恋を知らずに死んだので、あの世で恋を買おうと思います。 作:稀葉
奈月から連絡がきたのは、再会した昨日、夜になってからのことだった。
彼女からの会おうとの誘いに、午後から予定があるからと一度は断った。今日は聡と、引っ越し前の買い物をする予定を入れていたからだ。
けれど、渡したいものがある、という奈月に、ランチだけすることになった。
奈月が待ち合わせに指定したのは、おしゃれなお店が多い中徳エリアのカフェだった。
白と水色を基調とした店内は、中央に大きな円柱水槽があり、華やかな熱帯魚が店内に彩りを添えていた。
聡が連れて行ってくれるカフェは、レトロ喫茶のような落ち着いた雰囲気の店が多い。柚自身も、社会人になってからはこういう店にはあまり足を運ばなくなっていたから、いっそ新鮮だ。
「お待たせ、柚ちゃん」
奈月がやって来たのは、待ち合わせを十五分ほど過ぎた頃のことだった。
タイトニットのワンピースが、適度にボディラインをなぞり、フェミニンで可愛らしい。昨日とは違い、きちんと化粧までしている姿に、なんとなく気後れしてしまう。
柚は、いまだ『スターターパック』に入っていた服をメインに着回している。必要に応じて多少買い足しはしたけれど、仮住まいであるホテルのクローゼットにあまりいろいろ詰め込む気にもなれず、いわゆるお出かけ着はまだあまり持っていない。
いざ、こうして奈月の服装を目の前にしてみると、そもそもデートというのはこのくらいきちんと着飾るべきなのでは? とお手本を提示された心地にもなる。
「こういうのがあってさ」
奈月が取り出したのは数冊のガイドブックだった。
『彼岸の歩き方』
『2025彼岸トレンド』
『彼岸スターターパックネクスト』
手に取ってぱらぱらとめくると、この世界に来たばかりの人間向けガイドブックや最新トレンド情報の本といったところだ。
基本的な情報がまとめられていて、わかりやすい。
「これを渡したかったの。私のをあげようと思ったんだけど、もうかなり情報が古くなってて。本屋さんに寄ったら遅くなっちゃった。ごめんね」
「そんな、わざわざありがとうございます! ガイドブックがあるなんて全然知りませんでした」
「だよね。私もこっちに来たばかりの時、知り合いもいなかったからさ。サポートセンターに電話していいって言われても、なにから訊いていいかもわからなかったからすごく困った覚えがあって……」
眉を下げて控えめに笑う顔は、中学の頃には見たことがない表情だった。
クラスの中心にいたヒマワリみたいに笑っている子。それが奈月の印象だ。
化粧をして、苦笑する様を目にすると、奈月も大人になったのだなと思う。
「たしかに、こっちの世界はわからないことが多いです」
そうは言ったものの、改めて考えてみると、柚はそこまで困りはしなかった。こちらに来てすぐに聡と過ごすようになったからだ。
疑問はその場で教えて貰えたし、聡の方も柚が気をつけるべきことをそれとなく提示してくれていた。
それでも、奈月が柚を気に掛けてくれたことも、こうして本を選んできてくれたことも嬉しかった。
奈月は今、ケーキを作る工場で働いているという。
十一月にはクリスマスが視野に入ってきて、十二月には普段の倍以上も働く羽目になるから、この時期はそれから解放されてホッとするのだと笑う。
いつかは奈月自身が作るケーキを売れるように、パティシエを目指しているのだと話す彼女に、柚は「お店を開いたら絶対に買いに行きます!」と約束した。
「この世界にもクリスマスがあるんだって、変な感じしなかった?」
「しました! しかも、クリスマスが終わったらお正月のディスプレイに変わっていくのも同じで、死んだことを忘れそうになります」
わかる! と奈月が声をあげて笑った。
「手塚さん、一個教えて欲しいんですけど。こっちの世界で、命日は誕生日みたいに祝ったりはしない……ですよね?」
今日は聡の命日だ。なにかしたほうがいいだろうか。そう思っての質問だった。
命日がめでたいわけがない。それはわかる。
でも、いざこの世界に来てみると、命日は『この世界に生まれた日』『再出発』の日だとも思うのだ。
そう考えると、誕生日のように祝う習慣があってもおかしくないのでは? そう思っての発言ではあったけれど、奈月は眉間に皺を寄せた。
「柚ちゃんって、おもしろいね。でもさ、人にはいろんな事情があるんだから、あんまりそういう話はしないほうがいいよ。常識ないって思われちゃうから」
「……ですね。すみません」
「でも、そんな風に思うってことは、柚ちゃんも死んでよかったって思ったほう?」
奈月は目を伏せて、ストローを弄ぶようにアイスティーをかき混ぜた。
その姿を見つめながら、よかったはずはない、と思う。生きていれば今頃は、仕事納めだと浮かれていただろうし、夜には実家に向かっただろう。
