恋を知らずに死んだので、あの世で恋を買おうと思います。   作:稀葉

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第十七話 胸にとまるピン

 ホテルまで送らなくて大丈夫だと言った柚は、よいお年を、と聡に作り笑顔を向けてカフェの前で解散となった。

 自宅に帰った聡は、熱いシャワーを浴びながら、今日のことを振り返る。

 

 奈月に何か吹き込まれたか。

 柚が大晦日の予定をデートだと言ってキャンセルしてきたのでなければ、そう断じて、もう少しくらいは追求したに違いない。

 聡と連日会っていた柚に出会いがあったとすれば、園長の山下か、それとも、同じホテルの宿泊者だろうか。

 仮に、柚に恋人ができてこの先の予定が白紙になったとしても、それは客都合によるキャンセルだから聡に落ち度はない。

 ただ、もしもそうなら初詣だってその男と行けばいいのに、初詣は聡と行くという。

 天秤にかけられているようで、なんとも面白くない事態だ。

 

『だって、聡さんは本当の恋人じゃないですし』

 

 店に来る客の台詞ならば、内心ほくそ笑むところだ。指名してくる客は、そのくらいドライな方がいい。割りきって、恋人ごっこを楽しんで、互いに気が乗れば夜の熱を分け合う。

 飽きるまで店に通って、適度に(カネ)を使ってくれたらそれでいい。

 

 ただ、柚との恋人契約はそうはいかない。店の客とは違い、始めから明確な期限が決められている以上、その期間内に一定の成果を残す必要がある。

 その成果も、クライアントである柚がもういいと言うなら、それでいいはずだ。

 そうは言っても、ほんの前日までようやく異性として意識するところに漕ぎ着けた女が、こうもあっさり聡を誰かと天秤にかけるなど、腹が立つのは当然だろう。

 同時に、柚はそういう女だろうか、とも思う。人を、そんな風に比べて、品定めするだろうか。

 初対面の日、聡に対する不動産屋の男の態度に怒り、慣れていると言った聡にも怒っていた柚が?

 

「くだらないな……」

 

 考えても仕方のないことだ。

 契約期間はまだ二十日あまり残っている。

 大晦日に柚が誰と会おうが、知ったことではない。自分はやるべき仕事をすればいいだけだ。

 まずは初詣だ。そこで(ゆず)を楽しませればいい。それだけだ。

 流しきれない鬱々としたものを感じながら、聡はシャワーを止めると、振り払うように軽く頭を振った。

 

 

 

◇   ◇   ◇

 

 

 

 柚と会う時は大抵スーツを身につける聡は、元旦の今日もスーツに袖を通した。

 少し迷って、慣れたタイピンではなく奈月に貰ったそれを手に取る。

 

 あの日、カフェで柚がトイレに立った間に、奈月が渡してきたものだ。

 そうでなくても、同伴でもアフターでもない奈月と同席するなど、聡にすればイレギュラーでしかない。それでも、柚が連れてきたのをあまり無下に追い払うのもと考えて受け入れただけだ。

 そんな状況だから、普通ならプレゼントなど到底受け取るはずもなかったけれど、奈月の言葉に、ついそのまま受け取ってしまった。

 

『柚ちゃんが選んでくれたの。聡がきっと気に入るって』

 

 綺麗にラッピングされた小さな箱。

 店で受け取ったならその場で開けて、多少喜んで見せるくらいのことはしたかもしれないが、さすがにそこまでする気にもならず、中を確認したのは家に帰ってからのことだった。

 シンプルながら、螺鈿細工の薔薇があしらわれたそれは、確かに聡の好みを大きく外してはいない。

 普通なら、奈月に貰ったとわかるものを着けていくのもどうかと思うところだが、柚が選んだというなら、聡が気に入るかどうかを気にしている可能性もある。

 そう考えてのことだったけれど、柚のリアクションに、聡はすぐに内心舌を打つこととなった。

 

 

 ホテルのロビーは大きな花が飾られ、琴の生演奏が行われていた。

 いつも通り待ち合わせの十五分前にラウンジに降りてきた柚は、聡を見つけると小走りで寄ってくる。

 

「あけましておめでとうございます」

 

 丁寧に頭を下げた柚は、「今年も」と言いかけて、迷うように言葉を呑んだ。その先を攫うように、「あけましておめでとう。今年もよろしく」と言ってやると、どこかホッとしたように「こちらこそ、よろしくお願いします」と微笑んだ。

 作り笑顔でも、何かを誤魔化すような笑顔でもないそれに、ほんの少し安堵する。

 

 昨日のデートはどうだった?

