作曲家iro   作:冬良

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配信活動の裏側で③

「いろは……?」

 不自然に途切れた声を疑問に思い、振り返ったわたしの目に映ったのは、虚な目をして顔が真っ青になり、崩れ落ちる彩葉の姿だった。その姿からは、まるで上から吊られている糸を一気に切られた人形のようで、手足がそのまま無造作に宙を泳いでいた。

「いろは!」

 咄嗟に地面に飛び込む。腕やお腹を地面に擦り付ける羽目になったが、そんなことはどうでもいい。このまま倒れれば彩葉が怪我をしてしまう。その一心だった。

 幸い腕の上にかかる重みから間一髪彩葉を抱えることには成功したのだろう。だが、そのことにホッと息を吐く余裕もなかった。

「彩葉? 彩葉! しっかりして、彩葉!」

 その身体は、この蒸し暑い日差しの中でもはっきりとわかるほど熱い。それこそ、やけどしてしまうのでは無いかと思ったほどだ。その一方で、彩葉の全身はまるで風呂に飛び込んだかのようにびっしょりと濡れている。

 そして、顔を覗き込んでもぐったりとした様子で虚に開かれた目は何も映していなかった。ゆすったり呼びかけたりするものの、反応はない。

「どうしよう……。こんな時は……」

 考えるものの、思考は空回りを繰り返す。いままでずっと平気な様子しか見せてこなかった彩葉が倒れた。周りを歩いている人はいない。そして、こんな時どうすればいいのかわからない。

 そうしている間にも、彩葉の息は弱くなっている様な気さえする。先ほどよりも身体から力が抜けている様な気がする。その一方で、寒いのだろうか、彩葉の身体はガタガタと震え始めた。

「どうしよう、このままじゃ彩葉が……!」

 死んじゃう。

 今までずっと映画とかの作り話の世界だけだと思っていた。だが、それが唐突に目の前に、はっきりとした重さを伴って突き付けられる。

 だが、そうすれば良いのかわからない。何が正解なのかもわからない。凍えているなら、身体をあっためれば良いのだろうか。それとも、この熱々の身体を冷やすべきなのか。呼びかけて起きるのを待った方がいいのだろうか。

 空転する思考の中で、不意にポケットの中が震えた。

 慌てて取り出すと、ただのふじゅ〜振込の通知だ。こんなクソ忙しい時にふじゅ〜なんぞ、と思いかけたが、その時やっと携帯という手段が頭に浮かんだ。

 震える手でロックを解除し、登録されている数少ない連絡先に電話をかける。1コール、2コール……。2人が出てくれる保証はない。それでも、いまのかぐやの頭の中には、それ以外の考えが思い浮かばなかった。

 気が遠くなる様な時間が流れる。実際はすぐに2人とも出てくれたのだろう。だが、それまでの時間は耐久配信の時以上に長く感じられた。

「もしもし。かぐやちゃん、どうした?」

「またゲームのお誘い? いつがーー」

「たすけて」

 2人の言葉を遮るように、声を出す。それだけで、この彩葉の親友たちはのっぴきならない事態であると想像がついたらしい。

「どうしたの?」

「彩葉に何かあった?」

「いろはがアチアチで、ぐったりしてて、動かないの」

 電話の向こうで息を呑む音が聞こえた。

 だが、2人はかぐやと違ってこの状態に対する備え、知識があるらしい。それだけで、今のかぐやにとってはあらゆる存在よりも尊ばれる存在だった。

「かぐや、今どこにいるの?」

「えっと、立川駅近くの不動産屋さんの前……」

「そこなら近くにイートインスペース完備のコンビニがあるはず。場所はわかる?」

「えっと、さっき見かけたような……」

「場所はいま送るよ。とりあえず、そこまで移動させて。コンビニ着いたらスポーツドリンクがぶ飲みさせて、アイスノンとか、なかったらアイスでもドリンクの氷でもなんでもいいから首筋とかに当てること」

「あと、コンビニ着いたらタクシー呼んで。わからなかったらわたしたちが手配するから」

「直接タクシーでの帰宅は?」

「今の時間だと、駅前でもタクシーいない可能性あるし、営業所から手配してもらうと時間がわからない。その間 彩葉の熱中症がどれだけ進行するかわからないし……」

「救急車は?」

「……彩葉が嫌がるだろうとは思うけど、視野に入れておかないと。保険証とか手元にあるなら呼んだ方がいいかも」

「えっと、かぐやはどうすれば……」

「「まず近くのコンビニまで連れて行って! そんで店内のイートインスペースに座らせる!」」

「わかった!」

 2人の勢いに圧されるように彩葉を抱え、先ほど見かけたコンビニまでの道を走る。力の抜けた彩葉の身体は熱く、それでいてそこに居ないかのように軽かった。

 コンビニに到着してからも、芦花と真美の指示は続く。その言葉に従い、コンビニの店舗名を教え、スポーツドリンクや水、冷感スプレーなどを手当たり次第カゴに放り込む。幸いコンビニの店員も彩葉の様子を気遣い、おすすめの商品を教えてくれたり的確な処置の仕方を教えてくれたりしてくれた。それだけでなく、イートインスペースでは十分に休めないだろうと、バックヤードの仮眠室の様な場所に彩葉を連れて行ってくれた。

