俺を孤立させた幼馴染(元男)が俺に惚れていた件、なお俺は一生気づかない 作:七支言
――またぼくの番だ。
そして、これが本編でぼくが語る、最後の回になる。
告白を諦めたあの夜から、ぼくの生活は、表向きには何も変わらなかった。
仕事は順調だった。雑誌の表紙、化粧品の広告、テレビの仕事も増えた。SNSの数字は伸び続けて、ぼくの一言で物が売れて、流行が動いた。世間から見れば、ぼくは絵に描いたような成功者だったと思う。
ぼく自身、そう振る舞っていた。微笑んで、感謝して、ファンの期待に応えて。「私」という、よくできた人形を、毎日きちんと着て出かけた。
誰も気づかなかった。その人形の中身が、とっくに諦めたあとの、ただの抜け殻だったことに。
……いや、抜け殻は言いすぎか。抜け殻はもっと潔い。ぼくのは、抜けきれなかった殻だ。中身がまだ少し残っていて、その残りが、いちばんたちが悪い。
※ ※ ※
きみをテレビで見たのは、そんなある日の夜だった。
仕事から帰って、つけっぱなしのテレビを消そうとした、その手が止まった。
経済番組の特集だった。これから伸びる業界、みたいな。安価なAIで急成長している企業、という枠で、きみの会社が紹介されていた。
きみが、画面の中にいた。
ぼくは、リモコンを持ったまま、ソファに座り込んだ。
インタビューを受けるきみは、スーツを着て、落ち着いた声で事業のことを話していた。無駄のない受け答え。感情の起伏のない、けど不思議と説得力のある喋り方。経営者の顔だ。ぼくの知らない、立派な大人の顔。
すごいな、と思った。素直に。
あんなに孤独だったきみが、誰にも頼らないと決めたきみが、本当に、誰にも頼らずにここまで来た。ぼくが壊したきみは、壊れたまま、壊れたなりのやり方で、ちゃんと立っていた。
ぼくは、しばらくその横顔を見ていた。
いつのまにか、右手が左の手首を握っていた。緊張したときの、昔からの癖だ。テレビを相手に何を緊張しているんだか。きみはこっちを見てもいないのに。画面のこっち側にいるぼくのことなんて、知りもしないのに。
昔、砂場でぼくのトンネルに「すげー!」と叫んだ子。毎朝ネクタイを直させてくれた子。ぼくの良いところを、誰よりたくさん見つけてくれた子。
その子が、こんなところにいる。
手の届かない、テレビの中に。
※ ※ ※
番組のナレーションが、きみの会社の仕組みを説明していた。
人を信じない経営。徹底した契約と数字。馴れ合いを排した、乾いた組織。それが強さの秘密だ、と。番組はそれを、新しい時代の合理性、みたいに持ち上げていた。
ぼくは、笑えなかった。
だって、ぼくは知っている。きみがなぜそうなったのかを。
きみは生まれつき乾いていたわけじゃない。むしろ逆だ。きみは、人の良いところを見つけては、本気で「すげえ」と言える子だった。あんなに温かい目で人を見る人間を、ぼくは他に知らない。
その目を、乾かせたのは、ぼくだ。
ぼくがきみを孤立させた。ぼくがきみから人を奪った。ぼくがきみに、人は裏切るものだと教え込んだ。きみが「人を信じない」という鎧を着るしかなかったのは、ぼくがきみの世界を、ぼくの手で焼け野原にしたからだ。
テレビは、その焼け野原の上にきみが建てた城を、立派な城ですねと褒めていた。
城の美しさを褒めるたびに、ぼくの胸に、ぼくが燃やした野原の匂いが蘇った。
――ここで、ぼくはようやく、全部を順番に思い返した。
高一の五月。封印が決壊した夜。確かめればよかったのに、確かめなかった。きみがぼくを恋愛の相手として見るはずがない、と勝手に決めた。いちばん怖い未来を、確かめもせずに事実にした。
それが、すべての始まりだった。
