【完結】恋を知らずに死んだので、あの世で恋を買おうと思います。   作:稀葉

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第二十一話 すぐには収穫できません

 聡がインターフォンを押した後、玄関のドアを開けてくれたのは奈月だった。

 

「柚ちゃん今、お風呂場片付けてるから。入って。あ、スリッパ履いた方がいいよ」

 

 そう言って出してくれたスリッパを履くと、「おはようございます! 今日はありがとうございます!」と柚が顔をのぞかせた。

 

 今日は柚の引っ越し日だ。奈月が来ているのは想定内として、デニムに長袖シャツという、きちんと掃除などを手伝う気があるらしい服装に少しだけ意外な気がした。

 かくいう聡も、今日はラフなチノパンで、家具の移動や組み立てなど、男手の必要なものはすべて引き受けるつもりだった。

 

「柚、引越祝いだ」

 

 差し出したのは鉢植えがふたつ。どちらも、五十センチほどの枯れ木がひょろりと伸びている。

 

「聡さ、変なところで柚ちゃんに雑すぎじゃない? 焼き鳥屋に連れてくのも大概だけど、引越祝いに枯れ木って。普通花束とかフラワーアレンジ持ってこない?」

 

 柚が口を開くよりも先に文句を並べる奈月をスルーして、柚を見る。

 

 聡がこれを選んできたのは、以前柚に花を贈った時の失敗があったからだ。

 

『女が喜びそうな、花瓶のいらないフラワーアレンジ』

 

 聡がそうオーダーして柚のホテルに届けられたのは、赤い薔薇のフラワーアレンジだったという。

 柚自身喜んではいたものの、聡は柚には似合わない気がして、きちんと考えて贈らなかったことを少しだけ悔やんでいた。

 客に贈るなら残らないものがいい。その筆頭が花だ。柚のようなタイプなら、菓子だって喜ばれる。けれど、今回は鉢植えにした。柚ならきっと喜ぶ。そう考えたからだ。もっとも、そこにはほんの少しの下心はあったけれど。

 

「だそうだぞ、柚。花がよかったか?」

 

「お花も嬉しかったけど、萎れちゃうのが寂しかったので……それってなんですか?」

 

「ブルーベリーだ」

 

 店頭で、店員相手に悩むこと二十分。

 今既に実が付いている、柚と同じ名を冠するユズの鉢植えも候補にはあがった。けれど、すぐに収穫できてしまうものでは、先の楽しみにはならない。

 だから聡は、今は枯れ木のようなそれでも、これから葉を茂らせ、花が咲き、やがては実がなるブルーベリーを選んだ。

 

「ブルーベリー! やっぱり!」

 

 柚の目がきらきらと輝く。弾んだ声音で「しかも二つ! 聡さん、よくご存知ですね」と鉢植えを受け取ると、両方を交互に見てから微笑んだ。

 

「二つあることに意味があるの?」

 

「はい。品種によるんですけど、違う種類のブルーベリーを二本以上置かないと受粉がうまくいかなくて、実があんまりつかないんです」

 

 花屋がしていたのと同じ説明をした柚は、「以前育ててみようと思って調べたんですけど、その時はベランダの陽当たりもよくなかったので」と言うと「ありがとうございます! うれしいです」と満面の笑みで大事そうに鉢を抱え、ベランダへと向かう。

 

「……なんでわかったの? 柚ちゃんが喜ぶって」

 

 奈月の少し不服そうな顔を見下ろして、聡は軽く眉を上げた。

 いくつか理由はある。

 動物が好きだから、こういうものを育てるのも好きなのではと思ったこと。

 贈った薔薇が萎れてきたとしょんぼりしていたこと。

 食べることが好きで、果物も好むこと。

 何より、内覧でここを訪れた柚が、陽の射した少し広めのベランダに立ち、鉢植えもおけそうですね、と不動産屋の男と話していたからだ。

 

「まあ、……なんとなく、ですかね」

 

 すぐに戻ってきた柚に指示を仰ぐ。

 柚の新居は台所が八畳、続き間の居室が十畳の1LDKだ。大きな押し入れに備え付けのクローゼットもあり、住みやすそうな間取りだった。

 

『ベッドだと落ちそうで。でもホテルのベッドみたいに大きいのは置けないし』

 

 そう言って布団を選んだ時の様子を思い返す。柚の寝相は知らないが、いい大人がベッドから落ちるかもだなんてどんな寝相なのか。

 聡は思い出し笑いをしながら、収納引出しを押し入れに収め、壁に立てかけられた大きな梱包物に手を掛けた。

 

 柚と奈月は台所で食器や調理器具を棚に収めている。台所に置くテーブルの組み立ては後回しにしたほうが、作業の邪魔にならないだろう。

 何から組み立てるか算段して作業に取りかかると、柚と奈月の会話が聞くともなしに耳に届く。

 

