恋を知らずに死んだので、あの世で恋を買おうと思います。 作:稀葉
柚を待つラウンジでツリーを見上げた聡は、ふと、もうすぐ丸四年経つのか、と思う。
聡がこの世界に来たのは大晦日の前日のことだったから、年末を迎えるのは四度目、クリスマスはこれが三度目だ。
クリスマスは現世でも彼岸でも女がやたらと特別視するイベントだ、という認識しかない。
柚はどうだろうか。
クリスマスよりも、聡の週休や正月休みを気にするような女でも、少しくらいはイベント的な希望や期待はないんだろうか。
イルミネーション、特別なプレゼント、朝までの独占。
これまで女にねだられたあれこれを思い描きながら、アイスティーに口をつける。
あの後、手配しておいた花と焼き鳥屋に連れて行ったことへの礼のメッセージが届いたのは、日付が変わってからのことだった。
柚にしては随分遅い時間のメッセージは、帰る時間が普段より遅くなったせいか、それとも、額への口づけのせいか。
昨夜、両手で額を押さえて顔を真っ赤にしていた姿を思い出し笑いが漏れる。
「お待たせしました」
早足でやって来た柚が、申し訳なさそうに眉を下げる。
いつも十分前にはやって来る柚にしては遅いが、それでも待ち合わせちょうどの時間だ。
「体調は大丈夫か? 二日酔いは?」
「それは全然大丈夫です」
「なら行くか」
顔色も悪くないのを確認して手を差しだすと、柚の動きが緩慢だった。
「どうした?」
「あ、いえ」
繋いだ手をきゅっと握ると、柚が小さく息を詰めた。
「あ、聡さん。お花ありがとうございました」
「ああ」
昨日柚に会う前に花屋に依頼したのは『女が喜びそうな、花瓶のいらないフラワーアレンジ』だ。どんな花が届いたかは知らないが、彼女の弾んだ声音に喜んでは貰えたようだと判断する。
「赤い薔薇って存在感ありますね。部屋の雰囲気が変わった感じします。すごくいい香りでした」
「喜んでもらえたなら何よりだ」
口ではそう言ったものの、赤い薔薇か、と思う。
柚に似合うかといえば、少し違う気もする。それでも、本人が喜んでいるならまあいいだろう。
──そんなことよりも。
「どうした?」
視線を泳がす柚の顔を、わざと顔を近づけて覗き込む。
繋いだ手に少しだけ力が入るのを感じて、聡は笑いをかみ殺した。
意識されている。
これまでは柚の思いも寄らない言動に振り回されるばかりで、一向に恋人らしい空気感を作れずにきた。それが、昨日の額のキスひとつで、ようやく少しは異性として意識されるようになったらしい。
やっとかよ、と思う。これでどうにか三百万に見合う仕事が出来るに違いない。
どんよりとした空模様に反して、心まで晴れやかになる気さえしてくる。
「ど、うもしないですよ」
「……昨日のあれくらいで、意識しているのか?」
「してないです」
むぅと口を尖らせる柚が可愛くて、喉の奥で笑うと、不服ですという視線を向けられた。
「してるだろ」
きゅうと繋ぐ手に少しだけ力を入れると、柚がまだ小さく息を呑んだ。
「し、てはいないですけど……考えてはいます。危なかったです。口でもいいかもって思いそうになりました」
恨み節ではあるが、嫌悪感がなさそうなのを見て取って「なら、次は口にするか」と軽口を叩くと、「しません。それは好きな人とします」とすかさず返った。
その言葉に、聡は、昨夜思いとどまった自分を誉めた。
「まあ、ファーストキスだもんな」
「ファーストキス、ではないですけども」
ん? と思う。
柚は恋人がいたことがないはずだ。けれどもすぐに、人ではない話だろうと高を括る。なにしろ、ここにいるのは柚だ。どうせまた、犬や猫や、なんならぬいぐるみを引き合いにだされたって驚かない。
「ほぉ、飼ってた犬とか言うんじゃないだろうな。もしくは小さい頃に父親とか?」
「ちゃんと大人になってから、他人の男の人とです」
「……は?」
無意識に声のトーンが低くなり、思わず足を止めた。
見下ろす柚の表情には照れなどなく、僅かばかりふて腐れたような目があるだけだ。
「恋人、いたことないんだったよな? 何がどうしてそうなる」
好きな人とします、と言い張る以上、片想いの相手だったんだろうか。訝しんで聞けば、ほんの少し視線を泳がせた柚は、早口で「合コンの王様ゲームで。なんか流れでそうなりました」と言った。
胸がざわりとする。すかさず、「いや、断れよ」と言うと、「場の雰囲気ってあるじゃないですか。まあ減るもんじゃないですしね」と笑みが返った。
生姜焼きに向けるのとも、サイに目を輝かすのとも違う、昨日ルカに向けていたような笑顔だった。
「……そんなもん、ノーカウントだ」
「ノーカウント、ですか? したのに?」
「ただのゲームだろ。数に入らない」
「そうですかね」
こちらを見て、ひとつ瞬きをした柚は、すぐにクスりと笑った。いつもの笑顔だ。
「そうだ」
柚の手を引いて、再び歩き出す。
ふと手を離して、そっと腰に手を回してみる。一瞬だけ身を固くして、すぐに力がぬけたのを感じる。
「嫌か?」
「嫌じゃ、ないです」
「……ま、寒いしな」
「そうですね、今日も寒いです」
そう言って曇り空を見上げた柚に「今日はどうしたい? クリスマスだし、それっぽいことでもするか?」と尋ねると、柚はゆるりと首を振る。
「不動産屋に行きます」
