目覚めたら侯爵令息の別人格だった。作法ひとつで家が傾く貴族社会を脳内から観察しています   作:ブンチョウ

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第27話 恐怖は、知らない形をしている

 翌朝。

 

 俺は、人生で初めて家庭教師をつけられた。

 

 いや、人生と言っていいのかは分からない。

 

 身体はない。

 机にも座れない。

 ペンも持てない。

 

 だが、ルシアンは本気だった。

 

 書斎の机の上に、昨日の図が並べられている。

 

 馬。

 鞍。

 槍。

 的。

 矢印。

 

 さらに今日は、剣の図まで増えていた。

 

(……何これ)

 

 ——教材だ。

 

(俺用?)

 

 ——他に誰がいる。

 

(いや、普通に怖いんだけど)

 

 ——怖がるな。学べ。

 

(それができたら昨日あんなことになってない)

 

 ルシアンは無視した。

 

 朝食前の短い時間。

 

 普通なら書簡を読むか、今日の予定を確認する時間だ。

 

 その貴重な朝を、ルシアンは俺のために使っている。

 

 本人は絶対に認めないだろう。

 

 だが、これはどう考えても俺の授業だった。

 

 机の横には、木剣が一本置かれている。

 

 訓練用の短いものだ。

 本物の剣ではない。

 

 それでも十分に物騒である。

 

(今日も練武場?)

 

 ——まずは説明だ。

 

(助かった)

 

 ——その後、行く。

 

(助かってなかった)

 

 ルシアンは、紙の上の図を指した。

 

「昨日、お前が腕を固めた場面だ」

 

(いきなり傷を抉るな)

 

 ——事実だ。

 

(はい……)

 

 図には、馬上の人間と槍の軸が描かれている。

 

 ルシアンはインクで線を引いた。

 

「槍は腕で突くのではない」

 

(昨日も聞いた)

 

 ——聞いただけで理解していない。

 

(先生が厳しい)

 

「馬の速度、身体の重さ、槍の軸。それらを一本に通す。腕はそれを支えるが、腕だけで押せば槍先が跳ねる」

 

(それで昨日、外れた?)

 

「そうだ」

 

(俺のせいで)

 

「そうだ」

 

(容赦ないな)

 

「曖昧にしても改善しない」

 

 正論。

 

 とても嫌な正論である。

 

 ルシアンは次に、腕の部分を丸で囲った。

 

「恐怖で力むなら、腕ではなく腹へ沈めろ」

 

(腹に恐怖を沈めるって、精神論っぽい)

 

 ——身体論だ。

 

(違いが分からん)

 

「腕は動く場所だ。腹は支える場所だ。動く場所に恐怖を置くな」

 

 なるほど。

 

 分かるような、分からないような。

 

 でも昨日の感覚を思い出すと、少し分かる。

 

 怖くなった瞬間、俺は腕を止めた。

 

 止めたつもりはない。

 ただ、身体がそうなった。

 

 でも槍を通すには、腕は止める場所ではなかった。

 

 腕を固めたせいで、槍先が跳ねた。

 

(つまり、恐怖の置き場所を間違えた)

 

 ——そうだ。

 

(恐怖にも置き場所があるのか)

 

 ——ある。ないと思う者から落ちる。

 

 重い。

 

 貴族の朝から出る言葉ではない。

 

 いや、武門侯爵家ならこれが朝なのかもしれない。

 

 ルシアンは木剣を手に取った。

 

「次は剣だ」

 

(待て、持つな。室内で剣を持つな)

 

 ——木剣だ。

 

(そういう問題では)

 

 ルシアンは立ち上がる。

 

 書斎の空間を確かめ、家具から距離を取る。

 

 そして、木剣を軽く構えた。

 

 構えただけなのに、空気が変わった。

 

 普段の礼法の姿勢とは違う。

 

 だが、どこか同じでもある。

 

 背筋。

 肩。

 膝。

 足の位置。

 

 どれも整っている。

 

(……剣を持っても姿勢きれいだな)

 

 ——崩れた姿勢では死ぬ。

 

(褒めたつもりだったのに返答が物騒)

 

「剣で重要なのは、相手の刃ではない」

 

(刃じゃないの?)

