「みんな、お疲れ様でした。……本当に、ありがとう。先帰るね。ごめん」
結局、わたしの考えた策はかぐやを救うのに何も意味をなさなかった。親友に心の傷を負わせてしまった。兄とその友人たちにはプロゲーマーとして致命的な『チート使い』という汚名を背負ってくれてまで協力してくれたのに、届くことはなかった。
最後まで、いつも通りの仮面を被ることができていたのはもはや奇跡だっただろう。もしくは、みんな気づいていて何も言わなかったのかもしれない。
ログアウトして、改めて現実を突きつけられる。
脱ぎ散らかされたかぐやの服。その中に光っているかぐやのスマコン。装着者がいなくなったためだろうそれは、もはや普通のコンタクトにしか見えない。
それを見ながら、スマコンを外す。
玄関を横目に見つつ、真っ暗な廊下を踏み締める。僅かに開いていたお風呂場のドアを閉め、キッチンを通り過ぎてリビングへ。そこでぐるりと部屋の中を見渡す。
あらゆるところにかぐやがいた。
脱ぎ散らかされたままの靴。まだ半ばほどしか開封されていない荷物。そして、廊下にまで溢れている配信道具とは名ばかりのガラクタ。お風呂から溢れる香り。出刃包丁。冷蔵庫に貼られた簡単レシピと注意書き。冷蔵庫の中には、一食分に小分けされた様々な惣菜の数々。全部分量は一人前しかない。壁に染み込んだ笑い声。
たった一月もないのに、家中にかぐやが溢れていた。
ある日突然やってきて、完璧だったわたしの生活を散々引っ掻き回し、ある日突然いなくなった宇宙人。
「お金勝手に使うし。メチャクチャやるし。片付けしないし。ずーっと、邪魔だったよ。本当、最悪だよ」
その時、スマホの通知が光る。かぐやからの入金の知らせだった。
『使っちゃった分、返す! ご迷惑おかけしました』
明らかに多すぎる金額。一人で頑張り、時にわたしや芦花、真実を振り回し、色々浪費したくせに溜め込まれていたもの。そして今の世界では数少ないかぐやがいたという痕跡。
「こんな大金、使えるかよ。バカヤロー……」
リビングの床に膝をつく。涙が止まらなかった。
気がつけば朝となり、そして雨が降っていた。いつから降り出したのだろう。全く気が付かなかった。
顔を上げると、キッチンでお玉を指揮棒のように振っているかぐやの姿がみえる。
視線を少し横にずらせば、冷蔵庫の前に立っているかぐやがいる。料理をしまっているのか、それともおやつを取り出しているのか。
さらに視線を変える。
ソファの上では、買い込んだアコーディングギターを出鱈目にかき鳴らしている姿がある。
廊下ではかぐやがドタバタとヘンテコな踊りを踊っている。
配信部屋ではアイドルの配信を見てペンライトを振り回しているかぐやの声が耳に響く。
そして、わたしの部屋では、わたしから手ほどきを受けながらピアノやヴァイオリン、フルートに挑戦していたり、わたしの曲に合わせて歌っているかぐやの、『音楽』が響いている。
わたしは立ち上がると、マンションのそこかしこに残ったかぐやの残滓に一つ一つ触れて回った。時間をかけてかぐやとの思い出を一つ一つ確かめながら、丁寧に片付け始めた。
このマンションにはこれ以上住むことはできない。金銭面に関してはどうとでもなる。iroの収入を当てにするというのは愚か者の発想だろうが、この調子で稼げるならば問題はない。
だが、わたしにはこれ以上こんなにたくさんのかぐやを抱えてーーかぐやの残り香を追い求めてしまう今の状態でーー前に進むことはできないから。
お風呂場からは、せっかく大きな浴槽だから一緒に入ろうとねだるかぐやの声が聞こえる。トイレからはタブレットを抱えて閉じこもるかぐやの気配がする。玄関にはインターホンに反応して駆け出したかぐやが宅配の人と楽しそうに話し出す声が響く。
そんなかぐやと一人一人向き合い、いろんなことを思い出し、何度か日が登りそして同じ数だけ沈んだ頃、わたしはリビングルームにたどり着いた。そこには、もう残されたかぐやも、隠れているかぐやもいない。
だたっ広いリビングルーム。ショールームに使えそうなほど片付けられたその部屋は、とても色褪せて見える。
そんな虚しい部屋の中で一晩過ごし、わたしは身体を慣らした。
目を覚ましても、もうかぐやの声は聞こえない。片付けるべき場所はもうない。今すぐ退去しようとしても、スムーズに運べるだろう。
