花火から帰ってすぐ、かぐやはライバーの引退と卒業ライブを発表した。
当然、SNSは即座に沸騰し、驚きと悲しみと撤回を求める声で溢れ返った。
それに対し、かぐやは『楽しかったけど、これでお終い!』とだけ答え、それ以上一才の言及を避けた。
真実や芦花、お兄ちゃんからもわたし宛に心配するDMが届いたものの、かぐやの意思を尊重する以上、わたしからは何も言えることはない。
『ありがとう。大丈夫だから』
ただそれだけを記して返事とした。
嘘は何も言ってない。かぐやが月に帰るだけ。かぐやが家に帰るだけ。それは決まっていたことだし、かぐやも受け入れているから『大丈夫』。
そしてわたしも、元の日常に戻るだけなのだから『大丈夫』だ。
始業式が終わると、そのまま授業が始まる。学校が終われば、アルバイト。わたしはそれらの『日常』を淡々とこなす。
バイト先で後輩のフォローをする。何も変わらない。平常運転なのだから。いつもの時間にアルバイトを終えて家路に着く。
かぐやがいなくなったら、あそこも引っ越すことになるだろう。1ヶ月、2ヶ月程度で引っ越すという、不動産屋には申し訳ないが、家賃が払える見込みがないのだから仕方ない。また新しいアパートを探さねば。そうすれば全て元通り。完璧女子高生、酒寄彩葉の平和な日常が帰ってくる。
「…………」
なのになぜ、店のガラスに映るわたしは、今にもボロボロと崩れ落ちてしまいそうなのだろうか。いつもの暮らしが戻ってくる。元の日常に戻ってくる。ただ、それだけなのに……。
「……なんて顔、してるんだろ……」
ガラスの中のわたしの顔に手を伸ばす。冷たくて、硬くて、無機質な頬。
戻るのだ。この日常に。
「ただいま」
「おか〜」
帰ったら、かぐやがカニと戯れていた。随分乱暴に水を汲んだのだろう。洗面器の周りはびしゃびしゃになっていた。
「……ねえ、かぐや」
「んー?」
「卒業ライブ、するんだよね」
「するよ〜」
「……新しい曲、作る?」
「え!?」
わたしの言葉にガバリと身を起こす。
「マジ! いいの? 新曲作ってくれるの!」
「うん。いいよ」
その言葉に、かぐやは歓声を上げる。これが引っ越しする前のアパートだったら、下からも横からも壁ドンを受けていただろう。引っ越ししていて本当によかった。
「どんなのがいい?」
「あの途中で終わってたやつ!」
イメージを聞いたはずなのに、具体的な曲を指名されるとは思わなかった。途中で終わっていた曲。それはわたしのPCの中に数多く存在する。だが、ここで言うかぐやの示している曲は、おそらくーー。
「ほら、これ!」
そう言って持ってきたPCの画面に表示されていたのは、『タイトル未定(彩葉と共作)』
その表示を見て、胃袋がずしんと重くなった感覚にとらわれる。だが、それを飲み込んで、わたしは答えた。
「わかった」
わたしは深く頷いた。
「じゃあ、ちょっと集中したいから」
そう言って部屋に篭る。
普段から曲を作る時と何も変わらない。そのはずなのに、次の一音が思い浮かばない。耳に聞こえてこない。指は鍵盤に張り付いたまま、ぴくりとも動かない。
代わりに、耳の奥に広がるのは、母の声。そしてーー。
(お父さん……)
普段のわたしからは考えられないほど辿々しい手つきで奏でられるリズムの中に、お父さんの声が聞こえてくる。
鍵盤に触れると、お父さんのことを思い出す。それは、かぐやが来てからより一層鮮明になった。鍵盤に触れるたび、どこか懐かしい思いがあったのは、おそらくピアノがーー音楽が父の記憶と密接に結びついていたためだ。
そして、ピアノに触れると言うことは、死んだお父さんの思い出と向き合うと言うことだ。幼い頃のわたしは、それが怖かったのだろう。そして、母のあの言葉。あれが決定打となった。
ーーピアノは自由な翼ではなくなった。
自由だったはずのものを、檻の中に入れてしまった。
そんなわたしを解放してくれたのは……。
いつの間にか、辿々しかったはずの指は丁寧に、されどしっかりと重厚な調べを奏でている。誰かに 語りかけるように、誰かと対話するように、細かく音を繋いでいく。
ねぇ、お父さん。わたし、大切な人ができたよ。わがままで、だらしなくて、腹が立って、でもとっても可愛くて、優しくて、笑顔をくれる人。お父さんもお母さんにおんなじこと思ったのかな。ねぇ、聞こえてる? お父さん。
どうして、誰の言葉も届かないところに行ってしまったの? わたしをーーお母さんを置き去りにして。
指が止まる。部屋の中を痛いほどの静寂が包み込む。
「ねえ、おとうさん」
わたし、もう大事な人を失いたくないよ。
