恋を知らずに死んだので、あの世で恋を買おうと思います。   作:稀葉

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第十話 恋愛メニュー表

 柚が初めて彼岸(ひがん)生活サポートセンターを訪れた日も思ったけれど、他に人が見当たらない。

 柚は五階建ての建物に足を踏み入れて、そんなことを思う。

 入口の案内所には担当員がひとりいるけれど、それだけだ。

 

 昨夜、三途からサポートセンターに来るようにというメールをもらった柚は、今日の予定を変更するために聡に連絡を入れた。すると、聡にもサポートセンターからメールが来たとのことで、役所での待ち合わせとなった。

 エレベーターホールに行くと、既に聡の姿があり、少しホッとする。同時に、昨日動物園に行った時とは違い、聡がきちんとスーツを着ているのを見て、思わず自身の服装を見下ろした。

 

「どうした?」

 

「今日って、もしかして正装で来るべきでしたか?」

 

 ダッフルコートの下は、枯葉色のフレアスカートに芥子色のセーターだ。ギリギリオフィスカジュアルに含まれるだろうかと眉を下げて尋ねると、聡が喉の奥で笑った。

 

「服装規定はないから安心しろ」

 

「よかったです。三階ですよね」

 

 聡と共にエレベーターに乗り込む。

 軽やかな音と共に開いた扉に、いつものように開ボタンを押そうとした柚に先んじて聡がボタンを押した。

 人より先に降りるのは、なんとなく落ち着かない。

 

 そうして降りた先にも、やっぱり誰もいなかった。

 

「どうした?」

 

「いえ……役所なのに、誰もいないなぁって」

 

「ああ。どうなってるかは知らんが、そういう仕組みらしいぞ」

 

「仕組み?」

 

「俺もここで他の奴を見たことがない」

 

 なるほど、さすが死後の世界。

 なんとなくそういうものかと受け入れた視線の先、カウンターでは既に三途が待っていた。

 

「こんにちは。ご足労おかけしてすみませんね」

 

 三途がそう言って、カウンター前の椅子に座るように促す。

 二人並んで腰を下ろすと、「その後、ご不便ございませんか?」と柔らかな声で三途が尋ねた。

 

「はい、お陰様で」

 

 笑みを浮かべて頷いた三途は「それはよかったです。なにかあれば遠慮なく連絡してくださいね」と言葉を続けた。

 

「呼び出しは、三千万の件か?」

 

 聡が尋ねると、「話が早いですね」と笑った三途は、柚の預徳(よきん)についてのアラートが表示されたからだと説明した。

 

「アラート……でも、まだ契約してないし、払ってないですよ?」

 

「ええ。普通なら残高が変動してからアラートが出るんですが、寺門さんの場合は、こちらにきてまだ四日目ですからね。自宅購入以外での高額契約気配で表示が出たようです」

 

 端末を叩いた三途に、柚が目を丸くした。

 

「気配だけでアラートが出るって、どういう仕組みなんですか?」

 

「そこは機密情報なので。……それで、動物園を支援なさるとか」

 

「はい。サイの……」

 

「説明しなくても、こいつらはもう把握してると思うぞ」

 

 聡が口を挟むと、三途は「ええ。内容は存じ上げております」と頷いた。

 

「なにぶん金額が大きかったので、念のための確認です」

 

「俺まで呼ばれたってことは、疑われてるってことか」

 

 鼻で笑った聡と苦笑する三途とを交互に見た柚は、「聡さんの何を疑うんですか?」と首を傾げた。

 

「ホストが騙して三千万使わせたんじゃないか、動物園と繋がってるんじゃないか、といったところか」

 

 聡の言葉を額面通りに受け取るならば、確かにそういう疑いをかけられても不思議はないのかもしれない。

 けれど、先ほどからの三途の言葉を振り返れば、それは有り得ない話だった。

 

「それはないですよ。だって、使う前に気配を察知しちゃうようなシステムなんですよ? 聡さんがそんなことをしてないってことは、お見通しじゃないとおかしいです」

 

 役所で他の人と鉢合わせしないのも、高額の徳を使う前から察知するのも、何がどういう仕組みになっているのかはさっぱりわからない。

 それでも、そういうものなのだろうと受け入れて考えてみれば、騙して使わせることだけはわからないなんてことは、なさそうに思えた。

 

「だいたい、聡さんがそんなことするわけないじゃないですか」

 

「寺門さんのおっしゃる通りです。ただ、いわゆるお役所仕事というやつですね。いったんは当事者をお呼びして事実確認をしておく必要があるというのがひとつ、それから、どちらかというとこちらがメインの理由になるのですが、恋人契約についての状況確認でお呼びしました」

 

「それについてはこっちも訊きたい。なんでよりによって俺なんだ。もっとこいつに合う奴がいただろう」

 