「柚ちゃんヒガントンが仮宿って聞いたから、もっと広いところに住むのかと思った」

 

「広くても、困るっていうか……」

 

「わかる。家賃って高いもんね。私も最初はこのくらいの部屋に住んでたけど、今はもうちょっと広いとこ住めるようになったからさ。柚ちゃんもがんばれば大丈夫だよ」

 

 奈月は、柚の徳を知らないらしい。柚がその気になれば、中徳エリアに屋敷を構えることもできる。

 

「そうなんですね。まあ、私はこのくらいあればたりるかなって。掃除もラクですし」

 

「でもさ、友達とか彼氏を呼ぶこと考えると、手狭じゃない?」

 

 聡もそこは少しだけ考えた。だから、柚に寝室を分けられるように居室は二部屋必要ではないかと尋ねてみたりもしたのだ。内覧で、一応は他の間取りの部屋も見に行き、それでも柚の心を捉えたのはこの部屋だった。

 

「そうですかね。そんなにたくさん人を呼ぶこともないので……あんまり考えなかったです」

 

「そっか。私は、ひとりは苦手だからつい考えちゃう」

 

「私もひとりでいるのが得意だったわけじゃないんですけど、派遣社員って三ヶ月で別の場所に行くこともわりとあって」

 

「柚ちゃん、派遣だったの? 正社員じゃなくて?」

 

 敢えてそこに食いつく奈月に、デリカシーがないなと聡は思う。

 奈月は気遣う態で、人があまり触れられたくないようなことも深掘りする。それが、誰に対してもそうなのか、柚だからなのかはわからない。

 どちらかというと後者なのではないかと思いながら、聡はちらりと台所のふたりに視線をやる。

 

「はい。内定もらってた会社が二月に潰れちゃって。就職しそこねちゃいました」

 

「可哀想……」

 

 二月に倒産。

 聡は気づけば「なんて会社だ?」と口にしていた。

 

「え? 食品の卸をしてて……」

 

 柚の口にした会社名に、聡は覚えがあった。

 知らず、板を持つ指先に力がこもる。

 

「知ってる会社でしたか?」

 

 聡が、取り引きを切った方がいいと勧めた会社だった。そこよりももっと合理的な取り引き先があると提案した。

 それが直接倒産の原因になったのかはわからない。

 それでも、小首を傾げる柚の眼差しがなんとなく気まずくて、聡はさりげなく目を逸らした。

 

「聞いたことがある会社ではある。詳しくは知らないけどな」

 

「それで就職できなかったんだ。柚ちゃん、ついてなかったんだね」

 

「それは確かについてなかったんですけど。派遣っていろんな会社に行くから、いろんな人と会えたし、身につけられるスキルも多くて、それはそれでラッキーでした」

 

「でも派遣って差別されたりしないの?」

 

「差別っていうか……会社によっては派遣が私ひとりだったり、社員が使う食堂とかウォーターサーバーとかを使わせて貰えないことはありましたね」

 

 ひどい、という奈月の言葉が、聡の胸に迫る。

 コンサル時代、そういう指導をしたことがあった。

 

『派遣に福利厚生のタダ乗りをさせるなんて、そんなゆとりが今の御社にありますか?』

 

 必要な進言だと思って口にした言葉ではあったが、めぐりめぐって責められているような心地になってくる。

 

「でも、派遣に優しい職場もありましたよ。そんな感じであちこち行ったので、そのうちにいろんな人と話すのも、ひとりなのも平気になりました。だから、そんな可哀想でもないです。毎日楽しかったです」

 

 柚らしいまとめ方に、奈月は「そうなんだ。でも、いろいろ可哀想だったね」と返し、聡の心をざらりと撫でた。

 柚は毎日楽しかったと言っているのに、それを可哀想だったと括る奈月になんとなく腹が立つ。

 だいたいなにかにつけ、奈月が柚の味方の顔をして、その実、下に見て貶めているように感じてしまうのは、穿った見方だろうか。

 

「……奈月さんは、柚が可哀想じゃないと困るんですか?」

 

 ハッとしたように息を呑んだ奈月が、こちらに顔を向けて固まった。

 聞かれていると意識していなかったからか、それとも聡にそんなことを言われるとは思いもよらなかったのか。おそらくはその両方だろうか。

 

「困るなんて、そんなこと……」

 

「中学時代は知りませんが、今の柚は社会人経験のある立派な大人ですよ」

 

 沈黙が落ちる。

 奈月は、中学時代のように柚を下に見て、下に置いて、優越を感じたいのではないのか。

 突きつけるようにしたその言葉がもたらした空気を解いたのは、柚だった。

 

