【完結】Alice.dat -ハッカーの彼女と公安の彼の騙し合い恋愛 嘘で始めた恋は本物になれますか?- 作:稀葉
「だーかーらー、脱兎じゃないって。あんたらが持ってきた薬に『うさこちゃん』って書いてあったから、『うさぎ』って書いただけだっつうの」
『プロモーションじゃね?』
『映画の宣伝とか?』
SNSに溢れる的外れな言葉に、知らず口角があがる。
馬鹿ばっかりだ。
電光掲示板をジャックしたのは、警察を牽制するためではあったものの、それで牽制できるとも思ってはいなかった。
人が死ぬのを鑑賞して楽しむ。
そんな野蛮なライブショーで金を儲る輩にも、あの子を渡せるはずがない。
だいたい、あんなショーが楽しいだなんて、あいつらも、あの医者も、誰も彼も正気じゃない。
この世界でまともなのは、ボクくらいのものだ。
あの子ときたら、監視するような奴らを信じているし、帰りたがるし──あの子も少し馬鹿になっているのかもしれない。
それはあの子のせいじゃないけどね。
「脱兎なんかと一緒にするなよ、うざいな。あれはボクのうさこちゃん」
ボクだけの。だからお前らなんかに、やらないよ。
ああ、そうだ。あの子にもわかりやすく教えてあげたらいいね。
あの子を監視してきた奴らを、ニセモノを、目の前で壊してあげよう。
そうしたらきっと、あの子もわかる。ありがとうって感謝する。
「この世界をかき混ぜて楽しみたいんでしょ? ショーの準備ならできてるよ」
まだ何か言っていたけれど、ボクの用事はここまでだ。
終話ボタンを押して、切り上げる。
モニタの向こうで、彼女は元のスマホをじっと見ていた。
買ってあげた最新機種、気に入らなかったのかな。
一緒にカタログを見て選ぶほうがいいかもしれない。
きちんと見ていてあげないと。
だってボクには──ボクだけにその責任があるんだから。
◇ ◇ ◇
電力会社にかけた捜査事項照会によりモノレールテロの発生した日時の異様な
そこから、彼女のGPSが移動した方向、受診した病院からの距離などを加味してふるいにかけながら優先順位をつける。
なかでも千秋と狗塚が注目したのは、GPS消失点に比較的近い、ある会社の建物だった。
電磁環境試験所──精密機器が電波で誤作動しないかテストする専用施設だ。
業務の性質上、敷地の外壁周辺には
通常ならば電波パトロールにより確認が入るレベルの妨害装置ではあったが、その業務の性質上、除外されていた場所だ。
そこが、今回の対象に含まれていた。
調べてみると、現在は当初とは違う法人が同様の業務を引き継いでおり、建物の所有も移っていることがわかった。
届け出の内容から見れば、現在も多くの職員が所属しているはずだ。しかし、そこに出入りするのは宅配業者くらいだ。
周辺の防犯カメラをあたり、該当車両であるメタルグレーのセレナも確認はできたが、敷地内への侵入は特定できなかった。
それに加えて、最近、建物の一室を改装したことがわかった。
ごく普通の部屋に。
そんな大雑把なオーダーで、無機質なコンクリは普通の壁紙に、床はフローリングに変えたという。
建物の内部構造は、建築申請や防火対象物台帳である程度把握できる。
元々その一角は風呂やトイレが設置されている場所で、宿直や夜勤者が利用していた場所なのかもしれないと推察はできたが、このタイミングで、しかもほとんど職員の出入りがない今、その改装が行われたのは不審でしかなかった。
業者の証言により、その部屋はパスコードを要する鉄扉の奥のエリアであることも判明した。
決め手にはかける。
それが共通見解ではあったが、二年前──狗塚が
同時に、現在もその当時と同じように月に一度は同様の波形も確認され、あのおぞましいライブが今も行われている疑いが高まった。
なにより、透子に出された処方箋の薬を出した薬局が見つからず、彼女の容態が限界である可能性も考えられ、千秋もようやく潜入にGOサインを出した。
ひとたび敷地に足を踏み入れれば、携帯はおろか無線連絡も、位置の把握も、なにもかもが無効化される。外部との連絡は不能だ。
犯人確保よりも人質の救出を最優先に──そのため、敷地の外に人員を配置し、潜入は狗塚が単独で行う。
敷地内に繋がる下水道から敷地内に入る。
マンホールの蓋に警報を設置されている可能性も考えられたが、憂慮に終わった。
問題は、建物の空調点検用ダクトからの侵入もスムーズに進みすぎたことだ。
罠の可能性を頭の片隅に置きながら、狗塚は慎重に『改装された部屋』を目指した。
犯人とおぼしき男が宅配ボックスに降りてくる隙に、彼女を確保し、建物外へと連れ出す作戦だ。
ダクトから男が鉄扉の向こうへと出て、遠ざかるのを確認したうえで透子の部屋へと降りた。
彼女の無事を確認して安堵した反面、やはりスムーズにいきすぎていることに違和感があった。
だから、「いいね、いいね。どこ行く~?」と銃を構えた男が部屋に入ってきた時も、驚きよりは、やはり、という思いのほうが強かった。
「それで? どこに行くって?」
病院の防犯カメラに映っていた男と同一人物だ。
(……単独犯か?)
