【完結】Alice.dat -ハッカーの彼女と公安の彼の騙し合い恋愛 嘘で始めた恋は本物になれますか?-   作:稀葉

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File.31 うさぎはうさぎのくすりをのむようです

 まだ重い体をベッドに横たえたまま首を巡らす。

 ベッド近くに置かれたサイドデスクには、ペットボトルの水と薬袋が置かれている。先ほど三月ウサギが持ってきたものだ。

 何度見ても薬袋には『XXXアニマルクリニック 患者名 うさこちゃん』の文字。

 午前中にかかったのは人間の病院だ。

 それなのに、ここにあるのは獣医でだされた薬だった。

 

 昨夜は手首の痛みがひどくて、ろくに眠ることもできなかった。

 鎮痛剤は効かないし、手首が熱いのか痛いのか、それとも両方なのかすら区別がつかないほどだった。

 熱も高そうだと感じつつ、水を飲もうと部屋を出たところで立ちくらみがして、膝をついた。

 痛い。あつい。そんなことを感じながらよろよろと立ち上がると、三月ウサギが部屋から出てきて、驚いた様子で透子の体に触れる。

 

「病院行こ」

 

 彼にしては珍しい、固い声音で短く告げた。

 いったん部屋に戻って着替えた透子が、ポケットにスマホを入れたのは、なかば習慣のようなものだった。

 

 手を引かれて、玄関ドアの外──鉄扉の前に立つ。

 男は振り返り『お外では余計なおしゃべりは禁止だよ。電車ごっこ、したくないんでしょ?』と釘を刺す。

 指紋認証の電子音が、冷たい廊下に響いた。

 

 電子扉の向こうは、暗く無機質な廊下だった。

 まるで病院だ。

 シンと静まりかえった建物内に、人の気配は感じられない。それがまた不気味だった。

 

 手を繋がれたままエレベーターに乗り込み、ここが五階だと初めてわかった。

 

 状況の把握をしようにも、とにかく手首が痛かった。心臓の鼓動に呼応するように、ずきんずきんと響いている。痛みは手首だけのはずなのに、体中痛む気がした。

 地下の駐車場で車に乗せられ、浅く呼吸を繰り返しているうちに病院に着いた。

 

 保険証もない。身分証もない。

 それなのに受診ができるんだろうか。

 痛みに耐えながら窓口に向かう。

 

「あー、保険証忘れた。いいや、いったん全額払うよ。それでいいよね? 妹、しんどそうだし、今日午前中しかやってないんでしょ?」

 

 三月ウサギがそう言うと、受付の女性は幾つかの注意事項を伝えてから問診票を渡してきた。

 長椅子に腰を下ろすと少しだけホッとする。

 そうして問診票を記入しようとして、名前や住所の欄で手が止まった。

 

「しんどそうだから、ボクが書くよ」

 

 何を書くつもりなのかと手元を見ていると、名前を三ツ木雄、まで書いて「あ」と短く言った三月ウサギは手を止めた。すぐに雄を二重線で消して、桃音と書く。

 淀みなく書いていく住所は、おそらくあの建物とは違う場所だった。

 

 男が読み上げる設問に答えていく。

 

「……え。もしかして、そのケガ、電車ごっこの時のやつ?」

 

「……まぁ」

 

「あー、……なるほどね」

 

 記入を終えて受付に持って行く姿を見送り、視線を巡らせてトイレを探す。

 立ち上がると「どこ行くの?」とすぐに戻ってきた三月ウサギが警戒を滲ませて尋ねた。

 

「トイレ」

 

 指差すと、肩の力を抜いた男は「ついてったげるね」と再び手を繋ぐ。「わかってるよね」と小さく囁いた男の手に、少しだけ力がこもった。

 

 トイレは男女兼用で、手洗い場で「ここに居るから」と告げてようやく手を離してくれた。

 

 ズボンに手をかけて、ハッとする。

 スマホが、ある。

 あの建物の中ではずっと圏外で、バッテリーを温存しようと電源を落としていた。

 電源をつけてみると、アンテナが立っている。

 

「桃音ちゃん? 大丈夫?」

 

「──っ! はい」

 