でも、ここで否定するのは、なんとなく奈月を傷つけてしまう気がした。
「……死んでも、生活は続くんだなぁって思いました。お正月休みが明けたら、就職活動しなくちゃです」
へらりと笑うと、「わかる! 最初の一ヶ月ちょっとである程度どうするか決めなくちゃいけないの、結構シビアだよね」と笑みが返り、柚はホッとした。
「今日はこのあと聡と会うの?」
「はい。年が明けたら引っ越すので、家電とか買いに行くのについてってもらおうかなって」
「……私も一緒に行っていいかな?」
「え……?」
お願い、と奈月が手を合わせる。
奈月は聡のお店の客だと聞いている。それなのに、店の外で会うことを、柚の一存で決めてしまって大丈夫だろうか。
「聡さんに……訊いてみないと」
「事前に訊いたら駄目って言われちゃうよ。だって、今日は柚ちゃんが『お客様』でしょう? 聡、そういうとこ厳しいから」
奈月の言葉に、柚はマグカップを持ち上げかけた手を止めた。
『今日は柚ちゃんがお客様でしょう』
お客様。奈月の言うとおりだ。聡との時間は『買った時間』だ。
わかっていたことを改めて提示されて、心に小さな波が立つ。口をつけたミルクたっぷりのカフェオレが、なんだか苦く感じた。
「お店のクリスマスイベントで、聡に渡したいものがあったの。聡、お店に来なかったから渡せなくて……渡したらすぐ帰るから。駄目?」
クリスマスは、聡は柚といた。夜、ちゃんこ鍋を食べに行ったから、店に顔を出すこともしなかったのだろう。
待っていたであろう奈月の気持ちを考えると、僅かばかりの罪悪感も感じてしまう。
「なら……私のお願いも、ひとつ聞いてもらっていいですか?」
柚のお願いを、奈月は二つ返事で請け負った。
「柚ちゃんとは一緒に保健委員もやったよね」
「保健委員? なにするんだ」
待ち合わせ場所に奈月を伴って行くと、物言いたげな眼差しを向けてきた聡も、「ランチに付き合ってもらって、プレゼントも貰っちゃいました」との柚の言葉に、特段の追求もなく受け入れた。
すぐに帰るかと思った奈月が「お茶だけしよ」と言い出して、手近なカフェに入り今に至る。
「昼休みに保健室当番があったり、体育祭の時に救護テントにいるとか……聡さんは中高時代、そういうのなかったですか?」
「言われてみればあったかもしれんが、覚えてないな」
「柚ちゃんはリレーの選手とかなかったから、体育祭の時はずっとテントにいて忙しそうだったよね」
「そうですね。日陰にいられたのはよかったです。手塚さんは選手に選ばれてたし、大活躍でしたよね」
文武両道だったかまでは知らないけれど、奈月は運動部に入っていたような気がする。帰宅部だった柚と違って、体育祭ではリレー選手や部活対抗リレーなどで忙しそうだったと思い出す。
「それほどでもないよ。柚ちゃんは、ほら、普段からさ、日直で教材運びとか日誌書くとか全部やってくれたから、ちゃんとしてるなって尊敬してたよ」
そういえばそんなこともあったなと思い出す。
柚と奈月は、出席番号が並んでいたから、一緒に日直をする機会も多かった。
部活で忙しそうな奈月と違って柚には時間があったから、結局ひとりで日直をこなす日もあったような気がする。
なんにせよ、十年以上昔のことで、すらすらと当時のことを話す奈月に、柚のほうこそ尊敬の眼差しを向けた。
聡に会って話したいだけかと思ったけれど、奈月が先ほどから話すのは中学時代の話ばかりだ。
柚と奈月との共通の話題といえば必然的にそうなる。
けれど、それでは聡が退屈だろうと心配する柚をよそに、聡もそれなりに楽しげだ。
これが営業モードなのか、それとも素で楽しんでいるのか、柚には判断がつかない。
しかも、聡に渡したいものがあると言っていた奈月はいっこうにそんな素振りも見せない。
「ちょっとトイレ行ってきます」
そう言って、柚は席を立った。
ふたりきりになれば奈月も聡にプレゼントを渡しやすいだろうし、なにより双方に気を遣って話すことに、少しだけ疲れていた。
トイレに入ってひとりきりになると、ホッとした。
聡との時間は初日こそ、少しは疲れたけれど、気詰まりな思いをしたことはなかった。
ぞんざいな聡の言動のせいもあるし、そう見えて、柚の様子を細やかに気に掛けて、疲れたなと感じる頃にはお茶をして休憩にしてくれたし、柚がどうしたいのかを確認してくれるから、希望を伝えやすかったということもある。
奈月が入ってきて、初めて、聡がいかに柚が気を遣わなくていいように振る舞ってくれていたかを実感した。
トイレを出て、席へと向かう。
楽しそうな奈月と、穏やかな笑みを浮かべて応じる聡になんとなく足が止まる。
ふと、中学の時に同じ委員会だった先輩のことを思い出す。
柚が二年生の時に、委員長をやっていた男の先輩だった。当時副委員長だった柚は、その先輩と作業をすることも多かった。
