グランドライン前半の島、ジャヤ。
ジャヤの住人は海賊を主な客とした商売で生活しており、海賊が堂々と出歩いても海軍に通報されないこの島は多くの海賊が集まる無法地帯となっていた。
「うわあああああ! 処刑人ロシオが踏み潰された〜!」
海軍が海賊の巣窟であるジャヤを放置していたのはそこで善良な市民が悪党の脅威に晒されていなかったからだ。
人手不足だった海軍において最優先で対処すべきは誰かを襲っている最中の海賊だったため、ジャヤで悪党がのうのうと飲み食いを楽しみ惰眠をむさぼっていると知っていても、そこに流血がなければ後回しにせざるを得なかった。
しかし対処する人的な余裕ができた今、もはや海軍がジャヤを放置する理由はなかった。
「進めオーズ! この島の全てを踏み潰してしまえ!」
肩に乗ったオニグモ中将の命令で平均的な巨人族の倍以上の身長を有する古代巨人族の囚人兵、懸賞金5億5千万ベリーのリトルオーズジュニア、ニックネーム『オーズ』がジャヤの地を踏みしだく。
七武海級の強者であれば大きな的にしかならないオーズもジャヤに生息する低レベルの海賊にとっては抗いようのない災害であり、多くの罪なき人々を踏みにじってきた海賊たちはまさに虫けらのように踏み潰されていった。
「お、お待ちください!」
ジャヤの宿泊施設トロピカルホテルに迫るオーズに向かってホテル従業員の男スペクトルが左右に身体を揺らしてフェイントをかけながら叫んだ。
「このホテルは海賊が宿泊することもありますが、海賊の拠点というわけではございません! ただ商売として……」
「止まるなオーズ、進め」
スペクトルがオーズに踏み潰されて絶命した。
「ふん……海賊が支払いに使うベリー札の出どころを知らぬわけでもなかろうに」
海賊が略奪した金で私腹を肥やす者は海賊も同然だ。
マシロの思考ではそうなるため一般人に危害を加えられないように行動制限をかけられているオーズの足が勝手に止まることはなく、オニグモ中将も同意しているため止めるような真似はしない。
「なんだあのバケモンは……見つからねぇようにやり過ごす! 全員海に飛び込め!」
潜水が得意な少数の海賊だけは海中に身を隠して海軍をやり過ごしたが、それ以外は船で脱出しようとした者たちも含めてひとり残らず殲滅され、海軍が去った後のジャヤには命が存在しない平らな大地だけが残された。
海軍と白ひげ海賊団の戦争以降、グランドライン前半の楽園と呼ばれる海域ではこのような光景が毎日のようにどこかの島で見られるようになっていた。
「ばぁさんや、今日も海賊見かけんのぅ」
「いいことですねぇ。さあ、お茶でも飲んでゆっくりしましょう」
とある海賊被害が多い島の海岸に建てられた見張り小屋の中、労働力にならないからと海賊襲来時に最初に襲われる危険が高い見張り番を押し付けられた非力な老人たちが窓から海を眺めても、いつからか目に映るものは穏やかな海だけになった。
海賊にとっての楽園は本来の意味の楽園に変わろうとしていた。
ほとんどの海賊はその流れに呑まれて命を落としたが、僅かながら例外もあった。
「うわああああん! モリア様あああああ!」
「ペローナ! よく無事でいてくれた!」
「まったく心配させやがって!」
「フォスフォスフォス! お前みたいな能力者はゾンビにするより生きたままの方が強いからな! 生きてて良かった!」
グランドライン前半、クライガナ島。
その島にかつて栄えたシッケアール王国はとうの昔に滅び、残された城に住み着いていたのはバーソロミュー・くまと交戦してここまで飛ばされてしまった、王下七武海ゲッコー・モリアの部下であるペローナという少女。
「鷹の目ぇ! 俺の大切な部下を保護してくれてありがとな! この恩は忘れねぇ!」
「……ふっ。気にするな。ただの気まぐれだ」
そしてもうひとり、ペローナが来るずっと前からこの島を拠点としていた王下七武海のひとり、世界最強の剣士として知られる『鷹の目』のジュラキュール・ミホークであった。