 

「刃だけ見れば遅れる。見るのは肩、腰、足だ」

 

(また見る場所の話か)

 

「すべて見る場所の話だ」

 

 ルシアンは木剣をゆっくり動かした。

 

 上段。

 中段。

 下段。

 

 俺でも分かるくらい、動きが違う。

 

 だがルシアンは、剣先ではなく身体の根元を説明する。

 

「肩が上がれば、腕が来る。腰が入れば、踏み込む。足が止まれば、次の動きが死ぬ」

 

(剣先だけ見てたら分からない?)

 

「分かってからでは遅い」

 

(怖)

 

「だから、知っておく」

 

 知る。

 

 またそれだ。

 

 知らないから怖い。

 

 意味が分かれば、怖さは重さに変わる。

 

 クラリスの言葉。

 ルシアンの教え。

 ガイゼルの訓練。

 

 全部つながってきた。

 

(俺は、剣先を見て怖がるなってことか)

 

 ——最初はそれでいい。だが、怖がったまま剣先に意識を吸われるな。

 

(他を見る?)

 

 ——相手の身体を見る。自分の呼吸を見る。私の手元を見る。

 

(見るもの多くない?)

 

 ——戦場ではもっと多い。

 

(無理ゲー)

 

 ——だから訓練する。

 

 ルシアンは木剣を下ろした。

 

 俺はふと思った。

 

(お前、俺にずいぶん丁寧に教えてるな)

 

 ルシアンが止まる。

 

 ほんの一瞬。

 

 そして冷静に返す。

 

 ——昨日のように邪魔をされては困る。

 

(合理的理由)

 

 ——そうだ。

 

(でも、俺が怖くないようにしてる部分もあるだろ)

 

 ——邪魔をされないようにしている。

 

(同じことだな)

 

 ——違う。

 

 違わない。

 

 たぶん、違わない。

 

 以前のルシアンなら、俺が怖がったことに対して、ただ黙れと言っただろう。

 

 邪魔をするな。

 理解できないなら黙っていろ。

 

 それで終わりだった。

 

 でも今は、教えている。

 

 恐怖の理由を分解し、どこを見ればよいか示し、どうすれば腕を縛らずに済むか説明している。

 

 これは教育だ。

 

 かつてリズに、物事には順序があると教えたように。

 以前エミリアに、礼法の意味を教えたように。

 クラリスへ、恐れを否定しない言葉を渡したように。

 

 今度は、俺が教えられている。

 

 身体のない俺が。

 貴族の身体の使い方を。

 

 意味不明だ。

 

 でも、悪くない。

 

 朝の説明が終わると、練武場へ向かった。

 

 今度は馬上槍ではない。

 

 剣術の基礎確認らしい。

 

 助かった。

 

 馬がいないだけで、俺の心はかなり穏やかである。

 

(今日は地面に足がある。地面、好き)

 

 ——昨日から馬に失礼だぞ。

 

(馬は偉い。でも地面はもっと偉い)

 

 ——意味が分からん。

 

 練武場には、すでにガイゼルがいた。

 

 木剣を二本持っている。

 

 嫌な予感がする。

 

「若君」

 

「騎士長」

 

「本日は、昨日の乱れを踏まえ、足と視線を見ます」

 

「承知」

 

(踏まえないでほしかった)

 

 ——踏まえなければ直らん。

 

 ガイゼルが木剣を一本投げる。

 

 ルシアンは受け取る。

 

 その動きに無駄がない。

 

 木剣が手に収まった瞬間、身体が少し沈む。

 

 膝。

 腰。

 肩。

 呼吸。

 

 ああ、これだ。

 

 昨日教わった。

 

 腕ではない。

 

 まず支える場所。

 

