俺を孤立させた幼馴染(元男)が俺に惚れていた件、なお俺は一生気づかない 作:七支言
ここから先は、どちらの語りでもない。
二人とも、もう自分の話を語り終えた。だから最後の景色は、どちらの目でもない高さから、ただ並べて置く。
二人が最後まで知らずに終えたことが、一つずつ、残っているから。
※ ※ ※
歳月が流れた。
真田直己は、静かな場所で、一人で暮らし続けた。
会社を売った金は、使いきれないほどあった。けれど彼は、贅沢らしい贅沢をしない。相変わらず塩むすびを齧り、薄い麦茶を飲み、本を読んで、眠る。城は完成した。城の主は、その城の中で、静かに歳を取っていく。
犯人のことを、彼が思い出したのは、ずいぶん歳を取ってからのことだった。
きっかけは、些細なことだったらしい。古い記憶を、何の気なしに並べ直していたとき。あの高校の頃、自分が孤立していくのと、薫がいつも隣にいたことと、薫の囁き一つで人が動いていたことが、ふいに一本の線で繋がった。
ああ、と彼は思った。
あれは、薫だったのか。
俺を孤立させていたのは、ずっと隣で笑っていた、あいつだったのか。
長い時間が経っていた。怒りは、もう湧かなかった。今さら確かめる相手も、問い詰める意味も、どこにもない。ただ、そうだったのか、と腑に落ちただけだった。名前のなかった犯人に、ようやく名前がついた。それだけのことだった。
けれど、彼は、そこで行き止まった。
犯人は分かった。手口も、おおよそ察しがついた。だが、肝心なことが、どうしても分からなかった。
なぜ、薫は、そんなことをしたのか。
いちばん仲の良かった幼馴染を、なぜ、わざわざ孤立させたのか。あれだけ自分に優しくしてくれた薫が、その同じ手で、自分を一人にしていた。その理由が、どう考えても、彼には見えなかった。
彼は知らなかった。
その動機が、どれほど長く、自分のことを想い続けた末のものだったのかを。
その犯人が、自分を孤立させたのと同じ手で、自分を世界一愛していたのだということを。
彼は、犯人の名前だけを手にして、その犯人の心の中身は、何も知らないまま、安全な城の中で穏やかに歳を取り、穏やかに生を終える。
それは、ある意味では、幸福な人生だったのかもしれない。傷つけられず、裏切られず、煩わされず。望んだとおりの、静かな安全の中で。
ただ一つ、彼が手放したものの名前を、彼自身が最後まで思い出せなかった、というだけで。
※ ※ ※
佐倉薫は、見届けることを選んだ生を、最後まで生きた。
彼女は遠くから、真田直己が静かに暮らしていることを、ときどき確かめた。直接会うことはもうしなかった。あの宣伝の取引を最後に、二人が顔を合わせる用件はなくなっていた。
それでよかった、と彼女は自分に言い聞かせた。会わなくても、彼が生きて、立っていることが分かれば、それでいい。それが、自分に許された最後の繋がり方だ、と。
彼女のもとには、生涯、何十万もの愛が届き続けた。会ったこともない人々が、彼女を慕い、応援し、彼女の幸せを願った。彼女はその愛に、慣れた微笑みで応え続けた。
その何十万の愛も、彼女が本当に欲しかった、たった一つの愛には及ばなかった。
彼女は、自分が壊したものの大きさを、知っていた。
彼が人を信じられなくなった理由を、知っていた。
彼の温かい目を凍てつかせたのが、自分だということを、知っていた。
そして、もしあの高一の五月に、一度だけ正面から「好きだ」と言っていたら、すべてが違っていたかもしれない、ということも――知っていた。
彼女は、知りすぎていた。
知っていて、確かめる相手は、もうどこにもいなかった。確かめれば壊れるものを、自分の手でとっくに壊し終えていたから。
彼女は答え合わせのできない問いを、一生抱えて生きた。
もし、あのとき。
その問いに答えてくれる人は、この世界に、ただ一人しかいなかった。そしてその一人は、問いの存在すら、知らなかった。
※ ※ ※
知らないでいることは、罪だろうか。
真田直己は、何も知らずに穏やかに生きた。佐倉薫は、すべてを知って、その重さを一人で背負って生きた。
知らないほうが、楽だったのかもしれない。知っていたほうが、まだ救いがあったのかもしれない。どちらがより重い生だったのか、それを比べる物差しは、どこにもない。
ただ、一つだけ確かなことがある。
二人は、同じ二十年を、まったく違う世界として生きた。同じ砂場から歩き出して、同じ歳月を過ごして、最後には、片方が片方を一生想い、片方が片方を一生忘れていた。
同じ時間の、裏と表。
それを繋ぐ細い糸は、ずっと昔の砂場に、一本だけ通っていた。
※ ※ ※
遠い昔の、夏の午後のことだ。
近所の公園の砂場で、二人の子どもがいた。
一人が、砂山の両側から指を突っ込んで、慎重に掘り進めて、真ん中で指先を繋げてみせた。小さなトンネルが、山を崩さずに通った。
「すげー!」
もう一人が、本気で叫んだ。世辞でも社交でもない、混じりけのない絶叫だった。
トンネルを掘った子は、得意げに笑った。鼻の頭に、ちょっと皺を寄せて。
砂のトンネルを挟んで、こちら側に一人、あちら側にもう一人。
二人は、その細いトンネルの両端から、互いの指先が触れたのを感じて、笑い合った。砂の中で、ほんの一瞬、二人の手は確かに繋がっていた。
あのとき。
あの砂のトンネルの中で、二人の指は、確かに触れ合っていた。
でも、二人は、ついに、トンネルのこちら側とあちら側から、出てこなかった。
片方は、向こう側へ回り込む方法を、ずっと探していた。正面から砂山を回って、相手の隣に立つという、いちばん簡単な方法を選べないまま、トンネルの中で指先だけを伸ばし続けた。やがて砂が崩れて、その指先も、届かなくなった。
もう片方は、トンネルの存在にすら、気づかなかった。砂遊びはとっくに終わったものと思って、立ち上がり、砂を払って、一人で別の場所へ歩いていった。振り返らずに。あちら側でまだ誰かが指を伸ばしていることを、知らないまま。
※ ※ ※
佐倉薫が、生涯ただ一度も、声に出して言えなかった言葉がある。
たった、ひとことの、簡単な言葉だ。
好きだった。
その言葉を、彼女は世界中の誰よりも長く、胸の中だけで繰り返した。届けたい、たった一人に向けて。
その一人は、最後まで、その言葉を受け取らなかった。
受け取らなかったのではない。
その言葉が、自分に向けられていたことをついに知らなかった。
砂のトンネルの両端で、二人は永遠にすれ違ったまま、別々の人生を生き終えた。
一人は、誰にも届かなかった愛を抱えて。
もう一人は、自分に届いていた愛に一生気づかないまま。
それが、二人の物語のすべてだった。