「これでもうこの島に居座る理由はなくなった。俺はこれから新世界に居を移す」
「はぁ!? 今から!?」
「キシシシ……確かに、今の情勢なら早い内に移動した方が良さそうだ。よし、俺たちも同行させてくれ。このまま組もうじゃねぇか」
「え〜〜〜〜〜!? モリア様まで!?」
海賊勢力の劣勢を抜け目なく感じ取ることができ、かつグランドライン後半でも生き残れる一部の実力者たちは、戦力を増やした海軍でも簡単には封鎖できない楽園の出口からその先の海へと進むことで難を逃れた。
「グランドライン前半に居座っていたはずの王下七武海、ジュラキュール・ミホークとゲッコー・モリア両名が新世界で目撃された」
「困りますねぇ〜。肩書きを活用してマリージョアを横切ろうとするならそこで捕獲できたんですが……やはり魚人島経由で?」
「ああ。リュウグウ王国は世界政府加盟国だが我々海軍の目は届いていないからな」
掃海作戦の取りこぼしについては海軍も把握しており、その対応を三人の最高位将校、元帥センゴクと大将ボルサリーノ、そして大将マシロが話し合っていた。
「その魚人島に俺が捕まえた海賊をたくさん置いとくだけじゃダメなんですか?」
「ダメではないが……今回のように七武海級が通過する場合は生半可な戦力では止められん。だからといって白ひげのような大駒を常駐させるほどの場所では……」
「しかも深海だからねぇ〜。魚人でもなければ送り込むだけでもひと苦労だ」
センゴクもボルサリーノもわざわざマシロの前で口には出さないが、何より政治的な問題が魚人島における本格的な防衛網構築を阻害していた。
魚人と人間の確執は根深く、多くの天竜人や世界政府加盟国の王たちが魚人や人魚を人よりも魚類に近い下等種族と見下しているため、彼らから出資を受けている海軍が魚人島の保護に力を入れようとすると軍資金の浪費と思われて不興を買うのだ。
「まあ、当面はシャボンディ諸島の哨戒に力を入れるというのが限度だろう。あそこのシャボンでコーティングしなければ潜水できないのだから」
とりあえずシャボンディ諸島の無法地帯を完全に制圧して違法コーティング業者を摘発しようという方針が決まり、この日の会議は終了となった。
「シャボンディ諸島の無法地帯が空になる……魚人島は深海だから守るのが大変……ひらめいた!」
◯
魚人島には二つの共同体が存在する。
ひとつは世界政府加盟国であり、魚人島を正式に統治しているリュウグウ王国。
もうひとつは孤児や荒くれ者が集まる無法地帯の魚人街。
魚人街は世界的に見ても厄介な犯罪者を数多く生み出してきた悪の温床で、フィッシャー・タイガーやジンベエ、アーロンといった多くの魚人賞金首がこの街の出身だ。
「……ふぅ。呼吸できるって分かってても怖かった……」
チュウとシンクロしたマシロは魚人島まで単独でダイビングを敢行した。
コーティングした船の難破率が七割を超える困難な道のりも魚人の身体であれば踏破は容易であった。
「……ん? あれは……」
「チュウさん!? おいみんな、チュウさんが帰ってきたぞ!」
問題が生じたのは深海でありながら陽樹イブという不思議な植物の根が発する光によって照らされる魚人島を視界に捉えた時であった。
現在の魚人島では魚人街の荒くれ者たちが独断で上陸しようとする船の臨検を行っており、乗員が人間であれば問答無用で拿捕されてしまう。
「無事だったんすね! ハチさんがアーロン一味は壊滅したって言ってたから、てっきり人間どもに捕まっちまったのかと……」
魚人島目前でマシロは荒くれ魚人と魚人が従える多数の海獣に取り囲まれてしまった。
しかし魚人であるチュウの身体であったため敵意を向けられることはなく、むしろ友好的に受け入れられた。
兵士でもない無力な人間を数人殺しただけでも英雄としてもてはやされる魚人街において、人間を相手に悪事を重ねたアーロン一味は大英雄であり、その幹部だったチュウともなればその人気は計り知れないほどだ。
「えっ? あー……バカ言うんじゃねぇ。魚人の俺が人間なんかに捕まるもんかよ! チュッ♡」
