【完結】恋を知らずに死んだので、あの世で恋を買おうと思います。   作:稀葉

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第二十三話 たりないものは

 キスされなかったな、と思う。

 

 お好み焼きはおいしかった。奈月に話したらまた眉を顰めそうな、古くて小さなその店はカウンター席だけだった。店主が目の前で焼いてくれるお好み焼きはもちろんのこと、海老もホタテも大きくて新鮮で、聡とふたりでハイボールと共に堪能した。

 マンションの前まで送ってもらって、なんとなく離れがたく感じてしまったのは、ホテル暮らしの時と違って人通りもなく、夜の静かな気配の濃さに寂しさを誘われたせいかもしれない。

 

「商店街を抜けきると人気(ひとけ)がなくなるな。夜は気をつけろよ」

 

「はい。……聡さんはこの後お店に行くんですか?」

 

「まあ、そうだな。顔は出すつもりだ」

 

 聡からすれば、柚との時間も仕事だ。このうえ出勤するとなると、拘束時間はとんでもないブラック企業なのではと不安になってくる。

 

「この世界に労働基準法はないんですかね? 今で、もう十二時間以上の労働では?」

 

「……労働、な」

 

 目を伏せて呟いた聡は、まあ気にするな、と微笑むと「見ててやるから、早くマンション入れ」と柚の頭をひと撫でした。

 

「あ……はい。ありがとうございました。おやすみなさい」

 

 ぺこりと頭を下げても、聡がそれ以上動く気配もなく、柚はマンションのエントランスに足を向ける。ガラス扉を押して振り返ると、聡は同じ場所に立っている。

 お茶でも飲んで行きませんか、と言えば、きっとまた叱られてしまう。

 柚はもう一度軽く会釈して、扉をくぐった。

 

 別れ際の額へのキスは、ここ最近ではずっと当たり前になっていたから、自分の中で恒例化していたのかもしれない。だからこんなに物足りないのか。

 されればドキドキして恥ずかしいのに、ないとこんなに物足りない。

 柚はエレベーターの中で息を吐く。

 柚のファーストキスは、ノーカウントだと聡は言ってくれた。場の空気でなくしてしまったと思っていたから、聡の言葉は嬉しかった。

 それなら、もしも聡としたら、それがファーストキスだろうか。

 考えかけて、それがひどく恥ずかしい考えに感じた柚は、両手で自身の頬をぎゅうと抑える。触れた頬は、外気に晒されてきたとも思えないほど熱かった。

 

 

 

 

 柚から、残りの日数は毎日会いたい、と連絡がきたのは、お好み焼きを食べに行った翌日のことだった。

 

『この世界に労働基準法はないんですかね? 今で、もう十二時間以上の労働では?』

 

 柚の言葉は、なかなかに聡の心を抉った。

 ふたりで過ごす時間が『労働時間』にカウントされている。

 柚の認識は間違ってはいない。プランの履行中は、確かに聡の労働時間だ。

 ただ、そのひどく冷静で公正な言葉は、柚にとっての聡が、どこまでも単なる契約相手としか考えていないという事実を突きつけているように思えた。

 

 

「どういう風の吹き回しだ?」

 

 毎日会いたい。柚のその言葉に、最初、聡はほんの少しだけ期待した。けれど、柚の態度には変わったところもなく、すぐに期待するような意味などないと判断した。

 ただ、なにひとつ変化がないかといえばそうでもない。

 これまでは、何をしたいかと尋ねても、何をしたいかすらよくわかっていなかったような彼女が、ビリヤードがしてみたい、水族館に行きたい、などとあれこれ積極的にリクエストするようになった。

 ここ数日はその願いを叶える日々だった。その分、終わりはもう目前だ。

 

「だってこの契約、元々は一ヶ月契約じゃないですか。飛び飛びで会って、いつまでも聡さんを拘束するのは、よくないなって」

 

 柚なりの気遣いだ。それは聡にもわかっていた。

 それでも、訊かずにはいられなかった。

 

「それは……早く終わらせたいってことか?」

 

 日数を消化するということは、契約の終了を意味する。終わってしまえば、会う理由はなくなる。

 柚は、それを望んでいるんだろうか。

 

「……これ以上無理に引き延ばすのはよくないなって、思っただけです」

 

「……お前は」

 

 お前は俺と長くいたいと思わないのか?

 このまま終わってしまっていいのか?

 そう考えてしまうのは、裏を返せば聡が終わらせたくないだけだ。

 

「はい?」

 

「いや……」

 

 脈ナシだ。つまりそういうことだ。

 彼女にとっては、ふたりの時間はどこまでも契約でしかない。

 

「柚がいいなら、それでいい」

 

「……はい」

 

 まずは契約の時間を全うして、その先はまた考えればいい。

 契約が終わっても、少なくとも彼女はこの世界にいるのだ。──人間でいてくれるかは、まだ若干の不安はあるが。

 いっそ想いを告げようかとも思った。けれど、たとえ彼女が人間を選んだとしても、柚の心が聡に向いていないことに変わりがないならば、このまま契約を全うして楽しい思い出で終わらせる方が、三百万で始まったふたりには相応しいようにも思える。

 

「今日は相良(さがら)さん来てないですね」

 

 焼き鳥店に入るなり、柚は店内を見回してそんなことを呟く。

 相良は、柚がひとりで来た時に名刺を貰ったというカフェのオーナーだ。聡も何度かこの店で話したこともあり、柚に妙な下心を向ける心配のない愛妻家だ。

 それがわかっていても、柚が店に入って真っ先にそんなことを気に掛けるのが、面白いはずがない。

 

