【完結】Alice.dat -ハッカーの彼女と公安の彼の騙し合い恋愛 嘘で始めた恋は本物になれますか?-   作:稀葉

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File.43 十二夜のコイビト

 遅めの朝食を済ませ、食器の片付けを終えた頃、室内にインターフォンの音が響いた。

 しかも、この音はエントランスでなく、ドアの外のインターフォンだ。

 狗塚は少しだけ身構えながら、モニターの確認に立った。

 

「あ、私が出ましょうか?」

 

「大丈夫だよ」

 

 このマンションは、エントランスにコンシェルジュが居るお陰で、勧誘の類いが入り込むことはない。

 宅配ならば宅配ボックスがあるし、書留などが届く予定もない。

 

 訝しみながらモニターを確認すると、よく知る男が立っていた。

 

「……東?」

 

「知り合いです?」

 

「……ああ」

 

 一瞬迷って、同僚なんだ、と告げる。

 インターフォン越しに待つように伝えて応対に出ると、透子も雛鳥のように後に続いた。

 

「どうも。隣に越してきました!」

 

 ドアを開けると、開口一番そう言った東が、「これ、どうぞ。『プレゼント』です」と狗塚を飛ばして、背後の透子へと紙袋を差し出した。

 自分に差し出されるとは思っていなかったのだろう。

 おずおずと腕を伸ばした透子は「ありがとうございます」と小さく会釈を返す。

 

「東と言います。狗塚さんには、いつも大変お世話になってます。これから時々顔を合わせると思いますが、よろしくお願いします!」

 

「……瀬谷、透子です。よろしくお願いします。……ということは、東さんも警察の方なんですね」

 

「はい」

 

 警戒心を感じさせない人好きする笑みを浮かべた東に、透子も釣られたように微笑んだ。

 

「え、と。上がってお茶でも飲んで、」

 

 狗塚のリアクションを窺いながら誘う透子に「それは今度にしようか」と割って入る。

 少なくとも、東から転居の予定があるなどと聞いてはいなかった。

 これは多分に、いや間違いなく千秋の意向だろう。

 ただ、東はまだ千秋の『表向きの顔』しか知らないはずだ。

 いったん状況を確認する必要がある。

 

「引っ越しの片付けで、まだ忙しいだろうから」

 

 圧を込めて東に視線を送ると「そうなんですよ。まだ開けてない段ボールだらけで」とぼやき、「また今度! ぜひ!」と透子に向けて笑いかけた。

 

「……ちょうどよかった。東。確認したいことがあるんだ。そっちの部屋に行っていいか?」

 

「……はいっ。まだ片付いてないですけど、どうぞ」

 

 透子に、すぐ戻るよ、と告げて、東を押し出すようにして玄関を出る。

 建物の廊下では、いつ誰の目があるとも知れない。

 何も言わずに前を歩く東に着いていくと、本当に隣の部屋に越してきたのか、指紋認証でドアを開けて入っていった。

 

「……どういう状況だ?」

 

 ドアが閉まったのを確認してから、靴も脱がずに尋ねる。

 廊下には東が言っていた通り段ボールが積まれ、廊下へと上がった東はその隙間を縫うようにして振り返る。

 ここを新たなセーフハウスにするとしたら、荷物が多い。なにより、近隣に転居の挨拶などしないことがほとんどだ。

 

「それが俺にもよくわからないんすよねぇ」

 

 普通なら、東への指示は狗塚を介する。けれど、今回の件は上から昨日突然降りてきたとのことだった。

 

「……どこまで聞いてる?」

 

「彼女が三月ウサギでないこと、脱兎であること、脱兎が公安の協力者であること、くらいですかね。あとは、今、記憶喪失状態だってことも聞いてます」

 

 『アリス』以外の情報は、ほぼ共有されたらしい。

 そして、今後はここを拠点として、東と高村を含めた班員が、狗塚が透子の傍を離れる時の彼女の警護を請け負うとのことだった。

 

 狗塚が、特別事案対策課へ異動していることを知る者は少ない。

 表面上は、狗塚の所属は警備企画課のままだ。

 

警備企(あそこ)画課に手足となる部下を置いておくとなにかと便利よ』と千秋は言っていた。

 それが狗塚にとっての東を指すのか、千秋にとっての高村や狗塚を指して言ったのかはわからない。

 なんにせよ、今後のことを考えれば、隣室に透子の警護要員が控えているのは有り難かった。

 そして、通常ならばまず行われるはずもないその対応に、彼女がどれほど特別なアリスなのかを狗塚は改めて思い知った。

 

「透子さん、前より雰囲気柔らかくなりましたね。可愛くなったって言うか……」

 

「……警護対象を馴れ馴れしく呼ぶな」

 

 東の指摘は、狗塚も感じていたことだ。

 以前の彼女が、日頃から僅かながらも緊張感を持っていたからか、それとも狗塚との関係性の変化によるものか。

 とはいえ、それを他の男に言われるのは、なんとなく面白くない。

 

「えぇ……」

 

 ぼやくような声をあげた東を尻目に、狗塚は「午後から外に出るが、……お前は、まずはこの部屋をどうにかするんだな」と部屋を後にした。

 

 

 

◇   ◇   ◇

 

 

 

