【完結】恋を知らずに死んだので、あの世で恋を買おうと思います。   作:稀葉

25 / 26
第二十五話 花柄と白旗

「ご指名は?」

 

「聡さんを、お願いします」

 

 入口で黒服にそう告げると、恭しく頭を下げられた。

 柚が甘露(スイートアクア)の二階を訪れるのは、これが二回目だ。

 

 フロアには、数組の先客がおり、それぞれのボックス席に数人ずつがいるようだ。適度に目隠しされた作りで、柚からは聡の姿が見当たらない。

 案内された席は、偶然にも前回来た時と同じ、一番奥の端の席だった。

 

 席まで案内してくれた男とは違う、入口にいた黒服がやってきて「担当が、少々お待たせしてしまうかもしれないとのことです」と聡からの伝言を告げる。

 こういう時、事前にアポイントを取ってから来るべきだったのか、柚は知らない。

 ただ、少なくとも聡はこのフロアのどこかに居て、会うことが出来ることは確かなようだ。

 柚は安堵しながら、「わかりました。えと、ヘルプ? とかいらないので、このまま一人で待っていてもいいですか?」と尋ねる。

 

「それは……よろしいのですか?」

 

「はい。それと……」

 

 柚が口を開くと、黒服の男が目を瞠る。すぐに、ガラスのように澄んだ黒い瞳を、ふっと細めると、「かしこまりました」と深く頭を下げた。

 

 今日の柚はオフショルダーの白いニットに、ブルーグレーのフレアスカートという出で立ちだ。

 着たことのないオフショルダーに尻込みする柚に「柚ちゃんは鎖骨のラインが綺麗だからよく似合うよ」と背を押されて買ったものだ。

 たしかに可愛いと思って買ったものの、肩や鎖骨の出るのが少しだけ心許なくて、指先で触れてみる。

 その指先も、スカートと調和する落ち着いた水色のネイルを施した。

 これまで聡に会う時も簡単な化粧はしていたけれど、ネイルまでしたのはこの世界に来て初めてのことだった。

 蒼い照明に包まれたフロアでは、白いニットもうっすらと蒼く染まる。

 自身の爪の先を透かし見ながら、胸の音を宥める。

 聡はすぐには来ないらしいけれど、自分を落ち着かせるにはそれでちょうどいいようにも思えた。

 十五分ほどした頃、「お待たせしました」と黒服の男が戻ってきた。

 ゆっくりと運ばれてきたワゴンには、タワー型に積まれたグラスが、蒼い照明を弾いている。

 以前来た時には遠巻きに見たそれが、目の前にある。

 

「わぁ……」

 

「お手伝いいたしましょうか?」

 

 男の申し出に、柚は首を振る。

 

「いえ、自分でやるから大丈夫です」

 

 ワゴンに歩み寄った柚は、積まれたグラスをまじまじと見た。

 グラスは四段。隣には、花柄のシャンパンボトルが六本並べられている。

 ボトルを手にして、コルクが飛んでいかないように気をつけながら開栓すると、小気味よい音が響いた。

 

「一番上の真ん中から、ゆっくりと注いでください」

 

「はい!」

 

 さながら理科の実験でもするような手つきで、慎重にボトルを傾ける。

 淡いピンクのシャンパンがしゅわしゅわと微かな音を立て、グラスを満たしていく。一番上のグラスから溢れたそれが、二段目に滑り落ちていく。

 

「綺麗……」

 

 一本目が空になったのと確かめて、二本目に手を掛ける。

 同じように注意深くボトルを傾けていると、ふいに背後から手を添えられてボトルが軽くなった。

 

「え……?」

 

「担当を待たずに注ぐ馬鹿がどこにいる」

 

 心臓を跳ねさせながら、思わず「ここに」と答えると、背後で喉を震わせる気配がした。肩越しに振り返ると、聡がグラスを見つめてシャンパンを注いでいる。ボトルが空になると、柚を見下ろして、「まだやりたいか?」と尋ねた。

 

「もちろんです!」と頷くと、だろうな、と肩を竦めた聡が、次のボトルを開栓してくれた。

 

