たちが表情を緩めた。
その瞬間を見逃さず、ゼファーは生徒たちに向き直った。
「諸君、俺はこの学校の校長を務めているゼファーだ。もう随分前に退役した身だが、現場にいた頃は大将の肩書きを背負っていた」
大将と聞いて目を大きく見開いた生徒たちを挑発するようにゼファーが不敵な笑みを浮かべた。
「この後の演習でお前たちは三人がかりで俺と戦うわけだが……殺す気で来い! どうせお前たちでは傷ひとつつけられんだろうがな!」
「あ゙あ゙っ!?」
「はぁ!?」
「わっ、ちょっ、二人とも、相手は校長先生だよ!」
「あなたたち! ゼファー先生になんて失礼を!」
挑発に乗ってしまったコーラとタッカがゼファーをにらみつけ、生徒にあるまじき二人の失礼な態度にアピスがうろたえ、アインが憤慨した。
「気にしなくていいぞアピス訓練生。アインも落ち着け。海兵がなめられれば海賊という悪が増長する。このくらい威勢が良くて結構! 準備ができたら運動場に来い!」
生徒たちの無礼を怒るどころかむしろ称賛したゼファーが極まった剃によるこうそくいどうで姿を消した。
「なめやがってぇ! 行くぞタッカぁ!」
「言われなくても! アピスも早く来なさいよ!」
ゼファーを追うコーラとタッカも剃を使って姿を消した。
「待ってよ二人ともぉ! 私それできないのぉ!」
「アピスさん。地面を一瞬で十回以上蹴るのがコツですよ。こうです」
アインも当然のように剃で姿を消した。
「二回でも無理です! あっ、待って先生! 置いてかないで〜!」
ミルク不在のためひとりだけ置いてけぼりになったアピスの嘆きが校舎中に響き渡った。
◯
「かみなりパンチ!」
剃でゼファーの背後に移動したコーラが帯電した拳をゼファーの後頭部めがけて突き出した。
「ニャニャニャニャニャー!」
さらに正面からゼファーに突撃した半人半猫状態のタッカが武装色の覇気を纏って黒く染まった爪によるみだれひっかきをしかけた。
「威勢だけかお前らぁ! 無策で突っ込んでもカウンターの餌食だぁ!」
ゼファーが巨大な義手を大きく開き、自分の身体を中心として円を描くように薙ぎ払った。
それによりまとめて掴み取ったタッカとコーラをゼファーは薙ぎ払いの勢いで上空に投げ飛ばした。
「私は猫だから大丈夫だけど、あんたは!?」
コーラがパラミシア系バチバチの実の能力者だと聞かされていたタッカはコーラが落下死するのではないかと心配した。
「コーラも平気だ! 自分でどうにかできる!」
実際にはロギア系ピリピリの実の能力者であるため、落下による物理的な衝撃はコーラの身体に生じない。
「ほんとに!? 強がってないでしょうね!?」
「強がりじゃねぇよ! 見てろ!」
しかもコーラはこのまま無様に天から墜落するつもりはなかった。
月歩による空中歩行に必要なのは脚力よりも空気が固まるように踏み抜く感覚である。
それさえ掴めていれば仮に何らかの悪魔の実の能力で脚力が不足している身体に心を移されたとしても足に負担をかけることで月歩が可能となる。
ここ数日、本来ならばミルクとの濃密な交流に使っていた時間で入念なイメージトレーニングを重ねたコーラはついにその境地に至ったのであった。
「月歩! か〜ら〜の〜、プラズマフィストぉ!」
月歩で空中を駆けて落下の方向を調整したコーラが帯電した両手をゼファーの頭上から叩きつけた。
雷が落ちたような轟音が鳴り響き、炸裂した電気が運動場を焼き焦がして地面に樹枝状の模様を刻み込んだ。
「なかなかやる……」
しかし土煙が晴れた爆心地に佇むゼファーは無傷で微動だにしておらず、義手でコーラの攻撃を受け止めていた。
「だが覇気が足りん! どんな攻撃だろうと敵の覇気を上回らなければ威力を削がれるぞ!」
ゼファーが義手を振ってコーラを弾き飛ばした。
「指銃!」
コーラと交代するようにしてタッカがゼファーに迫り、指を銃弾に見立てて敵を貫く六式のひとつ、『指銃』を放った。
「逆にタッカ訓練生は能力と覇気に頼り過ぎだ! 素の肉体の鍛え方が甘い!」
「ぎにゃぁあ! いっだぁ!」
ゼファーの強靭な肉体に指銃を受け止められたタッカの指が曲がってはいけない方向に曲がった。
突き指だ。
「お前ら全員……やり直しだぁ!」
ゼファーが痛みに悶えるタッカを鷲掴みにして、遠くでちょうど着地したばかりのコーラに向けて投げ飛ばした。
「にゃああああああああああ!」