 薄曇りの中、歩いて駅に着いた頃には十二時半をまわっていた。

 休暇中は曜日感覚などなくなっていたけれど、世の中は日曜日、師走の休日を楽しもうという人でごった返していた。

 今日は、ふたりで透子のマンションへと行きがてら、買い物を楽しむ予定だ。

 

 これまで、透子と出かける時の足はいつも車だった。

 けれど、左腕を骨折している今、車の運転は難しい。

 左腕は、ギプスがはずせるようになるだけでも、ざっと一ヶ月はかかると言われていた。そこからリハビリに入ることを考えると、当分の間、車で出掛けるのは諦めることとなりそうだ。

 

 手を繋ぎ、駅の階段を上っていく。

 透子の指先に、少しだけ力がこもる。

 階段を上りきってホームについた途端、彼女は足を止めた。

 

「透子さん?」

 

 透子の横顔は白く、呼びかけも聞こえていないように見えた。

 

「透子さん、……座ろうか?」

 

 繋いだ手を離して、ベンチへと促すようにそっとその背中を押すと、ようやく彼女がこちらを向く。

 僅かに震える唇で、「すみません、なんでだか……怖くて」と弱々しく呟いた。

 

「──っ」

 

 考えてみれば、あの転落事故以来、彼女は駅に来るのは初めてだった。

 『川村』は常に車で動いていたし、透子がひとりで外出することもなかった。

 だから、こんなトラウマめいたものが潜んでいたことに、誰も気づいていなかった。

 

「歩ける? いったん下に降りよう」

 

 ホームで座らせるよりは、いったんここを離れるべきだ。

 支えるようにしてエレベーターで改札のある階下へと降り、彼女をベンチへと座らせた。

 

 温かいミルクティーを手渡すと、指先を温めるように握り混む。

 隣に腰を下ろしてゆっくりと背中をさすってやると、五分ほどで、「もう、大丈夫そうです」と微笑んだ。その頬にも、幾分赤みが戻っていた。

 

「なんだろう……貧血とも違いますよね」

 

「言ってなかったんだけど、以前透子さん、ホームから落ちたことがあるんだ」

 

「え……」

 

「幸い電車に轢かれる前に助け出されて、……もしかしたら、そのせいかもしれない」

 

「……変なとこだけちゃんと覚えてるって嫌ですね」

 

 彼女の記憶は消えていない。仕舞い込まれ、遮断されているに過ぎない。それを目の当たりにした狗塚は、彼女がひとりでいる時に記憶が戻るのは、危険かもしれないと考えた。

 拉致、監禁、人の死。そして、多くの人間の命を背負った重圧。

 どれをとっても、彼女が記憶を遮断するのも当然の出来事だ。

 

 ──その時、傍にいられるだろうか

 

「それにしても、建物は崩れるわ、記憶をなくすわ、……で、ホームから落ちたこともあるなんて、私、お祓いに行ったほうがよくないですか?」

 

 ようやくいつもの調子を取り戻したように笑う透子に、そうだね、と笑みを返す。

 

「待たせちゃってすみません。行きましょ」

 

 立ち上がった透子は、当たり前のように狗塚の手を取った。

 その小さな手を、ぎゅっと握り返す。

 

「やっぱり、お祓い、いらないかも」

 

「ん?」

 

「狗塚さんが居てくれるなら、大丈夫な気がしてきました」

 

 少しだけ早口で、赤い顔をして言う透子を抱き締めずに済んだのは、公衆の目がたくさんある場所だったからに他ならない。

 

 透子は電車に乗ろうと手を引いたけれど、狗塚は予定変更を提案した。

 電車は今度にして、今日は近くを散歩しよう、と。

 

 改札を出て、普段は行かない駅の反対側を歩いていると、やけに長い行列が目に入った。

 あのドーナツ屋だった。

 

「ここにも出来たのか……」

 

「買ったことあるんですか?」

 

「うん。少し前にね」

 

「こんなに並んでるってことは、おいしいんでしょうね」

 

 嬉しそうにドーナツにかぶりついていた姿が思い出され、小さく笑った狗塚は「透子さんは喜んで4個くらいぺろっと食べてたよ」と告げた。

 

「もぉ……また食いしん坊ネタ……」

 

「並ぼうか?」

 

「いいんですか?」

 

 透子の目がパッと輝く。

 

「透子さん、他の味も試したいって言ってたから、時間もあるしいろいろ選んで買おう」

 

「ってことは、狗塚さん、こんな列に並んでくれたんですか?」

 

 ありがとうございます、と言うまっすぐなお礼から、視線を逸らす。

 あの時は、貰った、と嘘をついた。

 

 君が、喜ぶと思って。

 

 そうは言えなかった。

 

「……時間が、あったから」

 

「そうなんですね。でも、ありがとうございます! あ、東さんの分も買って帰りましょう。引っ越しの片付けの手伝いをしに行ってもいいし」

 

「あいつのは、いらないんじゃないかな?」

 

 そう答えたものの、「でも、疲れてるでしょうし、甘い物、いいんじゃないかなぁ」と言う透子に押し切られ、東の分も買うこととなった。

 

 その後、いたく感激した東と透子とで、甘い物談義に花が咲くのを不服に感じながら、狗塚は渋いお茶を飲み干す羽目になった。

 

 

 

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