つけっぱなしにしたテレビは、今日発生した電波障害について延々と情報を垂れ流している。
だが、今のわたしにとってはどうでもいいことだった。
「ねぇ、かぐや……」
ソファの上で膝を抱え、お人形のように動かないかぐや。その髪をドライヤーで乾かしてやりながら、わたしは続く言葉が出てこなかった。
コラボライブが終わってからずっとそうだ。
いまもどこか薄い膜の向こう側にいるような、地に足がついていないかのような気配がする。
(もしかして、芦花や真実が言ってたことって、こういうことだったのかな……)
唐突に海に行った時の会話を思い出す。
あの時、2人が言っていたわたしへの評価。『いつかふっと居なくなってしまいそう』という言葉。今ならそれがわかるような気がした。
それでも、わたしは無理に元気を出して話しかける。
「コラボライブ、終わっちゃったね」
「うん。でもーまだ、やりたいことだらけなんだ〜。明日もまた食材届くし」
「欲深怪獣かぐや〜」
「がお〜っ」
いちおうこたえてくれるものの、普段の元気の良さがない。ポーズも仕草も、どこか取り繕っているように感じられる。ソレは本人もわかっているようだった。
「……まだ、具合悪い?」
「……うん、ちょっと、疲れちゃったかも。先にねま〜〜す」
わたしが尋ねると、かぐやは素直に答え、立ち上がった。
「おやすみ」
「うん、おやすみ、彩葉。大好き」
そう言い残すと、螺旋階段を登っていく。精一杯元気に振る舞っているようだが、やはりどこかおかしい。わたしより先に寝ると言い出したのもそうだし、階段の手すりを使っているところも初めて見た。
かぐやの様子がおかしい。
それはあの異形に触れられてからだ。
やはりあの異形に何かされたのではないだろうか。そもそも、あれは一体なんなのだろう。
意識の隙間を突くように伸ばされた手。SETSUNAで鍛えたわたしの警戒を意図も容易くすり抜けていた。推測でしかないが、あのような虚のつき方が出来るのならば、国内有数のプロゲーマーでも相手取るのは難しいのではないだろうか。
それに、腕を切り落とした感触。あれは、触覚がないはずのツクヨミで、なぜか実態を斬っているような生々しい感触があったように感じられた。それも、生半可な手応えではない。以前精肉店で臨時バイトをしていた時のような、大きめの塊肉を切る時のような、重くずっしりとした感触のそれに近い。
また、普通ツクヨミの中では欠損したパーツは花びらとなって消えていく。あのように、原型を止めて地面を転がり、切断面からはカブトガニのような青い血液が流れるエフェクトなど存在しないはずだ。
あれの目的はなんだったのだろう。
先ほどからやかましくニュースで取り沙汰されている通信障害。スマコンに映り込んだ謎の影。アバターの乗っ取り。スマホやPCの回線切断。謎の数字の表示。ソレら全てに関わっていることには間違いない。
『2030/09/12』
日付と考えるのが自然だろう。
今日は八月三十日。あの数字の通りなら、12日後に何かが起きる。でも、なぜそんな日付をあれらは指定したのだろう。
疑問に思い、調べるためにスマホを開く。
「……げっ」
画面には、『母 不在着信:10件』の文字。それだけで母の機嫌の悪さが透けて見えるのはなぜだろう。
「そろそろ無視し続けるのも限界かな……」
これ以上、祖父母や兄に心配ををかけるのもなんだか違う気がする。
わかってはいるけど、出る気がしないのはその先の展開が読めるためだ。まず、電話に出るのが遅いと詰られる。そして折り返さなかったことに責められる。そこから近況報告を求められ、わたしの一挙手一投足にダメ出しが入るのだ。わたしがどんな成果を上げたところで、母は満足しないのだから。
わたしが首席で高校を卒業しても、 東大に首席で入学しても、大学院に進んでも、一流の企業に就職したり官僚になったり、それこそ首相になったとしてもーーって、なんだこれ。
「……これが、わたしのやりたいこと?」
口に出してゾッとする。
そして、ゾッとしたことに驚いた。今ままで何度も反芻して、これで間違いないと思って決めてきた、わたしの目標のはずだ。なのに、その未来の中には、なぜかかぐやも、芦花や真実の姿さえ見えない。祝福されて然るべき未来なのに、どこまでも静かだ。
『なんで彩葉は、そんなに1人で頑張らないといけないの?』
いつかのかぐやの言葉が、わたしの頭の中に蘇る。わたしの中で何かが変わりつつあるのだろうか。では、わたしはなにを、なんのためにーー。
「……て、だめだ。今は違う」
首を振って、頭の中の黒い霧を振り払う。
そして画面をスワイプし、検索フォームを出す。先ほど覚えた数字の文字列を入力し、検索する。
そして、まつこと数秒。
「次の満月……?」
検索結果の中で、一際目を引いた。そういえば、あの時文字だけでなく、満月の画像も同時に表示されていたはずだ。
いつかのかぐやの言葉が脳裏に蘇る。
『いつか、お迎えがくるかもしれないし〜!』
「まさか……」
だが、同時にライブのあの瞬間が思い出される。
あの時、異形のモノはヤチヨに一礼しているように見えた。だが、実際のところはどうだったのだろう。あの立ち位置からは、ヤチヨも、私たちも同一軸線上にいたはずだ。ならばあの時頭を下げていた対象は果たして本当にヤチヨだったのだろうか。
その奥には、かぐやがいたはずだ。
* * * * * *
次の日、わたしは一睡もできずに布団から身体を持ち上げる。アラームは全て1分前にその役割を止めている。だが、なかなか部屋を出る気にならなかった。
かぐやと顔を合わせるのが怖かった。
だが、完璧女子高生という役を羽織る以上、限界はある。
制服に着替え、手櫛で髪を整えて部屋を出る。
階下ではドタバタと賑やかな音が響いている。またかぐやが何かやっているのだろう。かぐやはどんな顔でわたしを出迎えるのだろうか。そう思いながら、階段を一歩一歩降りる。
「おはよう! 彩葉!」
「おはよう……って、なにやってんの」
リビングに降りたわたしを出迎えたのは、出刃包丁の煌めきだった。キッチンに回り込んでみると、まな板をはみ出すほどの大きな魚が乗っている。
「……これは?」
「白甘鯛! 通称シラカワ! 料理配信用に買ったんだ〜」
「こんなに早く届くもんなの?」
「朝イチで届いた! いや〜、まさか魚市場直送でくるとは。かぐやちゃんの予想を超えてくるなんて、流通網恐るべし……。で、これ、炭火焼きにしたいんだけど、ダメ?」
「火事になるからやめなさい」
流石に『タワーリングインフェルノ』なんてやったら、全国ニュースだろう。兄にもどれだけ迷惑をかけるかわからない。
「だめか〜。制服着てるけど、もう学校始まるの?」
「ううん、夏期講習。ずっと行ってたでしょ」
「そだっけ? 昨日は?」
「昨日は日曜じゃん」
「あ、ほんとだ。夏休みだから曜日感覚なくなってたよ〜」
「あんたはいっつも日曜でしょ」
「たっは〜」
戯けたように笑うかぐや。それに釣られてわたしも苦笑する。
…………こんな、話がしたいんじゃないのに。
随分早起きだね。眠れなかったの?
