【完結】Alice.dat -ハッカーの彼女と公安の彼の騙し合い恋愛 嘘で始めた恋は本物になれますか?-   作:稀葉

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File.32 うさぎのにちじょうはどこですか

「受診は先週土曜日、午前10時頃。GPSの検知ともほぼ一致しています。病院の防犯カメラ映像がこちらです」

 

 そう言って東が示した画像には、若い男に手を引かれて歩く透子の姿があった。

 生きていてくれた。まずそこに安堵した。

 こういった事件で、連れ去り後にすぐに殺害されるケースも珍しくないからだ。

 少なくとも医者に診せるということは、生かしておく必要もあるということだろう。

 

(……なんのために? 脱兎だからか)

 

『元々ボクのだから』

 

 ふいにあのメッセージが思い出され、腹の底が熱くなる。

 ふざけるな。強引に連れ去っておいて、何が『ボクのだから』だ。

 だいたい彼女は俺の──。

 

 俺の、なんだというのか。

 

 何から何まで嘘で塗り固めた関係だ。

 恋人のように、それらしく振る舞っていた、それだけだ。

 

 映像の彼女は、常とは違う力ない足取りだ。手首の包帯もずれており、懸念した通り、ろくなケアが行われていないことも見て取れた。

 

 湧き上がる腹立たしさを宥めながら、映像に目をこらす。

 

「かなりの発熱で医師も入院を勧めるかギリギリのラインだったようです。本人の受け答えも問題なく、付添人が同居しているとのことで、処置後に月曜日の再診を念押しして帰したとのことです」

 

「だが来なかった、か?」

 

「はい。処方箋についても持ち込まれた薬局を探していますが、現時点で特定に至っていません」

 

 その後、問診票から透子の指紋が検出されたことで、受診したのが彼女で間違いないと確定した。同時に、付き添った男の指紋も採取できたが、データベースに一致するものはなかった。

 

「問診票のコピーがこれです。住所は実在の場所でしたが、該当建物に『三ツ木』の居住は確認できませんでした」

 

 名前欄には三ツ木。雄の字が消されて、桃音と続いていた。

 

「GPS消失場所も拉致後に消失した地点とは異なるので、周辺の防犯カメラ映像の確認と聞き込みにあたっています」

 

 報告を終えた東は、少し考えた後、思い切ったように口を開いた。

 

「あのっ……『イトウモネ』の件なんですが。瀬谷透子の本名、もしくは彼女がイトウモネという偽名を使っていた可能性はないでしょうか」

 

 当初、制服の女が『イトウモネ』と呼んでいたのは人違いだったのでは? と考えた東も、問診票に書かれた名前が『桃音』だったことに疑念を抱いているらしい。

 

 関係者の取り調べは特別事案対策課(アリス班)が行っており、『伊藤桃音』という名前こそが今回の拉致のキーワードであったことは他の課には知らされておらず、今後も公にはされないはずだ。

 

「……その件は俺のほうで当たっている」

 

「ですよね。失礼しました」

 

 一礼して部屋を出て行く東を見送る。

 

 特別事案対策課(アリス班)に異動しても、表向きの立ち位置は警備局警備企画課のままで、それは高村も同様だった。

 

 アリス班は現在千秋が統括している。

 今後の動きを確認すべく、狗塚も腰を上げた。

 

 その後千秋から、三年前、精神科病院から失踪した三ツ木(みつき) 雄介(ゆうすけ)という男が居たことを知らされた。

 筆跡鑑定の結果、その失踪者と今回透子の病院に付き添った男が同一人物であることは間違いない。

 ただ、三ツ木雄介こそが三月ウサギなのか、三月ウサギに連なるグループ的犯行なのかは不明なままだ。

 

 同時に、GPSの消失地点から、潜伏先の可能性が高そうな建物がいくつかピックアップされた。

 

 

 

◇   ◇   ◇

 

 

 

 透子は洋梨を口にしながら、薬袋に視線を落とした。

 熱も下がり始め、固形物を食べる気力も出てきたのはよかったけれど、それが獣医の出した薬のおかげというのは地味に屈辱だ。

 

