【完結】Alice.dat -ハッカーの彼女と公安の彼の騙し合い恋愛 嘘で始めた恋は本物になれますか?- 作:稀葉
「手紙を待ってるんですかね」
マンションのエントランスの防犯カメラを確認していた東が、モニターに視線をやったままで首を傾げた。
ここ数日、透子はひとりで過ごす時間、何度となくエントランスに降りていた。
ひとりでの外出を禁じているせいもあるけれど、どこかに出掛けるでなく、ただエレベーターでエントランスに降り、周囲を見回し、時には郵便受けを覗いて再びエレベーターへと乗り込む。
彼女のメールやSMSを確認しても、外部にマンションの住所を連絡した形跡はないため、彼女宛の郵便が届くはずもない。
瀬谷千彰ならば住所も把握しているだろうが、わざわざ郵送でやりとりをする必要性などないはずだ。
退屈を持て余して、という線もなくはないだろうが、どうもそういう風にも見えない。
モニタの向こうの彼女は、緩慢な仕草で郵便受けの中を覗き、再びエレベーターへと足を向けていた。
そこには何かを待っているような期待は見当たらず、ただ、惰性のようにも見える。
「そういえば、卒アル、なにかわかったんですか?」
室内に誰もいないことを確かめるように首を巡らせた東が、抑えた声音で尋ねた。
「……確認中だ」
二週間前。透子の行動に関する報告内容と、透子の口から語られた内容との相違に気づいた狗塚は、自身でホテルに確認をとった。
あの日、14時半を境にしたランチタイムとティータイムとに何か変更はなかったか、と。
ローストビーフからオムレツの提供に切り替わった時間に間違いはなく、ホテルの防犯カメラには14時過ぎには透子たちが映っていた。
報告の時刻とは噛み合わない。
しかも、透子のスマートフォンに仕込んだGPSの履歴は、彼女の実際の行動とは異なり、報告通りの移動時間を示していた。
(いつから……いや、どこからだ?)
内部に、鼠がいる。しかも、身近に。
それに気づいた狗塚は、今回の一連の捜査について、一から洗い直すことにした。
まず気になったのは透子の経歴だ。
いないはずの兄。住んだことのないはずの戸建ての庭。透子の口から語られたそれらが、本当に単なる記憶違いなのか。
透子の経歴は一度は一通り洗ってあった。ただ、狗塚自身が動いたわけではない。
明確な記録が残り、かつ偽装ができないはずのものを当たる必要があった。
そこで目をつけたのが、透子の卒業した中学校の卒業アルバムだ。
狗塚は自身で彼女が卒業した中学校に赴き、保管されていた卒業アルバムを確認した。
そこに、彼女の名前はなかった。
次に、東と、あの日の透子の行動を報告した高村に、それぞれ密かに命じた。
他の班員には内密にして、透子の中学の卒業アルバムを持ってきて欲しい、と。
東は、狗塚の見たものと同じものを持ってきて、透子の姿がないのだと狼狽した様子で報告した。すぐに卒業生にもあたらせたが、やはり透子の姿も名前もそこにはなかった。
そして高村が持ってきたアルバムには──透子が居た。
集合写真にも、学生生活のスナップ写真にも、今よりは少し幼い、少年にも似た彼女が無邪気に笑っていた。
表示年度に間違いはない。ざっと見た感じで、東の持ってきた卒業アルバムと装丁に違いはない。経年を感じさせる僅かな汚れもある。構成も、教師や生徒の名前も同じ。
ただ、透子の存在だけが異なる。
念のため自身でも卒業生をあたって他の卒業アルバムを調べたが、やはり透子の存在はなく、当時を知る教師の記憶の中にも彼女は存在していなかった。
──これは何を意味するのか。
記憶を攫う。
自身が直接調べたこと。調べさせたこと。
証拠があってなお、その証拠という前提条件から疑う必要があるのだとすれば、彼女のIPアドレスが三月ウサギのそれと同一であったという報告は、そもそもどこからもたらされた情報だったのか。
『瀬谷透子』の戸籍に不審なところは見当たらない。『川村啓士』と違い、見せかけではない。彼女は確かに存在している。
ならば、この卒業アルバムの相違はなんなのか。
しかも、透子の載ったアルバムは精巧だった。精巧すぎた。
──ここまでする必要があるということか?
狗塚は眉間の皺を深めて、モニタの向こうでエレベーターに乗り込む透子をじっと見つめた。
「今日も食わないんですか?」
机の隅に置いたランチバッグ。中には透子の作った弁当が入っている。
朝、眠そうな顔で料理する彼女に、罪悪感がまったくないと言えば嘘になる。
けれど、職業柄、基本的に信頼できる店か、通りがかりの自動販売機並に狙われる危険のないものでなければ口にはしない。
ましてや、ここに来て経歴すらもあやしい人間が作ったものなど、口にできるはずもない。
けれど。
『いってらっしゃい』
今朝も送り出してくれた、彼女の笑顔が思い出される。
ここしばらく沈んで見える透子は、それでも朝玄関までついてきて、川村が出て行くのを見送ってくれる。
調べれば調べるほど、疑いを晴らすどころか疑念が膨らんでいく。
嘘がつけない女。最初にそう考えていた彼女への印象は、既に180度変わっている。
それなのに、自分はまだどこかで、嘘ではない証拠を探している。
「お前なら食えるのか? 存在していないかもしれない相手だぞ?」
「……まぁ、アヤシイですけど。一緒に居る時間に嘘がなければ、毒くらい盛られてやってもいいかなって……いや、嘘です。毒は勘弁ですけど」
「嘘がなければ、な」
『川村』は存在しない。嘘しかない。
ならば彼女はどうなのか。『瀬谷透子』は、本当に存在しているのか。
「東。瀬谷透子についてもう一度洗い直す。ただし、班員の誰にも気取られずに進めたい」
「承知しました ……つか、俺のことは信じていいんですか?」
不安の滲む部下の目を、じっと見返す。
疑い出せばキリがない。
おそらく、自身以外はすべて一度は疑いながら動くべきだ。
それでも、何もかもをひとりでやるのでは、あまりに効率が悪い。
「……頼りにしている」
「はいっ! 任せてください」
破顔した東に頷いた狗塚は、エレベーターを降りた透子を見つめる。
その挙動から何かを読み取ろうと、画面の向こうに目をこらした。
◇ ◇ ◇
「あら、王子様もやっと何か見つけたのかしら」
長い脚を組み替えた男が、猫のように目を細めた。
愉しんでいるようにも、揶揄しているようにも見えるその表情から、本心を計ることは難しい。
「どうでしょうか。それなら私に調査を命じたりはしないと思うんですけど」
透子のスマートフォンのGPSと、あの日の彼女の行動。報告内容にズレはなく、疑われる要素はない。
「うちの可愛い仔うさぎが、あれがいいっていうんだから仕方ないわ」
「透子ちゃん、大丈夫ですか? ずっと元気ないですよね」
「あの子が悪いわけじゃないのに、困ったものね。……近いうちに『当番』をまわすから、遊んであげて」
「それは、もちろん」
男は軽く頷くと、再び報告書に視線を落とす。
「綺麗好きなだけの男はお呼びじゃないのよねえ……ま、しばらく様子を見ましょ」
口角を引き上げた上司の目の奥は、少しも笑っていない。
背筋にひやりとしたものを感じながら「承知しました」と頷くほかなかった。