「あははははは! 指銃で突き指って……ぶへぇっ!?」
本来はロギア系能力者であるコーラをすり抜けてタッカだけが地面に衝突するはずが、不運にもタッカが衝撃に備えて全身に武装色の覇気を薄く纏っていたせいでそうならなかった。
油断して笑っていたコーラの顔面にタッカの臀部が突き刺さり、そのまま一緒に吹き飛んだ。
「何すんだてめぇ!」
「笑ってる暇があったならよければよかったでしょ!」
しばらく地面を転がって停止した二人は戦闘中であるという意識から口喧嘩しながらもすぐに起き上がった。
「敵は待ってくれんぞ! 口よりも手を動かさんかぁ!」
派手に転がされてもすぐに体勢を立て直し、口論する元気まで残っている将来有望な海兵の卵たちを心の中で称賛しながらも、ゼファーは手を緩めることなくすぐに二人を追撃しようとした。
「はぁ……はぁ……先生、大変!」
そんなゼファーの動きを止めたのはコーラでもタッカでもなく遅刻してきたアピスであった。
「演習一時中断! 報告しろ、アピス訓練生!」
アピスの表情から事態の深刻さを読み取ったゼファーは、それがゼファーに隙を作るための嘘ではないかと疑うことなく即座に演習を中止した。
「カモメたちが近くの海で怖い奴見つけたって言ってる!」
「怖い奴……そいつの特徴は何か言ってなかったか?」
「えっと……ちょっと前にこの島に来た白いひげの人に似てるみたいです!」
「白ひげに似ている……まさか!」
マリンフォードのカモメたちはサカズキ大将のような顔が怖い人であっても正義の二文字を背負っている海兵ならば危害を加えてこないと学習しているため怖がらない。
怖がるとすれば、その相手は海賊だ。
海賊で、しかも白ひげに似ている。
それらの要素からゼファーはとある極めて危険な海賊の姿を連想した。
「アイン! ビンズ、シューゾと共に訓練生たちの避難と護衛! お前が指揮官だ!」
「はっ!」
アインに手早く指示を出してゼファーはすぐに姿を消した。
「おいおい、何だってんだよ血相変えて。鳥どもは何見つけやがった?」
「分かんない……」
「能力者クラス各員に通達!」
戸惑うコーラたちに他の教師たちへの連絡を終えたアインが声を張って呼びかけた。
「これより我々は男子クラスおよび女子クラスと合流し、海軍本部の要塞内に移動する! 私についてきなさい!」
状況が理解できていなくても上官の命令があれば迅速に行動できるようにと教育を受けてきたタッカとアピスがアインに追従して移動を開始し、アインに従う理由はないが単独行動する理由もないコーラが一瞬遅れて続いた。
途中で能力者クラスよりもずっと人数の多い他のクラスと合流して中隊規模になった集団がアインと能力者クラスの三人を先頭に海軍本部の要塞になだれ込み、状況を知らない要塞内の海兵たちを驚かせた。
「何事だ!?」
その場に居合わせた海兵の中で最も階級が高い、ハゲで首が長くて頭と首の境界が分からない多重顎のレッドキング中将がアインの前に出てきた。
常人からかけ離れた長い首を見た子供たちが授業で習った蛇首族を想像する一方、年齢不相応に多種多様な知識を持つコーラだけは男性特有の卑猥なものを連想して小さく吹き出した。
「私は海軍特別幼年学校能力者クラス担任のアイン! マリンフォードにエドワード・ウィーブル接近の可能性あり! 子供たちの避難を受け入れていただきたい!」
「……! 受け入れ了解した!」
レッドキング中将もウィーブルの名を知っていたらしく話は速やかに進んだ。
「ウィーブルの対処は!?」
「ゼファー元大将が迎撃に向かった! 動ける人員は援護を!」
「わかった! 私を含めて今いる中将と少将全員で向かう! アイン教官は准将以下を指揮して町民の避難を頼む!」
レッドキング中将が駆け出し、残されたアインが非戦闘員保護の指揮を担うことになった。
それからアインは子供たちの避難場所を指揮所として本部の海兵たちを動かし始めた。
「……先生、忙しそう」
「……というかアイン先生って結構階級高い?」
「そういや知らねぇな……准将に命令出せんなら少将くらいじゃねぇの?」
やることがない子供たちはまだ兵士としては未熟であるため、暇を持て余して小さな声でひそひそとおしゃべりをしていた。
「アピスさん!」
「ひゃい! ごめんなさい!」
突然アインに名を呼ばれたアピスは私語を咎められたのだと思って反射的に謝罪した。
