「ふう、間に合った」
かぐやと共に巡った屋台の戦利品の数々をブルーシートに下ろした。花火大会開始には間に合ったものの、あまりにも回るものだから、途中からはヒヤヒヤだった。
かぐやはそれらも楽しそうに足をばたつかせていたが。
だが、やはり普段よりもかぐやの雰囲気は固い。どこか、空元気を出しているかのような、無意識に気負ってしまっているかのような。
そして、それはわたしも同じだ。これから訊ねる内容を考えるだけで、自然と緊張してしまう。
「ねぇ、かぐや……」
「ん?」
「……いっつもそれつけてるよね」
だめだ。緊張してしまって、本当に訊ねたいことを口の中にしまい込んでしまった。代わりに誤魔化すようにブレスレットを指差す。
「あー、なんか、落ち着くんだ。故郷って感じ?」
「そっか」
「うん」
「……」
やっぱり、何もいえない。訊ねたいことは山ほどあるはずだ。なのに、わたしの口は縫い付けられてしまったかのように動かない。……動けない。
わたしが訊ねて、それをかぐやが答えて仕舞えば、その時点でその話は確定してしまう。その事実を知ることが恐ろしかった。
そんな何もいえないわたしの沈黙を埋めるように、かぐやは話し出す。
「やっぱり、楽しいのって最高だよね〜。……月ってさあ、何もないの。味もない。温度もない。決められた役割だけをずぅーっと繰り返すだけで、超つまんないの」
「……そうなんだ」
「こっちで言う、ゲームのNPCみたいな感じ? 真似っこすら誰もしてくれなくて、始まれば終わる。終わったらまた始まる。その繰り返し。……同じループの繰り返しで、新しいお話なんて始まらない」
全然想像がつかない。
音楽にはボレロのように繰り返しを主軸とした曲もあるし、逆に『4分33秒』のような曲も存在する。
だが、それらには確かに作り手の意思、そして演奏者の腕前が現れる。たとえ同じ人が同じ楽器で、同じ環境で演奏したとして、常に同じ彩を魅せるとは限らない。
……いや、『4分33秒』は同じかもしれないが。
「そんなんだからさ、そんなこと考えるのがまず異常っていうか……。だから、かぐやだけ浮いてたんだよね〜」
やめて。そんな悲しい言葉を、悲しい『音/彩』を、そんな綺麗な笑顔で言わないで。
「わぁ……。綺麗……」
空に大輪の花が咲く。それを皮切りに、連続で光が煌めく。飛遊星、花雷、千輪、蜂、冠……。それらの明かりが夜空を彩り、衝撃が私たちを震わせる。
その灯りに照らされるように、かぐやが言葉を続ける。
「寂しいし、退屈。毎日繰り返し、退屈、死にそう。もうやだ。どっかいきたーい。……そう思ってたら、違う世界が見れる窓を見つけたの」
「……窓?」
「うん。窓から彩葉たちの世界を見たら、みんな好き勝手動いてて、複雑で、一回きりで、自由に見えた」
「私たちが?」
「うん。でも、こっちきて気づいた。みんな、抑えてもいるんだよね、自分の気持ち。多分、もっと大切なもののために」
よくわかってんじゃん。ついこの間まで、パンケーキねだって、わたしの作った音楽ねだって、ハッピーエンドがいいと駄々を捏ねて泣いてたのに。あれはいつのことだっただろうか? 1週間前? 3週間前? そんなかぐやの成長が嬉しくて、少し怖くて、少し悲しくて……。
「なに? おとなじゃーん」
「えへへ、彩葉の真似かなぁ」
つい茶化すように訊ねると、かぐやは気を悪くした様子もなく答える。……これでは、わたしの方が子供みたいだ。
「ねぇ、彩葉。一つ、聞いていい?」
「なに?」
「彩葉、お母さんのこと、好き?」
笑顔を崩さないままそう尋ねてきた。突拍子もない質問だったが、かぐやにとってはそれが重要な確認なのだろう。
「……どうだろう。わかんないや」
家族が好きだった。
いつも優しくて、音楽のことを教えてくれるお父さん。
意地悪だけど、遊んでくれるお兄ちゃん。
かっこよくて、綺麗で、強くて、みんなに憧れられているお母さん。
普段の厳しいお母さんと、お父さんと一緒にいる時の優しいお母さん。
お母さんに褒められると、涙が出るほど嬉しかった。突き放されると、全てが否定された気持ちになった。わたしの気持ちを、お母さんが利用しているのだと気づいていても、わたしは、お母さんがーー大好きだった。認められるためなら、死んでもいいと思っていた。
でも、どれだけ頑張ってもわたしは完璧になれなくて、お母さんは変わらなくて、笑ってくれなくて、責められて、ぶつかって、そしていがみ合うようことを望んでるような態度が耐えられなくて、逃げ出した。
矛盾していて、ドロドロで、目を覆いたくなるほど腥いものがわたしの中にはある。
おそらく、この感情のままに鍵盤に指を這わせたら、聞くも悍ましい音になるか、逆に苦悩に塗れ音の消えたものにしかならないだろう。