 デスクチェアの背もたれに顎を載せて座る三月ウサギは、右に左に椅子を回しながら「食欲戻ってきてよかったね」と言うと揶揄うような声音で続けた。

 

「ね、『うさこちゃん』」

 

「なんで動物病院なんですか」

 

「効いたんだからいいじゃん。だいたいさぁ、病院に行かなくても最初からウェブにしとけばよかったんだよ」

 

 失敗した~とクルリと椅子を一回転する。

 

「……あのお医者さん本当に人間の医者なんですか?」

 

 土曜日に連れて行かれた病院の医師は、月曜日にもう一度様子を見せに来てと言っていた。

 だから透子は、もう一度外に出られたら、今度こそスマホからメッセージを送ろうとひっそり準備をしていたのだ。

 それなのに、その日のうちに渡されたのが獣医の薬だったのに加え、月曜日にはウェブでの受診となった。

 医師らしい男は顔を映すことなく、こちらも顔を映さない。ただ問診と、患部の状況だけを確認された。

 そして再び届けられたのは、『うさこちゃん』の薬袋だ。

 

「どっちでもよくない?」

 

「よくないですっ。あの医者もあなたの仲間なんですか?」

 

「ハハ、ないない。しいて言うなら……カモ?」

 

「カモ?」

 

「後ろ暗いカモはさ、いくらでも言うこと聞くんだよ。誰だって人には知られたくないヒミツのひとつやふたつ……ま、こまかいことはいいじゃん」

 

 よくない、と思ったけれど、こうなると三月ウサギはのらりくらりと軽口をたたくばかりで、肝心の情報は開示されない。

 透子は再び洋梨を囓った。甘い。食べた物がおいしいと感じられることに、自身の回復も感じられた。

 

「そういえば、あの曲」

 

「どの曲?」

 

 透子がアイドル名を口にすると、男は、ああ、と頷いた。

 

「あれ、どうやって持ってきたんですか?」

 

「どうって、スマホだけど?」

 

「充電できなくないですか?」

 

 この世界に来たばかりの時、まだスマホがないことに驚いた。

 パソコンもインターネットもあったけれど、それすら透子が慣れ親しんだファイル形式ではなかった。

 当然、桃音のスマホのコネクタも存在しないものだった。

 

「桃音ちゃんはどうしてたの?」

 

「私のは……私の手元にはないので」

 

 この世界に持ってきたスマホは押収されたきりだ。でも処分はされていないという。

 あの中には、元の世界で撮った写真や動画もたくさんあったし、大好きな音楽もいくつもダウンロードしてあった。

 壊れたものとして諦めるしかない。そう思ってきたけれど。

 

「取りあげられたんだ?」

 

 ろくでもない奴らだよねぇ、と呟いた男は、「取り返せれば充電できるよ」と目を細めた。

 

「ボクなら、桃音ちゃんからなんにも取りあげないよ。ボクは……そのために来たんだから」

 

 目を伏せた三月ウサギは、珍しく真剣な目をしている。

 透子はその目をまっすぐに見つめ返した。

 

「……私の日常を、取りあげてます」

 

「日常? それってさ、24時間監視カメラがあって、盗聴されて、行動も制限されてる生活のこと?」

 

「──っ!」

 

 二の句が継げない。

 危険回避のための監視。そんなものは方便でしかないと、わかっている。

 危険と見做されているのは自分という存在だ。

 テロを企てるわけでもない。この世界にはアリスという存在がいますと公言するつもりもない。ただ静かに生活をするとしても、危険視される。

 

 監視は、生きていくために、受け入れるしかなかったことだ。

 

「……返してあげるよ。桃音ちゃんの『日常』をさ」

 

 日常。それが本来どういうものか、既に透子にはよくわからなくなっていた。

 ただ、少なくともここで監禁され続けることではない。そこだけは確信がもてた。

 

「ま、桃音ちゃんの洗脳がちゃあんととけてからね」

 

「洗脳なんてされてないっ」

 

「はいはい。さーてと、おしゃべりはこのくらいにしよ。ちゃんと薬飲んで寝るんだよ」

 

 三月ウサギは椅子から立ち上がると、ひらりと手を振って出ていった。

 

「洗脳なんて……されてない……」

 

 小さな呟きは、誰の耳にも届かなかった。

 

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