 腹。

 腰。

 足。

 

 ルシアンの身体の中で、恐怖を置く場所が作られている。

 

 ガイゼルが言う。

 

「まずはゆっくり」

 

 二人は向かい合う。

 

 ガイゼルが一歩踏み込む。

 

 木剣が来る。

 

 遅い。

 

 ゆっくりだ。

 

 だが、怖い。

 

 ルシアンは受ける。

 

 乾いた音。

 

 手に響く。

 

 いや、ルシアンの手に。

 

 でも俺にも感覚の余韻が来る。

 

(今の、けっこう重い)

 

 ——訓練用だ。

 

(本物は?)

 

 ——もっと重い。

 

(聞かなきゃよかった)

 

 ガイゼルがまた踏み込む。

 

 今度は肩が先に動いた。

 

 ルシアンが半歩ずれる。

 

 木剣が空を切る。

 

(あ、肩)

 

 ——見えたか。

 

(たぶん)

 

 ——それでいい。

 

 少し嬉しかった。

 

 見えた。

 

 剣先ではなく、肩。

 

 さっき説明された場所。

 

 知っていたから、怖さが一瞬だけ形になった。

 

 何が来るか、少しだけ分かった。

 

 次。

 

 ガイゼルの腰が動く。

 

 踏み込みが深い。

 

 ルシアンは受けず、流す。

 

 剣がぶつからず、滑る。

 

(今のは?)

 

 ——受ければ押される。流した。

 

(物理がある)

 

 ——ある。

 

 ゆっくりの打ち合いが続く。

 

 俺は最初、剣ばかり見ていた。

 

 でも、少しずつ視線が変わる。

 

 肩。

 腰。

 足。

 呼吸。

 ガイゼルの目。

 ルシアンの手元。

 

 見る場所が増えると、逆に怖さが散った。

 

 ただの「木剣が来る」ではなくなる。

 

 どこから来るか。

 なぜ来るか。

 どこへ逃げるか。

 

 形がある。

 

 形があれば、完全な暗闇ではない。

 

 ガイゼルが速度を少し上げた。

 

 音が鋭くなる。

 

 木剣がぶつかるたび、腕に響く。

 

 ルシアンの呼吸が乱れない。

 

 俺は乱れている。

 

 精神的に。

 

(速い速い)

 

 ——短く言え。

 

(右肩)

 

 ルシアンが半歩下がる。

 

 ガイゼルの剣が空を切る。

 

 当たったわけではない。

 

 でも俺の言葉に、ルシアンが反応した。

 

 いや、反応したのか?

 

 もともと見えていたのかもしれない。

 

 ただ、少しだけ噛み合った気がした。

 

 ガイゼルの目が細くなる。

 

「若君」

 

「何か」

 

「今日は、視線の置き方が少し違いますな」

 

 ルシアンは涼しい顔で言う。

 

「昨日の反省です」

 

「よろしい」

 

 ガイゼルはそれ以上聞かない。

 

 だが、気づいている。

 

 この人も侮れない。

 

 しばらくして、休憩になった。

 

 ルシアンは汗を拭う。

 

 昨日の馬上槍ほどではないが、身体は確かに疲れている。

 

 貴族の朝練は、本当に朝練ではなかった。

 

 修行である。

 

 ガイゼルが水を飲み、低い声で言った。

 

「若君。よく覚えておきなされ」

 

「はい」

 

「怖さは、敵より先に来ます」

 

 重い言葉だった。

 

「敵を見る前に、足が怖がる。剣を見る前に、手が怖がる。死ぬ前に、息が怖がる」

 

(表現が怖い)

 

 ——黙って聞け。

 

「その怖さを消そうとすると、身体が嘘をつきます」

 

 ガイゼルは木剣を地面へ立てる。

 

「怖いまま、正しい場所へ置く。それが訓練です」

 

 昨日の言葉と同じだ。

 

 恐れを腹へ。

 

 腕に置くな。

 目に置くな。

 脚に置くな。

 

