【完結】Alice.dat -ハッカーの彼女と公安の彼の騙し合い恋愛 嘘で始めた恋は本物になれますか?-   作:稀葉

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File.14 うさぎはおさけによわいのです

「透子、起きて。着いたわよ」

 

 ゆっくり意識が浮上する。

 今朝はのんびりと起きて、朝昼兼用でホットケーキを食べた。

 

 千彰の指示通りに川村へ帰宅の予定を知らせる連絡を済ませれば、車は滑らかに走りだす。

 ほんの先ほど出発したばかりな気がするのに、もう到着したらしい。

 

「ん……もうちょっと……」

 

「せっかくおめかししてあげたんだから、シャキっとして王子様を驚かせてあげなさいな」

 

 今日の服装は上から下まで、なんなら下着まで千彰の買ってくれたものだ。

 帰るだけだし、とデニムを履こうとしたのに「せっかく買ったんだから全部着ていけ」と千彰が譲らなかったからだ。

 

 あのピンヒールに、白い小花の刺繍が品良く配された濃紺のワンピース。

 楽しげに化粧まで施してくれた男が、メイクアップアーティストの肩書きを使っていたこともあったっけと思い出した。

 

「こっち向いて」

 

 寝起きでまだふわふわとした心地のまま顔を向ける。

 手櫛で軽く髪を整えてくれた千彰は、ちらりと車窓の外に視線を投げた。

 

「川村さんに会っていかないの?」

 

「アタシは今日は商談があるの。このあと夜までは連絡がつかない。オーケー?」

 

「はーい」

 

 早口で告げるあるはずもない商談は、川村に訊かれた時用のものだろう。

 透子の髪を整えながら満足げに頷いた千彰は、「王子様を揶揄うのはまた今度。さっさと降りなさい」と促した。

 

 後部座席から荷物を取った透子が道路に降り立つ。運転席から投げキスをして、千彰がひらりと手をふると、シルフィーは滑らかに走り出した。

 

「透子さん」

 

 狙い澄ましたようなタイミングでよく知る声がかかる。

 振り向くと、車を見送るように視線を投げる川村が立っていた。

 

「千彰さん、帰っちゃったんだね。ご挨拶だけでもと思ったんだけど」

 

「商談が入っちゃったって言ってました」

 

 挨拶もできずにすみませんって言ってました、と言われてもいないひと言を足しておく。

 

「ああ、それはこちらこそだから。……ちらっと姿は見えたけど、あまり似てないね。透子さんと」

 

「……まあ、兄妹じゃないですし」

 

 いつもとは雰囲気の違う大人びた服も、川村にはあまり刺さらなかったらしい。

 そもそも『女』らしさが彼に刺さるはずもなかった。名残惜しそうに道路の向こうに視線を投げる彼に内心少しだけ落胆しながら、歩きかけてひやりとする。

 そういえばピンヒールだった。歩きにくい。というか少し怖い。だからといって、もう部屋に帰るだけなのに、紙袋からスニーカーを取り出すのも情けない。

 慎重に足を踏み出そうとすると、はい、と腕が差し出される。エスコートしてくれるらしい。掴まる場所があるというのは安心感がある。

 並び立って見ればいつもより目線が近くて、不思議な感じだ。

 どうしたの、とでも言うような彼の目線に、透子はゆるく首を振った。

 

『それは歩くんでなくエスコートされる為のアイテムよ』

 

『どれだけ程度の低い男と付き合ってるのよ』

 

 辛辣な千彰の言葉も、川村はきっと聞いていただろう。

 

 程度が低いなんて、思ってないですよ。

 

 伝わるはずもないことを考えながら、川村の腕に掴まる指先に少しだけ力を込めた。

 

 

 ◇   ◇   ◇

 

 

 シャワーが香水の残り香を洗い流していく。

 慣れたボディソープの香りへと上書きされていくのを感じながら、川村は念入りに体をこする。

 

 透子が帰ってきたのは、14時をまわった頃のことだった。

 当初は昼過ぎには帰ってくると聞いていたが、渋滞にまきこまれたらしい。

 偶然を装うべくマンションの前で待ち構えていたのに、一向に現れないことにやきもきすること二時間。

 ようやく現れたシルフィーの主は、車から降りることなくそのまま立ち去った。

 