「は? クリスマスにか?」
「だって、もう年末ですよね。住所不定のままで年越しは困ります」
もっともな言い分ではある。あるけれど。
「なら、今日の夕飯はどうする? また夕方には帰るつもりか?」
一瞬考える横顔に、夕飯を一緒にする想定ではなかったのだなと感じながら、聡は「うまいちゃんこ鍋が食える店がある」と釣り針をたらす。柚の目がぱっと輝いた。
「焼酎の品揃えがいい店だ」
「行きます!」
柚の扱い方が、ようやくわかってきたような気がする。
聡は、最初に行ったのとは違う不動産屋や、その後の段取りを描きながら、焼酎楽しみです、と声を弾ませる柚の横顔を見下ろした。
◇ ◇ ◇
「なんでこっちは駅から遠いのに、家賃が高いんですか?」
似たような間取り。どちらも1LDK。それなのに、家賃は倍ほど違う。
柚は物件案内を見比べて尋ねた。
「立地の違いですね。こちらは高徳エリア、そちらが中徳エリアになります」
こちらの世界では、徳の高さによって自由に行き来できる範囲が違うとは聞いてはいたけれど、柚はまだ、それがピンときていない
ただ、こうして家賃の違いを目の当たりにすると、明確な違いがあるのだとまざまざと感じた。
「高徳エリアと中徳エリアで、こんなに違うんですねぇ」
「そうですね。ブランド価値もありますし、お住まいになられる方も高徳者ばかりですから、防犯面の安心を買うつもりで選ぶ方も多いです。ただ」
ちらりと聡を見た不動産屋は、少しだけ申し訳なさを滲ませながら、「高徳者ではないお知り合いの方が多いと、かえってご不便を感じられて避ける方もいらっしゃいます」と言葉を続けた。
「不便? なにが不便なんですか?」
「……こいつはまだこっちに来て一週間も経ってない」
補足するように聡が言うと、担当の男性は得心がいったように頷いた。
「中徳の方が、高徳エリアに自由に入れないのはご存知ですか?」
「え? 入れないんですか? だって聡さん今朝もお迎えに……」
ヒガントンホテルは高徳エリアにある。けれど、聡は朝、柚を迎えに来るし、送ってもくれる。入れないとはどういう意味だろう。
「高徳エリアで待ち合わせの『約束』があるとか、高徳者と一緒なら行き来できる」
「そうなんですか!? だって壁も何もないんだから入れちゃいますよね?」
「約束もなしに行こうとしても、いつの間にか違うところに向かって歩いていたりして、行けないようになってる」
本やゲームの世界のような話だ。もっとも、この世界そのものが既に似たようなものだから、そういうもの、と受け止めるしかない。
「じゃあ聡さんが急に用事があってホテルに来ようとしても、来られないってことですか?」
「ああ。お前と、メールかなにかでも約束を取り付けとく必要があるな」
「それは……困りますね」
考え込む柚の隣で、聡がクッと笑った。
「困るのか?」
「困り……あれ?」
聡との契約は一ヶ月のみ。けれど、自宅はその先もずっと住み続ける場所だ。
契約期間いっぱいあのホテルに住んで、契約後に引っ越せば、聡が来られるかどうかを気にする必要はない。
聡を見て、それから担当の職員に視線を向けると、苦笑が返された。
「これからお知り合いも増えていくことを考えると、中徳エリアで物件を探すのもひとつの方法です。防犯面が心配なら、高徳エリアの方が安心ではありますが」
「逆に、自宅の住所だけでカモとして目をつけられるリスクはあるがな」
聡の言葉に、「おっしゃる通りです」と担当者が頷いた。
「先ほど間取りとバストイレ別というご希望は承りましたが、他にご希望はありますか? 築年数やオートロック、ペット可がいいかなど……いかがですか?」
「……私、前住んでたところが商店街が近くて。お肉屋さんのコロッケとか、おまけしてくれる八百屋さんとか、結構気に入ってたんです。そういうところに住めるといいなって思うんですけど、ありますか?」
「それなら中徳エリアがいいですね。商店街が近いとなると……、こちらとかいかがですか?」
出されたチラシは築こそ古いが室内は綺麗だ。駅から徒歩十五分。商店街を抜けていく場所ならば、そのくらいの距離は許容範囲だ。
聡に視線で問えば、頷きが返った。
「今日内覧できるか?」
「はい。念のため確認なんですが、こちらの物件でしたら上階の2LDKと3DKの部屋にも空きがありますが、よろしいですか?」
聡に視線を向けた担当者が尋ねると、「住むのはこいつ一人だ」とすぐに聡が答えた。
「どうする? 寝室と居間とを分けるなら、2LDKもありだとは思うぞ」
「見て考えてみていいですか?」
「もちろん。では車をお出ししますので、少々お待ちください」
担当が席を立つのを見送ってから、「なんで聡さんに尋ねたんでしょう。……保護者っぽいからですかね」と言った柚に、聡がぱちりと瞬きする。
聡は、気づかなかったのか? と笑った。
そのまま耳元まで口を寄せて「一緒に住むんじゃないのか、って訊かれたんだよ」と囁いた。
低音の囁きに、柚は背筋がゾクリとして、思わず肩が跳ねる。その反応ごと楽しむように、聡は更に笑みを深めた。
「今日、聡さん意地悪じゃないですか?」
「そうか?」
「はい。それになんだか楽しそうです」
「ま、楽しいは楽しいからな」
機嫌のいい声音に、柚はむぅと口を尖らせた。