恋を知らずに死んだので、あの世で恋を買おうと思います。 作:稀葉
今日は十二月二十九日。現世ならば仕事納めを翌日に控えて、忙しく過ごしているはずの日だ。
相変わらず三途しかいないフロアで、聡と並んで座っていた柚は目を丸くした。
「え、じゃあ三途さん、お正月休みないんですか?」
「はい。この世界にお見えになる方々に正月もお休みも関係ないですからね」
「もしかしてここって24時間営業なんですか?」
頷く三途に休みは取れるのかと心配すると、シフト制なのだと教えてくれた。
「今日は転居先登録の手続きですね」
「はい。それと、スマホを契約したので、お借りしていたスマホの返却です」
柚が最初の日に借りた端末を取り出して言うと、三途が「かしこまりました」と書類を取り出した。
クリスマスの日。柚は内覧に行った部屋を気に入って、その日のうちに契約した。
聡の交渉のお陰で家賃も安くなり、あとは家具や家電を揃え次第引っ越す予定になっている。
「でしたら、人として生きていくことも決められたということでよろしいんですよね?」
三途の言葉に、柚はハッとした。
「そうでした……そうだ……決めてないのに契約してしまいました」
「は? まだ迷ってるのか?」
呆れの滲む聡の声に、柚は誤魔化すような笑みを浮かべる。
肝心のことほど、決めるのに時間がかかる。子どもの時からそうだ。
初めての勉強机も、進路も、ハンバーガーを注文するようには決められなくて、いつも周囲に呆れられた。
なんとなく人として生きていくのに必要だから賃貸契約はしたけれど、そもそも自分は人として生きていくんだろうか。
人で、いたいだろうか。
「で? 選択肢は猫か。サイか」
少し投げやりにも聞こえる声音に、「サイ……なるほど、それもありかも」と呟くと、「ありなのかよ」と聡が嫌そうに顔をしかめた。
「この世界で何で生きていくか、期限ギリギリまで迷う方は多いです。転生する時には何に生まれ変わるか選べませんから、なおさら」
そう言った三途が、そういえば、と言葉を続けた。
「もうほぼ月末ですし、今月の
「ああ、受け取ってく」
頷く聡に「毎月貰うんですか?」と尋ねると、「実質月の給与明細みたいなもんだからな」と返った。
「こちらがお二方の今月のものです」
それぞれに、封筒が差しだされる。
初めてこの世界に来た時はやたらと長いレシートのようなものだったが、今回はA4の紙一枚。家計簿のように収支が並んでいる。
柚は、ひとつの数字に目を留めて、口を開いた。
「あの、三途さん。動物園への寄付が差し引き二千万ってなってるんですけど」
「ああ、それはこの項目で相殺されています。他者福利寄与、公共施設貢献……つまり、アンドゥさんの幸せに貢献したこと。それから、動物園の環境改善が見に来る人を楽しませることにも繋がると判断されたんでしょうね。動物園には三千万渡っていますので、ご安心ください」
「ならよかったです」
「これについては、
三途が聡に視線を向けると、「それでか……いや、待て。俺は一銭も出してないぞ?」と訝しむ。
「
柚はサイの喜ぶ水場があるかないかは図面から見て取れても、その工事費の妥当性まではわからない。園長にそのあたりを確認して、柚にわかるように説明してくれた彼の存在は、あの場で本当に大きかった。
「はい。聡さんがいてくれて、すごく助かりました」
にこりと微笑むと、聡は柚に何か言いかけて、結局口を開くことなく書面に視線を落とした。
「ああ、内海さん。今月のお
三途の言葉に「お供えリスト?」と柚が首を傾げる。
聡に冊子を渡した三途は、柚に向き直ると、「寺門さんへのお渡しは、四十九日を過ぎてからとなりますが」と、表紙にサンプルと書かれた冊子を差しだした。
「現世で寺門さんに供えられたものは、このようなお供えリストに掲載されます。カタログギフトをイメージいただければと思うのですが、そのリストの中から、実際に受け取りたいものを選んでいただければ、配送される仕組みです」
「お供え……ご飯とか、ナマモノもですか?」
「ええ。調理済みのものは、冷凍食品になって届きます。そのあたりはリストに詳細が記載されます。それと、リストをお渡しして、一年間注文がなかったものは、自動的に寄付されて、徳加算に変換されます」
「そうすると、現世にしかないものも届くんですか?」
「はい。こちらでは手に入らないもの……手料理なども」
手料理まで届く。ということは、母の作る肉じゃがコロッケも食べられるかもしれない。きっと供えてくれるはずだ。
「それは、楽しみです」
「はい。内海さんは明日またいろいろ届くと思いますが、どうされます? 来月扱いにしておきますか?」
「……ああ、それでいい」
「明日? 毎日たくさん届くなんてすごいですね」
「毎日なんてくるかよ。明日は、まあ……
聡は目を伏せて、小さく苦笑した。
命日。聡が亡くなったのは大晦日の前日だったのだと知った柚は、けれど、それ以上は何も訊けずに口を噤んだ。
書類の提出を終えて、エレベーターを降りる。
当然のように腰に手を添える聡に、柚は一瞬だけ身を固くする。
慣れない。
クリスマスの日以来、手を繋ぐよりもこうして腰に手を添えられて歩くことが増えた。もちろん四六時中そうしているわけでもないし、以前のように手を繋いで歩くことも多いけれど、総じてスキンシップが増えたような気がする。
指の裏で柚の頬に触れて、「冷たいな」と言ったり、ふとした時に髪を撫でたり。そうして少し緊張する柚を見て、聡は楽しそうに喉の奥で笑う。
今だって「どうした?」なんて言って顔を覗き込んではくるけれど、柚の反応を愉しんでいるとしか思えない表情で目を細め、その笑顔にますますドキドキしてしまう。
柚は胸の音を宥めながら、先ほどの三途の言葉を思い返した。
「聡さんも、亡くなったの十二月なんですね」
「まあな」
入口の自動ドアが開くと、冷たい風が吹き抜けて身を縮こませた。天気こそいいけれど、冬らしい乾いた風が室内で暖まった体温をあっという間に奪っていく心地だ。
「おそろい……っていうのも変か。仕事納めの日が命日なんですね」
「仕事納めの日だったから、だな」
命日とか死因は、センシティブな話だ。
どうして死んだんですか? なんて気軽に訊ける話でもない。
ただ、柚は聡の徳が低いのが不思議だとは思っていた。彼が、特別悪い人間には思えないからだ。
『恋人プラン』を買った客に対する態度だから、というのを差し引いて考えても、聡は柚が高徳者なのを知っても、何かを買わせたりはしない。むしろ、そうならないように心配してくれていることのほうが多い。
この世界で柚が損しないように、困らないように、それを気遣う言動を端々に感じるほど、聡が低徳であることに疑問が募る。
仕事納めの日。まさか、自殺でもしたんだろうか。けれど、今の聡を見ていると、そんなことをするようには到底見えない。
意思が強くて、逆境をはねのけ道を開く。彼はそういうタイプの人間に見える。
もっとも、そのあたりもセンシティブ過ぎて、どうしてですか、などと訊けるはずもなかった。
建物前の階段を降りきると、「え? 寺門さん?」と声が掛かった。
この世界で柚の名前を知る人間は、まだとても少ない。
呼ばれたことそのものに驚きながら視線をやると、見覚えのある若い女が足を止め、こちらを見て目を丸くしていた。