【完結】Alice.dat -ハッカーの彼女と公安の彼の騙し合い恋愛 嘘で始めた恋は本物になれますか?-   作:稀葉

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File.36 うさぎとウサギのわかれみち

「いいよ、だって、負けないから」

 

 そこに割って入ったのは、川村の声だった。

 

「待て。やるかどうかの前に、ルールの提示だ。そっちの用意した盤上に載るなら、圧倒的にこっちが不利だろう」

 

 三月ウサギは「それもそっか」と言った後、へらりと笑った。

 

「とか言うと思った? なんでボクが合わせてやる必要があるんだよ。でしょ? 桃音ちゃん。やっぱりやめとけば?」

 

 ウサギの目の奥は少しも笑っていない。ひやりと背中が冷たくなる。

 でも、ここで頷くわけにはいかなかった。

 ここで川村を逃がせなければ、きっと最悪の結末になる。それだけは絶対に阻止したい。

 

「……先にゲームをしたがってたのは、そっちでしょう? 遊んであげるけど、ルールはちゃんと説明してよね」

 

 口から滑り出た声は、自分で驚くほどに冷たく突き放す色をしていた。

 

 ああ、そういえばタメ語になってる。

 

 どこか冷静にそんなことを考える自分もいて、でももうこの男に対しては1ミリだって譲れない。ただ、そう思った。

 

「……こっち。ボクの部屋でやろ」

 

 部屋を出て行く三月ウサギに着いていく。

 ふと、掌が温かく包まれた。川村の手だ。

 軽く眉を寄せた彼は何かを言いかけて口を噤む。それでもやっぱり、とでもいうように動いた唇は「無茶、しないで」と囁いた。

 

 無茶を、しないといけない。そうでなければ、この人を守れない。

 

 三月ウサギがこの世界の人をどれほど軽く見ているか、透子はよく知っていた。幼い子どもが(アリ)を踏むていどにしか、きっと考えていない。

 

 繋いだ手を軽く引いて、庇うように半歩前を歩く男の横顔を見上げる。

 透子が繋いだ手に少しだけ力を込めると、応えるように川村の手もきゅっと強くなる。 

 心臓が鳴る。こんな時なのに。

 

 彼が今、ここに居る。その意味を考えるのも、彼が何者なのか考えるのも、全部全部後回しだ。

 今はただ、この人を助けるために出来ることをしよう。

 透子は繋いだ手を、そっと離した。

 

 

 

 三月ウサギの部屋は、透子の居た部屋とはまったく違っていた。

 広い室内はコンクリがむき出しで、薄暗かった。

 例えるなら、地下の駐車場にぽつんとベッドが置かれているような、そんな違和感しかない場所だ。

 奥の扉の向こう側は、壁一杯にたくさんのモニターが並ぶ。警備室のようで、映像はおそらく建物内のあちこちを映し出しているのだろう。

 中央の大きなメインモニターは真っ青で、室内を青く照らし出していた。

 

「あんたがここまで来る様子も、ぜーんぶ見てたよ」

 

「だろうな。スムーズに行き過ぎると思ってた」

 

「それで? 見つかった時にどうするかくらい考えてこなかったの?」

 

 ほーんと馬鹿だね、と歌うように言ったウサギはモニタの前の画面を操作する。

 

「ちょっと予定が変わっちゃったからなぁ」

 

 ひとりごちたウサギがキーを叩くと、メインモニターには建物の断面図が映し出された。

 

「桃音ちゃん、わかってる? 今この瞬間もこいつがボクを捕まえないってことはさ、桃音ちゃんよりも、知らない誰かのほうが大切ってことだよ?」

 

「……当然だよ」

 

 新宿と渋谷と東京駅。そこに行き交う人数は、モノレールの乗客数の比じゃない。

 それを人質にとっている相手を前に、軽率に動けるはずもない。

 

「私ひとりよりも、ずっと重いよ」

 

 川村ひとりなら、隙をついてここから逃げ出すことだって出来るはずだ。

 でもそれをしないのは、そうした結果、ウサギが爆弾を起爆させるとわかっているからに他ならない。

 もちろん、透子の身の安全だって考えてくれているだろうけれど、いざという時に優先されるべきは、アリスひとりなんかじゃない。

 わかっている。

 でも、今ここに、川村が居てくれることが嬉しかった。

 助けにきてくれた。もう、それだけで充分だ。

 

「馬鹿だなぁ、桃音ちゃん。桃音ちゃんのほうが大事に決まってるじゃん。誰が死んだって、ボクなら絶対キミを守るのに」

 

「守ってくれなくていいよ。他の誰かを踏みつけにしてまで守ってほしいなんて、私は思ってない」

 

「それで? そいつと一緒に死にたいの?」

 

「……死なないよ」

 

 私が死んだって、川村だけは絶対に死なせない。

 透子は「……だって、私が勝つんだから」と精一杯の笑みを浮かべた。

 

「ふーん。……じゃ、ルールを説明するね。建物の中にボタンがあるから、それを順番に押していく。全部押し終わったら、外に出て、正門のインターフォンを10秒間押し続ける。これだけだよ。カンタンでしょ?」

 

 そう言って、どうぞとばかりにキーボードの正面を透子に譲る。

 パソコンのキーボードとは別に、いくつかのボタンやスイッチもある。

 

「あんたはこっちね。ここに手を置いて」

 

 白く光るパネル上に川村が手を置くと、モニタに大きくSuccess! と表示される。

 

「これでボタンを押せるのはこいつだけになった」

 

「建物の中のボタンを順番に押すって、その順番はどこでわかるの?」

 

 モニタに表示される断面図には、ボタンの位置情報らしきものは見当たらない。

 ただ、このビルが地上五階、地下二階の七階層になっていることと、建物の両端と中央に階段があることしか表示されていない。

 

