惑星を離れた銀河鉄道は、再び星々の海へと戻っていた。
発車の際に鳴り響いた汽笛も今は遠く。
車内には穏やかな静寂が流れている。
彼女は人の少ない車両を抜け、列車の最後尾へ向かった。
そこには《展望室》と呼ばれる場所がある。
銀河鉄道の終端。
旅人たちが宇宙を眺めるためだけに造られた空間。
自動扉が静かに開く。
彼女は中へ足を踏み入れた。
そして。
思わず息を呑む。
「……あ」
声にもならない声が漏れる。
展望室はほとんどが透明な特殊ガラスで構成されていた。
天井も。
壁も。
床さえも。
透明だった。
彼女は恐る恐る足元を見る。
そこには宇宙があった。
深く。
果てなく。
無限に広がる闇。
その中を無数の星々が漂っている。
上を見ても星。
下を見ても星。
左右を見ても星。
振り返っても星。
どこまでも。
どこまでも。
光が広がっている。
まるで銀河そのものの中心に立っているようだった。
いや。
それはもはやプラネタリウムなどという言葉では表せない。
人類が再現できる景色ではない。
本物の宇宙。
本物の銀河。
本物の無限。
彼女はゆっくりと展望室中央のベンチへ腰を下ろした。
誰もいない。
聞こえるのは列車の微かな駆動音だけ。
その音さえも宇宙の静寂に溶けていく。
彼女は窓へ手を伸ばす。
その先には無数の星々。
そして。
幼い頃から見続けてきたあの星も、きっとどこかにある。
そう思った瞬間だった。
不意に。
胸の奥から何かが込み上げてきた。
気付けば。
彼女は過去を思い出していた。
幼い頃。
誰もいない部屋。
静かな夜。
窓辺に座りながら見上げた空。
スモッグに覆われた灰色の夜空。
その中で唯一見えた小さな星。
「綺麗……」
そう呟いた日のこと。
孤独だった。
寂しかった。
誰にも話せなかった。
誰にも理解されなかった。
だから星を見ていた。
ただ黙って。
何時間も。
何日も。
何年も。
それだけが自分の世界だった。
次々と記憶が浮かぶ。
笑った日。
泣いた日。
諦めた日。
立ち上がった日。
消えてしまいたかった夜。
誰かの優しさに救われた朝。
忘れたと思っていた出来事。
忘れたかった出来事。
全部。
全部。
胸の奥から溢れ出してくる。
マスターの言葉。
年輪を語った老人。
惑星で出会った男。
旅の途中で見た映画。
出会った人々。
見てきた景色。
その全てが彼女の中で一つに繋がっていく。
まるで年輪のように。
まるで銀河のように。
無数の出来事が重なり合い、今の自分を作っている。
彼女はふと笑った。
泣きながら。
少しだけ。
本当に少しだけ。
優しく。
「私……」
言葉が続かない。
なぜ泣いているのか分からない。
悲しいのか。
嬉しいのか。
寂しいのか。
安心したのか。
そのどれもだった。
あるいはそのどれでもなかった。
ただ。
今まで抱えていた何かが溶けていくような気がした。
頬を伝う涙。
一粒。
また一粒。
静かに落ちていく。
そして。
展望室の端に設けられた小さな観測窓。
特殊な排出機構が作動し、彼女の零した涙の一粒が外へと流れ出た。
涙は宇宙へ放たれる。
音もなく。
抵抗もなく。
ただ静かに。
小さな雫は銀河鉄道の後方へ流れ去っていく。
やがて星々の光に紛れ。
どこへ行ったのかも分からなくなる。
まるで。
今までの悲しみが宇宙へ溶けていくようだった。
彼女はその光景を見つめる。
遠ざかる涙。
広がる銀河。
果ての見えない宇宙。
そして思う。
人は小さい。
星々に比べればあまりにも小さい。
けれど。
だからこそ。
人の想いは美しいのかもしれない。
一瞬しか輝けないから。
限りがあるから。
失うから。
泣くから。
愛するから。
彼女は再び空を見上げる。
無数の星々。
その中にある一つの星。
自分が目指す場所。
ずっと追い続けてきた光。
そして静かに呟いた。
「⋯⋯大丈夫⋯⋯大丈夫だから⋯⋯」
その声は誰にも届かない。
けれど。
遥か彼方の星だけは。
まるで応えるように、小さく瞬いた気がした。