シンクロは説明が難しいためマシロはチュウのふりをすることにして、集まってきたチンピラ魚人たちにキメ顔で投げキッスをした。
日頃からこういうことをしてそうというのがマシロにとってのチュウのイメージだったからだ。
「えっ……?」
チンピラ魚人たちは同性の投げキッスに困惑した。
「あ、いや……こうやって俺のみずでっぽうで560人殺してやったのさ。生きてる価値のねぇ海ぞ……人間をな!」
マシロは慌てて適当なことを口走った。
「人間を560人も!?」
「実際はもっと多いかもしれねぇけどな! その辺りから数えてねぇもんでよ!」
「すっげぇ! チュウさんやっべぇ!」
「チュッ……」
微妙な空気をどうにか変えられたマシロは安堵のキス音を漏らした。
突き出た口の構造上、チュウは少し口を動かすたびにキス音が鳴ってしまうのだとマシロは初めて知った
「ところでここの支配者に会いてぇんだが、誰か案内してくれねぇか?」
「支配者って……ホーディさんっすね! すぐに取り次ぎます!」
「あれ……? ホーディ? ネプチューンじゃ……チュウ?」
間もなくマシロはリュウグウ王国の王ではなく魚人街の支配者のところに案内された。
マシロどころかチュウも知らないことだが、現在の魚人街を実質的に支配しているのは新魚人海賊団を名乗る勢力である。
「どうもチュウさん……突然で悪いんですが、ちょっとこいつら殺してみせてもらえませんかね? チュウさんに限ってありえねぇとは思うんですが、少し前に戻ってきたハチさんがどうにも地上で人間どもに毒されて魚人の誇りをなくしちまってたもんで……」
そこで待っていたホーディというホオジロザメの魚人の男は縄で縛られた人間たちをマシロの前に蹴り飛ばしながらそう言った。
「……チュ? よく分からないけど、いいぜ」
明らかに海賊と分かる見た目の人間たちの頭をマシロは容赦なくみずでっぽうで撃ち抜いていった。
マシロの下僕として過酷な戦いを繰り返してレベルを上げたチュウは技の威力が増していて、砲弾と同等の威力を待つ水の弾を受けた人間の頭は壁に投げつけたトマトのように爆散した。
「おお……さすがは俺たちが憧れたアーロン一味の幹部! おいゼオ! チュウさんにもあれを!」
濃厚な血の臭いに興奮したホーディが近くにいた毒々しい色合いの魚人に命じた。
「どうぞチュウさん」
ゼオと呼ばれた毒々しい色合いの魚人にマシロが渡されたものはカプセル剤だった。
「薬か?」
「ええ。こちらはリュウグウ王国の国宝、玉手箱に封じられていた禁忌の薬……エネルギー・ステロイドです」
「ああ……あの国宝に封じられてたのか。そりゃすげぇな」
チュウのふりをしているマシロは知ったかぶりをした。
「で、どんな効果があるんだ?」
「ひと粒飲むごとに力が倍になります。もうひと粒飲めばさらに倍……人間の十倍の腕力を生まれ持つ魚人が使えば、もうこの世界に敵はいませんよ」
「そりゃ大したもんだ。海賊討伐にさぞ役に立ってるんだろうな」
「ジャハハ! まさか!」
この薬で力を強くして魚人島を守っているのだと思ってのマシロの発言をホーディたちは笑った。
「人間の海賊ごときが相手ならこれを使うまでもありませんって!」
「んチュ……? なら誰と戦う時に使おうってんだ?」
「そりゃあ……リュウグウ王国の裏切り者どもに決まってんでしょう!」
血に酔ったホーディが立ち上がり、三又槍を高く掲げた。
「チュウさんの帰還は天啓だ! 今から竜宮城に攻め込むぞ!」
「ウオオオオオ!」
ホーディに従う新魚人海賊団の幹部のほとんどは何らかのサメの魚人であったため、ホーディ同様に興奮状態となっていた。
「ムッヒ!? 今からだっヒ!?」
「あ゙!? 裏切り者ども相手にびびってんのか!?」
「そんなわけないっヒ! スルメイカの槍が血に飢えてるっヒー!」
幹部でただひとりサメではなくダイオウイカの魚人のイカロス・ムッヒは冷静だったが、同調圧力には逆らえなかった。
「全員エネルギー・ステロイドをキメろおおおおお! 聖戦の刻だあああああ!」