 運転席で、透子の髪を整えてやっていた姿が思い出される。

 写真で把握していた通りの姿の男は、さながら恋人のような顔で透子に触れていた。

 去り際の投げキスで一瞬目が合ったようにも思えたが、千彰が川村の容姿を知るはずもない。

 

 透子からはずっと香水の香りがしていた。珍しく香りを纏ったのかと訊いてみれば、男の愛用の香水だという。

 甘さはないがやけに存在感のある香りは、彼女に気安く触れるなと牽制されているようにも感じてしまう。

 当の彼女は、これまで見たこともないセミフォーマルのワンピースを纏い、大人びた女の顔をしていた。

 そういえば昨日は下着まで買いそろえていたかと、ふたりの会話を思い起こす。ワンピースもその時のプレゼントだろう。

 普段の透子はどちらかといえば可愛らしいが、服装やメイクでこうも突然『大人の女』になるのかと舌を巻く。

 咄嗟に褒め言葉が出なかったのは、驚いただけでなく、仮初めとはいえ恋人である彼女が上から下まで他の男に買い与えられたものを纏っていたからだろうか。

 部屋に帰ってすぐにいつもの服装に着替えてしまった彼女に、惜しみつつどこか安堵はしていたが、香水だけは淡く香り続けた。

 

 ゲームをしたとか、ホットケーキを焼いてもらったとか、彼女の口から出てくる話をそのまま信じるなら子どものお泊まり会のようだ。

 

 昨日のことを思い返す。

 靴を買いに行った先で、店員が茶を溢す。そこに透子の荷物や携帯があった。

 起きても不思議のないアクシデントだったといえばそこまでだ。

 

 でも、と思う。

 もしもアクシデントでなかったら。

 服から下着からすべてを買い与えて、こちらのものを自身のテリトリーに持ち込ませないための策だとしたら。

 

 彼女が──嘘をついているとしたら。

 

 そこまで考えて、川村は苦笑する。

 あんなに感情の透ける彼女がつく嘘を、見破れないはずがない。けれど、おそらくは何かを隠している。

 

 銃で撃たれるほどの秘密。

 

 彼女が騙されている可能性も、脅されている可能性もある。 

 やはり、『保護者』と会う必要がある。そのうち、ではなく。

 

 川村は、大きく息をついてシャワーを止めた。

 

 リビングに戻ると、透子はソファーに転がってすやすやと寝息をたてていた。

 昨日はゲームが白熱してかなり夜更かしをしてしまったと話す彼女は、夕飯の時から既に少し眠そうだった。先に風呂をすませて、気も緩んだのだろう。

 付けっぱなしのテレビでは、彼女が見ていたらしい映画が流れている。見ながら眠ってしまったらしい。

 ハーフパンツに七分袖のシャツを纏って眠る彼女は、どこまでも無防備だ。

 あのハーフパンツを少したくしあげれば、彼女の秘密の痕跡が露わになる。

 もっとも、今それを透子に突きつけても意味はない。

 もしも彼女が脅されているなら、まず勝ち取るべきは信頼だ。何を打ち明けても自身が害されることなどないという安心感。

 

 ──今じゃない。

 

 川村は透子を起こそうと、そっと足を踏み出した。その時。

 テレビから乾いた発砲音が響いた。

 途端に飛び起きた彼女が、ソファから転げ落ちた。

 

「透子さん!」

 

 たいした高さではないが、彼女はケガをしたばかりだ。

 駆け寄ると、身を縮こませた透子は浅い呼吸を繰り返す。

 焦点の合わない彼女の視界に入り、肩に手をかけて身を起こさせる。

 

「透子さん?」

 

「……あれ?」

 

「大丈夫?」

 

「……かわ、むらさん?」

 

 透子はゆっくりと深呼吸をすると、「寝ぼけちゃいました」と照れくさそうに笑みを浮かべた。けれど、その指先はまだ小さく震えている。

 抱き上げてソファーに座らせてやると、「恥ずかしい」などともごもごと呟く。

 

「どこか痛くない?」

 

