【完結】Alice.dat -ハッカーの彼女と公安の彼の騙し合い恋愛 嘘で始めた恋は本物になれますか?-   作:稀葉

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File.22 うさぎがいてもいいですか

 出勤する川村を見送ってから、何をしていたというわけでもない。

 それなのに、気づけば時刻は14時をまわっていた。

 今頃バイト先では、昼の混雑時間を過ぎてゆったりとする、狭間のひと時だろう。

 特別親しくしている相手がいないとはいえ、長く勤めているからこそ、気安く話せる仲間も多い職場だ。

 これまでも千彰の依頼をこなすために長期で休むことはあったけれど、今回は急な休みとなってしまったからシフト調整が大変だったに違いない。

 

(迷惑どころじゃないよね……)

 

 透子は溜め息を落としてソファーから立ち上がると、朝、川村に作ったお弁当と同じおかずを冷蔵庫から取り出した。

 

 モノレールテロで死者が出たのは、言葉にできない重しがのしかかったような苦しさだった。

 

 正直にいえば怪我人が出るのは仕方ないと思っていた。

 あの方法──電源のオンオフで速度の制御にアプローチすれば、乗客にとっては不快としか言いようのない揺れや振動が続いたはずだ。それでも、脱線や衝突を回避できるならそれでいいと考えていた。

 

 常の走行速度よりも速い速度でカーブに突入した時にかかる重力や、閉じ込められているという閉塞感、どうなるかわからないという恐怖。それらが一様に乗客を襲い続けただろう。

 普通の状態の人でもかなりの負荷だったはずだ。ましてや妊婦が耐えられるはずもなかった。

 

 ここ数日、ずっと考えている思考へと再び沈んでいきそうになる。

 

 やはり、ここに居てはいけないんじゃないのか、と。

 

(来たくて来たわけじゃないのに……)

 

 なかば連れてこられたようなものだ。

 でも、戻れないならば仕方ないじゃないか。そう幾度も繰り返した結論を、言い聞かせるように繰り返すしかない。

 

 いるだけで迷惑をかけていそうな気持になるのが苦しくて、せめてもと始めたのが弁当作りだ。

 料理好きな彼の領域を侵すようで不安だったけれど、遠慮しながら申し出た。

 ──せめて何かさせて欲しい、と。

 

 居てくれるだけで嬉しいのに、と少し困ったように笑った顔。それは本心だろうか、とひとつひとつ疑うことに疲れ始めていた。

 

『君が居てくれてよかった』

 

 あの日の言葉が蘇る。

 あれだけは、きっと本当だった。本当だったと思いたい。

 あれが『川村』だったのか、『糸井』だったのか、それとも他の誰かだったのか、今の透子には確かめる術がない。

 

 ただ、そのひと言にどれほど救われたかということを、『彼』は知らない。

 

 ここにいることで、いつか彼に迷惑をかけてしまうのではないかということが怖い。

 現に、『アリス』が生まれてくるはずだった命を吹き消した。自分も、加担した。

 

 役に立たないならまだいい。誰にも関わらず、誰にも干渉せずに、存在していられるならきっとそれがいい。

 でも──。

 

 

 そうして川村のために弁当を作るようになってから、今日で四日目だ。

 川村の分は弁当箱に詰めているけれど、自身の分はタッパに雑に詰めている。なるべく綺麗にできたものを弁当箱に、端っこや少し焦げてしまったものは自身のほうに詰めるから、透子の分はけして綺麗な見た目とはいえない。

 それでも、口に運べば馴染んだ味にホッとできる。

 

 川村は料理が上手だし、何を作ってくれてもとてもおいしい。

 それでも、やはり自分で作る料理はよそ行きではない味がして、肩の力が脱ける心地だ。

 

 メニューは少しずつ変えてはいるけれど、卵焼きだけは毎日入れている。川村がおいしいと誉めてくれたからだ。

 その卵焼きを口に運んで、透子は動きを止めた。

 残りの卵焼きに視線を落としながら、ゆっくりと咀嚼を再開する。

 

 しょっぱい。すごくしょっぱい。

 

 ぼんやりして、塩と砂糖を間違えたのだろう。あるはずのほんのりとした甘みはなく、ただただ塩辛いそれを、どうにか飲み下した。

 

──やらかした。

 

 自分で申し出た弁当作りすらまともにできないなんて、本当に最悪だ。

 深く溜め息を落とした透子は、自分を罰するように残りの卵焼きも箸で摘まみ上げて口に押し込んだ。

 

 ──本当に、最悪だ。

 

 食事を終えて、食器を洗ってしまえば再びやることのない時間が流れ始める。

 自宅でもない家で、透子ができることは少ない。家主が不在ならばなおさらだ。

 

(郵便受けでも見てこようかな)

 

 命を狙われた可能性を排除できない以上、ひとりの外出は厳禁。そう言われている。

 でも、本当にひとりになることなんてほぼない。それは、許されていない。

 そうは言っても透子が外を歩き回れば『当番』に負担をかけるのは明白で、思考は再び『居るだけで誰かに迷惑を掛けている』とネガティブに傾きそうだ。

 そんな思考を隅に追いやりながら、透子は腰をあげた。

 