「ウオオオオオオオオオオ!」
「う、うおぉ〜」
周囲の魚人たちが次々と薬を服用して狂ったように叫び出す光景を見てようやく来る場所を間違えたことに気付いたマシロであったが、同調圧力に負けてつい薬を飲み込んでしまい、湧き上がる力に呑まれて何も考えられなくなった。
「何これすごい! 飲めば飲むほど力が上がってる気がする! すごいすごいすごいすごい! これさえあれば俺でも海賊と戦えるううううう!」
手持ち海賊たちのような自力で敵を倒せる力に密かに羨望を抱いていたマシロがチュウの身体であることを忘れて大量のエネルギー・ステロイドを口に放り込んでいく。
「……ほや!?」
「チュウさんの様子が……!」
偶然居合わせた喋るホヤたちがチュウの変化に気付いた。
人間の場合は子は親に似るというのが経験的に知られているが、魚人は異なる。
例えばカレイの魚人がヒラメの魚人との間に作った子供がサメの魚人になったとしても、それで考えるのは嫁の浮気ではなくどちらかの祖先にサメの魚人がいたということなのだ。
チュウも同じで、形質として発現していなくてもその血には多様な水生生物の特性の設計図が隠されている。
エネルギー・ステロイドには一時の力を得る代償に寿命を削る、すなわち老化を進行させる効果があるのだが、それをボルボルの実による不老化で強引に止められたチュウの肉体は狂い、その血に刻まれた肉体の設計図を手あたり次第に読み込み始めた。
「チュウウウウウウウウウウ!」
タツノオトシゴの形質を発現した口がより長く突き出し、頭には後方に突き出る枝のような角が二本はえた。
他にも外見上の変化には寄与しなかったが、テッポウウオを筆頭としたいくつもの形質がチュウの体内をより強靭に作り変えていた。
リュウグウ王国の国宝に封じられし凶薬によって……チュウはヤクチュウに進化した!
「ジャハハハハハ! なんかよく分からねぇがチュウさんもやる気だ! 新魚人海賊団、出……」
海賊団という言葉に反応したマシロが強化されたヤクチュウの口から水を噴射した。
より細く、より密にすぼめられた口から放たれた水はまるで大将ボルサリーノのレーザーのようで、それを放ちながらヤクチュウが一回転して周辺一帯を薙ぎ払ったことにより、水が通過した空間に存在した全てのものが両断された。
「ヒッ……ヒィィィィィ!?」
新魚人海賊団が掲げる海賊旗に描かれているのは頭のない人間の身体と地に落ちた頭部だ。
奇しくもそれと同じ状態になった同胞たちの惨殺死体を見てしまったイカロスが腰を抜かした。
「お前ぇ……どうやって防いだぁ?」
イカロスが八本の腕にそれぞれ持っていたスルメイカの槍はその名の通り槍の先端がよく乾燥したスルメイカで、敵に刺さると体液を吸い尽くしてイカに戻る。
もはやみずでっぽうと呼べなくなったヤクチュウの水攻撃が接触した時間はほんの一瞬だったので、幸運にもスルメイカの槍に全水量を吸ってもらえたイカロスは生き残ったのだ。
「まあいいや……ちょうどいいからお前が案内役になれ」
恐怖で何も言えないイカロスをせっかく生き残ったからと有効活用することにしたマシロは、魚人街を綺麗に掃除してからリュウグウ王国の国王が住む竜宮城に向かった。
◯
「なんと……ではおぬしが白ひげを捕まえたという、あの白鼠なんじゃもん!?」
ヤクチュウの身体ではボールを出せないので逃さないようにとイカロスを馬代わりにしたマシロがリュウグウ王国国王、シーラカンスの人魚ネプチューンに謁見した。
ただし場所は竜宮城の中ではなく、その城門前だ。
魚人街の住民であるヤクチュウとイカロスが城門を素通りできるはずもなく、衛兵と戦闘になった末にその全てを返り討ちにしたことで、騒ぎを聞きつけたネプチューン王とその三人の息子たちが現場に駆け付けたのだ。
「はい。といっても証明は難しいんですけどね」
「どうしますか父上?」
「……むぅ。とりあえずこの状況で攻撃してこないのであれば、本当という前提で話を進めるんじゃもん」