「ゲームが始まったら、ボタンのランプが表示される。マスターはそこまで鼠を誘導してやる。鼠は青く光ってるボタンを押す。鼠がボタンを押したら、マスターがこの青いボタンを押す。そしたら次のボタンが表示されるよ」

 

 ひとりはここに残って誘導とパネル操作を繰り返し、もうひとりは建物の中を移動してボタンを押していく。つまりはそういうゲームらしい。

 

 三月ウサギらしくない、と思う。

 モノレールを飛ばしたかったなどと言った男が持ちかけてくるわりに、随分と地味な『アソビ』だ。

 

「……ボタンは全部でいくつあるんだ?」

 

「さぁ? 百個だったかなぁ、二百個だったかなぁ?」

 

「時間制限が、あるんでしょう?」

 

「桃音ちゃん、賢いじゃん。あるよ。ボタンを押したら、次のボタンを押すまでの制限時間は3分。全体時間はモニターに表示されるから、それを見たらいいよ」

 

「もし、三分過ぎたら?」

 

「そしたらリセット。もう一回最初からぜーんぶやり直しだよ」

 

 ボタンの場所は変わるけどね、と付け足した三月ウサギは、声のトーンばかりが軽やかで、顔つきはひどくつまらなそうだった。

 

「リセットされたことは、こちらでわかるようになってるの?」

 

「ボタンが赤く光るからすぐにわかるよ」

 

 じゃあ操作を教えるね、と三月ウサギがシステムの使い方を説明する。

 相手の位置の把握が少しややこしそうな以外は、操作自体はシンプルで単純だった。

 

「ボタンを全部押し終わると、窓や扉のロックが全解除される。その前に無理やり外に出ようとしたら……わかるよね?」

 

 おそらくはその瞬間、駅の爆弾が起動するのだろう。

 

「誘導と言ったな。ここからどう誘導するんだ。館内放送でも使うつもりか?」

 

「ブブー。声の誘導はできませーん。……誘導の仕方は、工夫すればいいんじゃない? それか、端から端まで駆け回れば、そのうち光ってるボタンが見つかるよ」

 

 三月ウサギの言葉に、川村が絶句する。

 けれど、透子は誘導方法に心当たりがあった。

 

「防火扉ですよ、『糸井』さん」

 

 『糸井』と透子は面識はない。でも、彼が糸井なら、それで通じるはずだ。

 

「あの時と、一緒です」

 

 かつて爆発していく建物から、彼を逃がした。

 遠隔で、システムをジャックした透子は防火扉を閉めたり開けたりしながら、彼を外へと誘導した。

 今回、最中に爆発するようなことが起きるのかはわからない。

 けれど、やることはあの時と一緒だろう。

 

 川村は、透子が『糸井』の名を知っていることに思ったよりも驚かなかった。

 もしも彼が警察官なのだとしたら、千彰が全部話しただろうか。

 それはそれで千彰にも言ってやりたいことが山ほどあると思いながら、透子は川村の顔をじっと見つめた。

 

「……糸井? 聞いた名前な気がするなぁ。あんた……あの『晩餐会』にいたんじゃない?」

 

 川村の顔が強ばる。

 

 『晩餐会』

 

 なにかの隠語だろうか。

 

 途端に三月ウサギは肩を揺すって笑い出した。

 

「アハ……貴重なお肉はおいしかった?」

 

「……黙れ」

 

 川村の顔色は、ブルーライトに照らされている以上に白く見えた。

 

「ウケる~。桃音ちゃん正気? こいつ、助ける価値なんて全然ないよ。なんにもわかってないね」

 

「わかってないのは、あなたのほう。価値を決めるのは、私だよ」

 

 空気が、凍り付いた気がした。

 笑いを引っ込めたウサギは、鋭く目を眇める。

 

「あの時、だあれも逃がさないように皆殺し(コンプ)したはずだったんだけど、誤作動があってさ。……あれ、桃音ちゃんだったの?」

 

「……ゲーム、するんでしょ? 始めようよ」

 

「……そう。キミは……そっちの味方するんだ?」

 

 目を伏せた三月ウサギは、それでも口元に笑みを湛えている。

 

「私は、一度だってあなたの側にいたことはないよ」

 

「……そっかあ」

 

「この建物が爆発することはないんだろうな?」

 

 川村の心配はもっともだ。

 あの時を再現するとしたら、ここも無事では済まないだろう。

 

「さあねぇ、どっちでしょう? でもゲームをしないなら、あんたはここで死ぬだけだ。桃音ちゃんもね」

 

 最後通告のようにこちらを見据える三月ウサギの視線を、透子は正面から受け止める。

 たとえここが爆発するんだとしても、自分に出来ることなど限られていた。

 だから。

 

「始めよっか」

 

 透子の言葉に、三月ウサギが悲しげな顔をした気がした。

 そっかぁ、と呟いたウサギがひとつ息を吐く。

 すぐにいつもの人を食ったような笑みを浮かべた男は、銃を取り出す。

 

「……何をするつもりだ」

 

 川村が、ゆっくりとこちらに近づいてくる。

 

「何って、ゲームだよ」

 

 軽やかにそう言ったウサギは、銃を持っていない方の手にあるスイッチを顔の前に掲げて見せた。

 

「ま、しょせんおまけの時間(ボーナスステージ)みたいなもんだったしね~」

 

 銃を持つ手をゆっくりと持ち上げて、その銃口を自身のこめかみに当てる。

 

「──っ! な、にを……」

 

 目を見開いて固まる透子に、三月ウサギはにっこりと笑って見せた。

 

「よーい……」

 

「やめ、て……」

 

「ドンっ!」

 

 銃声が、コンクリの壁に反響して響き渡った。

 

 

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