【完結】恋を知らずに死んだので、あの世で恋を買おうと思います。   作:稀葉

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第二十四話 そんなオプションは聞いてません

「酒には酔わないのに、乗り物には弱いんだな」

 

 青白い顔でベンチに座る柚に冷たいペットボトルのお茶を差しだすと「うぅ、そうなんです」と力ない笑みが返った。

 

 恋人契約最終日。柚がリクエストした行き先は、遊園地だった。

 柚のことだから次々に絶叫系に乗り、あれもこれもと遊び倒す一日を想像していた聡は、乗り物二つで酔った柚が意外だった。

 

「それでよく遊園地をリクエストしたな」

 

「好きではあるんです。……それに、遊園地ってすごくデートっぽくないですか?」

 

 隣に腰を下ろした聡は、「まあな」と頷く。

 実際、同伴でここへ来たことは何度もある。腕を組み、ひとときの恋人ごっこに付き合うのも珍しいことではない。

 

「聡さんと来たら楽しいんじゃないかなって思って。乗り物酔いのこと、ちょっと忘れてました」

 

「いや、そこは覚えておけよ」

 

 ツッコミを入れつつも、つい口元が緩む。

 

『聡さんと来たら楽しいんじゃないかなって思って』

 

 他愛のない言葉に反応していると自覚しながら「なら次は」と言いかけて口を噤んだ。

 

「次は、もうちょっとおとなしめのに乗ります」

 

「……ああ。そうしとけ」

 

 今日の柚は、いつも以上にはしゃいでいた。

 遊園地なんて久しぶりです、と言っては少し攻めた乗り物を選び、青白い顔で休憩をする。そんなことをくり返すうちに、時間ばかりが過ぎていく。

 冬の日暮れは早い。園内が夕闇に沈み始めるのも、あっという間のことだった。

 

「暗くなると、雰囲気がすごく変わりますね。綺麗です」

 

 アトラクションの色とりどりの鮮やかな光。照らし出されるのは楽しげに行き交う人。その幸せな空気の中にうまく混ざれない自身を感じて、聡はゆるく息を吐き出す。

 

「観覧車に乗りましょう」

 

 そう言って見上げてくる柚の顔は、悔しくなるくらいいつも通りだ。

 

 膝の触れる距離に、向かい合わせで腰を下ろす。

 ゆっくりと上昇していくゴンドラから外の景色を眺める柚は、やけに静かだ。

 

「疲れたか?」

 

「まあ、それなりに? でも楽しかったです」

 

「ならよかったな」

 

 こちらを見ない柚の横顔を見つめる。何かを見つけたのか、目をこらし、ふっと口元を緩める。

 

「聡さん、今」

 

 何か言いかけてこちらを見た柚とまっすぐに目が合って、小さく息を呑んだ柚が言葉を切った。

 

「今? 何か見つけたか?」

 

 穏やかに尋ねると、柚は一瞬口を引き結び、ゆるりと首を振った。

 

「何を言いかけたか忘れちゃいました」

 

 へらりと笑う。

 小さな嘘の気配に気づきながらも、聡は「そうか」と頷いて、窓の外に視線を逃した。

「ここがてっぺんだな」

 

 両隣のゴンドラが視界の端に追いやられ、目の前にはただ夜景が開ける。

 そういえば、こんな夜景を柚と見下ろすのは初めてかもしれない。

 高級レストランで夜景を見ながら食事をする。そんな型どおりの場所よりも、生姜焼きが好きだと笑い、ねぎまにはしゃぐ女。

 サイの飼育も辞さない。花束よりも、今は枯れ木でもいつかは実るブルーベリーを喜ぶ柚。

 手放したくない。心から思う。

 聡は自身の膝に置いた手を握り込み、口を開こうとした、その時。

 

「私……」

 

 柚がまっすぐにこちらを見つめて口を開いた。

 

「観覧車を降りたら、このままひとりで帰ります」

 

「……夕飯は?」

 

 ゆるりと首を振った柚が、「一ヶ月、ありがとうございました」と微笑んだ。

 

「死んじゃったって言われて、知り合いも誰もいないこっちに来て……、どうしようかなって思ったけど、毎日……毎日楽しかったです」

 

 ゴンドラはゆっくりと下降していく。

 柚がこの時間を終わろうとしていることは理解できる。ただ、唐突な幕切れに、それを留める巧い言葉が見つからない。

 旨い店があると言っても、きっともう柚は頷かない。そう感じた。

 

「恋人がいた気分……おかげで満喫できました」

 

 柚がぎゅっと手を握りしめている。少しくらいは、終わりを惜しんでくれているだろうか。それでも、もう、聡はその手を包むために、自身の手を伸ばすことはできなかった。柚が終わりを告げている。それがすべてだ。

 引き延ばすような、縋るようなマネはしたくはなかった。

 

「……三百万分、満足したか」

 

 地上が目に入る。上から見下ろしていたはずの光の波は、もう目線の高さにある。

 

「三百万以上の、価値でした。プライスレスってやつですね」

 

 おどけたように笑う柚に、返す言葉が見つからない。 

 

 係員により開けられた扉から、エスコートも待たずにぴょこりと飛び降りる。

 本当に、この女は、こちらの思う通りになどいったためしがない。

 

「ありがとうございました」

 