ネプチューンはマシロの話が本当だった場合に事を構えると厄介なことになると考えて穏便に対応した。
一方のマシロも魚人街で暴れ回ってエネルギー・ステロイドによる興奮状態が落ち着いていたので会談はこじれずに進んだ。
「シャボンディ諸島への移住を認める!? ほ、本当じゃもん!?」
「認めるというかお願いというか……この島に海賊を倒すための仕掛けをしたいので、皆さんには別の場所に移ってほしいんです」
「じゃ、じゃが……」
ネプチューンの煮え切らない態度にマシロは首を傾げた。
「皆さんは昔から地上に移住することを望んでいたんですよね? 昔、天竜人のミョスガルドという方にお願いして認めてもらったと聞きましたけど」
天竜人でありながら魚人好きの異常者として悪い意味で有名なミョスガルド聖が魚人島の住民の地上移住を認める公文書を発行したことをマシロはコーラルから聞いたのだ。
「……そうじゃもん。確かに我ら魚人島の民は地上移住を目指しておった。じゃがそれを実行するには問題が山積みなのじゃもん」
「魚人も人魚も、地上に出れば奴隷狩りの餌食にされてしまう」
「魚人島は一枚岩ではない。移住を進めようとすれば魚人街の者たちは間違いなく暴動を起こすラシド」
「妹は厄介な海賊に狙われている! 奴をどうにかしなければこの島どころか硬殻塔……シェルターから出ることさえできない! ん~マンボ!」
チュウといいこの人たちといい魚人は言葉遣いが妙な奴ばかりだなぁと思いながら、マシロは聞き出した問題にひとつずつ対応策を出した。
「確かにこれまでシャボンディ諸島では誘拐などの悪事がたくさん起きていたみたいですけど、俺たち海軍がしっかり掃除しておきましたので、これからは心配ありません。それに海賊が入り込まないように見回りもしっかり行いますので、世界政府の名にかけてあなたたちが危ない目にあうことは絶対に防ぎます」
「それは……安心じゃもん」
リュウグウ王国の王族たちはその世界政府が率先して魚人や人魚を奴隷にしてきたのだと口に出しかけたが、加盟国の立場からどうにか飲み込んだ。
「次に……暴動を起こすかもしれない魚人街の者たちというのは新魚人海賊団を名乗っていたこいつらのことですよね? もうこいつ以外に生き残りはいないので大丈夫だと思います」
マシロが腰掛けているイカロスを指差しながら笑顔で言った。
使っているのは薬の影響で目が血走ったヤクチュウの身体なのでその笑顔は凶悪だった。
「な……まさか全員殺したのか?」
「はい! なんか今からお城に攻め込んで王族の皆さんを皆殺しにするぞーって意気込んでたので、大将の権限でその場で死刑にしました!」
親にお手伝いの報告をする子供のような軽い口調で明かされたマシロの行為にネプチューンたちは戦慄して何も言えなくなった。
「国宝の中の薬を盗んだとか言ってたのでこいつから事情聴取していいですよ。どうせ今すぐ捕獲はできないので、しばらく預かってください」
「あ、ああ……リュウボシ、マンボシ。あいつを牢屋に連行して尋問を」
ネプチューンの長男フカボシの気遣いにより、イカロスの尋問を名目にして吐き気を隠しきれていなかった次男リュウボシと三男マンボシがこの場を離れた。
「それで、妹さんを狙っている海賊というのはまだ倒してませんけど、すぐに俺が仕留めるので情報ください!」
有無を言わせないマシロの態度にネプチューンとフカボシは従うしかなかった。
◯
「デッケン君たち見てるー? 今からお前の欲しがってるしらほし姫とギョンコルド広場で結婚式を挙げちゃいまーす!」
「え〜〜〜〜〜ん! どなた様かお助けくださいまし~! この方タイプじゃないんです~!」
その音声は魚人島近辺には存在しない不思議な貝殻に記録されていた。
「ぬわ〜〜〜んだこれは〜〜〜! 俺のしらほしに手を出したのはどこのバギャモンだ〜〜〜!」
貝殻は幸せのお裾分けと書かれた樽に入っていて、海流に乗って流れてきたそれをフライング海賊団船長バンダー・デッケン九世は拾ったのだ。