「そうだね……。嫌いになれたら、って何回も思ったよ」
泣けたらどれほど楽だっただろう。身体が限界を訴えられたら、心が悲鳴を上げられたら、もしかしたら違う関係でいられたのだろうか。
「何それ。そんなん、彩葉、余計に可哀想じゃん」
かぐやの明るい声色に相反して、わたしの視界は滲んでいく。錆びついていた水栓が緩み、透明な錆が流れ出す。
事情も知らない誰かに言われたら、ムッとしていただろうその言葉が、わたしの中に染み込んでいく。
……そうか。わたし、可哀想だったのかもな。
「ごめんね? あの時、お母さんのこと、おかしいって言っちゃって」
脳裏に、あの会話が蘇る。
「てか、怒ったってよかったじゃん。かぐやにはわかんない、って言いたかったしょ?」
その言葉に、母の言葉が蘇る。
あの時、わたしはお母さんと一緒に泣きたかった。受け止めて欲しかった。
でも、お母さんは違っていた。受け入れて、受け止めて、進む覚悟を固めていた。
でも、わたしは違っていた。……その違いが悲しかった。
「……違うよ。言いたかったんじゃない」
「……彩葉」
「言いたく、なかったの」
凄く、悲しかったから。悲しいこと、だったから。
「……そっか」
不意に指先が温もりに包まれる。かぐやがわたしの手に掌を重ねていた。
わたしはその手をすり抜けて、手首を握り返す。滑らかで、細くて、それでも芯の通ったかぐやの腕。 いつの間にこんなに強い腕になったのだろう。電柱から出てきた時はふかふかで、頼りなくて、力を込めれば指が肉をすり抜けそうだったのに。
あんなに小さかったのに……。
「ねぇ、かぐや」
「うん?」
「かぐや……」
「……うん」
「月、帰っちゃうの?」
「うん」
あっさりと頷いた。やっと聞けた。すっと聞きたくて、ずっと聞きたくなかったことで。
「いやー。月の仕事放り出してきちゃってさ。強制送還的な? あはは」
かぐやの苦笑い。なのに、それはどこまでも悲しくて、寂しくて……。
かぐやは花火を見上げながら言葉を続ける。
「かぐやは、かぐや姫だったみたい」
身を捩らせて打ち上がった光弾が破裂し、さまざまな光を夜空に広げる。まるで、万華鏡を覗くかのように。
「次の満月に、お迎えが来る」
やはり、あの数字はかぐやが月に変えるリミットだったのだ。
「お迎えって、うちに来るの?」
「ううん。多分、ツクヨミの中。仮想空間って月ととても近いから、あの中なら舟を飛ばさなくても簡単に干渉できるはず」
かぐやはとっくに気がついていたんだろう。いや、思い出したと見るべきか。おそらくは、あの月人に腕を掴まれた時点で。
かぐやの手首を掴む手に力がこもる。あんな腕、また振り解けばいいじゃないか。
「また、逃げればいいじゃん」
「え?」
「かぐやは、かぐや姫じゃないよ。もっとはちゃめちゃで! めちゃくちゃで! だから、御伽話とは違うじゃん!」
苛立ちをぶつけるように手元のかき氷に何度もストローを突き立てる。
あんな腕、何度だってへし折ってやる。今度は指一本触れさせない。それでも近づくというなら、あいつらを題材に処刑用BGMを奏でよう。
逃げればいいじゃないか。なんで一緒に逃げようと言ってくれないの? わたしはかぐやと一緒なら、地の果て、海の底、空の彼方。どこへだって行くというのに。
かぐやらしくない。子供みたいに泣いて喚いて暴れたらいいじゃないか。それがかぐやじゃん。なのに、なんで、いつの間にーー。
「そんなハチャメチャかぐや姫にもお迎えが来ましたが、最後までメチャクチャ楽しく過ごしましたとさ。って、そういうのがいいじゃ〜ん⭐︎」
いつの間に、そんなに大人になったの。
また、わたしだけが泣いている。
「これがわたしのエンディング! チョー楽しく運命目掛けて走ってく!」
『受け入れて、覚悟するしかない』
いつか言った、わたしの言葉が蘇る。そんな綺麗な顔で言われたら、もう何も言えなかった。
「……そりゃあ、ほんとはさ。もっともっと彩葉と一緒にいたかったよ。新しい曲だってたくさん。それにまた一緒にセッションしたいし。あ、そうだ、ライブしよう! お迎えが来る日! 派手に!」
その言葉に応えるようにスターマインが派手に夜空を彩る。
かぐやは連続で上がる花火を見つめ、満面の笑みを浮かべている。その顔は、花火に負けず劣らず、綺麗だった。
……かわいいな、かぐやは。
それから私たちは黙って空を見上げ続けた。
花火が終わるまで。周囲からざわめきが消えるまで。2人っきりになるまで。川のせせらぎが周囲を満たすまで。
「もう、おうちに帰らなくっちゃ」
かぐやが、静かにそう言うまで。
「帰れなくなっちゃう」
それがかぐやの気持ちなら、尊重しなくちゃ。そう思えば思うほど、苦しかった。綺麗なのに、見ていられない。鮮やかで、色褪せて。そんな世界の中で、かぐやの姿だけが印象的だった。