頼りになって、なにかにつけ他の人の作業を引き受けがちな柚を気遣ってくれたその先輩を淡く想うようになったのはあっという間だったような気がする。
でも、その先輩に、奈月が好きなのだと打ち明けられた時、悔しさすら感じずに、それはそうだろうと納得した。
快活で、文化祭や体育祭では大活躍。しかも可愛い。自分とは大違いな彼女に、先輩が惹かれるのは当然だと思った。
こうして傍目から聡と奈月を見ていると、お似合いだと感じる。
今胸に広がるモヤモヤとした濁りは、中学の時に感じたそれによく似ている気がした。
「おかえり。ね、柚ちゃん、よかったら明後日初詣三人で行かない?」
「え……」
ちらりと横目で聡を窺うと、聡は珈琲に口をつけていて目も合わない。
「そのまま初売りとかでお買い物したりしたら、楽しそうじゃない?」
弾む声音の奈月を前に、柚は答えに迷った。
初詣については、以前から聡と話していたし、どこにお参りに行くかも聡に一任していた。
なにより、聡とふたりで初詣に行くのは、これが最初で最後だ。
「駄目かな?」
聡と初詣に行きたい奈月の気持ちもわかる。三人で出掛けても、聡と初詣に行くという点は変わらない。
そう決めて口を開きかけた柚を制するように、「すみません」と聡が口を開いた。
「今日はたまたま仕方なかった、と受け取りましたが、今は柚のための時間なので。初詣も、ふたりで既に約束があるので」
「そうだよね。ごめんね。今は、柚ちゃんとそういう契約をしてるんだもんね」
『そういう契約』。
そうか、そういう『契約』だから初詣にもふたりで行けるんだったなと柚が思っていると、奈月は、「でも、柚ちゃん。今度服とか買いに行こうよ。もうちょっと可愛いの選んであげる」と微笑んだ。
「じゃあ、私、そろそろ帰るね。あ、お金」
「ここはいいですよ。ではまた、お店で」
聡がそう言うと、「ありがと。ご馳走様」と奈月は帰っていった。
出て行く奈月を見送ってから、思わず長く息を吐くと、呆れたようにこちらを見る聡と目が合った。
「疲れるくらいなら、連れてくるな」
「すみません。契約違反でしたか?」
にこりと笑みを作って聡を見ると、聡は訝しむように眉を寄せた。
背もたれに寄りかかって、もう一度息を吐く。スカートのポケットを上から触ると、かさりと紙の感触がある。
奈月をここに連れてくる代わりの交換条件として、柚は紳士物の小物が揃う店を教えてほしいとお願いした。聡へのプレゼントを買うためだ。
プレゼントを渡したいという奈月に張り合うとか、そういうことではない。
今日が命日だという聡に、何かしたかった。それだけだ。
聡の誕生日は知らない。けれど、訊いて契約期間外だったら、柚が祝う機会は訪れない。それなら、今日、命日当日に渡すのがいいだろう。
もっとも、命日を祝うように何かを贈るのは、奈月のリアクションを見ればおかしなことなのだろう。だから、買った品物を、大袈裟にラッピングしてもらうのはやめておいた。
その小さな紙袋が、ポケットに入っている。
「聡さん……今日はもうお茶だけで解散でいいですか? なんかちょっと疲れちゃいました」
「……あいつに何か言われたか?」
「いえ。久しぶりの感じで楽しかったんですけど、ちょっと疲れただけです」
「具合が悪いわけじゃないんだな?」
どこか観察するような気配に、柚は曖昧に笑って首を振る。
「単にちょっと気疲れしただけです。でも、今日はホテルに戻って、少しゆっくりします」
「まあ、なんだかんだで連日出掛けているしな」
「ですね。あ、そうだ、明日は用事ができたので、一日お休みにしていいですか?」
「急だな。なんの用事だ。付き合ってもいいぞ?」
昨夜連絡してきたのは、奈月だけではなかった。
柚は、聡に首を振る。
「いえ、デートなので」
「……デート?」
聡の声が一段低くなった気がして、柚はひやりとしながら視線を向けた。
「恋人にデート宣言とは、いい度胸をしているじゃないか」
ムッとした顔の聡に、ああそうか、と納得しながら、柚は小さく笑った。
こういうやりとりもきっと、恋人らしさなんだろうと受け取って「だって、聡さんは本当の恋人じゃないですし」と言って、すっかり冷めたココアに口をつける。
疲れていると、こんな言葉遊びすらも少し面倒に感じてしまう。
「なら、初詣もそいつと行ったらいいんじゃないか?」
苛々とテーブルを叩く聡の指先を見つめながら、柚は急いで首を振った。
「それは無理ですよ。だいたい、先に約束したのは聡さんだし、……まだ、契約期間だから、お願いします」
ぺこりと頭を下げると、「ああ、そうだったな」と固い声が返った。
「そういう契約だったな」
「はい。なので……お願いします」
最初で最後の初詣。
柚はもう一度ポケットを指先でたどりながら、にこりと笑みを貼り付けた。