【完結】恋を知らずに死んだので、あの世で恋を買おうと思います。 作:稀葉
「お、手続きに来たんだ?」
エレベーターに乗り込んでいく男女を見送っていると、背後から声が掛かった。
三途の手元を覗き込んだ青年は、男女の背中に視線を投げて、澄んだ硝子のような目を細める。
「納まるところに納まってなによりだ」
「なによりだ、じゃないんですよ。誰のせいだと思ってるんですか」
「……僕?」
「他に誰がいるんですか! 貴方の決裁漏れが原因ですからね?」
睨めつける三途の視線を物ともせず、青年は喉の奥で笑う。
「まあまあ。だからちゃんと帳尻が合うように、三年ずらしてあげたじゃない」
「あげた、じゃないですよ。そういうのを自業自得って言うんです」
青年は楽しそうに書類を眺め、「いやぁ、これでサイを選んだらどうしようかと思ったよ」と笑った。
名前:寺門 柚
種族:人間
提出されたばかりの書類には、几帳面な文字が綴られている。
「ま、雨降って地固まる、だね」
「覆水盆に返らずの危機を招かぬよう、ちゃっちゃとそこの書類、片付けてくださいね!」
三途の言葉に、青年は「はいはい」と笑って席に着くと、山のような書類に目を通し始めた。
◇ ◇ ◇
「わ! 玉子焼きと鮭! 朝ご飯って感じがしていいですね」
聡の作った朝食に目を輝かせた柚は、のろのろとダイニングの椅子に腰を下ろす。
いわゆる彼シャツ姿の柚はなかなかに目の毒ではあるけれど、朝食を前に機嫌を直した柚にこれ以上構えば、今度こそ臍を曲げてしまうのは間違いない。
「ああ。味噌汁はじゃがいもと玉ねぎにした。好きだろ?」
「やったぁ!」
無邪気に喜ぶ柚の前に炊きたてのご飯を置いてやり、自身もその向かいに腰を下ろす。
二人揃って「いただきます」と手を合わせると、柚は早速味噌汁に箸を付けた。
「おいしいです。ありがとうございます」
「こっちに越してくれば、毎日でも作ってやるぞ?」
「ふふ、なんかプロポーズみたいですね」
いや、なかばプロポーズなんだが? と思いつつも、聡は笑みを返すに留めた。
焦る必要はない。少なくとも、柚はもうサイにはなれない。そんなことで安堵している自分も大概だと思いながら、聡も味噌汁に口をつけた。
味噌汁にじゃがいもなどありえないと思っていたけれど、こうして食卓に並ぶ頻度が増えてくると、これはこれでおいしいと思うのだから不思議なものだ。
なにより柚がおいしそうに食べるから、それで正解なのだろうと思う。
「聡さん、今日お休みでしたっけ? 最近お店に行く回数少なめじゃないですか?」
大丈夫ですか? と心配そうな目を向けてくる柚に、聡は少し迷って口を開いた。
「柚は、俺がホストを続けていることについて、どう思う?」
「どう? というと?」
「辞めてほしいだろ?」
当然だよな、と思って差しだした問いは、いえ、と即答される。
柚は意味がわからない、という顔で首を傾げていた。
「職業選択の自由です。聡さんが続けたいなら、続けていいと思いますけど」
「は? 俺が他の女とベタベタしてていいのか?」
「それは……」
言い淀んだ柚は軽く目を伏せると、すぐに顔をあげて「そういう仕事だから、仕方ないですね」と苦笑する。
「お前はどうなんだ? 俺が他の女に触れても気にならないのか?」
俺は何でこんなに言い連ねる羽目になっているのか。
辞めてほしいよな、そうだよな、と展開していくはずが、一向に思うように転がらない。
「だって、……仕事ですし」
「仕事かどうかじゃない。お前がどう思うか訊いている」
まっすぐに見つめると、柚は深い溜め息を落とした。
「……面倒くさいです」
「ああ、そうかよ。なら、いい」
かきこむように白米を口に運ぶと、柚は「え、と。私の気持ちが面倒だって話なんですけど。伝わってますか?」とおずおずと言った。
「なんか、もやもやするし」
「……もやもやするのか?」
「そりゃ……、でも、聡さんの職業ですし、そこはやっぱり強制しちゃいけないと思うんで」
「恋人はいいんだ」
食い気味に言うと、柚は再びこてりと首を傾げた。
「恋人なら当然だ」
「そう、なんですね……」
「ホストは辞めようと思ってる」
「そうなんですね……。なんか、やっぱり面倒くさいです」
言葉とは裏腹に、はにかむような笑みを浮かべた柚に「お前……言い方」と指摘すると、「すみません」と返った。
「辞めたら何をするんですか?」
「コンサルだ。手始めに奈月だ。あの女、放っておいたら原価率の計算もろくにできない」
奈月は、相良の経営するカフェの定休日を月に二回間借りして、ケーキの販売を始めていた。
帳簿を見て欲しいと言われて目を通すと、売れば売るほど赤字になるという恐ろしい数字が並び、聡を絶句させたのだ。
「でも、手塚さんのケーキおいしいです」
相良と奈月との縁を結んだ柚は、ふんわり笑って玉子焼きを口にする。柚好みに焼いた甘めの玉子焼きは口にあったようで、すぐに二切れ目に箸が伸びた。
「おいしいだけで商売になるか。趣味じゃないんだ。続けたいなら、そうなるように計算は必須だ」
「すごいですね。プロっぽくてかっこいいです」
尊敬の眼差しを受けて、聡も悪い気はしない。
「そういえば、聡さん、私最近気づいたんですけど」
「何かあったか?」
「私、聡さんのことが好きじゃないですか」
「そう、だな?」
話の先が見えずに柚の顔を見ると、真剣な眼差しだ。
「好きな気持ちって、ずっと増えるんですね。知りませんでした」
得意げに言った柚は、「鮭もおいしいです!」と笑った。
「お前……」
「はい?」
今日は二人でアンドゥを見に行く約束だったが、家から一歩も出したくない衝動に駆られる。
けれどもそんなことをすれば、間違いなく柚は拗ねるし、徳だって大幅減待ったなしだろう。
「いや……、食べたら、動物園に行くんだろ?」
「はい。好きな人と好きなものを見られるって嬉しいですね」
無防備な言葉に、聡は再び理性を試されている心地で小さく息を吐くと、「そうだな」と笑みを返した。
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