 六本全てを注ぎきると、タワーのグラスすべてにシャンパンが行き渡る。淡いピンクのはずの液体が、蒼い照明の下でうっすらと紫にも見える。

 発泡が光を弾き、さながらそれ自身が光を放っているようにも見えた。

 

 ほぉと息を吐きながら立ち尽くして見惚れる柚の頭上から声が落ちた。

 

「人も呼ばない。コールもない。こんな地味なタワーは初めてだ」

 

「地味ですか? 綺麗ですよ?」

 

 呆れを隠さず息を吐いた聡は、「誰が呑むんだ」と柚とタワーとを交互に見る。

 

「もちろん私が呑みます。ただ、三本は平気だと思うんですけど、六本となるとちょっとお腹いっぱいになりそうですね」

 

 眉を下げて言うと、「酒豪め」と聡は苦笑交じりの声音で言って、柚を座るようにと促した。

 

 

 

 

 入ってきた女の姿に、聡は思わず二度見した。それでもなお、見間違いかと目を疑った。

 

 黒服が聡指名だと言ってきたのにすぐに腰を上げなかったのは、先客がいたからではない。聡の指名でもなかったから、誰かに代わることもできた。

 すぐにそうしなかったのは、客としてやってきた柚に、どんな顔をすればいいのかわからなかったからだ。

 

「タワー入りました」

 

 黒服の報告に、「は?」と思わず聞き返す。

 

「聡さんの売り上げになるのかと、気にされていましたよ」などと言い添えられて、溜め息しかでない。

 

 接客を他に代わり、遠巻きに柚を見る。

 見慣れないオフショルダーの服は柚によく似合っていて可愛いが、少し露出させすぎなのではと内心舌を打つ。

 何をしにきたのか。

 会いに来てくれたのは間違いないだろうが、相手はあの柚だ。ぬか喜びはするなと自制するうちに、グラスのタワーが運ばれてきた。

 シャンパンタワーは、普通ならば店中の称賛を集めながら行われるものだ。

 担当は売り上げを誇示し、女は担当への貢献と独占とを示す道具、それがここでのシャンパンタワーだ。

 それなのに、誰も注目してないそのタワーの前に立った柚は、自分でボトルを開栓し、きらきらと目を輝かせてシャンパンを注いでいく。

 

 ああ、これだから柚には敵わない。

 

 白旗をあげて、聡は柚の元へと足を進めた。

 

 

 

「どうする? もう少し眺めてから呑むか?」

 

「それだと炭酸が飛んじゃいます。せっかくだから、おいしく呑めるうちに呑みましょう」

 

 柚の言葉に、一番上のグラスを手渡した聡は、自身の分のグラスを手にして柚の隣へと腰を下ろした。

 乾杯した途端、グラスを干す柚は「喉が渇いてたみたいで」と照れたように笑う。

 聡は立ち上がって黒服に水を持ってこさせ、いくつかのシャンパングラスを手に再び柚の隣へと腰を下ろした。

 

「見た目的に甘いのかと思ったんですけど、辛口でよかったです」

 

「知らずに注文したのか?」

 

「タワーなら、ロゼも綺麗かなって思って」

 

「お前……まさか値段も見ずに注文したんじゃないだろうな」

 

 ベルエポックロゼは、店に置いている酒の中でも五本の指に入る価格だ。

 視線を逸らした柚は、間違いなく確認しないで注文したに違いない。

 

「六本で三百万だ」

 

「……。どこかで聞いた価格ですね」

 

 誤魔化すように笑う柚に「ああ、そうだな!」と同意を示し、どかりと背もたれに寄りかかる。

 聡はネクタイを緩め、息を吐いた。

 

『聡さんの売り上げになるのかと、気にされていましたよ』

 

 先ほど黒服に告げられた言葉が過る。

 

「タワーまで入れる必要あったか?」

 

 隣で三杯目を手にした柚に視線をやると、少し考えるようにしてグラスを揺すり、「待ってる間ヒマだったので。せっかくなら、近くで見てみようかなって」と笑う。

 

「おいしいですね。これ、お寿司にも合いそうです」

 

「うちの店にはないがな」

 

「そうでした。あの……瓶ってもらえますか? 花柄で可愛いなって」

 

「それで値段も見ないで選んだのか?」

 

「まあ、そうですね。払えないほどじゃないかなって」

 

