【完結】Alice.dat -ハッカーの彼女と公安の彼の騙し合い恋愛 嘘で始めた恋は本物になれますか?-   作:稀葉

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File.19 うさぎはえづけをされています

 詳細は後日共有。

 暴走したモノレールが停まり、上から降りてきたものはそんな端的な言葉だった。

 現場の対応は所轄のみで収めることとなり、公安の面々はいったん庁舎へと戻ることとなった。

 

 ハンドルを握る東は、助手席の上司をちらりと窺い見る。

 名目は非番。その実、今日は対象者兼仮初めの恋人の監視をするはずだった彼の心中は透け見えない。

 

「サイバー課がやらかして、サイバー攻撃対策官(サイ特)で尻拭いをしたってことでいいんですかね」

 

 サイバー攻撃対策官(サイ特)が事態の収拾にあたった。漏れ聞こえてきたのはそんな情報だ。

 

 死者の情報は、今のところない。千人規模の死傷者を出しうるテロだったのだから、奇跡に近い。

 子細のわからない現状では釈然としないとしか言いようがないが、発端が内部の人間だったのだとしたら、ギリギリ最悪の事態を回避できたと今頃上層部は胸を撫で下ろしているに違いない。

 

「……さあな。ただ、それほどのすご腕がいるなら、ウサギ狩りにもご助力願いたいところだ」

 

 狗塚の声は固い。

 

 モノレールのすべての駅で一斉に表示されたカウントダウン。その始まりを連れてきたのは、カボチャとウサギだったとの報告があがっている。

 正午がリミットだったことを鑑みれば、カボチャはシンデレラの馬車といったところか。

 ならばウサギは──。

 

「ウサギの仕業ですかね」

 

「断定は出来ないがな。まあいったん報告待ちだ」

 

 赤信号にブレーキを踏めば、車窓の外に視線をやった狗塚が「なんの列だ?」と訝しげな声をあげた。

 さっと視線を走らせれば、歩道に長い行列が出来ている。

 

「ああ、ドーナツですよ。最近ネットで火が付いて」

 

「ドーナツのために?」

 

 言外に、そんなもののために並んでいるのかと呆れの滲む声音に苦笑を返す。

 

「滅茶苦茶うまかったですよ」

 

「それにしたって、あの列じゃ買うだけで相当時間がかかるだろう」

 

「一時間くらいは並びましたけど、並んだ甲斐はありました」

 

 彼女に付き合ってあの列に並んだのは記憶に新しい。

 たかがドーナツと思わないこともなかったが、食べてみれば話題になるのも頷ける味だった。

 

 助手席で「一時間の価値、ねえ」と呟く男に、思わず苦笑が滲む。

 ドーナツのために一時間を費やすなど、狗塚はけしてしないのだろう。

 そう思いながら、東は庁舎へ向けてハンドルをきった。

 

 

 

 ◇   ◇   ◇

 

 

 

「おかえりなさい」

 

 玄関の音で気づいたらしい透子が、廊下の奥のドアから顔を覗かせる。

 両方の手首には、白い包帯が巻かれていた。

 

 庁内で聞いた部下からの報告を思い返す。

 

 

 今日彼女についていた部下によれば、午前中は瀬谷千彰と共に都内のカフェに出掛けたらしい。

 

「親戚というよりも恋人みたいに見えました。会話は女子会みたいなものでしたけど」

 

 クスりと笑った部下は、狗塚の反応を窺うように言葉を切った。

 

 続きを促せば、カフェの後は瀬谷千彰宅に移動、14時頃に車で近隣の皮膚科を訪れた後、ホテルに向かったという。

 

「ホテル?」

 

 予想外の単語が飛び出し、ざらりとしたもので撫でられた感覚となる。

 読み上げている手帳から顔をあげた女は、はい、と頷いた。

 

「ホテルのビュッフェに立ち寄り、16時40分まで滞在。その後、帰宅しています」

 

 ビュッフェか。

 安堵にも似たものを感じながら息を吐いた狗塚は、やはり彼女と瀬谷千彰が今回の件に関わっている線は薄そうだと結論づけた。

 

 

 それにしても。

 

「透子さん、どうしたの、その包帯」

 

 彼女が元々負っていたのは手首の捻挫だ。それももう回復傾向にあった。

 そして今日訪れたのは皮膚科。

 報告後、すぐに庁舎を後にしたため、病院への裏取りまでは確認していない。

 このまま本人に確認するほうが早そうだ。

 

「えーと、これは……、あっ! 川村さん、その袋!」

 

「これ?」

 

 鞄とは別にさげた紙袋を軽く掲げてみせると、透子の目が期待に輝く。

 子どもがお気に入りのおもちゃを見つけた時のような表情に、思わず口元が緩む。

 

「……貰ったんだ」

 

 きみが喜ぶと思って買ってきた、と言った方がよかっただろうか。

 けれど、いい大人が、たかがドーナツのために長い列に並んだとは言いたくない気がした。

 今日は、彼女はもう充分に甘い物を口にしてきたはずだ。

 カフェで。ビュッフェで。──あの男と共に。

 

