【完結】Alice.dat -ハッカーの彼女と公安の彼の騙し合い恋愛 嘘で始めた恋は本物になれますか?-   作:稀葉

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File.28 うさぎはアソビをゆるせません

 音楽が、流れてる。

 

 ゆるりと意識が浮上していく。

 

 ああ、ハナが大好きって言ってた曲だ。アイドルグループの……。

 

 ──え?

 

 ぱちりと目を開ける。

 蛍光灯に照らされた室内は明るい。

 音はドアの外から聞こえていた。

 

 のろのろと体を起こすと、手首の火傷がじんわりと痛んだ。

 

 木目調のナチュラルテイストでまとめられた部屋だ。

 ベッドが部屋の三分の一を占め、勉強机や小さなドレッサーが置かれている。

 

「……どこ?」

 

 淡いミントグリーンのカーテンの向こうは真っ暗だ。

 駆け布団からコロリと落ちたものに目をやれば、うさぎのぬいぐるみだ。

 大きな垂れ耳が可愛い薄茶のうさぎ。豚柄のリボンが特徴的なキャラクター。小学生の頃に流行ったものだ。

 ひと抱えもある大きなそれは、兄がプレゼントしてくれたものによく似ていたけれど、あれはもう汚れてくたびれていたはず。

 

 トクントクンと心臓が耳元で鳴っている気がした。

 

 この世界にはないはずのキャラクター。

 この世界では聴けないはずのメロディー。

 でも、帰ってきたわけではない。知らない部屋だ。

 

 ──ここは、どこ?

 

 首を巡らすとベッドボードにスマホが置かれていた。透子のものだ。

 時刻は20時17分。そして──圏外。

 

 心臓の音が早くなる。

 

 あの日も、そうだった。知らない景色の中で、スマホは圏外を顕していた。

 

 アリスは基本帰れないはずだ。アリスが消えた例がないからだと。そう、聞いていた

 けれど千彰はこうも言っていた。「厳密に言えば、確かめようがない」と。

 それはそうだろう。なにしろ世界が違うのだ。見失ったアリスが違う世界に行ったかなんて、確かめようがない。

 

 ふいにがちゃりとドアが開いた。

 途端に、聞こえていた音楽の音が大きくなる。やはり間違いなく、あのアイドルグループの曲だ。

 

「あ、起きてる。おはよー、モネちゃん。っていってももう夜だけどね」

 

 同じ年か、少し年上くらいの男が、かつての名前を気安く呼ぶ。

 明るい茶色の髪。青い長袖シャツにスウェットを履いた男は、少しも害意を感じさせずに微笑んだ。

 

 そういえば、あの子。伊藤桃音先輩、そう呼んできた女の子はどうしたんだろう。

 そうだ、あの子に手を引かれて、待ってと足を止めた途端背後から腕が回ってきた。

 何かを嗅がされて──。

 

「……あの子は? 制服の、あの子」

 

 記憶が確かなら、目の前の男は透子を攫った相手だろう。そう考えて、慎重に口を開いた。

 

「アハ、最初がそれ? 自分のこと心配したら?」

 

 男は鼻白んだように言うと、こちらにやって来てぽすんとベッドの端に腰掛けた。

 少しだけ身構えて様子を窺う。

 腕も足も縛られてはいない。それでも、いつかのように駆け出して、相手が拳銃でも持っていたら目も当てられない。

 

「ま、ここにいる限りキミは安全だけどさ」

 

 男はベッドの下に転がったぬいぐるみを拾い上げると、顔の前に掲げるようにこちらに向けてくる。

 

「だいたいここはさぁ、あなたはだあれ、って訊くところじゃない?」

 

 あなたは誰、どころか訊きたいことなら山ほどある。

 どうして自分がここにいるのか。

 どうしてこの世界にないはずの音楽が流れ、あのうさぎのぬいぐるみがあるのか。

 そして──どうして桃音の名を知っているのか。

 

 透子は自分を落ち着かせるように小さく息を吐いて、まずは相手があげた問いを口にした。

 

「……あなたは、誰?」

 

「それって、ボクの名前をきいてるのかな。それともボクが何者か知りたい?」

 