彼女を引き寄せながら考えると、「ちょっとぉ」と男が不服露わな声をあげた。
「ボクのに気安く触れすぎじゃない? 桃音ちゃん、こっちおいで」
細い肩が小さく震える。
彼女の迷いが感じられて、引き留めるように腕の力を強めた。
この男に透子を撃つ気がないのだとすれば、一発目さえ躱せれば取り押さえられないだろうか。
そんな思考を読むように、男はさも楽しそうに目を細めた。
「あれぇ? 銃を突きつけられてるのに余裕だねぇ。……ボクを押さえつけたらどうにかなる、なあんて思ってるのかな?」
銃のセーフティを解除しながら、「それもいいかもね」と口の端を引き上げる。
冷え冷えとした眼差しをこちらに向ける男は、引き金に指をかけたままだ。
「別にいいけどさ。その時は、どかーんって人がたくさん吹き飛ぶことになるよ?」
「……どういう意味だ?」
「これだから馬鹿と話すのは嫌なんだよ。そのまんまの意味に決まってるじゃん。爆発するんだよ。人がいーっぱいいる場所がさ」
脅しだろうか。真実だろうか。
見極めるように男を凝視する。
張り詰めた沈黙の中、腕の中の彼女が身を固くしているのを指先に感じる。
男が引き金をひく瞬間、抱え込んで庇うべきか、突き飛ばして遠ざけるべきかを考える。
庇って自身が負傷すれば彼女を助けだすのが難しくなる。かといって、彼女が傷を負うようなことがあれば本末転倒だ。
「新宿とぉ、渋谷とぉ、……あとどーこだ?」
先日、メッセージが表示されたターミナル駅。残るひとつは──。
「……東京駅か」
「ピンポンピンポーン。正解。簡単すぎたね。ま、あんたがここで死ぬなら、とりあえず爆発はさせないでやるよ。どうする?」
口を開こうとした瞬間、彼女が飛び出して「ダメっ」と前に立ちはだかった。
息を呑んだ狗塚は、急いで透子を引き戻して腕の中に庇った。
離してともがく彼女を強く抱き締めて、落ち着いて、と耳元で囁く。動きを緩めた彼女が、でも、と言い募るのを視線で黙らせる。
「うわぁ……くだらな。ボク言ったよね? この世界は偽物なんだよ。それを
「偽物なんかじゃっ……──っ!」
反論しようとした透子の口を塞ぐ。
徒に男を刺激して、ターゲットが彼女に移るのを避けるためだ。
「……三ツ木、雄介だな?」
男の呼吸が微かに乱れた。やはり間違いなさそうだ。
「ふーん。そうだって言ったら? それともそうじゃないって言ったら?」
「なら……三月ウサギとでも呼ぶか?」
「なんとでも? ……あれ? あんたどっかで会ったことない? もしかして揺り籠に居なかった?」
「……お前みたいのに会えば忘れないと思うが。どこかで会ったか?」
記憶の中にこの男の姿はない。けれど、
すぐに否定をすればかえって疑いを招く。だから、相手の出方を窺いながら、動揺を覆い隠す。
「ねえ、もっとさあ、怖がるとか命乞いするとか、なんかそれらしいリアクションしてくれないとつまらないじゃん。何助けにきた正義の味方みたいな顔してんだよ」
男が焦れたように引き金をひく。
銃口は明確に逸らされており、動く必要もなかった。
けれど、腕の中の透子が身を固くして震えだし、ハッとする。
あの夜。銃声に飛び起きた彼女の姿が思い起こされる。
画面越しの銃声にすら怯えていた彼女が、この音と硝煙の匂いに平静でいられるはずもなかった。
男に視線を向けたまま、浅い呼吸を繰り返す背中をそっと撫でる。
「あれ? 桃音ちゃん、かけっこのピストル苦手なタイプ? かーわいいー」
揶揄う声音は止まることなく言葉を続ける。
「泣いてる顔も可愛かったけどさ、怯えてる顔もサイコーだね」
男の言葉にカッと腹が熱くなる。いっそ殴りつけてやりたい衝動を抑えているうちに、彼女の体から少しずつ力が脱けていく。
小さく身じろいだ彼女は、顔を上げて口を開いた。
「……ゲーム、しよ。したかったんでしょ? 私と」
腕を押しのけるようにして、彼女がゆっくりと立ち上がった。
指先が、震えている。それを隠すように、後ろ手で組んだ手を、自身で強く握り込んでいる。
「私が勝ったら、この人を傷つけずに外に出して」
伸ばした手をすり抜けるように、彼女は男に向かって足を踏み出す。その足取りは指先の震えを感じさせないほどに強い一歩だった。
「へぇ……、じゃあさ、桃音ちゃんが負けたら?」
「……私を、あげる」
「透子さんっ」
ふざけるなと声をあげかける。それでも咄嗟に抑えたのは、銃口が彼女を捉えたからだ。
引き金をひくなら、彼女を引き倒してでも庇う。タイミングは見誤れない。
「外野は黙ってろよ」と一瞬こちらに向いた銃口は、すぐに彼女へと戻された。
「……それってさあ、賭けにならなくない? キミは元々ボクのじゃん」
鼻白むように言った男は、「ほら、いいからこっちおいで」と手招きする。
透子は首を横に振って「違うよ」とすかさず否定する。
「私は、……私は、最初からずっと、私だけのものだよ」
彼女の言葉に、男の目から揶揄が消え去った。
「じゃあさ」と固く抑えた声が漏れ出る。そこには隠しきれない怒気や嫌悪が滲んでいた。
「負けたら、それをボクにくれるわけだ?」
「負けたら、ね。でも、負けないよ。電車ごっこに勝ったのは、私でしょう?」
「……そこまで言うならのってあげる。ただし、賭けるのはふたりの命だよ」
透子が肩越しに振り返る。
切なく細めた眼差しは、すぐに強く前へと向けられた。
「いいよ。だって、負けないから」
凜とした声音が室内に響く。その声は、もう震えてはいなかった。