【完結】Alice.dat -ハッカーの彼女と公安の彼の騙し合い恋愛 嘘で始めた恋は本物になれますか?- 作:稀葉
東が不審な組織と接触していると、とある筋から情報が入った。狗塚が高村にそう言って密命をだしたのは、十日ほど前のことだ。
東の経歴の洗い直し、及び行動をつぶさに追ってほしい、と。
同時に東には、狗塚の動きが高村に察知されるのを防ぐべく、自身ならば不審を抱くような場所への移動や行動を続けるよう命じた。
もちろんその間も、透子がマンションから出ることはないか、マンションに不審な人間の出入りがないかなど目を配ることは欠かさない。
「ご苦労だったな」
「いえ。東さんの交友関係も調べましたが、現時点でこれという確証はまだ得られていません」
警察庁の、狗塚たちが使用している一室。
デスクの向こうに立って報告する高村は、眉を下げた。
彼女は狗塚の二つ上。公安の配属は狗塚よりも後だったが、警察学校時代はもちろん、刑事課在籍中も優秀だったと聞く。
見た目だけでいえば平凡で、強く言えばすぐに言うことを聞きそうなおとなしい印象を受ける。
公安配属後は特に目立った功績はないものの、任務に忠実な、真面目な部下のひとりだった。そう認識してきた。
「東はこの三日間は非番だったな」
「はい。なんというか……デート三昧でしたね。行動記録はそちらにも記載してあります」
任務として与えた表向きの休日を、東は存分に満喫したらしい。
アミューズメントパークに行き、ホテルに泊まり、街歩きをしたという記述が並ぶ。
経費使用の許可は与えたが、どこまで経費にあげてくるかはあとで検分する必要がありそうだ。
「プリクラ、な」
昨日の行動に目を留めた狗塚が呟くと、高村は、はい、と顎をひいた。
「フロアまるごとプリクラの機械が設置されているゲームセンターで、端から端まですべての機械で撮影しており、……不審と言えば不審でした」
やりすぎだ、と内心苦笑を浮かべる狗塚の前で視線を落とす高村は、本当にこの捜査は必要なのかという困惑が透けていた。
「高村もプリクラを撮ることはあるのか?」
「最近はあまりないですね」
「最近のはすごいらしいな。自動加工で目を大きくしたりできるんだろ?」
「ええ。若い子たちはいかに盛れるかで機種を選ぶこともあるようです」
「かなり変わるのか?」
「姪っ子に見せて貰ったことがありますが、別人級です」
その時のことを思い出しているのか、高村がクスりと笑みを浮かべた。
「そこまでか。なら実物とはかなりギャップを感じるだろうな」
「そうですね。自分たちでスマホで撮る時も、アプリで加工するのが当たり前だそうですから……素顔の写真はあまり残らないかもしれませんね」
「なるほど。……そういえば学校の写真で、知らない人間が写ってたって話を聞いたな」
「遠足で校外の人が写ったとかそういうことでなく、ですか?」
「ああ。クラスの集合写真に、クラスメイトとして写っていたらしい」
「それは……」
高村の視線が一瞬泳ぐ。狗塚は相手の警戒をほどくように、「日頃、盛った写真ばかり見ているせいということでもないだろうが、不思議なこともあるものだな」と笑って見せた。
高村に東の行動を見張らせている間、狗塚は透子に関する報告書を端から洗い直していた。
中学の卒業アルバムに姿がなかったことを踏まえ、居住区の教育委員会、東京都の教育委員会に照会した。それでも彼女のデータは見つからず、全国の教育委員会、ひいては私学にまで範囲を広げたが、ついに『瀬谷透子』の存在は確認できなかった。
それは『瀬谷千彰』も同様だ。
更に、彼女と千彰との関係を確認しようとした時、それは発覚した。
透子の父母の本籍地に照会をかけると、該当戸籍なしと返った。
千彰の両親の戸籍もまた同じだった。
偶然で片付けられるはずもない。
義務教育を受けていない無戸籍児。真っ先に浮かんだのはそれだ。
次に犯罪に絡む加害者、ないしは被害者のための改名。