 差しだされた右手をきゅっと握る。

 握手で別れる恋人がどこにいる。言ってやりたいのに、言葉は喉の奥に詰まったままだ。

 

「ああ」

 

 手を離し、へらりと笑った柚は、そのまま聡に背を向けると、まっすぐに背筋を伸ばして歩き始めた。

 

 掌に残る熱を握りしめて、聡はその背をただ見送った。

 

 

 

 

 柚は、気づくと自宅の台所で座り込んでいた。

 どこをどうやって帰ってきたのかわからない。ただ、帰らなければと必死で足を動かしたことは覚えている。

 

 聡との契約の最後の日。

 迷いに迷って、遊園地を選んだ。遊園地なら、楽しんで、楽しいままに全部を終わらせられる気がした。

 

 スマホを取り出して画面に視線を落とす。

 これまでだったら、一日のお礼のメッセージを送信していた。会わない日なら、何時頃に電話をするかを取り決める。そんなやりとりも、もう今日からはなくなる。

 

 恋人とやりたかったことはないのか。

 聡には幾度となくそう訊かれた。そのたびに想像を巡らせてあれこれひねり出していた柚は、終わりが見えてからはやりたいことが次々に溢れた。

 『恋人』と、ではなく、聡とやりたいこと、行ってみたい場所ならいくらでも挙げられる気がした。

 

 スマホの画面に、ほたりと雫が落ちる。

 

 本当は、この最後の日をぎりぎりまで一緒に過ごしたかった。

 けれど、観覧車の中で、唐突に理解してしまった。

 聡が、好きだ。

 一緒に食べるご飯がおいしいのも、お酒を酌み交わすのが楽しいのも、相手が聡だからだ。やりたいことも、行ってみたい場所も、いくらでも思い浮かぶのは、聡のことが好きだからだ。

 だから──いつものような『さよなら』はできないと思った。

 夕飯を食べて、マンションの前まで送ってもらって、静かな夜の道で「ありがとうございました」と、笑って言う自信が柚にはなかった。

 

 『本気にはなるなよ?』

 

 初めの頃、聡にそう釘を刺されていたのに。

 

「なっちゃいました……」

 

 震える声で呟く。

 期限付きの契約。わかっていたはずなのに、柚は自分がそれを正しくわかっていなかったのだなと思う。

 

「失恋付きプランだなんて聞いてなかったです……」

 

 涙声でぼやいてみても、馬鹿か、と笑ってくれる声は返らない。

 柚はそのまま電気もつけないまま、ひとり台所に座り込み続けた。

 

 

 二日後のこと。家に訪ねてきた奈月は、柚の顔を見るなり目を丸くした。迎えた柚の目が、腫れ上がっていたからだ。

 気持ちは沈んだままだ。それでも、奈月の作ったケーキは、やっぱり今日もおいしかった。

 

「なるほどねぇ……」

 

 奈月は訳知り顔で頷くと、「私、昨日聡のお店に行ったの。もう当分行けなくなるから、行き納めってつもりで」と話し出した。

 

「行けなくなるって……手塚さん、お引っ越しか何かするんですか?」

 

 このうえ唯一の知り合いまでいなくなるのだろうか。

 柚がおそるおそる尋ねると、奈月は笑って首を振った。

 

「違う違う。ほら、開業資金貯めるのにさ。そういう遊びに回すくらいなら、しっかり貯めないとじゃない?」

 

「よかった。……聡さんは元気そうでしたか?」

 

 ほんの一日で聡がどうこうするはずもない。それでもなんとなく尋ねると、奈月はクスりと笑った。

 

「あ、ごめん。柚ちゃんも行ってくればいいのに」

 

 店に行けば聡に会える。それは柚もわかっている。

 けれど、契約だから恋人のフリをしただけの相手が、店に会いに来るというのはどうなんだろう。

 客として(かね)を使うならば悪いことではないのかもしれないけれど、客とホストという関係を割りきって受け入れることが、柚には難しそうだ。

 

「……迷惑かなって」

 

「ごめんね、柚ちゃん。私、前に意地悪言った」

 

 ケーキを食べる手を止めて、柚が奈月を見ると申し訳なさそうな眼差しがこちらを向いている。

 

「意地悪なんて、言われましたっけ?」

 

「店に行ったら迷惑だよって。他にもいろいろ。私、大人になった柚ちゃんにちょっと焦ったの。私はあんまり成長してない気がするのに、柚ちゃんはちゃんと大人になってて」

 

「手塚さんだって、ちゃんと大人じゃないですか。こんなにおいしいケーキが作れるのもすごいです」

 

「もう、柚ちゃん……そういうとこだよ。ごめんね。柚ちゃんがお店に行ったって、聡は迷惑なんて思うわけないよ」

 

「そう、ですかね」

 

 迷惑ではないだろうか。一度くらいなら、迷惑にならないだろうか。

 それなら──。

 

「手塚さん、一緒に服を買いに行ってもらってもいいですか? 可愛い服、買いたいです」

 

「聡は柚ちゃんが何を着てても、可愛いって思うと思うよ?」

 

「それは、そういう契約だっただけで」

 

「そうかなぁ……」

 

 少し考える素振りをした奈月は、「いいよ、買いに行こ」と笑った。

 

「柚ちゃんがこれって思う服、一緒に探そ」

 

 奈月の言葉を心強く思いながら、柚は「ありがとうございます」と笑みを浮かべた。

 

 

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