 千彰にメッセージを送ろうか迷う。

 熱で震える指では時間がかかりそうだ。なにより、外に出る時に三月ウサギが口にした『電車ごっこ』の言葉が、その指先を躊躇わせた。

 

 あの男が何か仕掛けてきても、今は何もできない。

 

 透子はスマホの電源をつけたままポケットに戻して、トイレを済ませた。

 

 探してくれていれば、きっと気づいてくれる。

 

 願うように考えながら、受診中も帰り道でも、スマホの存在を気取られないようにして帰宅した。

 

 

 ベッドサイドの薬袋は、何度見ても獣医のものだ。

 

 診察した医師は、「入院……いや、うーん」などと呟いた後、「夜間でも、おかしいと思ったら必ず救急病院に行くようにね」と言っていた。

 手首の火傷はこの数日間きちんとしたケアを怠ったせいで、感染症を引き起こしていたらしい。

 「お兄さんならちゃんと見てあげないと」と注意する医師に、三月ウサギは殊勝な顔で頷いていた。

 処方箋を貰ったのに薬局に寄らないんだなと思ってはいたけれど、何がどうして獣医の薬になったのか。

 人間と同じ薬なんだって、と言ってはいたけれど、そういう問題ではない。

 

 けれど今はそれを問い質す気力もなかった。

 

「桃音ちゃーん、果物なら食べられそう?」

 

 部屋のドアが開かれ、三月ウサギが顔を覗かせた。

 

 

 

◇   ◇   ◇

 

 

 

『うさぎちゃんは諦めて。というか、元々ボクのだから。うさぎ狩りを続けるなら、また電車ごっこして遊んじゃうよ』

 

 メッセージは、ターミナル駅三カ所の電光掲示板に二分だけ表示され、すぐに何事もなかったように広告映像が再開された。

 SNSでは、いったいなんのプロモーションなのかと推測が推測を呼んで大変な盛り上がりとなっている。

 

 モノレールテロ犯──三月ウサギからのメッセージ。同時に、透子を攫ったのも三月ウサギだと結論づけられた。

 

「劇場型と見るべきか悩ましいわねぇ……やり方が派手な割に、脅しといえるほどの内容でもない」

 

「……牽制しておきたいことが起きているのでは?」

 

 指先で机を叩く千秋は、「そうね。……あの子、変に逃げだそうとして相手を刺激してないといいけど」と溜め息を落とす。

 現在捜査は乗り換えた車の照会や目撃情報を追い、病院への問い合わせも開始していた。

 透子の火傷は、まだ放置していい状況ではない。

 痛々しい手首が脳裏に蘇る。毎晩シャワーの後に、軟膏を塗ってやるのが日課だった。

 こんな火傷をするほどゲームに熱中するなんて、となかば呆れた気持で包帯を巻いてやっていた自身を後ろから張り飛ばしてやりたい。

 あれは名誉の負傷だった。千人もの命を救った証だ。

 薬を嫌がる彼女が、率先して鎮痛剤を飲んでいたのだから、よほどの痛みだったはずだ。

 医師には、放置するのは命に関わるとまで言われた。

 攫われた先で、まともな治療が行われるとは到底思えないし、病院にみせるほどの良心があるかは甚だあやしい。それでも、今は辿れる糸はすべて手繰ってみるしかなかった。

 

 彼女のスマホがいきていれば、GPSを辿れるのに。

 歯がゆい思いで幾度か彼女の痕跡を探してみても、攫われた日に途絶えたまま動きはない。

 攫った相手のスマホをそのままにはしておかないだろう。もうこのラインで辿るのは無理だ。そう判断していた。

 だから、彼女のスマホに仕込んだアプリを確認したのも、特段何かを期待してではない。

 

「……増えてる?」

 

 攫われた日で途絶えていたはずの記録。しかし、新たに三日前、一時間に満たない時間だったが、透子のスマートフォンの移動が記録されていた。

 

「どうしたの?」

 

「彼女の、GPSが……」

 

 画面を覗き込んだ千秋も眉を寄せる。

 すぐに地図を広げる。思いのほか遠くはない場所だ。

 

「すぐに向かってくれ」

 

 狗塚は外回りの部下に、付近の聞き込みを命じた。

 

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