「キャプテン! 樽の底に写真が!」
「見せろ!」
部下から写真を奪い取ったデッケンは絶句した。
そこに写っていたのは巨人のような大きさの人魚であるリュウグウ王国の王女しらほしと、泣きべそをかく彼女に向けて唇を突き出している軽薄そうな見知らぬ魚人の男とのツーショットであった。
「〜〜〜〜〜! 今すぐこの男を殺しに行くぞ!」
頭に血がのぼった船長を部下たちは止められず、彼らを乗せた幽霊船のようなぼろ船は魚人島へと進路をとり……島に接近したところでリュウグウ王国軍に包囲された。
「しまった! 罠か!」
「チュッ♡ 正解」
フライング海賊団接近の知らせを受けてリュウグウ王国軍に混じって島から駆け付けたヤクチュウが口から放つ水でデッケンの両手をねらいうち、手首から先を消し飛ばした。
マシロは別件に取り掛かっているため現在はシンクロを解除しており、デッケンの対処はヤクチュウに一任されていた。
「バギャアアアアア!?」
マトマトの実の能力者であるデッケンは、手で触れた相手を的として記憶し、投擲した物体を的か遮蔽物に着弾するまで自動追尾機能を持たせて永続的に飛ばす力がある。
しらほし姫を的にしたデッケンが連日凶器をなげつけてくるせいで彼女は硬殻塔と呼ばれる強固な建物に何年も閉じこもっていなければならなかったのだが、それもこの日までだ。
両手を失ったデッケンはもはや何も投げられないのだから。
「キャプテ〜ン! よくもやったら!」
「チュッ♡ でかい的だ。ねらいうつまでもねぇ」
フライング海賊団の船員であり巨人族を超える巨体のオオトラフグの魚人ワダツミがヤクチュウに襲いかかり、頭を額の高さで水平に切断されて死亡した。
「ワダツミが一撃で!? 嘘だろ!?」
「おい! 降伏する! だから命だけは……」
「ふざけるな! 貴様らのせいで姫様がどれだけ苦しい思いをしたと思っている!?」
命乞いをするフライング海賊団の船員たちをリュウグウ王国軍の兵士たちが容赦なく殺害していった。
「チュッ♡ 終わりだな。呆気ねぇ」
戦意のない海賊たちの後始末はすぐに完了し、残されたのはデッケンだけとなった。
「し……しらほしとの結婚ってのは……嘘か?」
手首からの失血で意識を失いかけているデッケンが最後まで考えていたのはしらほし姫の行く末であった。
「ああ、嘘だ。聞いただろ? 俺はタイプじゃないんだとよ」
これからテラスタルの能力提供元として永遠にボールの中に閉じ込められる予定のデッケンに対するせめてもの手向けとしてヤクチュウは真実を伝えた。
「バホホホ……そうかい……なら俺にもまだチャンスがある……はずだ」
止血処置中に暴れないようにとデッケンはヤクチュウの殴打で気絶させられた。
そしてこれがデッケンが他人に聞かせた生涯最後の言葉となったのであった。
「さて……魚人島の同胞たちよ! 今ここに全ての憂いが打ち払われた! いざ、太陽が照らす地上へ! チュッ♡」
かつてリュウグウ王国にはオトヒメという王妃がいた。
オトヒメはリュウグウ王国の民がはるか遠い地上に生きる人間たちをよく知りもせずに恐れ憎むことを憂い、人間との相互理解を求めて地上への移住を提唱した。
オトヒメの思想はやがて国民たちに伝播し、地上移住はリュウグウ王国の悲願となったのだが、オトヒメの他殺による死やデッケン出現などの不幸が重なり、今となっては地上移住など夢のまた夢と思われていた。
「あれが……本物の太陽……なのですね」
マシロはオトヒメに関する事情などまったく知らなかったが、権力と武力を持ち合わせていた彼女の思いつきにより夢物語は拍子抜けするほど呆気なく実現された。
「まぶしいです……でも……すごく温かいです……!」
笑顔で太陽に手を伸ばすしらほし姫の姿に在りし日のオトヒメの笑顔を幻視したリュウグウ王国の民たちの目に涙があふれた。
太陽から最も遠い場所に生まれた者たちは太陽が直接照らす場所へと移り住んだ。
彼ら、そして彼女らの、太陽の温かな光を浴びて過ごす暮らしはいつまでも続く!