しかしアインの目的は叱責ではなかった。
「あなたの能力が必要です。力を貸してください」
「……あたしの? コーラちゃんやタッカちゃんじゃなくてですか?」
日頃から自分が能力者クラスで一番弱いことを気にしているタッカは他でもない自分が頼られたことで耳を疑った。
「あたし、弱いですし、役に立てるか……わっ!」
アピスがうじうじしていると、突然タッカが背中を叩いてきた。
「タッカちゃん?」
「何言ってんのよアピス! あんたの能力のおかげで危ない奴が近くにいるって早めに気付けたんでしょ! とっくに役に立ってるじゃない!」
「あははは! 少なくともネコになるだけの能力に比べりゃ使いどこあんよな!」
「そうそう……待ちなさいコーラ、なんで今私を引き合いに出したわけ? 必要あった?」
コーラとタッカは取っ組み合いを始めた。
「とにかく、必要なのは他でもない、アピスさんのヒソヒソの実の力です」
血の気の多い二人を放置してアインが話を進めた。
「ゼファー先生の状況を知りたいのだけれども、下手に偵察兵を送れば戦いの邪魔になるかもしれません。そこでアピスさんの能力でカモメを送り込み、上空から戦場の様子を確認させてほしいんです」
そのためには要塞の外に出なければならず危険が伴うことを付け加えて、アインはアピスの返答を待った。
「やります! あたしだって海兵になるためにここに来たんですから!」
弱くても臆病者ではないアピスは逡巡することなくすぐに了解の返事をした。
「ありがとう……行きましょう!」
勇んで危険な任務を受け入れたアピスはアインと共に要塞外に出て、大声でカモメたちを呼び寄せた。
「みんな! 食べ物あげるから、危ない奴がどうなったか見てきてくれない!?」
アピスの能力は動物と話ができるようになるだけで、動物に命令を強制することはできない。
「クー」
ほとんどの動物は餌を与えると約束すれば簡単な頼みを聞いてくれるのだが、今回アピスとの会話に応じてくれたカモメは違った。
「えっ? 食べ物じゃなくてお金が欲しいの?」
アピス以外と会話できない鳥類がお金など手に入れて何に使うのだろうかとアピスは首を傾げた。
「しかも危険手当で100万ベリー? さ、さすがにそんな大金……」
「アピスさん、海軍の経費で用意させます」
カモメの意図は不明だがアインが許可を出したので交渉は成立した。
「クー」
「げへへ、社長にいい報告ができるぜ? 社長って誰?」
カモメは飛び立つ際に奇妙な言葉を言い残した。
「……気になりますけど後にしましょう」
余計なことを考えずに待つこと数分、アピスの情報収集依頼を受けたカモメが戻ってきた。
「クエッ!」
「えっ……」
カモメの報告を聞いたアピスの顔が青ざめた。
「アピスさん! カモメは何と!?」
アインがアピスの肩を掴んで顔を寄せた。
「あの調子なら明日は元大将の死亡記事を出せそうだって……あれ、先生? アイン先生!?」
アインは剃でアピスの前から姿を消して戦場に向かってしまった。
残されたアピスはしばらくうろたえたのち、友人たちを頼るために慌てて要塞の中へと戻っていった。
◯
過去にも金獅子や白ひげといった大海賊が襲来したマリンフォードの港から繋がる広場で、元海軍大将『黒腕』のゼファーと多数の少将および中将が七武海級の実力を有する大海賊エドワード・ウィーブルを迎撃中だ。
「エドワード……ウィーブル……!」
そのはずであったのにそこに向かっていたアインは到着前の道中でウィーブルと遭遇した。
「ゼファー先生はどうした!」
「誰だど?」
知能が低いウィーブルは有名な海兵であったゼファーの名を覚えていなかった。
「ゼファーだって? あの老いぼれた元大将なら……今頃死んでるよ! ウィーブルが致命傷を与えてやったからね!」
代わりにゼファーが前線に出ていた当時を知るバッキンが挑発的な言い方でゼファーの状態を明かした。
「きっ……貴様あああああ!」
アインのモドモドの実は恐ろしい能力だ。
実年齢以上の巻き戻しによる消滅は敵の防御力を無視して死に至らしめることができる。
強さだけならば若い頃の白ひげと同等と評価されているウィーブルが相手でもアインの勝ち目はゼロではない。
「モドモ……」
ゼロではないが、勝つためにはモドモドエネルギーを複数回ウィーブルに命中させる必要があり、それを達成するまでウィーブルの攻撃から生き残れるほどの実力をアインは有していなかった。
