7話
中間テストを乗り越えた俺たち。それによって、Dクラスのクラスポイントは以下に変化していた。
Dクラス:340cp
原作が84クラスポイントだったことを踏まえると、大きな成長と言っていいだろう。
だがしかし、7月2日を迎えた今日になっても、プライベートポイントが俺たちに振り込まれることはなかった。
その原因は物語を読んでいるみんななら、すでにわかっていることだろう。
「須藤のやつ何してんだよッ!? クソっ! 死ね、死ね! これじゃあ堀北の方が正しかったみたいじゃん!?」
俺の部屋で相変わらず激昂しているのは、俺と秘密の共有者となった櫛田桔梗。
あれ程言ったのに、ベットの上に座り込み、枕を叩きつけていた。
「荒れてるな」
「だって、あいつこの後に及んで暴行事件とか起こしてるんだよ! 私がどれだけストレス溜めて、アイツらのために今も勉強会を続けてると思う? 最悪だよ!」
狂乱するように髪を掻きむしる櫛田。
堀北の代わりを務める事になってしまった彼女にとって、今回須藤が引き起こしたCクラスとの暴行事件はよっぽど堪えたのだろう。
荒く息を吐きながら、こちらに近づいたかと思うと、俺の腕を強引に引っ張り、ベッドに座らされた。
いつもの膝枕である。
「撫でろ」
「はいはい」
さすがに今の櫛田と言い合いをしたくないため、素直に従う。
俺が右手で彼女の髪をかき分けながら、優しく撫でると、ふっとため息をこぼした。
「……もう、いや。なんでウチのクラスはバカばっかしかいないの」
「仕方ないな。不良品の集まりだから」
萎えたように声を漏らす櫛田に声をかけながら、俺は今回の件についてどうするか、方針を考える。
今回の暴行事件は、学校の判断を把握するため龍園が仕掛けた罠である。そして、まんまと引っかかった須藤とそれを目撃してしまった佐倉を中心に物語が展開されていく。
すなわち俺に退学のリスクはないわけだ。
だから俺は須藤の問題には極力首を突っ込まないことに決めた。もちろん洋介たちに頼まれたら、目撃者を探すとかはしてもいいが、監視カメラを使ってCクラスに審議の取り消しを要求するようなことはしない。
そこまでやってしまうと、清隆が今後、全く動かなくなってしまう可能性もあるからだ。それは少し困る。暴力が必要になる展開だと俺は完全な無能になってしまうから、清隆が動くべきだと思える状況は用意するべき。
逆に佐倉に関しては、少しだけ悩んでいる。彼女と関わりを持ちたいとかは一切考えてないが、ストーカーに関しては今後俺の目的のために利用することができる。
無人島試験を控えた今、できることはこのぐらいだろう。
「あー、もう。これも全部堀北のせいだ。あのくそビッチ、なんでまだ学校にいるんだよ」
なんて考えていると、櫛田のヘイトの矛先がいつの間にか堀北個人に向いていた。
「ねぇ、山内くん。やっぱり、“堀北を退学させよ”? あいつ、いらないよ」
「いや、退学されたらペナルティ喰らうから、無理だよ」
「えー、でも絶対、あいつクラスの邪魔になるって。堀北なんて消えちゃえばいいのに」
ひとつだけ現状に問題があるとすれば、櫛田の堀北退学願望が戻ってきてしまったことだろう。
秘密の共有関係になってしばらくは、落ち着いていて、名前すら挙げてなかったのだ。しかし、今回のストレス増加で許容量を超えてしまったのか、このありさまだ。
俺としてはあまり、堀北を退学にしたいとは思えない。
初期の彼女はともかく、後半にかけて成長していく様も踏まえると、なんだかんだで魅力に溢れている。
つまるところ、もったいないのだ。
それに堀北の成長の機会を潰したのは間違いなく俺だ。罪悪感とまではいかないが、堀北退学ルートは少しばかりおもしろくない未来だ。
となると、櫛田の説得が必要になる、か。
どうしたら彼女が納得するか考え込み、櫛田を見下ろす。
「なぁ、なんでそこまで堀北に執着するんだ?」
「え? それは……」
「少なくとも、今の櫛田さんに害を与えているのは須藤とか池とか他にもいるだろ? それなのに、櫛田さんが退学にしたいって言うのは、いつも堀北だ。なんでだ?」
「……」
俺の言葉に無言になってしまう櫛田。
いつもなら目が合うはずなのに、視線がフラフラと彷徨い、声が出ないのか口が小さくパクパクと動いている。
ようやく出た声はか細いものだった。
「……言えない」
「信用できないからか?」
「違う。……たぶん、山内くんに幻滅される、から」
視線を逸らしたまま、そう呟く櫛田はいつにも増して小さく見える。空いていた両手はギュッと握りこぶしを作って、微かに震えていた。
これは怯えているのだろうか? あの櫛田が? 自分の目的のためなら他者を容赦なく蹴落せる彼女が?