「今も立派じゃないし、中学の時も可哀想じゃなかったです。そんなことより、手塚さんの持ってきたおやつ、食べてもいいですか?」

 

 小腹すいちゃった、と照れたように笑う柚に、奈月が、うん、もちろん、と頷いた。

 

「聡さん、そこの折りたたみテーブル出して貰えますか? 手塚さん、さっき出した布巾で、テーブル拭いてください」

 

 指示した柚は、冷蔵庫から箱を取り出すと、恭しくテーブルまで運んできた。

 

「あ、これ使って」

 

 奈月が使い捨ての紙皿やフォークを出す。

 

「手塚さん、気がききすぎですね! 水筒もすごく助かります」

 

 大きな水筒で、湯気の立つ茶をそそぐ奈月にそう言った柚は、箱を開けて「おぉ!」と感嘆の声をあげた。

 手元を覗き込めば、小さなカップケーキが六個並んでいる。

 ひとつひとつに違うデコレーションが施されており、しかも繊細で可愛らしい。

 

「すごいです! 絵本にでてきそうです」

 

「パイでも焼こうか迷ったんだけど、ホールじゃ大きすぎるし、作業の合間に食べるならこのくらいがいいかなって」

 

「手作りなんですね! さすがパティシエさんです」

 

 柚の尊敬の眼差しに、奈月は居心地の悪そうな笑みで「まだ違うよ」と返した。

 

「食べるのもったいない……けど、いただきます!」

 

 手をあわせた柚が、デコレーションを崩すのを躊躇いつつもフォークを入れた。

 奈月が心配そうに見守る前で、ぱくりと口に入れた柚が、軽く目を瞠ってケーキに視線を落とす。

 

「どうかな?」

 

「めちゃめちゃおいしいです。こっちに来てからもケーキ食べてたけど、その中でも一番おいしいです!」

 

 柚の絶賛に、さすがにそれは盛りすぎだろうと思いながらケーキを口に運んだ聡も、そのまま無言で二口めを食べる。

 

「……うまい」

 

「ですよね。すごいです、手塚さん。天才です!」

 

「おおげさだよ」

 

 照れたように笑う奈月の顔は、これまで店で見せたこともない笑みだった。

 

「これなら、すぐにでもお店開けちゃいますね! もう一個食べていいですか?」

 

「もちろん」

 

「確かにうまい。でも、いいものが作れるのと、店が持てるのとでは話は別だ」

 

 これまでの聡の経験上、旨いものを作る職人気質の人間ほど、原価を無視した話を平気でしていた。作る才能と売って利益を出す才能は、別次元の話だ。

 それでも、たしかにこの味がこのまま世に出ないのは惜しい気もする。

 

「聡さんが相談にのれば安心じゃないですか? 昨日山下さんと電話で話した時も言ってましたよ。助かったって」

 

 山下との電話の頻度が多くないだろうか。

 先日の名刺の相手は聡も知る常連客で、本当に他意なく誘ったのだろうと確認はできたが、柚の人なつこさは油断ならない。

 幸い山下には結婚を考える相手がいると聞いたばかりなので、柚に連絡しているのがアンドゥがらみなのは間違いないはずではあるのだが。

 黙って考える聡に、柚はおずおずと「それともそういうの、もう嫌ですか?」と訊いてくる。

 初詣の時に触れた過去の話を気にしているのだろう。聡にとっては本当にもう過去の話で、柚が気にすることでもない。

 だから、聡は「いや」と笑って首を振った。

 

「そうだな……最低でも自己資金300万。そこまで貯められたら、相談にのります」

 

「本当に?」

 

 信じられないという表情の奈月に頷いてみせると、「がんばる。頑張ります!」と奈月も嬉しそうに目を細めた。

 

「……柚ちゃん、ごめんね」

 

「そこは『ありがとう』じゃないか?」

 

 聡が口を挟むと、奈月はすぐに言い直した。

 

「うん、ありがとう!」

 

「どういたしまして。というか、こちらこそありがとうです。また食べたいです。ちゃんとお(かね)出します!」

 

「お(かね)はいらないけど、また作る。ブルーベリーのお菓子も考えておくよ」

 

「はい、それも……ん? ブルーベリーっていつが旬でしたっけ」

 

 ようやく気づいたらしい柚に、聡は内心ほくそ笑む。

 ブルーベリーはすぐには実らない。少なくとも、四十九日までにはもう一ヶ月もないのだ。

 

「旬? 夏くらいだったと思うよ」

 

「夏……」

 

 呟いて考え込む柚に、「人でいないと、育てて収穫できないな」と聡がダメ押しする。

「そうです、ね」

 

「実ったら、食わせろよ?」

 

 聡のほうをじっと見た柚は少しだけ考えると、「はい」と頷いた。

 

 

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