久々に夢を見ている。
幼いわたしの前で、母が口酸っぱく色々言っている。
ーー体調管理は全ての基本や。ここで躓く奴はどんな阿呆よりも下や。
ーー助けて? そないなこと気軽に言えるのがわたしの娘やなんて、ほんま驚きやわ。この世で頼れるんは自分1人や言うたよな?
ーー病院に行きたいと言われてえらい驚きました。そんな甘ちゃんが家から生まれるとは思ってなかった。
ーー無理は怠けもんの言い訳や。
うん。わかってる。わかってるよ、お母さん。
わたしはもっと頑張らないといけない。これはかぐやと一緒になって、遊び呆けていたわたしへの戒めなのだろう。
なのに、なぜだろう。今まではそれで納得できてたはずなのに。
ーー彩葉!
背後から聞こえる、あの宇宙一我儘なお姫様の温もりを求めてしまいたいと思うのは。いつの間に、それほどまでにわたしは弱くなってしまったのだろうかーー?
「あれ……?」
気がつくと、わたしはいつもの部屋でいつもの布団に寝かされていた。なぜか、気分が重い。両目の脇を涙が流れている。寝ている間に変な夢でも見たんだろうか?
それに、何で家にいるんだろう。不動産屋さんから帰ってくるまでの道のりが思い出せない。もしかしてかぐやが運んでくれたのだろうか。だとしたら力強いな……。いや、流石にタクシーでも使ったのだろう。それなりに距離あるし、料金に関してもふじゅ〜を散々稼いでいたはずだ。
慎重に首を回すと、台所に立ち静かに料理をしているかぐやの後ろ姿が見えた。
…………髪、伸びたなぁ。最初は背中の中程くらいだったのに、今では膝裏あたりというアバターに迫るほどの長さになっている。
そんなかぐやの金髪が陽光に煌めいてるのをぼんやりと眺めて、そこでやっとわたしの頭は現実を思い出したのだろう。
「やば、バイト……!」
慌てて飛び起きようとする。だが、わずかに持ち上がった身体はそのまま起き上がることができず、布団に倒れ込んだ。
こんなに布団は重かっただろうか。喉も何だかいがらっぽい。頭がズキズキする。
自分の身体なのに、まるで他人の体のようだ。頭の片隅でそんなことを思いながら、踠いている(と言っても微々たるものだっただろう)時だった。
「ーーいろは?」
台所からこちらを振り返ったかぐやが、呆然とした様子でわたしを見ていた。だが、それにうまく応える余裕はない。
せめて、休む連絡だけでもバイト先に入れないと……。
そう思いながらスマホに手を伸ばそうとした時だった。
「彩葉ーー!」
「え、あ、なに、どうしたの」
ずいぶんと慌てた様子でかぐやが駆け寄ってきた。
そのただならぬ様子に戸惑いながら、重い腕を操り、スマホの画面をタップする。時間はーー遅刻確定だ。
だが、それよりも視界いっぱいに広がるかぐやのただならぬ様子が気になった。しっかりと抱きしめてきて、全く身体が動かせない。
「どうしたのよ……、ほんとに」
「だって、いろは、丸一日たっても目を覚まさなかったから……。死んじゃうかと、おもったぁ……!」
「え。……丸一日?」
涙をこぼしながらそう叫ぶかぐや。だが、それ以上に聞き捨てならない言葉があった。
慌てて、つけっぱなしのスマホの画面に目をやる。表示された時間は、確かに一日経過していたことを示していた。
……やってしまった。
学校は今無いから良いとして、二日連続欠勤だ。
母の言葉が耳の奥に響く。かぐやと会ってからはなりを潜めていたそれは、鋭くわたしの心を穿った。
「う、うう……」
自分の不甲斐なさに涙が出る。確かにわたしは甘ちゃんだ。自分だけでなく、周りも巻き込んで迷惑をかけている。
だが、かぐやはそんなこちらの心情を知らないのか慌てた様子で声をかけてくる。
「だいじょうぶ? いろは。バイトは休む連絡入れといたし、布団もいっぱいふかふかしたから。しんどいなら、病院行く? えっと、119だっけ……」
携帯を取り出そうとするかぐやの腕を引っ張り、制止する。
「……病院は、いい。お金かかるから、やだ……」
「大丈夫! かぐやにまかしとき!」
そう言うものの、わたしは首を横に振る。