「なんだ、いつもは強気なのに珍しいな」
「だって、言ったらこの関係が、絶対に終わっちゃうもん。……それは、嫌だ」
「…………」
どうやら俺の想定以上に、今の俺たちの関係を大切に思っているらしい。いや、大切というよりは、執着か。
櫛田桔梗の本心が肯定されるこの環境。彼女からしたら喉から手が出るほど欲しかったものだ。なんせ、他人を演じなくても承認欲求を満たせる場所なんだから。
すなわち、俺が櫛田にこれを提供する限り、彼女は俺を退学にしようとは思わないということだ。
しかし、それでは物足りない。もっと深くまで彼女のことを堕とさなければ、俺は恐怖心を拭うことはできない。
もう手すら伸ばせないほど、深い深い沼の奥底に。櫛田を引きずり込ませてもらう。
「櫛田さんの過去を教えてくれたら、堀北の退学の件、考えてもいいぞ」
「えっ」
俺からの提案に目を白黒させる櫛田。意外だったのかもしれないな。
葛藤するように視線を揺らし、唇を噛み締める。それは数秒にも、数分にも感じる沈黙だった。
「……わ、わかった。言う」
震える声でそう言ってきた。
櫛田は膝枕から頭を離すと、俺の隣でポツポツと中学での出来事を語り始めた。
「私、ね。結構、コンプレックスが酷くてさ。何事も私が一番じゃないと我慢ならないの」
肩が触れ合いそうで触れない距離。
俺は静かに櫛田の話に耳を傾けた。
「小さな頃は良かったよ。勉強も運動も私が一番で、褒められる度に心が満たされてたの。……でもさ、成長するにつれて私より頭の良い人が出てきた。運動だって負けるようになっちゃって。色んなことで一番だった私は、気づいたらそうじゃなくなったの」
櫛田は思い返すように、目を閉じながら語っていく。
「それでね、思いついたんだ私。クラスの中心になって、みんなの相談役として一番の人気者になろうって」
「今の櫛田だな」
「……うん、そうだね」
俺の言葉に静かに頷く。
「山内くんも知ってると思うけど、良い人を演じるとね、すっごいストレスが溜まるんだ。胸を掻きむしりたくなるような、何もかもが嫌になるような。……それで、中学の時の私はそのストレスを発散するために、ブログにクラスのみんなの悪口を書いてたの」
ここからが本題で、だからこそ櫛田は顔を俯かせる。俺にその表情が見られたくないから。
さながら斬首台に立つ罪人みたいに。
「……全部バレちゃったの。それでクラスのみんなから暴言を吐かれて、髪を掴まれて、引っぱたかれて、何もかも終わっちゃってさ。その瞬間、プツッて私の中で切れちゃった。——逆上して、ブログに書いてなかったみんなの知られたくなかった秘密全部言っちゃったんだ」
「……」
「高校では上手くやろうと思ったの。今度は同じ失敗はしないって。……なのに、堀北がいたの。中学が同じだった、アイツが。私と同じ制服を着て、この学校に」
ようやく顔を上げた櫛田の顔は酷く歪んでいた。過去を思い返したことでぶり返したトラウマ、堀北によって秘密をバラされるかもしれない不安、そして俺に幻滅されるかもしれない恐怖。
そんな色んな感情がグチャグチャに混ざって、俺を見ていた。
「ね、幻滅したでしょ。それとも警戒した? 当然だよね、高校でも同じことやってるってことは、同じような失敗があるかもで……それで」
「櫛田さん」
「……あっ」
どこか自暴自棄のように早口になる櫛田を真正面から抱きしめ、彼女の後頭部を優しく撫でてあげる。
拒否は、されなかった。腕の中で暴れることもなければ、突き飛ばされることもなく。声を漏らして、固まっていた。
「よく頑張ったと思うよ。それに、辛かったね」
「……なんで? これって、ようは私の自業自得なんだよ。なのに」
「確かに、ブログの悪口がバレたのは痛かったと思う。でも、少なくともクラスのみんなの前では優しく、良い子の櫛田さんを演じてたんでしょ? なら、頑張ってたよ。だって、ブログの件を除けば、クラスのみんなはいい思いをしてたんだからさ」
今の池たちを見ていればわかる。
櫛田に騙されている彼らは不幸に見えるだろうか? 痛い思いもしてなければ、むしろ楽しそうに彼女に絡みに行っている。
嘘さえバレなければ、幸せなんだ。
そして、ここで俺が言いたいことは別に正しいとか、間違ってるとか。そういう一般的なものではない。
櫛田が苦労して、努力して、積み重ねたものがあると、彼女に伝えて、俺だけはその頑張りを理解していると伝えるために。