前を向く時が来たのだ。
次の朝、わたしは制服に着替え、ローファーに足を通す。
「行ってきます」
伽藍堂の廊下に、わたしの声だけが響く。
* * * * * *
御伽話のようなかぐやとの日々が終わり、彩葉に完璧な日常が戻ってきました
これがかぐやと彩葉の物語
めでたしめでたし
* * * * * *
「そんな風に、終われるわけ、ない!」
無断欠席を繰り返した挙句、やっと登校した日の帰り道、わたしはそう決意する。
進路表はまだ提出していない。芦花と真実には明日から欠席する旨を伝える。
バイト先にも同様だ。正直首を斬られても仕方のない暴挙だとは思うが、それならばそれで納得もする。
配信部屋に飛び込むと、片付けたばかりのキーボードを引っ張り出す。あとPCとヘッドホンとスマコンとエナドリと諸々を持ち込む。流石にかぐやの作った料理を無駄にするのは勿体無いので、食事時間だけは繰り返しのアラームを設定することにするが。
「あとは……」
これからのことは邪魔されたくない。そのためには一つ、難関がある。
『着信履歴 母:20件』
その表示にごくりと唾を飲み込む。だが、固まっていたところで事態は好転しない。ならばいっそのこと先制攻撃だ。
震える指で発信ボタンに触れる。
「……もしもし。お母さん?」
内心ガクガクで、今にも緊張で倒れそうで。それでも虚勢だけは張って、自分を奮い立たせて。
随分言いあった。
何時間話し込んだだろう。電話越し、400kmの言い争いの果てに、電話口から聞こえた声は突然だった。
「わかった」
急にそう言う。だが、それだけではなかった。
「やってみ。ただ、好きなことをするには責任が付きまとう。向いてたかどうかなんて最後までわからんし、最悪誰もおらんところで一人で死ぬことになる。それを忘れたらあかんよ」
それだけ母は言い残すと、電話は切れた。
途端に椅子にへたり込む。
「……言えた」
今までなら、言えなかった。今までなら、母に認められたなら天にも登るほど嬉しかった。
なのに、今では何の感慨も湧かない。
「そっか… …」
わたしの中の1番が、とっくに変わってたんだ。
少し寂しくて少し嬉しい。この感情は何なのだろう。
頭の中には、もう母の声は響いていなかった。
それから何度も月が上った。
食事と睡眠以外の全てを注ぎ込んで、それは生まれた。
苦しんで苦しんで、それでも最後は月に導かれるようにすんなりと。
……お父さん、わたし、ちゃんと楽しめたよ。
生まれたての熱を持ち、脈打つその曲を抱えてバルコニーに出る。風のない夜。左半分が闇に隠されている月が輝く、そんな夜。
かぐや、そこに居るんだよね。聞いてくれるかな。かぐやほど上手くないかもしれないけど、わたしの全部を注ぎ込んだんだ。
ブレスレットを両手で抱え、月明かりに照らされた夜の空気を吸い込む。
何度も何度も繰り返して歌う。
かぐやを思い出しながら。かぐやとの日々を思い出しながら。
いつしか、歌声はひとつじゃなくなっていた。
二人で歌っている。かぐやはやっぱり曲覚えがいい。
かぐやと一緒に歌っていた。空耳ではない。確かに聞こえる。かぐやの声だ。
『そんならかぐや、もう一回!』
笑っている。駆け出している。歌おう。何度でも。
そうして何度目だろうか。わたしが歌い始めた時、もう一つの歌が重なった。
……だと思ってた。
作っているうちから、なんとなくそんな予感はしてたんだ。確信したのは、実際にかぐやの輪唱が響いてきた時。ーーかぐやにせがまれて、曲調を変えてみた時。
思えば、最初から予感はあった。
音楽を捨てたはずのわたしが、なぜ彼女の曲だけには魅かれたのか。
なぜ彼女の曲は、わたしの心の奥底にまで響いたのか。
彼女はなぜ、わたしの作った曲と同じメロディを歌っていたのか。
そしてなぜ、彼女はいつもこの先の運命を知っているかのように、静かに笑っていたのか。
いくつかの予感が、いくつものなぜが、一つへ収束していく。
「ヤチヨ……」
あなたも聞いてるんでしょ?
ツクヨミで。ーーこのリビングルームで。
ソファに行儀よく腰掛け、わたしを嬉しそうに、寂しそうに笑ってみているヤチヨを幻視した。
駆け足気味ですが、これで一度締めます。
続きや保管エピソードは随時挿入予定です。