 痛めていた左手を取り、手首に触れる。表情を窺えば顔色は悪いが、痛む様子はなさそうだ。

 

「あー……はは、すみません。大丈夫、です」

 

 テレビからはまだ派手な銃撃戦の音が鳴り響いている。

 透子はそちらに視線をやってから、誤魔化すような笑みを浮かべた。

 冷たい指先に熱を分けてやるように握り混む。そのまま腕の中に引き込んで抱き寄せると、彼女の鼓動はまだ大きく跳ねていた。

 宥めるように、ゆっくりと背を撫でてやると、ひそやかに息を吐いた彼女は「驚かせちゃいましたよね、すみません」といつも通りの笑みを浮かべて身を離した。

 

「川村さん、お風呂上がりだからホカホカですね」

 

「もっとあっためようか?」

 

 腕を広げてやると、くすくすと笑う彼女はもう平常に戻ったように見えた。

 

「なにか飲む? っていってもこの時間じゃコーヒーなんかはやめておいたほうがいいかな」

 

「そう、ですね」

 

「ホットミルクでもいれようか?」

 

 少し甘いのがいいです、とねだった彼女は、テレビの電源を落としてソファーに深く座り直した。

 時刻はまもなく23時。少しくらいアルコールが入ったほうが眠りやすいだろうか。

 

「香り付けにブランデーをいれようか? 甘いし。どうかな?」

 

「飲んでみたいです」

 

 ぱっと顔を輝かせた彼女に頷いて、レンジで牛乳を温める。猫舌仕様のホットミルクにブランデーを落とし、蜂蜜を混ぜる。

 自身の分は手早くハイボールを作ってソファーに戻ると、彼女は手にしていたスマートフォンをローテーブルに置いた。

 

「千彰さんから連絡?」

 

「ちーちゃん? ないですねぇ。元々気まぐれだから」

 

「そっか……今度三人で食事でもどうかな?」

 

「……ちーちゃんに伝えておきますね」

 

 にこりと笑顔を貼り付けた彼女は、差し出したマグカップを手にするや、いい香りですね、と恐る恐る口をつけた。

 

「甘くておいしいです。ありがとうございます」

 

「どういたしまして」

 

 適温だったようで、こくこくと飲む彼女の隣に、隙間を空けずに腰を下ろす。

 ほんの一瞬体をこわばらせた彼女は、そのままホットミルクを飲み干した。

 

「あれ? 喉渇いてた?」

 

「ってほどでもないんですけど……おいしくて飲んじゃいました」

 

「もう一杯作ろうか?」

 

「もう……だいじょぶ」

 

 こてりと頭を肩に預けてくる。こんな風に甘えるようなことをするのは珍しい。

 冷たい炭酸に口をつけて、彼女を見ると、既に赤い顔をしている。とろりとした目は照れているというよりも、酔っている顔だ。

 

「え、透子さん、酔った?」

 

 眠りやすいようにと香り付けよりはほんの少し多かったかもしれないが、それにしたって大した量を入れたわけでもない。

 

「酔ってはないけど……あまくて、おいしくて、好きな味」

 

 ふふ、と笑う彼女は楽しそうにカラになったマグカップを弄び、テーブルに戻した。

 

「川村さんは、あしたはお休み?」

 

「このままいけば休み、かな」

 

 現状担当している最優先事項は彼女だ。よほどのことがない限り、明日呼び出しがかかることはないはずだ。

 

「やったぁ。じゃあ、一緒にいられますね」

 

「明日は透子さんの好きなホットケーキを作ろうか? それともおいしいパンケーキのお店にでも行く?」

 

「んー……ホットケーキがすきなんじゃなくてぇ、ちーちゃんのほっとけーきがすきなの」

 

「……そっか。千彰さんは、透子さんにとって特別なんだね」

 

 うん、と頷く姿は、年齢よりもずっと幼く、あどけなく見えた。

 

 そういえば初めて食事に誘った時に、酒はあまり飲めないと言っていたか。それにしても、ここまでとも思わなかった。

 

「ちーちゃんと会わせたくないなぁ」

 

「……どうして?」

 

「だってぇ、きっとちーちゃんのこと好きになっちゃうもん」

 

