俺を孤立させた幼馴染(元男)が俺に惚れていた件、なお俺は一生気づかない   作:七支言

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俺の幼馴染は学校一の美少女(ただし元男子)

 朝の通学路というのは、本来、眠気と義務感だけでできている繰り返しの無感動な時間だ。だが、俺にとってはそうじゃない。

 

「直己、ネクタイ曲がってる」

 

「誰も気になんかしやしないよ。お前が全部視線吸い寄せるんだからな」

 

「ぼくは気にするよ。だから、はい」

 

 並んで歩いている少女は、ためらうことなく俺の首元に手をやりネクタイの歪みを正す。端から見れば幸せ者、なんだろうな。

 

「はいはい、ありがとさん」

 

 隣を歩くこいつ――佐倉薫。俺の幼馴染にして、学校一の美少女。ただし、元男。

 

 最後の一語に引っかかった人のために、先に説明しておく。

 

 性転換症、という病気がある。発症率は人口の約〇・一%、数週間かけて身体の性別がひっくり返るというものだ。原因不明、治療法なし、再発もなし。聞くだけなら人生が転覆しそうな大事件だが、世間の反応は「ああ、あれね」である。歴史は古く、教科書にも載ってる。発症する。診断書が出る。戸籍が書き換わる。制服が替わる。以上。流れが整えられた手続きが人生の激変を事務的に受け止めて、書類が一周する頃には日常が再開している。

 

 制度というのは大したものだ。当時の俺はそこまで考えていなかったが、まあ、この話は後でする。

 

 で、薫がその発症者の一人になったのは高一の五月のことだった。

 ゴールデンウィークが明けて、しばらく学校を休んで、戻ってきたら女になっていた。

 

 元からイケメンだった顔が、女になって冗談みたいな完成度になった。廊下を歩けば視線が吸い寄せられるように集まってくる。すれ違った生徒が三歩進んでから振り返る。あれは首の運動か何かか。

 

 そういうわけで、俺の通学路は毎朝ちょっとした凱旋パレードになる。沿道の注目を一身に集める女王様と、その隣を歩く、警備員ですらない男。写真に写り込んでもトリミングで消される側の人間。それが俺だ。

 

「今日も見られてるね」と薫が言う。

 

「お前がな。俺は背景だ」

 

「ぼくは直己と歩いてるだけなんだけど」

 

「その『だけ』の情報量で県大会優勝できるんだよ、お前は」

 

 薫が笑う。喉の奥で軽く転がすみたいな笑い方。女になっても笑い方は変わっていない。

 

 分かってる。笑える話だ。

 

 幼馴染が女になって、学校一の美少女になって、毎朝隣を歩いてる。ラブコメならそのまま告白一直線だ。だが現実の俺に起きたのは、ラブでもコメでもない、もっと地味で、もっとたちの悪い何かだった。

 

 先に言っておく。これは俺の高校生活が静かに崩壊していく話だ。

 

 犯人が誰なのか、当時の俺は最後まで分からなかった。分かったのは、何もかもが手遅れになった、ずっと後だ。

 

※ ※ ※

 

 話は薫との初対面に遡る。

 

 五歳かそこらの記憶なんて、普通はとっくに溶けている。俺のもだいたい溶けた。なのに一場面だけ、妙にクリアなまま残っているものがある。

 

 公園の砂場の光景だ。

 

 太陽をたっぷり浴びた午後の砂は表面だけ熱くて、掘ると急に冷たくて湿っていた。俺は山を作っては崩す才能のない工事を繰り返していて、隣にいた知らないガキが、急にこっちを見て言った。

 

「見てて」

 

 そいつは砂山の両側から指を突っ込んで、慎重に、慎重に掘り進めて、真ん中で指先を繋げてみせた。トンネルだ。山は崩れなかった。

 

「すげー!」

 

 と、五歳の俺は叫んだ。世辞でも社交でもない。本気の絶叫である。自分では何度やっても崩れたのだ。それをこいつは、こんなに綺麗に通してみせた。すげえ。すげえよお前。

 

 ガキは得意げに笑った。鼻の穴がちょっと膨らんでいた。

 

 それが薫だった。家が近所で、物心ついたときには隣にいて、以来ずっと隣にいた。砂のトンネルを挟んで、こっち側に俺、あっち側に薫。今にして思えば、あの配置のままそこまでの十年やってきたようなものだ。

 

 ……いや、この話はまだ早い。順番にいこう。

 

※ ※ ※

 

 自慢じゃないが、俺には取り柄というものがほとんどない。

 

 顔は五秒で忘れられる量産型。成績は中の中。運動は球技で味方に謝る側。家は普通。特筆事項なし。履歴書の趣味欄で三分固まるタイプの人間だ。

 

 ただひとつ、特技と呼べるものがあった。

 

 人の良いところを見つけるのだけは得意だった。

 