 そう訊きたい気持ちを堪えて、腕に掛けて持っていたコートを少しだけずらし、柚にタイピンが見えるようにしてみる。

 柚はすぐに気づいて「わ、綺麗ですね」とタイピンに見入った。

 

「すごい……螺鈿細工? ですか? こんなのもあるんですね」

 

「は?」

 

「花……あ、薔薇ですか? 素敵です」

 

 そう言いながら、柚は自分のコートのポケットを軽く撫でた。

 

「初めて見たような口振りだな」

 

「……? 初めて見たので。……え? 違いましたか? すみません、前も着けてましたっけ?」

 

 どこか申し訳なさを滲ませながら見上げてくる眼差しに、含むところもなさそうなのを見て取り、聡は深くため息を落とした。

 要するに騙されたのだ。きっと奈月は、聡があの場でプレゼントを受け取らないということをわかっていたのだろう。だから、敢えて、柚が選んだと嘘をついた。そうすれば、聡が受け取るかもしれないという可能性に賭け、聡はまんまとしてやられたのだ。

 あの女、この次、柚が連れてきても、店の外なら絶対に相手にするものか。そう心に決める聡の前で、柚は困ったように視線を泳がせた。

 

「すみません。私、あんまりこういうの詳しくなくて……怒ってます、ね?」

 

「柚にじゃない。新年早々狐に化かされたのに気づいただけだ」

 

「狐……ですか。って、タイピンはずしちゃうんですか? 綺麗ですよ」

 

「気にするな。……朝飯は済ませたか?」

 

「はい! 今日はホテルの朝食ビュッフェがおせちメニューだったんですよ! お雑煮も関東風だけじゃなくて、関西風? 白味噌のがあって、楽しかったです」

 

「なら、ランチは後にして、先に初詣で大丈夫そうだな?」

 

 コートを羽織り、柚の腰に手を回すと、柚は少しだけ身をよじると、自身のポケットを再び撫でた。

 

「さっきからやたらポケット気にしてないか? 何か入ってるのか?」

 

 なんとはなしに訊いただけなのに、柚は視線を泳がした。

 生活指導の教師のような心地になってくる。そんなにわかりやすく動揺するような、何をポケットに入れているのか。

 

「柚?」

 

「えーと、ですね」

 

 観念したように柚がポケットから出したのは、小さな茶色い紙袋だった。

 くしゃりとよれたそれを、おずおずと差しだす。

 

「なんだ、見ていいのか?」

 

「はい」

 

 取り出してみると、それはシルバーのネクタイピンだった。

 一瞬サイかと思ったが、どうやら恐竜のようだ。

 

「えーと、ですね。……お年賀です」

 

「俺に?」

 

「はい」

 

 恐竜の目には、蒼い小さな石が埋め込まれている。遊び心のあるデザインは、とても柚らしいセレクトに思えた。

 

「ありがとう。……どうだ?」

 

 早速着けてみせると、「素敵です。……でも、無理しなくて大丈夫です」とへらりと笑う。何かを隠す時の笑みだ。

 

「俺は気に入ったぞ?」

 

「なら……よかったんですけど」

 

 歯切れが悪い。いいと思って選んだんだろうに、そんなに自信がないんだろうか。

 

「誰かに何か言われたか? ……奈月か?」

 

「手塚さんは、お店を教えてくれて。一緒に買いに行ってくれたんです」

 

「その時に、奈月も買ったのか?」

 

「いえ、買ったのは私だけで。好みは分かれそうなデザインだねってアドバイスしてくれて。私もあんまり自分のセンスは信じてないんですけど、これは格好いいかなって」

 

 自信がなさそうに言う柚の頭を軽く撫でる。

 

「貰った俺が気に入ったんだから、なんの問題もない。ありがとう」

 

 だいたい、あの女は失礼極まりない。この間の帰り際の台詞だって大概だ。

 

『今度服とか買いに行こうよ。もうちょっと可愛いの選んであげる』

 

 あれではまるで、柚の服が可愛くないと言っているも同然だった。

 奈月と柚の関係性は、まだよくはわからない。ただ、中学の頃の思い出話を聞いていても、言葉の端々に柚を下に見ている感じはしていた。

 クラスのリーダー的存在だった。柚は奈月をそう評した。そんな立場の奈月から見たら、当時柚は下の存在だったのだろう。けれど、今も柚をそう扱われるいわれはない。

 

「恐竜だろ?」

 

「トリケラトプスです。ぱっと見はわからないからそんなに子どもっぽくもないし、格好いいなって」

 

「大事にする。ありがとな」

 

 はにかむように笑う顔が可愛い。

 充分可愛いのだからもう少しくらい自信を持てばいいのに、と思うが、その謙虚さもまた、柚の魅力だろう。

 

「はい!」

 

 いつものように頷く柚と向かったのは、ホテルにほど近い、大きな神社だった。

 例年、人出も多いが、出店もたくさん並ぶと聞き、柚が喜びそうだと思って連れてきたが、彼女は期待以上に目を輝かせた。

 

「すごいですね。ソースせんべいもあんずあめも、なんでもありそう……」

 

 参道の脇にずらりと並ぶ店。そして、参道はぎっしりと参拝者で埋め尽くされている。

 

「俺はじゃがバタが食いたい。あと牛串だな」

 

「ふふ、ビールが欲しくなりそうですね」

 

「元旦から呑み歩きか。まあそれもありか」

 