 訊かせておいて、混ぜっ返すような物言いにイラっとする。その反応すらも面白がるように、男は笑みを深めた。

 

「桃音ちゃんにわかりやすく言うならぁ……三月ウサギ」

 

「──っ!」

 

「アハハ、桃音ちゃんわかりやすっ! 顔に出すぎ」

 

 ケタケタと笑った男は、手にしたぬいぐるみを透子に押しつけるように手渡した。

 

 手首が痛む。本当なら夕飯後の鎮痛剤を飲み終えているはずの時間だ。

 けれど、今はそれどころではなかった。

 

「あなたが、ここに連れてきたの? さっきの子は? どういうつもり?」

 

「落ち付きなよ。ここに連れてきたのはボクといえばボクだけど……まあ、ボクの人形? 制服のあの子もね」

 

 いちいち煙に巻くような答え方は、まるで何かを隠しているように感じてしまう。

 ただわかったのは、制服の彼女もどうやらグルだったらしい、ということだ。

 

 心配して、損した。けれど、感じるのは怒りではなく落胆だ。

 アリスなんていないほうがいい。誰も、知らない世界なんて行かないで済む方がいいに決まっている。

 そう思うのに、あの少女がアリスでないことに、透子はがっかりしていた。

 

「ねえねえ、そんなことよりさ。こないだの電車ごっこ、いつから予備電源使うつもりだったの? 最初からそういう作戦だったの?」

 

 でんしゃ……ごっこ?

 

「ボクとしてはさ、もっとこう、がーってお互いにやりあってさ、ビーチフラッグ? ほら、砂浜で走って旗を取り合うやつ。あんな感じで、ガッと走って取り合うようなのをしたかったんだよね」

 

 男はゲームを語るように、さも愉しそうに話す。だから、何の話なのかすぐには理解が追いつかなかった。

 

「どうせならさ、レールから飛び出して、空へと走り出すのを見たかったんだよ。ぶつけるより面白そうじゃん? まあ飛んではいけないから地面に落ちただろうけど」

 

「そ、れは……モノレールのことを、言っているの?」

 

「他に何かあった? あ、もちろんあれはあれで面白かったよ? でも、そうだな……桃音ちゃんとならもっといろいろして遊びたいな」

 

「あそび……?」

 

 あれを遊びだという男が、欠片も理解できない。

 透子は布団の端を握りしめた。

 

 人が、死んだのに。生まれてくるはずだった赤ん坊の命が奪われたのに。

 しかも、アリスがこの世界に来たせいで。

 

「今日はさ、信号消してみたんだよね。でもちょーっと地味でつまらなかったからさ。どうせなら……」

 

「ふざけないでっ!」

 

 アリスがいなければ。この世界に来なければ。この世界に干渉しなければ。

 生きられたはずの命だ。

 

 もうずっと考えていたことだ。

 アリスが居ることで、狂い出す運命がある。

 出会うはずの人が出会えなくなる。結ばれるはずの人が結ばれなくなる。

 命を──亡くすはめになる。

 絶対に避けなければいけないことだ。そう思いながら、ずっと息を潜めるように過ごしてきた。

 それなのに。

 

「あれのせいで人が死んだんだよっ!?」

 

「え? なんで泣いてるの?」

 

 言われて、初めて自分が泣いていることに気づいた。

 悔しさや怒りや悲しさや、いろんな感情が溢れてくる。

 

 ぽかんと口を開けた三月ウサギは、不思議そうに小首を傾げた。

 

「桃音ちゃん、泣き顔も可愛いね」

 

 のんきに笑う男に何か言ってやりたい。

 それなのに、唇が震えるばかりで言葉が出てこない。

 肩で息をする透子を前に、三月ウサギは「あ、桃音ちゃんは知らないのか」と呟いた。 

「だーいじょぶ。泣かなくていいんだよ。だってさ、ここは現実じゃない。この世界で現実なのはボクたちだけなんだから」

 

 男は透子の頭を撫でると、頬の涙を指先で拭っていく。

 こんな男に泣き顔を見られるのが悔しかった。そしてなにより、その掌がひどく優しくて温かいことが、どうしようもなく悔しかった。

 

 

 

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