 そうして寝かせているうちに、芦花と真美が手配してくれたタクシーが来る。店員の手も借りて、なんとか彩葉をタクシーに担ぎ込んだ。

 住所も2人が指定してくれたようで、かぐやが何かいう前に滑る様に動き出す。その間も彩葉はずっとぐったりとした様子で、荒くか細い息を吐いていた。

(彩葉、死なないで……)

 そう祈ることしかできず、そうこうしているうちにもアパートが見えてきた。その時、近くの電柱に見知った2人の姿を見つけた。

「芦花! 真実!」

「話は後。かぐやちゃん、鍵は?」

「彩葉のポケットの中」

「わかった。わたしが鍵を開けるからかぐやちゃんはそのまま入って。真実、ごめんだけど2人の荷物頼むわ」

「いいよ。ついでに決済もしとくね」

「ほら、かぐやちゃん、早く」

「う、うん」

 2人に促されるように彩葉を担いで部屋へ入る。その瞬間、芦花が顔をわずかに歪めた気がした。

(あ……)

 そういえば、口酸っぱく彩葉に部屋を片付けるように言われてたっけ。足の踏み場もないほど雑多に置かれたかぐやの私物は、こうしてみれば確かにちょっと目に余る。

 そのことを気恥ずかしく思ったが、芦花はそんなこと関係ないとばかりにスタスタと部屋の中を突っ切る。そして、彩葉が頑として入れようとしなかった家電のコンセントを繋いだ。そして、何がしかのボタンを押した途端だった。

「あ、これ……」

 カフェの中で浴びたあの涼しい風が家電から吐き出されている。

「いくら節制しなきゃいけないからって言って、これはやりすぎよ……」

「芦花……?」

 苦々しげに呟く芦花に、そう尋ねる。直後、芦花はすぐにいつもの様な表情に戻ると、手を叩いた。

「取り敢えず彩葉を着替えさせなきゃ。お風呂はこっち?」

「う、うん」

「なら……」

 そう言いながら、芦花は躊躇うことなく水の栓をひねる。

「彩葉の身体が半分くらい浸かる程度まで水を溜めて。彩葉はこのまま浴槽に浸からせていいから。あ、溺れないように支えてあげてね?」

「わかった」

「うん、よし。あ、それとちゃんとスポーツドリンク飲ませてあげること。わたしは真実と一緒に向こうで準備してるから」

 そう言いながら、芦花が浴室から出ていく。

 言われた通りに服を脱がせ、溺れない様に支えてあげながら水風呂の中に彩葉を浸からせる。そして、少しずつ口にスポーツドリンクを流し込む。だが、うまく飲み込めないのかむせるような仕草を見せる。それでも、なんとか工夫して少しずつ飲ませた。

 そうして色々格闘しているうちに、かなりの時間が経ったらしい。2人が様子を見にきた時には、すっかりかぐやの手は冷え切って青紫色になっていた。一方で、彩葉の身体はやっと平熱と言ってもいいぐらいまで体温が下がっていた。

 そのまま三人で協力し、彩葉を着替えさせて寝かせる。その頃には、だいぶ息も安定していた。だが、目を覚ます様子はなく、時折苦しそうな息をしていた。そして、拭えども拭えどもいくらでも汗が出てきていた。

 だが、2人はその様子を見て少し安心した様子を示していた。

「これで、ひとまずは大丈夫でしょ。かぐやちゃん、大変かもしれないけど、彩葉が起きるまで30分から1時間に一回、この水差満杯までスポーツドリンク入れて飲ませてあげて。そして、汗をかいてる様だったら冷たい水で絞ったタオルで拭って、着替えさせてあげて」

「おきて、食欲がある様だったら後はあっためるだけのお粥作っておいたから。レシピも置いておくね? 日持ちはしないかもだから、今日中に食べない様だったらかぐやちゃんが食べちゃって」

