恋を知らずに死んだので、あの世で恋を買おうと思います。   作:稀葉

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第三話 住所不定とホストクラブ

 この世界にも夜があるのか、と思ったのは二日目の夜のことだった。

 昨日も夜はあったはずなのに、そんなものを感じる余裕が柚になかった。

 

 ホテルのスイートルームなんて一生縁がないと思っていたけれど、一生を終えた途端縁ができたのだから不思議なものだ。

 しかも、ここに住むことを許されている間は、ホテルでの飲食やランドリーの利用も、なにからなにまで無料というのだから驚きだ。

 部屋にあった『彼岸生活スターターパック』と書かれた大きな段ボールには、数日分の衣類などが詰められており、一週間は何も買い足さなくても困らない仕様になっていた。

 

 キングサイズのベッド。生前住んでいた部屋なら入りきらないほど広いシーツにダイブして、柚は深く息を吐いた。

 

「死んだのかぁ……」

 

 室内に呟きだけが響く。

 ベッドボードには白いスマホ端末。役所で支給されたものだ。

 

「この世界に慣れるまで、ひとまず1ヶ月ほど無料で貸し出します。通常の携帯端末として好きに使って構いませんが、なによりホットラインとして役立てていただけます」

 

 三途(さんず)はそう言って、説明書と一緒にこの端末を差し出した。

 彼岸生活サポーター窓口に24時間いつでも繋がるらしい。

 

「寂しくなった、という理由で利用しても構いません」

 

 大真面目な顔でそう説明した三途に、まさかと笑った柚だったけれど、今ならそれも少しわかる気がした。

 

 端末に入っている連絡先は、彼岸生活サポーター窓口のみ。

 両親はもちろんのこと、祖父母も健在の柚には、この世界で思いつく知り合いはいないから、掛ける先も、連絡してくる相手もいない。

 

 昨夜は初めてのスイートルームを探検したり、ホテルビュッフェを楽しんだり、旅行気分だった。

 ここしばらく師走の忙しさに身を置いていたから、部屋のジャグジー風呂が嬉しくて、久しぶりにゆっくりとお風呂に入ったし、ルームサービスで夜食にチーズスフレを食べるという背徳的な楽しさも味わった。

 なんなら、朝起きたら、夢が覚めているような気がしていたのだ。

 けれど。

 

 死んじゃったのかぁ……。

 

 もっとしたいこともあったような気はする。

 年末年始の休みには実家に帰って、母の作る肉じゃがコロッケを食べるつもりでいた。

 地元の友達と会うつもりでいたし、一緒に初詣に行って、今年こそは彼氏が欲しいですと、ここ数年恒例の願い事をする。

 それから、親と顔を付き合わせながら、正月休み永遠に終わるなと祈りながらこたつでみかんを食べる。

 そういう日々が当たり前にくるのだと、疑うことすらなかった。

 

「やり残したことも、全部とはいきませんが彼岸(ここ)で出来ることは多いです。困ったことがあったら、遠慮なくサポート窓口に連絡してくださいね」

 

 三途の言葉が思い出される。

 

 やり残したこと──恋人を作る。

 すぐに思いつくのはこのくらいだ。

 

 明日は三途の紹介してくれたホストクラブに行こう。

 そう決めて、柚はそのまま瞼を閉じた。

 

 

 

◇   ◇   ◇

 

 

 

「おはようございます。寺門(てらかど)様。ゆっくりお休みになられましたか?」

 

 笑顔で迎えてくれたのは、スイートルームのフロア受付にいるコンシェルジュの女性だった。

 緩いウェーブの髪を後ろで束ねた二十代に見える女性は、去年老衰で大往生したのだと悪戯っぽい笑みで教えてくれた。

 

「ここに居る間は自宅のように寛いで、困ったことがあればなんでもご相談ください」

 

 初日にそう言って請け負ってくれた通り、丁寧に、けれど気さくに挨拶をしてくれる彼女を前に、柚も少しホッとする。

 