 警備員の誘導で、列はじわりじわりと動く。

 ふと、柚が、そういえば、と口を開いた。

 

「この世界ってキャッシュレスじゃないですか? お賽銭ってどうするんですか?」

 

「賽銭箱に手をかざすだけだな。一律一(えん)しか入れられない」

 

「じゃあお正月だから奮発して百(えん)入れよう! みたいなことはできないんですね」

 

「できないな。そもそも、寺社仏閣は現世と違って役所の運営だ。はなから賽銭はアテにしてないだろ」

 

 ようやく社殿が見えるほどの場所に来たのは、並び始めて四十分ほど過ぎた頃のことだった。

 

「……もし人以外になったら、これが最後の初詣になるんですね」

 

 ぽつりと言った柚に、急いで顔を向けると、社殿を見遣っていた彼女は「どうかしましたか?」と小首を傾げた。

 

「人間以外に、決めたのか?」

 

 思った以上に固い声が出た。

 柚は人以外になることに決めたのだろうか。

 じっと見つめて返答を待つと、柚はひとつ瞬きをしてから「考え中です」と再び視線を社殿に向けた。

 

「昨日、アンドゥを見ながら、いろいろ考えたんですよねぇ」

 

「待て。ということはデートの相手は山下か?」

 

「山下さんにも会いましたけど。デートはアンドゥとですよ。仮獣舎にお引っ越しして、見られるようになったので。餌やりもさせて貰いました」

 

「は?」

 

「やっぱり近くで見ると迫力が違いました。すごく格好よくて!」

 

 デート相手が、サイ。

 

「アンドゥ、動物園育ちだから、もう少し慣れたら触れるらしいんです。すごくないですか? サイに触れる日がくるなんて、夢みたいです」

 

「ややこしいんだよ。何がデートだ。サイに会いに行くなら最初からそう言え。だいたい、それなら俺が一緒に行ったって、なにも問題なかっただろう」

 

 ひと息にそう言えば、柚は、「だって、契約なんだなって思ったから」と困ったように笑った。

 

「聡さんと私は、契約しているから会ってるだけでしょう? そしたら、私、少しは聡さんがいないのにも慣れておかないと。期日が来て、はい、明日からひとりです、ってなるのも、ちょっと不安だなって思って」

 

 柚の言い分も一理ある。

 彼女がこの世界に来てわずか三日で契約が開始した。そこからはずっと、どこに行くにもほぼ聡が付き添っている。

 一ヶ月という期限が過ぎた後に、例えば柚に思い出が残ったとしても、そこから先に聡はいない。

 改めてその現実を目の前に置かれ、聡は言葉を失った。

 

「手塚さん、この世界に来てから慣れるまですごく大変だったって。私は、聡さんがいてくれたから、まだあんまり大変だって思ったことないんです。だから、今のうちに少しはひとりでもちゃんとこの世界を歩けるようにしておかなくちゃいけないなって」

 

 まあ、サイを選べば動物園でお世話してもらえるでしょうけど、とおどけたように笑った柚は、「猫を選んだら、聡さん飼います?」と目を細めた。

 

「……猫じゃ、話せないだろ。一緒に酒も呑めないぞ」

 

 そう返すと、はくりと何かを言いかけた柚は、すぐに「そうですね」と目を伏せた。

 

「とりあえず、神様によく祈っておきます! 人間を選んだら、ホントの恋人ができますようにって。今年は聡さんも祈ってくれますから、さすがに神様も聞いてくれる気がします」

 

 ホントの恋人。

 期間限定ではなく、(かね)で買うのでもない、恋人。

 柚にならきっとすぐに出来る。現世でいなかったのはきっと、たまたまの巡り合わせだろう。

 来年の今頃は、きっと誰かがこうして柚を初詣に連れてくるのだ。はしゃぐ柚の手を引いて、笑い合って──それを。そうなるようにと祈るのか?

 

 聡は無意識に自身の口を掌で覆う。そうして、柚を見下ろした。

 

「聡さん? どうかしましたか?」

 

 こてりと首を傾げる彼女を、じっと見つめる。

 

 いや。いやいやいや。

 期間限定だろう。本気になるなと釘を刺したのはどこのどいつだ──俺だよ。

 

 これは仕事だ。そういう仕事でしかない。

 

「柚」

 

「はい」

 

「ここは現世じゃない。初詣に意味があると思うか?」

 

「え? でも皆さん祈ってますよ?」

 

「あれは単なる形式だ。だいたい神に祈りたければ、サポートセンターに行く方がまだ確実な気がしないか?」

 

「まあ、神様も月1で出勤してるっぽいことは三途さんも言ってました」

 

「そうだろう! よし、屋台をまわるか」

 

「え、と。……そうですね! とりあえず、じゃがバタいきますか?」

 

「あんずあめじゃなくていいのか?」

 

「じゃがバタと……焼きそばが食べたいです!」

 

 聡はすぐに柚の手をひいて、参拝の列をそれて抜けだす。

 そうして歩きながら、「嘘だろ……」と零れた呟きは、柚の耳には届かなかった。

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