確かに全身の倦怠感は今まで感じたことがないほどだ。疲れた表現を『まるで鉛になったかのよう』なんて言うが、今まさにわたしの身体は全てが石に置き換わったのではないかと疑いたくなるほど重く、動かない。
血が回り始めて、意識も落ち着いてきたためだろう。それに伴い頭痛も、もはや頭の中を直接荊で締め付けられているのではないかと思うほどだ。
発熱だって、この身体の熱さと目の前のかぐやすら霞んで見える視界では、確実に入院コースだろう。それでも、入院だけはしたくない。
「無理だよ……。ぜんぶ、ギリギリで予定組んでた……。何日も休んでられないよ……。休んでたら置いてかれちゃう……そうしたら、奨学金どころか生活費だって……」
身体が弱っているせいだろう。嫌な想像が次々と頭の中を駆け回る。考えすぎだとわかっていても、止められなかった。
「彩葉……。彩葉は、なんでそんなに1人で頑張らなきゃいけないの?」
瞳を潤ませながら、いつになく弱々しい声を出す。いつものような甘えておねだりするようなもんでは無い。純粋にこちらを心配している声だった。
「もしかして、かぐやのせい……? かぐやがいろいろ振り回しちゃったから? 彩葉、死んじゃったらやだよぅ……」
身体中の水分を涙として放出しているのでは無いだろうか。そう疑いたくなるほどの大瀑布を流すかぐや。
「大袈裟な、死にゃ、しないよ……」
そう言いながら、背中をさすりたかった。だが、今のわたしの腕はそこまで上がらない。仕方なく、傍に腕をつき、覗き込んでいるかぐやの 顔にーーと思ったが、そこまでも伸びない。かぐやの手にわたしの手を重ねるので精一杯だった。
この分なら、今日は勉強も諦めざるを得ないだろう。
病人のはずなのに、かぐやを宥めながら、わたしはぼんやりとそう思った。
それにしても、『なんで1人で頑張らないといけないの』、か……。それを説明するのは、とても複雑だ。特に、熱にうなされた今の身体ではなおさら。1からちゃんと伝えようとすれば、母との話を避けては通れない。
ひとまず、かぐやにコンロの火を消すように伝え、起きあがろうとする。だが、それよりも先にコンロの火を消したかぐやに抱き起こされた。
しかし、今の身体はまともに自分の身体も支えられないらしい。かぐやの手が離れた瞬間、そのまま身体をくの字に折って布団に倒れ込みそうになった。慌ててかぐやが支えてくれなかったら、布団で窒息したとニュースに乗ってしまうところだっただろう。
心配そうにかぐやがこちらを見るが、横になったままでは話がしづらい。まだ、起きていた方が話もしやすい。そう言って、何とか身体を支えようとする。
結局、壁の間にぬいぐるみやタオルを挟み、そこにもたれかかって、両脇をいつ買ったのか不明な巨大ぬいぐるみとかぐやに支えてもらうことで、ようやくわたしは上体を起こすことが出来た。
時々水を飲ませてもらいながら、ポツポツと話す。死んじゃったお父さんの話。家を出ていったお兄ちゃんの話。変わってしまった母のこと。正しさに押し潰されそうになったわたしのこと。
母ならきっとわたしのように体調を崩すことはなかったのだろう。実際、わたしは母が体調を崩しているところを見たことがない。それはたとえ月のものが来ていたとしても、だ。
母は誰よりも正しくて強くて完璧で、同じようにやっても母から見ればわたしはずっとどこか欠けていて。
だからわたしも出ていくことを選んだ。母ができたこと、母が通った道を、1人で完璧になぞることができて、初めて母と対等になれる。そう思って。
「……それで、わたしが学費も生活費も全部賄うなら、って言う条件でやっと折り合いついたんだよね」
「えらい簡単に言ってるけど、みんなそんなことしてなくない?」
隣でかぐやが眉を顰める。
「お母さんはそのくらい平気でやってたし、なんなら兄弟養わなくて良いぶんわたしのほうが楽だし、それにわたしも譲らなかったし……。それに、最初にここで目を覚ました時のこと、よく覚えてる。何もないし、何にも頼れないけど、自分の力で生きていくんだって思ったら、めっちゃ力湧いてきた。静かで、清々しくて、やっとここから、って感じで……。なんか、ラッキー、みたいな?」
