最後尾の展望室を後にした彼女は、静かな通路を歩いていた。
先ほどまで流していた涙はもう乾いている。
だが胸の奥にはまだ温かな余韻が残っていた。
銀河鉄道は変わらず星々の海を進んでいる。
車窓の外では無数の光が流れ、時折巨大な惑星の輪郭が姿を見せる。
そんな中。
彼女は通路の途中で一人の女性を見つけた。
窓際の席に腰掛けている女性だった。
年齢は彼女より少し上だろうか。
長い黒髪。
落ち着いた雰囲気。
膝の上には白い杖が置かれている。
そして何より。
その瞳はどこも見ていなかった。
視線は窓の向こうへ向いている。
けれど何かを見ているわけではない。
彼女はそこで初めて気付く。
その女性が盲目であることに。
しかし不思議なことに。
女性の表情は穏やかだった。
まるで本当に星空を眺めているかのように。
彼女は自然と足を止める。
すると女性の方が先に微笑んだ。
「こんばんは」
突然声を掛けられ、彼女は少し驚く。
「私が見えているんですか?」
女性は小さく笑った。
「気配です」
指先を耳元へ添える。
「足音や呼吸で分かります」
「そうなんですね」
「ええ」
彼女は女性の隣へ腰を下ろした。
しばらく沈黙が流れる。
けれど不思議と気まずくはなかった。
銀河鉄道の振動。
遠くで聞こえる車輪のような駆動音。
そして静かな宇宙。
その全てが心地よかった。
やがて彼女が口を開く。
「旅ですか?」
女性は頷く。
「はい」
「どちらまで?」
すると女性は少し考えた後、逆に尋ね返した。
「あなたは?」
彼女は窓の外を見る。
無数の星々。
その中の一つ。
ずっと追い続けてきた星。
「会いたい星があるんです」
「素敵ですね」
女性は微笑む。
「子供の頃から見ていた星で」
「ずっと憧れていた?」
「はい」
女性は嬉しそうに頷く。
まるで自分のことのように。
そして彼女も聞き返す。
「あなたは?」
「私ですか」
女性は窓の外へ顔を向けた。
もちろん見えてはいない。
それでも。
本当に星を見つめているようだった。
静かな時間が流れる。
そして。
女性はゆっくりと言葉を紡いだ。
「目的ですか……」
その声は穏やかだった。
どこか懐かしさすら感じる。
「私は求めているんです」
彼女は耳を傾ける。
女性は胸元で手を組んだ。
「この見えぬ目でも楽しめる星を」
彼女は思わず瞬きをした。
「見えないのに……ですか?」
失礼な質問だったかもしれない。
だが女性は気にした様子もなく微笑む。
「ええ」
「どうして?」
女性は少しだけ首を傾げる。
「逆に聞きますけれど」
その声は優しい。
「星は見るだけのものでしょうか?」
彼女は答えられない。
女性は続ける。
「私は生まれつき目が見えません」
「……」
「だから星空も知りません」
「月も」
「銀河も」
「流れ星も」
女性は静かに語る。
「でもね」
その顔には悲しみはなかった。
「星を好きになることはできました」
彼女は不思議そうに聞く。
女性は胸へ手を当てる。
「誰かが語ってくれたからです」
「語る?」
「ええ」
少し嬉しそうに笑う。
「夜空の話を」
「星座の話を」
「宇宙の話を」
「星の光が何年もかけて届く話を」
彼女は黙って聞く。
「私には見えません」
女性は素直に言う。
「けれど想像することはできます」
そして窓の外へ顔を向ける。
「見えないからこそ、見たいと思うんです」
銀河鉄道が静かに揺れる。
女性は続けた。
「だから旅をしています」
「見える人が見つけた星ではなく」
「私自身が見つける星を」
「この目が見えなくても感じられる星を」
彼女はその言葉を反芻する。
感じられる星。
そんなものが本当にあるのだろうか。
すると女性は笑う。
まるでその疑問も聞こえたかのように。
「きっとあると思うんです」
「どうしてですか?」
女性は少し考えた後、静かに答えた。
「だって」
その表情はどこまでも穏やかだった。
「見えることだけが、美しい理由じゃないでしょう?」
窓の外では銀河が流れていく。
無数の星々が瞬いている。
彼女はその光景を見る。
女性は見ることができない。
それでも。
今この瞬間だけは。
もしかすると自分よりもずっと多くのものを見ているのかもしれない。
そんな気がした。