 張り合うつもりではないけれど、帰りしなに足を伸ばした店の列は昼より少しだけ短くなっていて、つい並んでしまった。

 

「ドーナツ。その様子だと透子さんも知ってそうだね」

 

「知ってます。今すごく話題で……」

 

「ならよかった。夕飯は済ませたんだっけ。食べられそう?」

 

「はい!」

 

「じゃあ珈琲でもいれようか」

 

 彼女に紙袋を差し出してリビングへと促す。

 うきうきとした足取りの背中が微笑ましい。

 

 狗塚ならば並ばないが、川村なら並ぶはずだ。

 そう言い聞かせて列に連なった判断は、どうやら間違いではなかったらしい。

 

 

 

◇   ◇   ◇

 

 

 

「で? その手首、どうしたの? 捻挫が悪化したって感じでもなさそうだけど」

 

 ソファーで二個目のドーナツを食べ終えた透子に、川村が口を開いた。

 マグカップやドーナツを手にする様子を観察していたのか、捻挫の悪化ではないと断じる男の表情を窺い見る。

 

「これは……ちょっとゲームが盛り上がったというか」

 

 怒られるだろうか。呆れるだろうか。

 用意していた言い訳を並べてみる。

 

「ボス戦で。レベル上げもかかってたんです。それで」

 

「ゲームって、パソコンのだよね。それがどうして手首の……腱鞘炎?」

 

「……やけどです」

 

「やけど?」

 

 川村の顔色がさっと変わり、まじまじと手首を見つめられた。

 

「パソコンが熱を持ってしまって、ちょっと……低温火傷、的な?」

 

 えへ、と笑って見せても、彼の表情は硬いままだった。

 

 

  

 データセンターのトイレで手首を冷やした透子は、その足で病院へと連れて行かれた。

 何度かお世話になっている高齢の医師は「懲りないねぇ」と苦笑を浮かべると、丁寧に患部を確認して、既に水ぶくれになり始めていた皮膚に軟膏を塗り込んでくれた。

 まだ高揚感が残っていたせいだろうか。その時は痛みもなく、大したことはないと思っていた。

 

 けれど、千彰に送り届けられた川村のマンションでひとり過ごしているうちに、徐々に痛みが増してきた。

 これは薬を飲まずにやり過ごすのは無理かもしれない。そう思い始めていた

 

 千彰にはリストバンドをはずしたことを咎められたけれど、おそらくしたままでは勝てなかった。そのくらい相手の実力は高く、本当にギリギリの勝利だった。

 

 

 

「勝てたの?」

 

「えっ!?」

 

「ボス戦」

 

「ああ、ボス戦……」

 

 川村が今日のことを知るはずもない。

 

 そして──彼が警察官なら、『脱兎』を追うはずはない。『三月ウサギ』と混同しているならば、ないとも言えないけれど。

 

 もしも彼が本当に『脱兎』を追っているならば──。

 

 千彰は川村を敵とも味方とも言わなかった。

 もっとも千彰が『言わない』のはいつものことだ。当事者なのに蚊帳の外に置かれた気持になるのは今に始まったことではない。

 

「どうにか、勝ちましたよ。おかげでこんなですけど」

 

 誤魔化すように笑みを浮かべた透子は、三個目のドーナツに手を伸ばした。

 

「僕もやろうかな、そのゲーム」

 

「え、川村さんが、ですか」

 

「透子さんがそんなに夢中になるなら、面白いんだろう?」

 

「まあ、そりゃ、面白いです、けど」

 

 嘘だ。ほとんど知らない。

 厳密に言えば、シリーズ二作目まではかなりやりこんだけれど、現行版はまったく知らない。

 これまでは川村にその知識がなさそうだから軽く考えていたけれど、少しやっておかないと困ったことになりそうだ。

 

「川村さんは、ゲームなんてやらないかと思ってました」

 

「たしかに。子どもの頃はよくやったけどね」

 

「川村さんが子どもの頃って、なんか想像つかないです」

 

 クスクス笑うと、ソファに背を預けた彼は、軽く肩をすくめた。

 

「なんか、私ばっかり食べてますね」

 

 このドーナツを手に入れるには、相応に並ぶ必要がある。

 休日のはずだった彼を呼び出したお詫びにしても、渡した相手は時間と労力を費やしてこれを手に入れたはずだ。

 それなのに、三個目が透子の胃におさまろうとしている。

 これを買った相手は、川村に食べて貰おうと──もしかしたら、一緒に食べるつもりで買った可能性だってある。

 

「甘い物はあまり得意じゃないって、言っておいたらいいのに」

 

「ん? ……ああ、透子さんが好きだからいいんじゃないかな。それに」

 

 言葉をきった川村がふいに透子の顎をとって、唇を塞いでくる。

 

 触れただけの口づけはすぐに離れ、甘い、と小さく呟いた川村は「僕はこっちを貰うからいいよ」と笑った。

 透子は顔に集まる熱を意識しながら、持っていたドーナツの残りを口へと押し込んだ。

 

 

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