俺を孤立させた幼馴染(元男)が俺に惚れていた件、なお俺は一生気づかない 作:七支言
ビジネスの世界には、感動的な再会というものは存在しない。
あるのは、利害の一致と、その確認作業だけだ。久しぶりに会う相手がいても、まず最初に立ち上がるのは「こいつと組んで得か損か」の計算であって、懐かしさじゃない。少なくとも、俺の頭の中はそういう配線になっていた。
会社が、次の段階に来ていた。
安いものを大量に売る商売は、軌道に乗っていた。けど、ここからもう一段跳ねるには、知名度がいる。安くて使えるのは分かった。あとは、それを世間に知らせる方法だ。いい商品でも、存在を知られなければ無い。森の奥で一人で美味い飯を作っているようなものだ。誰も食いに来ない。
広告を打つ手はある。けど、ただ広告を流すより、ずっと効く方法があった。
影響力のある人間に、使わせる。
その人間が「これいいよ」と一言いえば、何万、何十万の人間が動く。広告費よりはるかに安く、はるかに深く刺さる。今の時代、いちばん効く宣伝はそれだった。
で、俺には心当たりが一人いた。
心当たり、というか。もう、答えは最初から分かっていた。
※ ※ ※
薫に連絡を取った。
仕事の話だ、とはっきり書いた。昔のような、なんとなく会おう、じゃない。商談だ。そっちの影響力を、うちの宣伝に貸してほしい。条件はこう。報酬はこう。
我ながら、ドライな文面だった。幼馴染に送るメッセージとは思えない。第三者が見たら、よく知らない取引先に送る打診だと思うだろう。実際、俺の中ではそれと大差なかった。
返事は、すぐ来た。
会いましょう、と。
その返事の速さに、昔の俺なら何か感じたのかもしれない。何年も連絡を避けてきた相手が、仕事の話と分かっていて、即答してくる。その意味を。
けど、当時の俺は、それを「話が早くて助かる」としか思わなかった。『資源』の反応がいい。結構なことだ。それくらいの感想だった。
※ ※ ※
待ち合わせたのは、洒落たカフェだった。
薫が指定してきた店だ。きっと、こういう店をいくつも知っているんだろう。俺なら塩むすびとコンビニの麦茶で済ませるところを、薫の世界は、こういう内装に金をかけた空間でできている。
薫は先に来ていた。
「ぼく」――じゃない、もう「私」のほうの薫だ。完璧に整った、仕事用の薫。テーブルの向かいに座ると、薫は薄く笑って、
「ちゃんとした仕事の話で、きみと会うことになるとはね」
と言った。
「悪いな。こういう用件で」
「ううん。嬉しいよ。きみの役に立てるなら」
その「嬉しい」を、俺は社交辞令として受け流した。商談の潤滑油だ。本気にするものじゃない。
俺は本題に入った。商品の説明。どういう層に届けたいか。薫にどう紹介してほしいか。数字を並べ、条件を提示し、メリットを説明する。淡々と、無駄なく。
薫は、ちゃんと聞いていた。
仕事の顔で、的確な質問を返してきた。フォロワーの層がどうの、見せ方がどうの。さすが、その道で一線を張ってきただけのことはある。プロだった。話していて、噛み合った。
※ ※ ※
話が一段落して、契約の細部も詰め終わった頃。
薫が、ふと言った。
「ねえ。覚えてる? 昔、きみがぼくのこと、すげえすげえって、よく言ってくれたの」
その瞬間、薫の一人称が、また「ぼく」にほどけていた。
「あの頃のきみ、ぼくの良いところ見つけるの、天才だったよね。ぼくが自分でも気づいてない長所まで、きみは見つけて、口に出してくれた」
懐かしい話だった。
確かに、昔の俺はそうだった。人の良いところを見つけて、黙っていられなくて、口に出す。それが取り柄だった。薫に向けると性能が良すぎて事故るくらいに。