櫛田を肯定する。たとえ過去の話を聞いたとしても、俺は櫛田の味方であり、居場所でいてくれるのだと。
すべては彼女が俺を手放せないようにするために。
「幻滅なんかしない。今も変わらず俺たちは秘密の共有者だ。むしろ、櫛田さんのことがもっと知れて良かったと思ってる。辛かったのに、俺に教えてくれてありがとな」
「や、ま内、くん……グスッ」
俺の腕の中で嗚咽を漏らし、背中に回した腕をよりギュッと締め付けてくる櫛田。
甘く優しい言葉でいくらでも慰めてあげよう。唯一の理解者として、彼女にとってより特別な存在へとなるために。
優しく撫でながら、今後の方針を固める。
本来はそのつもりも一切なかったけど、ここで櫛田桔梗の心を掴めるのなら、妥協は一切なしだろう。
しばらくの抱擁ののち、俺は一度抱きしめるのをやめた。
「あっ」
目を赤く腫れさせた櫛田はどこか口惜しく、手が宙に留まる。
そんな櫛田に優しく笑みを浮かべた。
「話してくれた櫛田さんに報いたいから、一つ提案することにした。——退学なんかより、“堀北さんの心を折って、俺と櫛田さんがいないと生きていけないように依存させないか”?」
「…………へ?」
俺の発言に、櫛田は目をパチクリさせ、口をポカンと開ける。
素のあざとさに苦笑する。
「……それ、退学より難しくない? というか、どうやってやるの?」
ようやく追いついた思考で、櫛田がなんとかそう答えるが、安心して欲しい。なにも、考えなしに言っているわけじゃない。
「目処はたってるよ。ただ少しだけ時間が掛かるけどな」
現在の堀北は、心が折れかかっている。
兄に認められたくて、彼を追ってこの学校に来たのに、最初に突きつけられたのは不良品のレッテル。
須藤たちの勉強が失敗に終わり、兄から否定の言葉とともに受けた折檻の痕。そして、見捨てたはずの問題児たちは、見捨てなかった櫛田と堀北自身では気づくことのできなかった過去問によって、救済されてしまったのだ。
堀北鈴音は落ちこぼれ。そのプレッシャーが自他どちらからも彼女を襲っている。
ガリガリと削られた心。本来なら助けてくれたはずの清隆もいない。なんなら、佐藤たちと対立したことで、味方は誰一人いないのだ。
孤高と孤独は違う。彼女の心は刻一刻と弱り始めているのだ。
それを周りには見せないよう、何とか振舞っている。むしろ、普段の櫛田ならすぐに気づくような惨状なのだが、浮かれ過ぎて気づけなかったみたいだ。
あと一手、いや二手といったところか?
それで堀北の心は完全に折れる。そもそもの話、原作の堀北は“兄に依存している”と言っていい。
だからその対象を、兄から俺たちに変えてしまえばいい。
そして、最後に櫛田が断れない最高の蜜を垂らす。
「櫛田さん。想像してみなよ。いつも強気で人を見下してる堀北さんの弱りきった顔を。櫛田さんに縋って、捨てないでって懇願してる様を。きっと承認欲求では満たされないような、——そんな気持ちよさがあると思うよ?」
「……ッ」
顔を近づけ、耳元でそう囁くと、櫛田はブルっと体を震わせた。
想像してしまったのだろう。堀北の顔を。自分に懇願している彼女のことを。
弱りきった櫛田の心には、きっと刺激的で、官能的な魅力だろうから、ね。
顔を離すと櫛田の頬が赤くなっていた。相変わらず口をポカンと開けて、どこかその目に情欲が混ざっているような気がした。
そんな櫛田が俺の顔を見て苦笑する。
「私が言うのもあれだけどさ。山内くんって、かなり性格が悪いよね?」
「なにを今さら。そうじゃなかったら、こうやって櫛田さんの前にいないさ」
「……それもそう、だね」
俺の言葉を噛み締めるように、
「ねぇ、もう少しだけ抱きしめてもいい?」
「仕方ないなぁ、急に子どもみたいに甘えるんだから」
「ほんと、一言余計だね」
もう一度ギュッと真正面から抱きしめる。
櫛田は自分の頭をスリスリと俺の胸に擦り付けてくる。
そこで、ふと動きがピタリと止まり、櫛田が顔を上げた。
キスができてしまう至近距離。櫛田は艶のある笑みを浮かべた。
「山内くん。堀北のこと、一緒に依存させようね♪」
「わかった」
堀北にはまぁ、悪いと思ってはいる。
でも、俺は先に櫛田の手を取ってしまった。それに、退学ルートに行かなかっただけ、マシと思って欲しい。
なんて、傲慢なことを内心で零すのだった。
よう実キャラ心の声
櫛田(体、私より大きい。山内くんってちゃんと男の子なんだ。……ふふ♪)→櫛田の心から、何かが歪んだ音が聞こえた。