 誰かを見ていると、勝手に目に入ってくるのだ。あいつの絵は線が思い切りいいなとか、あの子は人の話を聞くとき相槌の位置が天才だなとか。で、見つけると黙っていられない。口に出す。

 

「お前のそれ、すげえな」

 

 たったこれだけの話なのだが、言われた側はけっこう喜ぶ。自分でも気づいていなかった長所を指差されると、人はあんな顔をするのかという顔をする。そんなわけで、俺の周りにはなぜか人が集まった。面白いやつだからではない。鏡として優秀だったからだ。性能のいい姿見のところに人が集まるのと同じ理屈である。

 

 人の良いとこ探し。俺の数少ない、ほとんど唯一の特技。

 

 この特技が後年、俺の人生を支える商売道具になり――その前に一度、俺の人生を内側から静かに腐らせるのだが、それも順番に話す。

 

 問題は、だ。

 

 この特技を薫に向けると、性能が良すぎて事故るのである。

 

 薫は何でもできた。誇張ではなく、何でも。勉強は学年上位、スポーツは助っ人で優勝、ピアノは弾ける、絵も描ける、ついでに顔がいい。良いところを見つける俺の目は、薫を見るたびフル稼働でその美点を見つけ出す。見つかる。見つかりすぎる。在庫過多。欠点?ねぇよ。

 

「すげえな」と俺は言う。本気で言う。

 

 薫は得意げに笑う。砂場のときと同じ顔で。

 

 で、そのたび、胸の底に何かが薄く沈む。

 

 冷たい澱みたいなやつだ。名前は付けなかった。付けたら負けな気がしていた。すげえなあ、ほんとすげえなあ、と笑いながら、底のほうに一枚、また一枚、薄く積もっていく。

 

 ……まあいい。湿っぽい話は性に合わない。

 

 とにかく俺たちは、そういう二人組として育った。何でもできる薫と、薫のすごさを世界一正確に把握している俺。受験勉強も隣でやった。正確には、当たり前の顔で机に向かう薫につられて、俺も机に向かう癖がついた。おかげで身の丈より一段上の進学校に引っかかった。合格発表の日、薫は自分の番号より先に俺の番号を探していた。

 

「あった! 直己、あったよ!」

 

「お前のは?」

 

「あ、忘れてた」

 

 スベるなんて夢にも思ってないから忘れるのだ、こいつは。

 

 その高校は地元から少し離れていて、同じ中学から進む者は薫だけだった。知り合いほぼゼロからの高校生活。当時の俺は心機一転、新生活も悪くないかなどと考えていた。

 

 ……ここ、テストに出るぞ。「昔の俺たちを知る人間が、互いしかいない環境」。後で効いてくる。

 

※ ※ ※

 

 入学して一ヶ月、新しいクラスにもぼちぼち馴染みかけていた。休み時間に二言三言交わす相手ができ、名前と顔が一致しはじめてさあこれから、という時期。人間関係というのは、この段階だと新芽のようなものだ。双葉が出たくらい。ちょっと踏まれた程度で枯れちまう。

 

 そこに、連休明けの薫の発症である。

 

 薫が女子の制服で登校してきた日のことは、今でも思い出せる。教室の空気が一度全部入れ替わったような気がした。咳払いひとつ聞こえない数秒のあと、堰を切ったように質問が殺到して、薫はそのひとつひとつに、あの完璧な間合いで応えてみせた。三日後には学校中がファンクラブみたいになっていた。

 

 学校一の美少女が、ある朝突然無料アップデートで追加されたのだ。そりゃ騒ぐ。

 

 一方の俺は、といえば。

 

 薫の隣という、全校男子が抽選会を開きかねない特等席にいながら、日に日に存在感が薄くなっていった。具体的に言うと、双葉だった俺の人間関係は双葉の状態から枯れ始めた。声をかけかけた誰かが、俺の隣の薫を見て、なんとなく引っ込める。その「なんとなく」が一日に何度も積もる。

 

 恋というものが標準装備になる年頃だ。薫の輝きはその文脈の中では強すぎた。隣に立つ無印の俺は、根を張る前にただの背景に編入された。

 

 当時の俺は、それを「仕方ない」と処理した。あれだけ眩しけりゃ足元は却って暗く見える。物理法則だ。胸の底の澱が一枚増えたが、いつも通り、底に沈めて蓋をした。

 

 仕方ない。自然の摂理だ。

 

 ――そう笑っていられたのは、ここまでだ。

 

 このあと俺の身に起きることを、当時の俺は何ひとつ知らない。隣で笑う幼馴染が何を抱えていたのかも、芽のまま枯れはじめた人間関係がこの先どうなるのかも、あの砂場のトンネルの向こう側で何が始まっていたのかも。

 

 何も、知らなかった。

 

 あの五月が、終わりの始まりだった。

 

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