 恐怖にも作法がある。

 

 俺は初めて、そんなことを考えた。

 

 礼法。

 茶会。

 教会。

 風呂。

 馬上槍。

 剣術。

 

 全部違うもののようで、根は似ている。

 

 感情を消すのではない。

 

 置く場所を覚える。

 

 笑顔もそうだった。

 恐怖もそうだった。

 

 ルシアンは言う。

 

「恐怖は、置き方を誤れば人を殺す」

 

「はい」

 

「置き方を覚えれば?」

 

 ガイゼルが少しだけ笑った。

 

 顔が怖いので、笑っても怖い。

 

「人を生かすこともございます」

 

 訓練後。

 

 ルシアンは書斎へ戻る前に、練武場の端でしばらく立ち止まった。

 

 遠くで若い騎士たちが木剣を振っている。

 

 槍の手入れをする者もいる。

 

 馬の世話をする少年もいる。

 

 ここには、サロンとは別の制度がある。

 

 礼の角度ではなく、剣の角度。

 茶の温度ではなく、馬の体温。

 沈黙の長さではなく、呼吸の長さ。

 

 でも、やはり制度だ。

 

 身体を壊さず、人を殺さず、命令を通すための制度。

 

(なあ、ルシアン)

 

 ——何だ。

 

(貴族って、思ってたより忙しいな)

 

 ——今さらか。

 

(パンを綺麗に割って、手紙のインク選んで、茶会で沈黙を読みながら、馬に乗って槍構えるんだろ)

 

 ——他にもある。

 

(もう増やすな)

 

 ルシアンは少しだけ口元を緩めた。

 

 ——それらは別々ではない。

 

(どういうこと)

 

 ——身体の使い方も、言葉の使い方も、名の扱い方も、すべて同じところに繋がる。

 

(家?)

 

 ——責任だ。

 

 責任。

 

 また重い言葉が来た。

 

 だが、少し分かる。

 

 美しく立つのも、相手の呼吸を邪魔しないのも、神前で名を軽んじないのも、馬上で腕を固めないのも。

 

 全部、相手に何かを預けられる立場の作法なのだ。

 

 屋敷へ戻る途中、エミリアとすれ違った。

 

 彼女は庭師と一緒に、花壇の前にいた。

 

 手には小さな籠。

 

 香り袋に使う香草を選んでいたらしい。

 

「兄様」

 

「エミリア」

 

 エミリアはルシアンの服を見て、目を丸くした。

 

「今日は剣の訓練でしたか?」

 

「ああ」

 

「お怪我は?」

 

「ない」

 

 エミリアはほっとした顔をする。

 

 それから、小さく言った。

 

「兄様は、怖くないのですか」

 

 昨日から、恐怖の話ばかりだ。

 

 ルシアンは少しだけ考える。

 

 そして答えた。

 

「怖い」

 

 エミリアの目が大きくなる。

 

 兄が怖いと言うとは思っていなかったのだろう。

 

 ルシアンは続ける。

 

「だが、怖いものを知らぬままにしておく方が危ない」

 

「知らぬまま?」

 

「知らない恐怖は、人の腕を止める」

 

 俺は内心で小さく呻いた。

 

(俺の話だ……)

 

 ——事実だ。

 

 エミリアは真剣に聞いている。

 

「では、怖い時はどうすればよいのですか」

 

「何が怖いのかを知る。次に、それをどこへ置くか決める」

 

「置く?」

 

「笑顔を出す場所を選ぶように。香りを強くしすぎぬように。怖さにも、置き場所がある」

 

 エミリアはしばらく考えた。

 

「怖さにも礼法があるのですね」

 

 ルシアンが少しだけ目を細める。

 

「そうだな」

 

 エミリアは、納得したように頷いた。

 

「覚えておきます」

 

 こうしてまた、エミリアの教育に妙な項目が増えた。

 

 恐怖の礼法。

 

 なんだそれ。

 

 でも、たぶん大事だ。

 