「デート中に他の男を捜すとは、いい度胸だな」

 

「そ、れは……そうですね」

 

 目を伏せて困ったように笑った柚は、「デート、でしたね」と呟いた。

 

「お、来たね」

 

 店主には、今日柚を連れて行くと伝えてあった。柚はすぐに店主に「はい、来ました!」と返した。

 カウンター席につきながら目配せすると、店主は、わかっているという顔で小さく顎をひいた。

 

「何呑みましょうか。聡さんは虎落笛(もがりぶえ)ですか?」

 

「いや……」

 

「……? 珍しいですね」

 

 小首を傾げた柚の前に、「はいよ。冷やしておいたからね」と黒い四合瓶が置かれた。金文字のラベルに、柚が軽く目を瞠る。

 

「黒龍! え、え、黒龍!」

 

 はしゃいだ声で酒の名をくり返す柚に、笑いが漏れる。

 

「ああ、こないだのお供えリストのやつが届いた」

 

「えぇ……、あれ、持ち込みいいんですか?」

 

 常連特権だな、と笑うと「これからもご贔屓に」と店主が冗談めかして応じた。

 

「柚は結局動物園でバイトすることに決めたのか」

 

「そう、ですねぇ……私ができることといったら一般事務くらいなので。それ以外で考えると、売店のバイトはちょうどいいかもしれないなぁって」

 

 バイトのたびにアンドゥに会えちゃいますしね、と笑う柚は楽しげだ。

 こうなってくると、もはやサイは張り合う相手ではない。そこまで思われるアンドゥが、いっそ羨ましい。

 

「聡さんは、ホストのお仕事好きですか?」

 

「好きというわけでもないが……」

 

 当初はとりあえずで始めたホスト業も、気づけば四年目だ。いつまでもやる仕事でもない気はしていたが、辞めたいわけでも、他に何かをやりたいというほどの希望もない。 

「計画書を見てた聡さん、楽しそうでした」

 

 いつもよりも呑むペースが遅いのは、柚の好きな黒龍だからだろうか。冷えたグラスに視線を落としたまま、柚は言葉を続けた。

 

「嫌な思い出かもしれないけど……でも、今でもそういうの好きそうだなって」

 

 数字を分析し、状況を把握し、プランを考える。それで結果を出して得られる達成感が、聡は好きだった。芳しくなかった業績が、持ち直し、上がっていく。その裏で起きていたことになど、気に掛けたこともなかった。

 

「柚の内定していた会社を潰したのは、たぶん俺だ」

 

「……え?」

 

「取引先のコンサルをした時に、あの会社よりももっといい仕入れ先があると進言した。……結果、取り引きが切られた」

 

 その会社の取り引きが、倒産した会社の収益のどのくらいの割合を占めていたかは知らない。けれど、かなりの大口だったのは確かだった。

 

「取り引きがなくなって、それであの会社が潰れたってことですか?」

 

「少なくとも、要因のひとつだろうな」

 

 横顔を窺うと、切り子グラスに口をつけた柚は、考えるように黙り込んだ。

 恨み言のひとつでも聞くつもりでじっと待っていると、柚は「それは、……聡さんのせいとは違うのでは?」と言って首を傾げた。

 

「だって、聡さんがコンサルしていた会社にとっては、そのほうがよかったんですよね?」

 

「……ああ。そう、判断した」

 

「なら……仕方ないです」

  

 けろりと言った柚は、「まあ、いきなり内定取り消しってなった時は、ものすごく困りましたけど」と苦笑する。

 

「正直、自分のコンサルで誰かが困るかもしれないなんて、考えたこともなかった。結果があのざまだ」

 

 自嘲しながらグラスを干すと、柚がすぐに酒を注いでくれる。

 呆れただろうか。嫌われただろうか。そっと柚の表情を窺うと、彼女は仕方なさそうに笑った。

 

「まあ、……そういうこともありますよね」

 

「雑なまとめだな」

 

「だって、私が派遣だったのは別に聡さんのせいじゃないし。それで今徳が貯まってるなら、結果オーライかなって。責任なんて、自分の分しか持てないです」

 

 柚はそう言って、ねぎまの串を口に運んだ。

 おいし、と機嫌よく咀嚼した彼女は、ただ、と言葉を続けた。

 

「聡さんがホストだったから出逢えたんですよね。だから、まあ、いいんじゃないでしょうか」

 

 あっけらかんと笑うから、聡もつられて笑ってしまう。

 

「ふっ、そうかもしれないな」

 

「そうです」

 

 柚がふと黒龍の瓶を持ち上げた。その瓶を軽く振って眺めてから、カウンターに瓶を戻す。

 

「もうすぐ終わりですね」

 

「四合瓶じゃ、柚には足りないな」

 

「それもですけど、恋人プラン。あと少しだなって」

 

「ああ。……柚」

 

 こちらを向いたその目をじっと見つめ、頬を撫でる。そのまま親指で柚の唇を辿ると、柚がみるみる赤くなった。

 

「……聡さん?」

 

「タレがついてた。ガキか」

 

 口の端を引き上げて言ってやると、ややこしいです! と柚が口を尖らせた。

 

 言わない方が、きっといい。

 聡はそう結論づけて、グラスに残った酒を飲み干した。

 

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