 郵便受けは一階のエントランスにある。

 川村の部屋は四階。中学の時の校舎と同じだと思えば、階段で降りるのも苦ではない。

 平日の昼間に、階段で上り下りする者はほとんどいない。

 透子はゆっくりと階段を降りていく。ひんやりとした空気に、透子の足音だけが響く。 

 

(雨の日みたい)

 

 雨でグラウンドが使えない日は、校舎内で走り込みをさせられた記憶が蘇る。

 もっと軽やかに足を運んで、汗だくになるほど行ったり来たりした。

 透子は、今はもう痛まない足をそっと撫でた。

 

 エントランスまで降りると、だいぶ顔なじみとなったコンシェルジュの女性と「こんにちは」と挨拶を交わす。

 最近では、川村と千彰以外に言葉を交わす唯一の存在だ。

 郵便受けのロックに手をかけて、ふとガラス戸の向こうを見ると、川村がいた。

 今日は早く帰ってきたのか。それともそもそも『仕事』で出掛けたのではないのか。

 隣には川村と同じくスーツ姿の男性がいる。川村より少し背が低くて、年齢も若そうだ。

 気安い様子で笑いあうふたり。軽く手を振ってそのまま別れるかに見えたのに、川村が相手を呼び止めた。

 相手のネクタイを直してやり、顔を寄せた。

 いつか見た場面が脳裏に浮かぶ。あの時、彼はキスをしていた。

 

 立ち尽くした透子の前で、ふたりはキスをしなかった。ただ、川村が彼の耳元に口を寄せ、今度こそ離れた。

 

 バクンバクンと心臓が鳴っている。知っていたはずのことが目の前で再現されただけ。そう言い聞かせても、心臓は鳴り止まない。

 

 川村がガラス戸の向こうで暗証キーを叩く。

 咄嗟に隠れようにも、エントランスにそんな場所があるはずもない。

 郵便受けの前で立ち尽くした透子に気づいた川村は、軽く眉をあげて、笑みを深めた。 

 

「お、かえりなさい……」

 

「ただいま。こんなところでどうしたの?」

 

「郵便受けを、見に来て」

 

「僕が帰りに見るから大丈夫なのに」

 

 先ほどのことなどなかったように、いつも通りの様子だ。

 少し距離は近かった気がするけれど、友人や同僚だと言われればそうともいえる。

 決定的なものを目にしたわけではない。

 それでも透子は、さっきの人は誰ですか、とは訊けなかった。

 

「部屋にずっといるのもなって……」

 

「たしかに気詰まりだよね。このあと、食事がてらドライブでも行こうか」

 

「いえ、川村さんは朝から仕事だったんだし、ゆっくりしましょう」

 

「そう? 実はこないだ言ってたローストビーフの材料とか買ってきたんだ。お弁当のお礼に、少し豪華な夕飯にしようかと思って」

 

 そう言って、手にしたスーパーの袋を掲げて見せた川村にハッとする。

 エレベーターに乗り込みながら「今日のお弁当……」と、どう謝ろうかと迷う透子に川村は微笑んだ。

 

「今日もおいしかったよ。ありがとう」

 

「……おいしかったですか?」

 

「うん。毎朝ありがとう。でも無理はしなくて大丈夫だからね」

 

「いえ、無理なんて……」

 

 川村の顔が見られない。

 透子はただ、数字が増えていくエレベーターの表示を見つめたまま「……今日の、卵焼き、ちょっと甘すぎたかなって思って」と口にした。

 

「……そう? おいしかったよ?」

 

 そういうことか、と腑に落ちた途端、エレベーターが軽い浮遊感と共に到着を告げた。

「なら……なら、よかったです。川村さんは今日くらい甘い方が好きですか?」

 

「どっちも好きかな。透子さんが作ってくれるものなら、なんでもおいしいよ」

 

 少なくとも、今日の弁当を食べてはいないはずの男が、和やかに答える。

 

 胸の奥に落ちた氷の欠片に温度を奪われるのを感じながら、透子は「誉めてもなにもでないですよ」と震えそうになる声を抑えて、どうにか笑みを浮かべた。

 

 

 

◇   ◇   ◇

 

 

 

「だぁかぁらぁ、まだわからないって言ってるじゃん」

 

 電話の相手がこちらの機嫌を損なわないようにと気を遣っているのを感じながら、キーボードを叩き続ける。

 

「脱兎脱兎って煩いよ。だいたいウサギはボク一匹で充分じゃない?」

 

 RFT──residents of the fairy tale 『お伽噺の住人』と名乗る彼らが、目下探し回っているのは『脱兎』だ。

 

 そもそも、『お伽話の住人』なのはこちらではない。

 

「あぁ、はいはい。わかったって。なにかわかればちゃーんと連絡するよ」

 

 まだ何か言い募る相手の声を無視して、終話ボタンを押す。

 

「お前らなんかに渡すかよ」

 

 ばーか、と毒づいてモニタに視線を戻す。

 画面からは、まだ幼さの残る彼女がこちらを見つめていた。

 

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