気付いた時には手遅れで、ウィーブルの薙刀がアインの眼前に迫っていた。
死んだ。
そう思った瞬間にアインの脳裏をよぎったものは、敬愛する恩師ゼファーの姿ではなく、自分の背後にいる教え子たちの姿だった。
「モドモド!」
自分が死ねば次は教え子たちがウィーブルの暴威に晒される。
だから絶対ここで死んではいけないのだと思い至ったアインは両手にモドモドエネルギーを宿して自分に触れた。
まだ三十歳にもなっていないアインは二十四年の時を戻したことで急激に縮み、何もなくなった空間をウィーブルの薙刀が通り過ぎた。
「あで?」
「下だよウィーブル!」
土壇場の発想で窮地を乗り越えたアインであったが、奇策は二度も通じない。
幼児化したアインが能力を解除して元の姿に戻るよりもウィーブルの追撃の方が早く、今度こそアインに回避手段は残されていなかった。
「10万ボルト!」
「ばべべっ!?」
突然、ウィーブルに空から電撃が振り注いだ。
肉体強度も武装色の覇気による強化も一級品のウィーブルには大したダメージを与えられなかったが、筋肉を麻痺させることで動きは僅かに遅くなった。
「剃!」
その隙に何者かが幼児状態のアインを抱えてウィーブルの攻撃範囲から離れた。
「あなたたち……どうして……」
元の姿に戻ったアインは自分を助けてくれたのがコーラとタッカであることを認識した。
「アピスが知らせてくれたのよ。校長が危険な状況で、先生は助けに行ったって」
「あははははは! 元大将が勝てないやつを推定少将がどうにかできるわけねえって思って来てみりゃ、案の定やられてやがんの!」
コーラの煽りは全て事実なのでアインは何も言い返せなかった。
「ま、あとはこのコーラちゃんに任せときな!」
月歩で落下速度を制御しながらアインの前に降り立ったコーラがウィーブルを見据えた。
「かーたん! あいつ電気出したど! おでの後ろに隠れて!」
「頼んだよウィーブル! あたしをしっかり守りな!」
戦えないバッキンはウィーブルの弱点だ。
遠距離攻撃を持つコーラからバッキンを守るためにウィーブルはすぐには攻めてこなかった。
「いけませんコーラさん! 奴は……」
「覇気使いだろうと関係ねぇよ! だって瞬殺すっかんな!」
ウィーブルを倒せると豪語するコーラの自信の源は強力なロギア系の能力ではない。
全てはミルクとの絆によって手に入れた、あのシキすら一撃で倒したメガシンカの力があればこそ。
「見てろよタッカにセンコー! ミルクに貰ったコーラの力であいつをぎゃふんと言わせてやらぁ! メガシンカ!」
邪魔な帽子とサングラスを投げ捨てたコーラが急成長した。
本来であればそうなるはずだったのだが、なぜかコーラの姿は変化せず、ただ変装を解除してコーラルとしての顔をウィーブルたちに見られただけで終わった。
「……あれ?」
「ウィーブル! あいつだよ! 生意気そうな天竜人のメスガキ! とっ捕まえな!」
「わかったどかーたん! とーたんのために!」
「ちょっ、ちょっと待て! メガシンカ! メーガーシーンーカー!」
メガシンカはボルボルの実の能力者と捕獲された人間との絆が最大まで高まることで使用可能となり、一度解禁されれば使えなくなることは原則としてない。
ただしメガシンカのためのエネルギーはボール内に戻るか能力者と直接接触することで補充され、補充されたエネルギーは使用しなくても時間経過で減少していく。
つまりボールに一切入らず、三日以上マシロと離れ離れになっていたコーラルは、エネルギーの欠乏によりメガシンカが使えない状態に陥っていたのだ。
「ぎゃふんっ!」
ウィーブルに薙刀でみねうちされたコーラルは昏倒した。
「よーし目的達成! そいつ拾いなウィーブル! 大将どもが戻って来る前に立ち去るよ!」
「待て!」
「コーラに何すんのよ!」
追いかけようとしたアインとタッカはウィーブルが薙刀を雑に振って生じたぼうふうで吹き飛び、近くの建物に叩きつけられて壁を粉砕し、瓦礫に埋まった。
「お前ら海軍の大切なメスガキはいただいてくよ! 返してほしけりゃ白鼠に言って白ひげをあたしに渡させな!」
マリンフォードの町にバッキンの高笑いが響き渡った。
ウィーブルという巨悪を止められるものは誰もおらず、バッキンの笑い声はいつまでも続く!