 口を尖らせる彼女は、いつも以上に表情が明け透けでとても可愛い。

 これはやたらと外では酒を飲ませない方がいいと考えながら、「そりゃ好きになるよ」と頷いて見せる。

 

「透子さんの大切な家族なんだから」

 

「じゃあダメ。ちーちゃんには会わせてあげません」

 

「好きにならなければいいの?」

 

「……それでもだめ」

 

 完全に酔っている。

 これは水だけ飲ませて早々にベッドに寝かしつけた方がよさそうだ。

 透子は、肩にもたれていた頭をあげると、こちらをじっと見つめてくる。誘われた心地で唇を重ねれば、ひどく甘かった。

 潤んだ瞳に、その先も許されている気がして、反応を窺いながら首筋に顔を埋める。

 途端に、そっと肩を押された。

 

「いすは、ひとつしかないでしょう?」

 

「……椅子?」

 

「そう。いすとりげーむ」

 

「椅子取りゲームがどうしたの?」

 

 困ったように目を伏せた彼女は、「わたしのいす。ないの。すわっちゃいけないの」と呟いた。

 酔っ払いの戯言だ、と思う。

 けれど、彼女にとっては深刻な話なのか、困り果てたような声音だ。

 

「座っちゃいけないって、誰が決めたの?」

 

「わかんない。けど、ダメなの」

 

「そっか。……いいよ、座って。大丈夫」

 

 戯言に付き合って言い聞かせるように見つめても、彼女は緩く首を振る。

 

「かわむらさん、わたし……」

 

「うん?」

 

「わたしね……ねむい……」

 

 ぽすりと膝に転がってきた彼女は、そのまま健やかに眠りに落ちた。

 

 

◇   ◇   ◇

 

 

「お疲れ様です。珍しいですね、ここに来るなんて」

 

 いくつも並ぶモニターから顔をあげると、ここには滅多に顔を出さない男の姿があった。

 

「ま、たまにはね」

 

 内部の者ですら厳しい入室制限のあるこの部屋に、当たり前の顔で入ってくる人間は多くない。

 派手なピンクのシャツで軽薄な笑みを浮かべた男は、その服装には不似合いな茶封筒を差し出してくる。

 中を確認すると、先日届いたデタラメなコードの並ぶ書類だった。

 

「依頼された解析、終わったから」

 

 この部署の満場一致で解析する価値もないものだとして、誰も相手にしなかった書類の束。

 それがいつの間に、この男の手に渡ったのか。

 

「メールで送ってくださればよかったのに。ご足労お掛けしてすみません」

 

「並び替えは済んでる。だがオンラインにのせるのは危ない。それが解析者の見解だ」

 

「……”脱兎”、ですか?」

 

 男は問いには答えず、ただ薄く笑うと「オンラインのパソコンでは扱うな。そのまま保管してくれ」と背を向ける。

 

「承知しました。ありがとうございます」

 

 口先だけで礼を述べる。

 出て行くのを確かめてから、鼻で笑って缶コーヒーを流し込むように口に含んだ。

 

「なにが『並び替えは済んでいる』だ。こんなもんコードですらない」

 

 独りごちて、書類の束を取り出す。

 わざわざナンバリングが施されてはいるが、こんな言語は存在しない。オンラインにのせても走るはずがないのだ。

 

 保存していたデータをフォルダから取り出す。

 なにをもってこの並びを正しいとしたのか、本職の目で解析でもしてやるか。

 手慰みに書類のナンバリング通りに保存されたデータを並べ替えて、コードを走らせた。

 

「ほらな。『脱兎』なんて所詮は……」

 

 呟きかけてキーを叩く指先が止まる。

 

 画面が真っ黒になり、次の瞬間メッセージが浮かんだ。

 

《Let the ball begin!》

 

 さっと血の気がひく。

 勝手に動き出したパソコンを留めようと、必死でキーを叩くが目の前の画面には次のメッセージが表示された。

 

《CHECKING GLASS SLIPPER…[READY]》

 

《Like all dreams,this won't last forever.》

 

 

 

 

 

「……かかったね」

 

 三月ウサギはスマホに飛んできた通知を目にすると、「ゲームの時間だよ、うさぎちゃん」と無邪気に目を細めた。

 

 

 

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