「2人とも、ありがとう……」

「いいよ。それよりも、目が覚めたら教えて」

「心配かけさせた責任取らせなくちゃ」

 そう言って、やっと2人は軽く笑った。そして、顔を引き締め直すと、真剣な表情で告げた。

「もしも、夜になっても目が覚めない様なら119に電話して。熱中症っていえば通じるから」

「それと、身体がまた熱くなってきた時ね。38度超える様なら危険だと判断して、すぐに電話すること」

「できれば看病していきたいけど……」

「ううん。2人とも、ありがとう」

 名残惜しそうに帰る2人の背を見送る。

 そして部屋に戻ると、彩葉の携帯が震えていることに気がついた。見てみると、そこには『バイト』とのアラーム表示。確かに時計を見れば、いつも彩葉がバイトに行く時間だ。だが、こんな状態なら行けるはずがない。

 すぐにロックを解除すると、連絡先を探す。うっかりテレビ通話にしてしまったが、後ろに寝込む彩葉の姿が映ってしまったから、結果オーライだろう。

 そのまま日が暮れ始めるまで言われた通りの看病を続ける。まるで飲ませた水が片っ端から汗となって流れ出ているのではないかと思ってしまうほど、彩葉は汗を流している。本当にこのままで大丈夫なのだろうか。119に掛けるべきではないか。

 そんな不安が募り始めた時だった。

「う……」

 小さな呻き声が聞こえた。

「彩葉!?」

 そう呼びかけるものの、彩葉はぼんやりとしたままだ。水差を口元に寄せると、コクコクと喉を鳴らして飲み込む。そして飲み干すと、立ちあがろうとしていた。だが、身体に力が入らないのか布団の上に崩れ落ちる。それでもなお立ちあがろうとする。

「彩葉? 寝てなきゃダメだよ?」

「……トイレ」

「ーーわかった」

 まだ、はっきりとはしていないのだろう。傍から抱えても、かぐやに体重を預ける様な形でしか立ち上がれていない。まっすぐ歩くことすらままならない。それでもなんとかトイレを済ませ、ついでとばかりに着替えさせて布団に横にさせると、すぐに寝息が聞こえてきた。

「……これで、良いのかな?」

 少し不安に思いながら、彩葉を見守る。

 気づけば、部屋はもう真っ暗だ。普段なら配信している時間だが、そんな気にもならない。とはいえ、少しは理由を話して配信できないことを伝えなければなるまい。普段とは異なり、静かに配信を始める。

 

「かぐやっほー……。かぐやだよ。今日はちょっと配信できないんだ。ごめんね?」

 配信を始めただけなのに、すぐに何万人も視聴していることを示すカウンターが回る。同時に、かぐやの調子が普段と違うためだろう。流れるコメントの多くが、かぐやを気遣うコメントだった。

「ううん。大丈夫。だけど、いろPが体調崩しちゃってね。看病してるから配信できないって伝えにきただけ」

 その言葉に、コメント欄も一気に回る。その多くが、かぐやを、そして彩葉を気遣うコメントだらけだった。

 だからだろうか、つい、ポロリとこぼしてしまった。

「今まで、かぐやいろPに迷惑かけてばっかりだったんだ。かぐやがやりたいって言ったことはなんでも叶えてくれて、でも、かぐやはなんにも返せなくて……。いろP、わたしのこと本当はめいわくにおもってるんじゃないかなぁ」

 そう呟いた時だった。

 目まぐるしくコメントが流れていく中、それでもかぐやに読んでもらいたかったのだろう。高額のスパチャと共にそれは流れてきた。

「えっと、yachi8000さん、かな? 『迷惑だとは思ってないと思うよ〜? だって、前までのiroの曲は、落ち着いてるけどどこか物悲しい曲調が多かった。けどかぐやと組んでからは明るい曲調が増えてるよ。それはかぐやちゃんの曲だけじゃない。BGMもそう変わってきてる。だから、いろPは迷惑だとは思ってないと思うよ! iroのファーストファンであるyachi8000が保証しよう!』……、うん、そうだといいな。ありがとね、yachi8000さん」

 例えそれが気休めであっても、その慰めが今は心地良かった。

 一方で、このyachi8000という人物はなかなかに有名人ーそれも悪い意味でーーのようで、すぐにコメント欄でボロカスに言われていた。

 『何がファーストファンだ』

 『フォローしてねぇじゃねぇか』

 『は? 俺以上の古参はいないんだが?』

 『↑それ意外とデビュー当初から追っかけてるオタ公の前でも言えるか?』

 『結局ピラミッドってどうやって建てたん?』

 『yachi8000:↑自分で調べろカス』

 『自称8000才なら答えろ。ヤチヨは答えるぞ』

 もはやコメント欄はレスバ会場となりつつある。そんなくだらない情景を見ていたら、少しだけ笑えてきた。

「うん、みんな、今日はありがと

そしてごめんね? いろP復活したら盛大に配信するから。じゃあね」

 そう言って配信を閉じる。わずか10分にも満たない配信ではあったが、先ほどまでの不安は少しだけ晴れていた。

「いろは……。早く元気になってね?」

 熱に浮かされる彩葉を見つめながら、静かにそう呟いた。

 

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