「あで、誰かいるど」
「……ん?」
かと思われたが、ウィーブルの進行方向に立ちはだかったひとりの男を見て、バッキンの笑顔はすぐに消えた。
「ゼファーかい! しつこいね!」
ゼファーは右腕の義手を破壊され、左目を潰され、左肩から右腰部にかけて大きく身体を斬られていた。
それでもゼファーはウィーブルに再び勝負をしかけた。
「ヒーローってのはな……何度倒れても立ち上がるもんなんだよ!」
「はんっ! 天竜人の犬がヒーローだって!? 笑わせんじゃないよ!」
バッキンはコーラルが天竜人だからこそゼファーは命を捨ててまで助けに来たのだと考えていた。
しかし、仮に連れ去られそうになっているのがコーラルではなくタッカだったとしてもゼファーは変わらずウィーブルの逃走を阻んでいただろう。
なぜなら今のゼファーは天竜人に仕える大将ではなく、タッカたち生徒を守る義務を負った先生としてここにいるのだから。
「やっちまいなウィーブル!」
「やっちまうど、かーたん!」
ゼファーは既にここを自分の死に場所と決めていた。
「これが俺の……ゼンリョクだあああああ!」
命を燃やしてありったけの覇気を引き出したゼファーが全てをかけた全力の一撃を放とうとしていた。
覇気は普通に使っていても体力を消耗し、肉体に負担をかけるのだ。
例えば限界を超えて酷使した骨が疲労骨折するように、元より老化で衰えていたゼファーの肉体はこの一撃を放ち終えると同時に自壊するだろう。
何十年にも渡って海軍を支えてきたゼファーはここで消え去る。
しかしゼファーに後顧の憂いはない。
海軍にはゼファーの教えを受けた多くの海兵たちがいて、何よりゼファーの最後の教え子であるアインが将来有望な子供たちの指導者となったのだ。
「何かやばい! ウィーブル、メスガキを盾に……」
「ダメだ間に合わねぇど!」
ゼファーからアインに、そしてアインから子供たちに、正義の心は受け継がれ、紡がれていく。
いつかアインの指導によって立派な海兵になった子供たちが大海賊時代を終わらせるその時に立ち会えないことだけは残念だと悔やみながら、ゼファーはその生涯を終えるのであった。
誰も介入しなければそうなっていたのだが、幸か不幸かウィーブルとゼファーの激突に割って入る者がいた。
「ニューゲート! 仲間割れしてる海賊二人にまとめてじしん!」
不死鳥の背に乗り空を飛んで現れたその者……海軍特別幼年学校のミルクではなく大将白鼠の装いをしたマシロは、演習で仮想敵となるために悪人風の装いをしていたゼファーをあろうことか海賊と勘違いして、ウィーブルごと範囲攻撃で頭上から叩き潰した。
コーラルを巻き込まないようにあえて攻撃に覇気を込めさせなかったこと。
そして実際に攻撃を放った白ひげがゼファーの素性を知っていたために気を遣って地震波が直撃しないように調整してくれたこと。
それら二つの要素が重なったおかげでゼファーは味方の誤射による死亡というあまりにも情けない最期を迎えずに済んだ。
しかし死ななかっただけでウィーブル共々瀕死になってしまい、海賊と認識している相手に対してマシロはボールを投げることを躊躇しなかった。
「悪そうな海賊二人! ゲットだぜ!」
こうしてゼファーはマシロに捕獲されてしまった。
ボルボルの実の能力で捕獲された者は不老不死になり、能力者であるマシロが死ぬまで生き続けることを強制される。
マシロはもうすぐ十一歳で、寿命で死ぬとすれば五十年でもまだ足りないだろう。
かつての大将であり、海軍史上最高の教官でもある伝説の男、ゼファーの活躍はこれからも続く!