指を鍵盤から離し、スマホを手に取る。宛先は、真実に芦花、お兄ちゃん。
『ごめん。全然大丈夫じゃなかった』
そんな書き出しで始まるメールを全員に送る。
ツクヨミにみんなを呼び寄せ、話し合いを終えて目を開けると、当たり前のようにかぐやが部屋の中にいた。
「めっちゃいい曲じゃん」
どうやら、作りかけの曲を勝手に聞いてたらしい。どこまでも行動がかぐやらしくて安心する。
「歌詞で苦戦してるけど、あともうちょっとで完成するから」
嘘ではない。だが、作ったところで半分くらい、ワンコーラスくらいの分量にしかならないだろう。そんなわたしを放って、かぐやは猫耳ヘッドホンに手を添えながら歌うように感想を口にした。
「楽しみ〜。本当に好き、このメロ〜。彩葉天才!」
「……いや、わたしだけじゃなくて。これ、お父さんと一緒に作ってた曲なんだ。初めての」
「え、そうなん?」
わたしの告白に、かぐやは意外そうな顔をした。それに頷きながら、わたしは答える。
「お父さんが死んじゃってからは……、何曲か作ったんだけど、いつも何かが違う気がしてやめちゃった。こっちに来てから作ったBGMも、作曲してた音源も……。かぐやに出会う前の曲は、わたしにとっては不完全で、未完成だった」
「そっか。かぐやは好きだけどな。彩葉の作った曲全部」
「ありがと。とにかく、今日中にこの曲完成させちゃうから」
「なら、かぐやが歌詞考える!お父さんも喜ぶんじゃない? 例えば、サビはこう! 『この一瞬を〜 最高のパーティーにしよ〜〜』」
即興ですらすらと出てくるあたり、かぐやは何も変わってない。いや、変わったからこそ、変わらないものなのかもしれない。
「ねえ、かぐや」
「ん?」
「……いや、なんでもない。ヤチヨがライブの演出引き受けてくれるって」
「頼んでくれたの? やりー振り付け考えてくる!」
そのままバタバタとかけだしていくかぐや。程なくしてリビングの方からドタバタと暴れる音がしてくる。
「ほんと、かぐやは……」
強くて自由でまっすぐで。それなのに、なんで……。
淋しさを感じながら、PCに向き直る。
不思議なものだ。わたしはかぐやを失いたくない。そのために、月人撃退計画まで練っている。
その一方で、こうして裏でせっせと卒業ライブの曲を作っている。みんなが知ったらどう思うだろうか。
でも、ごめん。みんな。この曲は、わたしが個人的にかぐやに送りたいだけなんだ。
作曲を再開し、編曲を始める。サビはかぐやの要望通り、強めのアップテンポで疾走感に溢れたメロディ。かぐやの置いていった歌詞と合わせて、一度流してみる。
「……あれ?」
思わず声が漏れる。
そんなはずがない。もう一度、巻き戻して流す。だが、変わるはずもなく、その音楽は流れてくる。
受ける印象は違う。だが、この感覚は……。
進むべき道を見失った時に、翼を授けてくれた感覚。
疲れた頭が、ついつい紡ぎ出してしまう感覚。
月を見上げて、涙が零れる感覚。
泣き止まない赤ちゃんがすやすやと眠りに落ちる感覚。
「Remember? なんで……」
ヤチヨのデビュー曲。
同時に、わたしをさまざまな面で救ってくれた曲。溺れそうなわたしに、空気を届けてくれた曲。
無意識に盗作してしまったのだろうか。いや、それはあり得ない。これはお父さんと一緒に作った曲だ。もちろん、ヤチヨがライバー活動をするはるか前に。
じゃあ、ヤチヨが剽窃した? それもあり得ない。この曲はずっとPCに眠っていた。曲の存在を知るのは、わたしとお父さんだけ。お母さんすら知らない。
ならば偶然か? 可能性としてはそれしかないが、しっくりこない。基本的なコード進行があるとはいえ、こうもメロディが一致しては偶然の可能性は低い。
すぐさま、スマホに手を伸ばし、そしてそのまま固まる。
どう聞けと言うのだろう。まさか、『10年以上前に作っていた曲とヤチヨのデビュー曲が一致しました。どう言うことでしょうか』なんて聞けと言うのか。常識的に考えて馬鹿馬鹿しい。
わたしが盗作したと言われるのがオチだ。それに今更言い出したところでこちらが一方的に言いがかりをつけているようにしか見えないだろう。更新時間だって、PCの設定を少しいじれば誰だってできる。証拠にはなり得ない。
「でも、偶然じゃない、よね……」
真っ当に考えれば、偶然サビが一致した。それだけのことだ。だが、わたしがここ2か月間で感じるようになったヤチヨへの謎の既視感。月人のあの態度。そしてこのメロディだ。何か、わたしは重大な見落としをしている。PCからサビがリフレインする中、そんな感覚が拭えなかった。