 どちらかといえば節約家な柚にしては珍しい言葉だ。億の徳を持っているとも思えない堅実な買い物の仕方をずっと目にしてきた聡からすれば、今日の柚はどこか違って見える。

 

「ボトルは持ち帰れる。よかったな」

 

「それは……よかったです。あ、えっと……タワー楽しかったです。家でも、出来そうですよね、グラスが足りないですけど」

 

 まるで会話を探すように言を連ねる柚に、「で、何しに来た?」と水を向けてやると、ぴしりと音がしそうなほどに動きが止まった。

 

「えーと……」

 

「ああ」

 

 促すように相づちを打っても、その先はただ沈黙が続く。

 本当に何をしにきたのか。

 あの最後の日も、あっさりと切り上げて帰っていった柚に、聡はしばらく立ち尽くしていた。一度くらいは振り返るのではと思った背中はとうとう振り返ることもなく、そのまま去っていった。

 最後の礼のメールくらいはもしかしたら来るのではと思って気にし続けたスマホも、一度も鳴らず、聡は落胆していた。

 それなのに、店にやって来たと思えば、聡の売り上げを気にしてタワーを入れる。

 まったくもって、ワケがわからない。

 

「柚?」

 

 いい加減話せと促すように名前を呼ぶと、唇を湿らすように舐めた柚がようやく口を開いた。

 

「……聡さんに、会いに来ました」

 

 聡の鼓動が跳ねる。けれど、目の前にいるのはそこらの女ではない。柚だ。どうせまた、期待と違うことを言い出すのではないか。

 

「それで? 会って満足か?」

 

「いえ……えっと。告白しに来ました」

 

「……は?」

 

「恋人になってください!」

 

 息を詰めて動きを止めた聡の前で、「あ、違いました」と柚が焦ったように言うので、「違うのかよ」と返す。滲んだ落胆には気づかない顔で、柚はまっすぐな視線をこちらに向けてくる。

 

「好きです、が先でした」

 

 握りこぶしを作る手が、小さく震えている。

 一世一代という顔つきでこちらを見つめてくる柚に、聡は盛大な溜め息を落として脱力した。

 

「聡さん?」

 

「俺だっていろいろ考えたんだ。どうしたらいいか、偶然会うのがいいか、とかな」

 

 情けない告白をすると、柚がこてりと首を傾げた。

 

「偶然じゃないと、駄目ですか?」

 

「駄目じゃない、な」

 

 胸に溢れかえる想いがうまく処理できないまま、聡はそっと柚のむき出しの鎖骨に指先で触れた。

 

「そういう服、珍しいな。可愛い。……少し出し過ぎだけどな」

 

「手塚さんセレクトです!」

 

「念のため言っておくが、普段から可愛い」

 

「ありがとうございます」

 

 はにかむ柚をそっと抱き寄せた聡は、そのままぎゅっと腕に力を込めた。

 やっとだ。やっと落ちてきた。そう思ってすぐに、違うな、と否定する。

 落ちたのは聡の方だ。プライドに邪魔されて、素直に乞うこともできず、言わせたくて空回りした。

 

「……かっこ悪いな」

 

 呟くと、「聡さんはかっこいいです!」と返る。

 敵うわけがないのだ。なにしろ相手は柚だ。サイを飼おうとするような女に、はなから敵うはずがない。

 

「好きだ。……とっくに、契約どころじゃなかった」

 

 囁くと、腕の中の柚が顔をあげようともがく。

 緩めてやると、腕の中で上向いた。

 間近に覗き込むと、暗い照明の下でもわかるほどに紅い顔をしている。

 そのまま額に口づける。頬にも、鼻先にもキスを落として、その目を見つめる。

 

「口にはしないんですか?」

 

「しないわけないだろ」

 

 そのまま口づける。

 触れるだけのキスをして、それから少しだけ深めると、縋る柚の手に力がこもった。

 ややして解放してやると、少し息をあげた涙目の柚は「ファーストキスなのに、上級者向けだった気がするんですけど」と小さな抗議の声を上げる。

 

「気のせいだろ」

 

 軽く笑った聡は、最後にもう一度、触れるだけのキスをした。

 

 




次回最終回です
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。