ほんの一瞬。
ほんの一瞬だけ、俺の中で、何かが動きかけた。
昔の感覚。砂場で「すげー!」と叫んだときの、あの、混じりけのない感覚。目の前のこいつの、本当にすごいところを、まっすぐ言葉にしたくなる、あの衝動。
その尻尾みたいなものが、胸の奥で、ちらっと顔を出した。
……で、俺はそれを、押し戻した。
いや。今は商談中だ。
俺は、目の前の薫を見た。整った顔。完璧な微笑み。何十万のフォロワー。今ここにいるのは、昔の幼馴染じゃない。うちの商品を売ってくれる、有能な宣伝媒体だ。
ここで昔話に乗っかって、湿っぽい雰囲気になっても、得るものは何もない。むしろ取引にとっては雑音だ。感情は、計算を狂わせる。俺がいちばん遠ざけてきたものだ。
この案件を組むとき、戸塚が言っていた。「相手が有名人で、しかも昔の知り合いだと、たいてい現場で情が湧いて、条件が甘くなるんですよ。値引きしたり、納期を緩めたり」。あいつは目を笑わせないまま、にこにことそう言った。「真田さんは、たぶん大丈夫だと思いますけど」。
大丈夫だ。情など湧かない。湧いたところで、止められる。
だから俺は、その尻尾を、いつものやり方で踏んだ。
「よく覚えてないな」と、俺は言った。「昔の話だろ。それより、納期の件なんだが」
薫の顔から、ふっと何かが引いた。
「……そうだね。仕事の話だったね」
薫はすぐに「私」の顔に戻って、納期の話に応じた。プロだから、切り替えは早かった。さっきの「ぼく」は、もうどこにもなかった。
俺は、それでいいと思った。
無駄な脱線を、一つ処理した。それくらいの感覚で。
※ ※ ※
商談は、うまくいった。
薫はうちの商品を、自分の言葉で紹介してくれた。結果は、数字にはっきり出た。売り上げは跳ねた。俺の想定を、上回る勢いで。さすが、と言うしかなかった。薫の影響力は、本物だった。資源として最高の働きをしてくれた。
この取引のあと、うちの会社は、もう一段上のステージに乗った。知名度が出て、引き合いが増えて、規模が膨らんだ。後に会社を売ることになる、その地ならしは、間違いなくこの取引で整った。
薫は、俺の城の完成に、いちばん大きな石を一つ、はめてくれた。
もちろん、対価は支払った。きっちり、契約どおりに。それが俺のやり方だ。情に厚いんじゃない。情がないから、数字に誠実なんだ。
俺と薫の関係は、それで、きれいに片付いた。
昔の幼馴染、という宙ぶらりんな関係は、この取引で、はっきりした形になった。ビジネスパートナー。利害で噛み合い、対価で清算される、ドライで、明朗な関係。
俺にとって、これ以上ない着地だった。
信じる必要のない相手。期待しなくていい相手。裏切られる心配のない相手。薫を、そういう安全な箱の中に、ようやく完全に収めることができた。
長い付き合いだった。砂場から、ここまで。その長い関係の終着点が、一枚の契約書だった。
悪くない、と思った。
俺は、満足していた。本当に。
……ここまで読んできた人は、たぶん、何か言いたいだろう。
お前は、何か、取り返しのつかないものを、その契約書で清算したんじゃないか、と。
昔、砂場で「すげー!」と叫んだ、あの混じりけのないものを。一瞬だけ胸の奥で顔を出した、あの尻尾を。お前は踏んで、契約書の下に埋めたんじゃないか、と。
その通りなのかもしれない。
でも、当時の俺には、それが分からなかった。分かろうともしなかった。俺の目に映っていたのは、うまくいった取引と、跳ねた数字と、安全な箱に収まった元・幼馴染。それだけだった。
俺は、満足して、その取引を終えた。
俺にとって、それは、いい取引だった。
それが、すべてだった。