しかし、そのいずれの痕跡も見つからない。
ただ、少なくとも彼女の戸籍は、義務教育を終えてから作られたものだろうことは予測がつく。中学生までの就学記録がない以上、そうとしか考えられない。
彼女の両親が亡くなったのは、中学三年時。車両による事故だったと報告を受けた。
事故の記録も存在する。この目で確認した。
彼女の戸籍。両親の事故。単体の記録に不審な点はなく、報告を疑ってみることはしなかった。
そして、それらを調べ、報告をあげてきたのは高村だ。
──『瀬谷透子』の経歴は、義務教育以前の記録は、曖昧か存在しないかのいずれかだ。
「ああ、そういえば」
狗塚は思い出したように口にして立ち上がった。
机の横をすり抜け、高村の方へと回り込むと、彼女を見下ろし声を落として言葉を続ける。
「お前にだけ先に話しておく。瀬谷透子に逮捕状を請求する。今日中だ」
高村は小さく息を呑んだ。動揺を抑え込むように、掌が握りこまれる。
「……罪状は?」
「ウサギ以外にあると思うか?」
そんな、と小さく呟く。彼女の手が、ポケットに入れたスマートフォンを確かめるように動いた。
「決裁が……降りたんですか?」
「……降りるはずがないとでも言いたげな顔だな。俺たちがそもそも何を捜査していたか、忘れたわけじゃないだろう?」
「それは、そうですが。証拠が……証拠はあがったんですか?」
狗塚は笑みを深め、「ああ」と頷くと、机に置いていた封筒を手渡した。
高村は中の書類を確かめ、目を瞠る。
「言い訳はあるか?」
書類に書かれているのは、ウサギの証拠ではなく、高村のこれまでの報告と、今回狗塚が調べた透子の経歴についての相違点が並べられている。
透子の経歴──十五歳以前の記録の全てがねつ造の可能性があると結論づけられており、卒業アルバムについても記載されているものだ。
「いえ……」
「すべての捜査からはずす。このまま自宅待機だ。逃げるようなことがあれば──わかってるな?」
「……はい」
力なく頷いた高村は部屋を出て行きかけて振り向いた。
「それを調べながら、あの子のことを……『瀬谷透子』の気持を少しは考えましたか?」
「……何を知っている」
高村は何も答えず、ただ力なく笑って首を振ると、そのまま部屋を出て行った。
◇ ◇ ◇
給湯室で弁当の中身を捨てるのは、ここ最近の日課だ。
蓋を開ければ、いつも通りの卵焼き。それから、今日はアスパラの肉巻きや、ほうれん草のゴマ和えが彩りよく詰められていた。
『どれがおいしかったですか?』
透子は毎日そう尋ねる。聞かれて困らないように、狗塚は必ず何が入っていたかを確認してから捨てていた。
いつものようにゴミ箱へと傾けかけた手が止まる。
『『瀬谷透子』の気持を少しは考えましたか?』
狗塚は先ほどの高村の言葉を思い返した。
考えないはずがない。
調べるほどに、透子の経歴には不審な点しかない。
同時に言葉を交わすようになってからの彼女自身は、いたって普通だった。
けれど、経歴を知ってから改めて考えれば、友達と呼べる人間はほとんどおらず、多くの物を持つこともしない生活は、ある意味『川村』ととてもよく似ていた。
人の記憶に最低限しか残らずに、必要になれば明日にでもいなくなれる。
もしもそれを彼女に命じている人間がいるとすれば、瀬谷千彰、もしくはその背後にいるかもしれない存在だ。
しかも、完璧に戸籍を仕立て、必要になれば卒業アルバムのような物的証拠を容易く準備してみせるだけの力がある組織。
弁当に視線を落とす。
ひとつくらい。そう考えて、肉ではないもの──卵焼きを摘まみ上げた。
口に持って行きかけて、あの夜の記憶が蘇る。
あの日、何を口にしたか気づかずに飲み下したあの──感触。
「迷うくらいなら食べなさいよ」
すぐ背後の声に、ハッとして振り返る。
給湯室の入口に肩を預けて寄りかかる長身の男に身構える。
気配すら感じさせずに佇む男──そこに居たのは、瀬谷千彰だった。