「はい。早く目が覚めちゃったので、ビュッフェ一番のりしてきました。昨日のフレンチトーストもおいしかったですけど、今朝食べた焼き鮭もすごくおいしかったです」

 

「キッチンに伝えておきますね。今日はお出かけですか?」

 

「はい、ここに行きたいので、行き方を教えて欲しくて」

 

 ホストクラブ  甘 露 (スイートアクア)

 

 一瞬眉を寄せたコンシェルジュは、「タクシーを手配しましょうか?」と尋ねた。

 

「いえ。こっちの世界の電車にも乗ってみたいし、少し町なかも歩いてみたいので」

 

「かしこまりました。でしたら、乗り換えが少ない、わかりやすいルートをお伝えしますね」

 

 そう言って説明を始めた彼女は、柚の端末のルート案内も設定してくれた。

 

「中徳エリアのはずれですから、飲み屋街程度の治安をイメージして歩くといいと思います。寺門さまはまだこちらの世界に来たばかりですから、暗くなる前にはお帰りになられることをお勧めします」

 

「はい。夕飯はホテルで食べるつもりなので。ちょっと探検してきます!」

 

「お気を付けていってらっしゃいませ」

 

 

 

 外に出てみると、知らない町並みであったけれど、例えば天国だとかそういう気配はやはりない。

 ビルが建ち、商店が並び、人が行き交う。道路には車が走り、駅には電車が来る。

 近未来という様相もなく、柚の知る普通の町並みだった。

 だから尚更に、ここにいる誰も彼もが死んだ人間だということが、信じられない。

 強いて言うなら掌を翳すだけでキャッシュレス決裁されるシステムだけが、柚の知る世界と違っていた。

 

 そして、ホストクラブの店構えも、柚の知るそれとは、随分と違っていた。

 

 そもそもホストクラブなのに、朝の9時から開店していることもおかしいと思ったのだ。

 けれど、世の中には昼呑みという言葉もあるくらいだから、朝からホストクラブに来る人もいるのかもしれない。

 ホストだなんて、柚の思い描く恋とか彼氏とは違うんじゃないだろうかとおっかなびっくり中に入ると、店内は少し豪華なソファーの並ぶホテルのラウンジといった風情だ。

 ギラギラとしたミラーボールもなければ、煩いほどのBGMもない。男女が肩を寄せ合って笑い合う姿はあるけれど、置かれているのはティーカップやケーキだ。

 傅く男がいるわけでなければ、囃して酒を一気飲みしているような輩もいない。

 

(お店、間違えたかな?)

 

「いらっしゃいませ」

 

 立ち尽くしていると、黒服の男性に声を掛けられた。

 

「ご指名はございますか?」

 

「あの……ここは、このお店で合ってますでしょうか?」

 

 おずおずと三途に渡された紙を差し出すと、柚と紙とを二往復した視線が弧を描く。

 

「お待ちしておりました、寺門様。個室のご用意もございますが、いかがなさいますか?」

 

「いえっ、個室とかいいです。ここで。そのへんの席で大丈夫です」

 

 知らない男といきなり個室でふたりというのは、例え店の中とはいえ少し怖い。

 手近なソファを指し示すと、黒服の男は「かしこまりました。では、こちらへどうぞ」と柚を窓際の席へと案内した。

 

「お飲み物は?」

 

「……えっと、こういうお店初めてなんですけど。シャンパンとか頼むべきですか?」

 

 男は柚の言葉に目を丸くすると、喉の奥で笑って「お好きなものをどうぞ。この時間ですと紅茶や珈琲を召し上がるお客様も多いですよ」と教えてくれた。

 

「じゃあアイスティーをお願いします。ストレートで」

 

「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」

 