ーーわたしは、全く眠れなかったよ。
なにを考えて、眠れなかったの?
ーーわたしは、あなたのことを。
昨日のこと、覚えてる?
聞きたいことは山ほどある。お互いに胸の内を曝け出して話し合いたい。学校なんてどうでもいい。
そう思うのに、口から漏れるのは意に反した言葉だけだ。
「じゃあ、行ってくるから」
「うん、いってら〜」
かぐや。あなたはなんでわたしになにも言ってくれないの?
玄関にあるローファーが、まるで特級呪物のように足に合わない。誰かわたしの靴下に鉛でも仕込んだのだろうか。一歩目が、なかなか出ない。
「行ってきます」
それでも、一歩足を踏み出した瞬間だった。
ゾワリ、と全身を悪寒が貫いた。
咄嗟になにもない空間を、まるでツクヨミの大剣を持っているかのように薙ぎ払う。もちろん、何かあるわけでもなく、なにも持っていないわたしの手は宙を切る。
だが、この感覚には覚えがある。つい最近、目に見えない、感じ取れない何かが横を通り抜けようとする感覚。
「……かぐや!」
ローファーを脱ぐのももどかしく、靴のままリビングに駆け込む。
かぐやは出刃包丁を握ったまま、ぼうっと手首を眺めている。ーーいや、あれはブレスレット、か?
しばしブレスレットを眺めたのち、かぐやはそのまま顔を上げると、どこか遠いところを眺めるような表情で、なにもない空間を見つめる。
「かぐ、や……」
「彩葉……?」
なにを見てるの? なにが見えているの?
なにを聞いているの? なにが聴こえているの?
「行ってらっしゃい」
オレンジ色に輝く瞳で、かぐやはわたしを送り出す。だが、声に彩はなく、目はわたしを映しているのかさえ疑わしい。
……なんで、なにも言ってくれないの?
気がつくと、わたしは教室の中にいて、夏期講習を受けている。立っていることからも、わたしの口から何か音が漏れていることからも、おそらくは指名されて何か答えているのだろう。だが、わたしの脳はそれらを全く受け付けていない。今がいつのか、なにをやっているのか、全く頭に入っていない。
そんなわたしを、立花先生は心配そうな眼差しで見ている。だが、その意図をわたしの脳は正しく認識していない。
そして、気がつくとわたしは玄関に立っていた。
「かぐやっほー! 今日は白甘鯛の三枚おろしにチャレンジ! 三枚おろしに必要なのは、出刃よりも根性! いい? 根性さえあればなんとかなる! じゃ〜まずはここら辺にいい感じに刃を立てるとそっからスゥーッと引いて……」
玄関まで、かぐやの賑やかな声が聞こえてくる。その配信を邪魔しないように、わたしは自室に入る。
また、話せなかった。
また、話さずに済んだ。
そんな、相反する感情を抱えていると、スマホに通知が入った。芦花からだ。
「今からツクヨミに集合……?」
疑問に思いながら、スマコンを装着する。
呼び出されたのは通称ツクヨミ川床。到着するなり、芦花と真美が興奮気味に詰め寄ってくる。
「昨日のライブ、めっちゃ良かった〜!」
「最高だった!」
「彩葉の演奏!」
「感動した〜!」
「あ、ありがと……。でも、他の人もいるから静かにね」
「無理! 騒ぐ!」
「わたしたちiroのともだちで〜す!」
そう褒めちぎってくれるものの、わたしの気分は晴れない。
コラボライブ。それだけで今までのわたしなら死ぬまで忘れない一生の思い出となっただろう。だが、今は遥か彼方の出来事のように感じられる。
「そういえば、かぐやはどした〜?」
いるはずもないかぐやを探して、真美がキョロキョロする。
「あー、かぐやは……魚」
「魚?」
「魚、捌いてたよ」
「なら、ちょうどいいか」
「ね」
謎にそう言うと、2人は意味ありげに目配せした。
そして表示したるは一枚のチラシ。
「なら、一夏最後の思い出はどうかな〜、お嬢さん?」
そう言って差し出されたチラシには、『納涼花火大会』の文字がデカデカと飾られていた。