あの一回。たった一回、勇気を出して「好きだ」と言えばよかった、あの一回を、ぼくは飛ばした。飛ばして、代わりに搦め手を選んだ。きみを閉じ込める道を。
もし、あのとき。
もし、あのとき正面から告げていたら。きみは困ったかもしれない。でも、きみのことだ。たぶん、ちゃんと考えてくれた。ぼくの目を見て、ぼくの言葉を、心で受け止めてくれた。あの頃のきみは、まだそれができる子だったんだから。
断られたかもしれない。でも、断られても、きみとの関係は壊れなかったはずだ。きみはそういう奴だ。気まずくなっても、きっとまた隣で馬鹿をやってくれた。
ぼくは、それを試さなかった。
試しさえすれば、最悪でも幼馴染のままでいられた。試さなかったから、ぼくは幼馴染も、恋人になる可能性も、きみの温かい目も、全部いっぺんに失った。
確かめるのが怖くて、確かめなかった。その臆病ひとつで、ぼくは持っていたものを全部、燃やし尽くした。
……笑えるよね。いちばん怖い未来を避けようとして、いちばん怖い未来より、もっとひどい場所にたどり着いた。
いや。笑えない。さすがに、これは。
※ ※ ※
テレビの中のきみが、最後に、ほんの少しだけ笑った。
インタビュアーの軽口に、口の端で応えただけの、小さな笑み。経営者の、社交の笑い。
でも、ぼくには分かった。
それは、ぼくの知らない笑い方だった。
昔のきみは、あんなふうに笑わなかった。きみの笑いは、もっと不器用で、もっと無防備で、鼻の頭にちょっと皺を寄せる、あの笑い方だった。砂場でぼくのトンネルを見て「すげー!」と叫んだ、あのときの。
テレビの中のきみは、その笑い方を、もうしない。
きみは、ぼくの知らない顔で笑うようになっていた。ぼくが知らない場所で、ぼくが知らない人たちと、ぼくが見たことのない大人になって。
ぼくが欲しかったきみは、もう、どこを探してもいない。
ぼくが自分の手で、いなくしたんだから。
ぼくはリモコンに手を伸ばして、テレビを消した。
画面が暗くなって、部屋に、ぼくの顔がぼんやり映った。世間がいちばん人を惹きつけると言う、この顔が。何十万もの人を振り向かせて、たった一人を振り向かせられなかった、この顔が。
暗い画面の中で、ぼくは笑っていた。
なんで笑っているのか、自分でも分からなかった。
※ ※ ※
それでも、ぼくは、きみがあそこにいてくれてよかった、と思った。
きみは生きて、立って、ぼくの知らない場所で成功していた。ぼくが壊したきみは、壊れたまま、ちゃんと幸せの形をしたものを、自分の手で掴んでいた。少なくとも、外から見れば。
ぼくがしたことの結果、きみが不幸になっていたら。きみが野垂れ死んでいたら。ぼくはたぶん、生きていられなかった。
でも、きみは立っていた。だから、ぼくは生きていられる。
それは、救いだった。
きみが立っていてくれることが、ぼくの最後の、たった一つの救いだった。
でも――。
その「立っている」が、ぼくの壊した形のままだということ。きみが二度とあの不器用な笑い方をしないのは、ぼくのせいだということ。きみの温かい目を乾かしたのが、ぼくだということ。
きみが幸せそうであればあるほど、それがぼくの壊した上に建っているという事実が、ぼくを刺した。
きみの成功が、ぼくの救いで。
きみの成功が、ぼくの罰だった。
ぼくは、きみが立っていてくれることに救われながら、きみがその姿でしか立てなくなったことに、一生、罰され続ける。
救いと罰が、同じ一つの顔をしている。きみの、あのテレビの中の、ぼくの知らない笑顔を。
ぼくはそれを、これから先、ずっと見上げて生きていく。
手の届かない、テレビの中の高みを。
救いであり、罰だった。