 男が立ち去り、少しだけホッとする。

 今日のところはホストクラブに来るんじゃなくて、街の中を探検するだけの日にすべきだっただろうか。

 そんなことを思いながら、窓の外に視線を投げる。

 よく手入れされたイングリッシュガーデンといったところか。

 冬の、どこか寂しい庭だ。今は柚が死んだのと同じ十二月なのだという。

 この世界にも四季があるのだろうか。そんな基本的なことも知らないここで、どうにかひとりで生きていかなくてはいけない。

 はぁとため息を溢すと「辛気くさい顔だな」と声がかかった。

 

 顔を上げるとダークグレーのスーツを纏った男が、トレーを片手にこちらを見下ろしていた。

 ネクタイをきちんと締めた、精悍な顔つきの男だ。オフィスの管理職デスクに座っていそうな佇まいに、柚は思わず背筋を伸ばした。

 男は柚の前にアイスティーを置くと、その隣にアイスコーヒーを並べ、そのままどかりと隣に腰を下ろした。

 

「……え?」

 

「寺門柚さん」

 

「あ、はい! 寺門柚と申します!」

 

 接客というよりも、店長がバイトの面接に来たという様子だ。

 思わず面接にでも来た心地で返事すると、男がクッと笑った。

 笑うと少しだけ雰囲気が緩む。釣られて柚も少しだけ肩の力を抜いた。

 

「買った側のお客様が敬語で話す必要はない」

 

 お客様、とは口ばかりで、男の態度は偉そうだ。

 

「はい……あ、うん?」

 

内海(うつみ) (さとし)だ。一ヶ月の専属契約を希望と聞いたが?」

 

「はあ、まあ、そうみたい、です?」

 

 うろんげな目で見た聡は、柚が手の中で弄ぶ白い端末に視線を落とすと、なるほどと呟いた。

 

「何日だ?」

 

「今日ですか?」

 

「日付じゃない。彼岸(こっち)に来て何日だ?」

 

「三日です」

 

「三日でもうホスト遊びとは、余裕だな。「恋人満喫プラン」と聞いているが」

 

「はあ……え? プランとかあるんですか?」

 

 三途には「こちらで適当に手配していいですか?」と訊かれ、「はい、お任せします」と頷いたのは覚えている。

 それにしても、そんな浮かれた名前のプランを選んだとも、そもそもプランが選べるなど知りもしなかった柚はそう尋ねた。

 

「自分で決めたんじゃないのか?」

 

「プランが分かれてるのは知りませんでした」

 

「……手短に経緯を説明しろ」

 

 上司のような口調でそう命じた聡に、柚は再び背筋を伸ばすと、役所でのやり取りや経緯をなるべく端的に説明した。

 

「だいたいわかった。……今の住まいはどこだ?」

 

「ヒガントンホテルです」

 

「ヒガントン?」

 

 オウム返しにホテルの名前を口にした聡は、どこか品定めするような視線でじっとこちらを見つめてくる。やがて、小さく頷くと、なるほど、と独りごちた。

 

「飲み終わったら出掛けるぞ」

 

 まるで営業まわりでもするような口調でそう言った聡に、柚は小首を傾げた。

 

「どこに、ですか?」

 

「三日じゃどうせまだ住まいも決めていないんだろう。とりあえず不動産屋だ。生活周りを整えるのが第一だろう」

 

「不動産屋……いえ、あの私は恋人を紹介されに来たんですけど」

 

「そうだな。それが俺だ。一緒に不動産屋をまわってやる。それとも、住所不定のまま恋愛を始めたいのか?」

 

 にやりと笑った男を前に、柚は「それもそうですね」と頷いた。

 

 そうだった。とりあえず寝る場所と着る物があるから油断していた、と柚は思う。

 住所不定で恋はできない。男の言うことはもっともだった。

 

「ありがとうございます! そうですよね、不動産屋さん。まずは生活を始めないとですね」

 

 言い聞かせるように頷く柚に、聡は面白そうに目を細めた。

 

 

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