「条件に合うと思ったからお繋ぎしたのですが……寺門さんはいかがですか?」

 

「私は……聡さんでよかったです」

 

 柚は少し気になる異性がいたことこそあったけれど、恋がよくわからない。

 それでも、数合わせで合コンに呼ばれたこともあるし、男性とふたりで食事に行ったことくらいはある。

 ただ、また一緒にご飯を食べたいと思った人も、思ってくれた人もいなかった。

 

 聡は柚が好きなものを嗤わない。

 女の子らしくない定食屋も、映画の正直な感想も、子どもの頃の夢も。

 変わってるね、と括りもしなければ、可愛いね、と表面的な言葉で流したりもしない。

 ホストなら歯の浮くような社交辞令をたくさん言いそうなイメージがあったけれど、聡はそれがない。

 だから柚も、肩の力を抜いて思うままのことを口にできる。

 

「そうですか。では、恋人満喫プランは満喫できていますか?」

 

 穏やかに頷いた三途に問われ、柚ははたと考える。

 

 恋人満喫、できているだろうか。

 

 恋人が欲しかったのは本当だ。ここ数年、初詣の恒例の願いごとだったし、同僚が楽しそうに語る恋バナを羨んでいた。

 けれど、実際問題、恋も恋人もよくわからないから、何をするのが正解で、どうしたらそれが満喫になるのかがわからないのだ。

 

「……あの、そもそも恋人って何をしたらいいんですかね?」

 

 そう尋ねると、三途がふっと笑う。すぐに「失礼しました」と咳払いする。

 

内海(うつみ)さんはいかがですか?」

 

 水を向けられた聡に視線をやれば、眉間に皺を寄せて、緩く息を吐いた。

 

「こっちが訊きたい。三百万も出しておいて、具体的にやりたかったことのひとつもないのか?」

 

 聡の言葉はもっともだと思う。

 けれど。

 たとえばパン屋に行けば、玉子サンドかチョココロネにしようか選べる。でも、恋人はそうはいかない。何を願えばいいのか、何が正解か、マニュアルどころかメニュー表もない。

 漠然と、例えば一緒に服を買いに行ったり、映画を見に行ったり、その感想を話しあったり。おいしいものを食べて、おいしいねと笑いあうとか、そんなデートを思い描いたこともある。

 ただ、それは友達と何が違うんだろう。

 

「難しく考えることはないと思いますよ」

 

 黙り込む柚に、三途が助け船を出した。

 

「内海さんと一緒にいて、楽しいですか?」

 

「はい、それはもちろん。それと、困った時に相談できるので、とても頼りになります。助かってます」

 

 ひと息に言うと、聡がふんと鼻を鳴らす。

 柚と聡とを交互に見た三途は、目を細めて、「それはよかったです」と頷いた。

 

「そういえば、人間で生きていくことに決めたようであれば、今日その手続きもできますよ?」

 

「……もう少し考えてみます」

 

 聡が視線を寄越すのを視界の端に捉えながら、「決まったら手続きします」と言葉を続けた。

 

「まだ一ヶ月以上ありますからね。ただ、寺門さん」

 

「はい」

 

「ご自身で、ご自身のためだけに選んでくださいね」

 

 何かを見透かすような三途の眼差しに、少しだけ居心地の悪さを覚えながら柚は「はい」と顎をひいた。

 

「次は十日後、生活現況報告でお越しいただくようになります。その時は、寺門さんおひとりでもいいですし、付き添いの方がご一緒でも構いません」

 

 三途の言葉に、柚は「わかりました。またよろしくお願いします」とぺこりと頭をさげた。

 

 

 

「どこか行きたいところはあるか?」

 

 エレベーターの開ボタンを押しながら聡が尋ねた。

 先に降りてくれていいのに、と思いながらエレベーターを降りた柚は「行きたいところ……」と呟く。

 

 今日は待ち合わせが午後だったから、昼を済ませてくる段取りだった。

 カフェにでも行くのがいいだろうかと考えかけて、そういえば、と思う。

 

「ホストクラブ」

 

「は?」

 

「聡さんのお店、二階の方に行ってみたいです!」

 

 一階は普通のカフェだったけれど、二階は現世でイメージするところのホストクラブだと聞いていた。

 ひとりでなら間違っても行ってみたいなんて思わなかっただろうけれど、聡と一緒に行くなら安心だし、楽しめそうだ。

 

「同伴出勤って言うんですよね? しましょう! 同伴出勤!」

 

 柚の言葉に一瞬上を仰いだ聡は、小さく笑って手を差し出した。

 

「……姫の仰せのままに」

 

「ふふ、よきにはからえ」

 

 そう言って笑いながら聡の手を取ると、「どんな姫だよ」と笑われた。

 

 

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