「いやいやいや、ラッキーじゃない! そのお母さん宇宙人調べでもめっちゃ鬼やばおかしいって!」
かぐやがそう叫ぶ。
確かにかぐやのいう通りなのだろう。わたしだって、これが話を聞く立場だったならばそう思うに違いない。
でもーー。
「かぐやにはーー」
「なに?」
「ーー。ううん、何でもない」
なんでこんな話をしているのだろう、わたしは。相当熱に浮かされているらしい。
「……そっか。じゃあ、ご飯食べてお薬飲んで寝よっか」
そう言って、かぐやはバタバタと準備する。
真実に教えてもらったんだ〜〜。歌うように、そう呟きながら。
「はい、どーぞ。卵は2個入ってるよ! アチアチだから気をつけてね?」
確かにかぐやの警告通り、舌が火傷しそうなほど熱い。だがーー。
「ーー超うまい」
「でーしょおぉぉぉ?」
舌が蕩けそうなほど美味しいお粥を自慢するように、かぐやが謎のポーズを決める。
* * * * * * *
「それじゃ、おやすみなさい。彩葉。芦花と真実には伝えとくね?」
「……? 何でその2人の名前が?」
彩葉を着替えさせて横にさせ、そう言うと、彩葉が不思議そうな声を上げた。
「ーーだって、かぐやだけじゃどうしたら良いかわからなかったから、2人を頼ったんだ。2人とも心配してたよ?」
「ーーそう」
どこかぼんやりとした声で彩葉がそう返してくる。
なんだかんだ言って、お腹が空いていたのだろう。かぐやも食べようと思っていた分のお粥まで食べられちゃったけど、今はその食欲が嬉しかった。
そしてお腹が膨れたこともあるのだろう。いつになくとろんとした目で彩葉は横になっている。
そして、すぐに寝息が聞こえてきた。今から練れば、明日の学校の時間まで寝てても、10時間くらいは寝ていられるだろう。
邪魔しないためにも、今日の配信も無しにして、撮り溜めていた動画の放出にしよう。幸い、彩葉が予約投稿をしているため、あとはいろPの無事を伝えるコメントだけ付け加えれば、放っておいても問題ない。応援している人たちもわかってくれるだろう。
そう思いながら、まずは2人に無事を伝えるためにも携帯に手を伸ばす。
昨日と同じように、数コールもしないうちに2人とも出た。
「あ、もしもし?」
「かぐや、彩葉の様子は?」
「大丈夫?」
「うん。大丈夫。今は言われた通り、薬を飲んで眠ってる」
そう伝えると、電話の向こうで明らかにホッとしたように息を吐く音が聞こえた。
「多分、明日の学校にも行けると思う」
「? かぐやちゃん、何言ってるの?」
「彩葉から聞いてない? お盆休みで学校ないよ〜?」
「……あれ、そうだっけ?」
慌てて2人に話を合わせる。危ない危ない。変に疑われてしまうところだった。かぐやはちゃんとフォローができる人なのです。
幸い、2人もかぐやの気が動転していたのだろうと言うことで、深くは突っ込んでこなかった。
「でも、やっぱりありがとね、2人とも。かぐやだけじゃ何にもできなかった」
「そんなことないよ。私たちだって、彩葉と四六時中いられるわけじゃないし」
「実際、彩葉が倒れた時、かぐやちゃんが傍に居なかったら、それこそ彩葉死んでたかもしれないし。助かったのも、かぐやちゃんが処置してくれたおかげだしね」
2人からの励ましが、耳に響く。
その言葉に静かに涙が溢れた。
「……うん、うん、本当に、よかった……!」
「うんうん」
「かぐやも今日は早く寝な〜。昨日から今日、ほとんど寝てないでしょ」
「また明日、いくらでも話には付き合うからさ。リアルでも、ツクヨミでも」
それじゃあね。
そう言って2人の通話が途切れる。
確かに、そう言われると身体が重い。これが疲れると言うものなのだろうか。はたまた、緊張から解放された結果なのだろうか。
軽く伸びをすると、電気を消して彩葉の隣に潜り込む。まだ僅かに熱いが、昨日に比べれば段違いだ。
「おやすみ、彩葉」
もう一度そう呟くと、目を瞑った。