◯
「しらほし姫と、こやつは……チュウか!」
マシロが放流した幸せのお裾分け樽はひとつではなかった。
デッケンが魚人島付近の海中にいることだけは分かっていても正確な所在までは不明だったためだ。
魚人や人魚でもなければ容易に到達できない深海であるためデッケンに届かなかった樽のほとんどは誰にも拾われることなく漂流を続けているのだが、ひとつは偶然故郷の魚人島の様子を探りに来ていた元七武海ジンベエに意図せず届いてしまった。
「白鼠! 貴様わしの故郷に何をするつもりじゃ!」
囚人兵の運用で一般人を混乱させないようにマシロの能力が人を捕獲して命令に服従させるものであることは世間に広められている。
そしてジンベエはチュウがマシロに捕獲されていると知っていたため、天竜人の手先の海軍大将であるマシロが魚人島で何かよからぬ企てをしているのだと考えた。
「誰かおらんのか!?」
リュウグウ王国全国民の地上移住を終えた魚人島は完全に無人となっていたので、ジンベエがどれだけ探し回っても誰ひとりとして見つけられない。
「な……なんじゃこれはぁ!?」
さらに魚人街に踏み入ってみれば、そこにあったのは半ばで切断されて倒壊した建物の残骸ばかりだ。
「じ……ジンベエの親分ですかい……?」
ジンベエが瓦礫を持ち上げて下に誰か埋まっていないか調べ回っていると、ひとりの年老いた魚人が声をかけてきた。
「お前さんは……」
「俺はハモ……ドン・ハーモンというもんです。この魚人街に来たのはジンベエ親分が出て行った後ですが、親分のことは同胞たちから聞いてました」
ドン・ハーモンと名乗った老魚人はジンベエに深く頭を下げた
「ここで起きたことを話します。どうか……俺たちの怒りを……恨みを……無念を……知ってください」
ハーモンは魚人街を根城にしていた新魚人海賊団が国家転覆を目論んでいた事実を伏せてジンベエに事情を伝えた。
「なんと……では魚人街の住人はお前さん以外皆殺しにされ、それ以外の王家を含むリュウグウ王国民は全員地上に連れ去られたと……」
白鼠に操られたチュウがもたらした深刻な被害を聞いたジンベエが血がにじむほど強く手を握りしめた。
「ええ……どうしてあのアーロン一味の幹部だったチュウさんがあんなことをしたのか不思議でなりませんでしたが、ジンベエ親分に白鼠のことを教えてもらってようやくわかった」
ハーモンが血を吐く勢いで叫ぶ。
「全部人間のせいだ! 頼むよジンベエ親分! 俺たちが命と引き換えにチュウさんから奪い返したこの薬を使って、俺たちの無念を晴らしてくれ!」
ハーモンはしわだらけの手のひらにエネルギー・ステロイドを乗せてジンベエに突きつけた。
「これは……」
「国宝の玉手箱に封じられてた薬だと言ってました。きっと人間が盗んで今回チュウさんに使わせたんでしょう。これを飲んだチュウさんは異常なほど強くなって、たったひとりで十万人の同胞たちを皆殺しにしちまった……勝てるとしたら同じようにこの薬を使った親分だけだ!」
涙を流す同胞の懇願を真摯に受け止めたジンベエはハーモンから薬を受け取り、それから自分の胸の中心にある太陽の焼き印を強く叩いた。
「偉大なる解放者フィッシャー・タイガーより受け継いだタイヨウの海賊団二代目船長の名にかけて、このジンベエが同胞たちの無念の雲を晴らす太陽となって、必ずや白鼠を討つと誓おう!」
「あぁ……これで安心して同胞たちのもとに逝ける……頼み……まし……た……」
ハーモン……チュウに受けた致命傷をエネルギー・ステロイドの大量摂取で回復させて命を拾ったハモンドという名の魚人街の若者は、ジンベエに人間への憎悪を託せたことに安堵し、薬の副作用による老衰によって絶命した。
「……すまん。わしがもっと早く来ていれば……」
その場でしばらく目を閉じて同胞たちの冥福を祈ったジンベエは、ハモンドの死因が自身の手の中にある薬であることを知らないまま、やがて無人となった故郷を後にするのであった。