 書斎に戻ると、クラリスからの返書が届いていた。

 

 昨日の祈誓文の確認への礼だった。

 

 丁寧な文面。

 

 柔らかな青いインク。

 

 最後に、こう書かれていた。

 

『意味が分かるものは重い、と申し上げましたが、重さを知ることは、恐れを減らすことにも繋がるのだと感じております』

 

 ルシアンが、しばらくその一文を見つめた。

 

(今日の話みたいだな)

 

 ——ああ。

 

 クラリスは知らない。

 

 今日、俺が剣術の授業を受けていたことなど。

 

 馬上槍でルシアンの腕を固めたことも。

 

 俺にも訓練が必要になったことも。

 

 でも、言葉は届いている。

 

 同じ問題を、別の場所で見ている。

 

 クラリスは祈誓文で。

 俺は馬上で。

 ルシアンは、その両方の間で。

 

 ルシアンは返書を書かなかった。

 

 今日はまだ、言葉を選ぶ段階ではないらしい。

 

 代わりに、机の上の図へ一本線を足した。

 

 剣の図ではない。

 

 馬上槍の図でもない。

 

 視線の図だった。

 

 中心を見る線。

 端を見る線。

 注意の置き方。

 

(それ、何?)

 

 ——覚書だ。

 

(俺用?)

 

 ——私用だ。

 

(ほんとに?)

 

 ——お前にも関係はある。

 

 ルシアンは短く書いた。

 

『恐怖を知る。置き場所を決める。視線を奪われない』

 

 俺はそれを読んだ。

 

 怖さは消えない。

 

 馬は高い。

 槍は長い。

 剣は重い。

 戦場は、きっともっと怖い。

 

 でも、知らないまま怖がるよりはいい。

 

 知らない恐怖は、腕を縛る。

 

 知った恐怖は、腹に置ける。

 

 完全には分からない。

 

 でも、昨日より少しだけ分かる。

 

(なあ)

 

 ——何だ。

 

(今日、ちょっとだけ見えた気がする)

 

 ——何が。

 

(剣先じゃなくて、肩とか腰とか)

 

 ルシアンは少し沈黙した。

 

 そして言う。

 

 ——それでいい。

 

(それだけ?)

 

 ——最初は、それだけでいい。

 

 その言い方が、妙に優しかった。

 

 いや、ルシアン的には教育的な合理性なのだろう。

 

 でも俺には、少しだけ違って聞こえた。

 

 俺を、ただの同居人ではなく、訓練すべき相手として見ている。

 

 邪魔をする存在ではなく、いずれ何かを見る存在として扱っている。

 

 そのことが、少し嬉しかった。

 

 夜。

 

 眠る前、俺はぼんやりと今日の訓練を思い返していた。

 

 木剣の音。

 ガイゼルの声。

 エミリアの問い。

 クラリスの手紙。

 ルシアンの図。

 

 恐怖は、知らない形をしている。

 

 だが、形を知れば、少しだけ扱える。

 

 そして俺は、初めて思った。

 

 この世界を知ることは、ルシアンを助けることにもなるのかもしれない。

 

 パンの千切り方から始まった異文化観察は、いつの間にか、槍の重心にまで来ていた。

 

 我ながら遠くまで来たものだ。

 

(……でも、馬はまだ怖い)

 

 ——明日も乗るぞ。

 

(最悪だ)

 

 ——訓練だ。

 

(貴族社会、逃げ場なさすぎ)

 

 ——今さらだ。

 

 ルシアンは目を閉じた。

 

 俺の意識も、少しずつ薄れていく。

 

 眠る直前、ルシアンの声が小さく響いた。

 

 ——怖がるなとは言わん。

 

(うん)

 

 ——ただ、次は腕を縛るな。

 

(分かった)

 

 ——それでいい。

 

 その返事を最後に、意識が沈んだ。

 

 恐怖はまだある。

 

 けれど、昨日より少しだけ、形があった。

 

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