俺を孤立させた幼馴染(元男)が俺に惚れていた件、なお俺は一生気づかない   作:七支言

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さよならは間違いの始まり

 離れるのは、思っていたより簡単だった。

 

 もともと俺の周りには誰もいない。教室の隅で一人なのは、もう通常運転だ。あとは薫との距離を、少しずつ広げていけばいい。

 

 昼休み、薫が来る前に本を開いて、話しかけにくい空気を作る。薫が何か言いかけたら、用事があるふりで席を立つ。放課後、一緒に帰ろうとする薫に、先に行ってくれと笑って手を振る。

 

 一つ一つは小さなことだ。けれど、小さな拒絶も積み上がれば距離は確実に開いていく。波風を立てず、自然に、薫が気に病まないように。それが俺の描いた筋書きだった。

 

 完璧な計画だと思った。

 

 だが、完璧な計画なんてものは、だいたい何か見落としている。この場合の見落としは、相手にも意志があるという、わりと初歩的な事実だった。

 

 薫は、引かなかった。

 

 俺が距離を取ろうとするたび、薫はむしろ強く踏み込んできた。本を開けば隣に座って覗き込む。席を立てば追いかけてくる。先に行ってくれと言えば、首を振って、

 

「ぼくは直己と帰りたい」

 

 と言う。

 

 その必死さを、俺はまた都合よく誤訳した。

 

 ああ、薫は気づいてるんだ。俺が離れようとしてるのに。優しい薫のことだから、幼馴染を見捨てる形になるのを気に病んでるんだ。俺の気遣いが裏目に出てる。罪悪感を持たせまいとしたのが、逆に薫を追い詰めてる。

 

 なら、はっきりさせなきゃ。薫が何の負い目も感じずに済むように。

 

 我ながら、どこまでも善意の皮をかぶった馬鹿だった。この期に及んで相手の気持ちを「気遣い」だと解釈する。正解は全部、もっと手前にあったのに。

 

※ ※ ※

 

 ある日の放課後、誰もいなくなった教室で、俺は薫に切り出した。

 

「もう、無理に俺に付き合わなくていい」

 

 できるだけ軽く。薫が受け止めやすいように、笑みまで浮かべて。

 

「お前は、もっとふさわしい連中といるべきだ。俺なんかといても、お前のためにならない。今までありがとう。でも、もういいんだ」

 

 薫の顔から、すっと表情が抜けた。

 

「なんで」

 

 声が震えていた。

 

「なんでそんなこと言うの。ぼくが、いつ、きみを迷惑だなんて言った。きみがいないと、ぼくは――」

 

 そこで薫は言葉を切った。何か言いかけて、飲み込んだ。その目に、見たことのない色があった。すがるような、追い詰められたような、必死な色。

 

 俺はそれすら、優しさだと思った。

 

 ほら、やっぱり気に病んでる。こんなに必死に引き止めるのは、俺を見捨てることに耐えられないからだ。本当に、どこまでもお人好しなやつだ。だからこそ、俺が自由にしてやらなきゃ。

 

 今ここで読者の何割かがそうじゃない、と机を叩いているのだろう。気持ちは分かる。俺も当時の俺を殴りたい。

 

 俺は首を振った。

 

「お前は悪くない。何も悪くない。ただ、俺がそうしたいだけだ。これは俺が決めたことだから」

 

 お前のためなんだ、とは言わなかった。言えば薫は自分のせいだと思ってしまう。だからただ、自分の意思だと言い張った。

 

 薫は、しばらく何も言わなかった。

 

 俯いて、唇を噛んで、握った手を震わせて。そしてようやく顔を上げたとき、その目にはもう、さっきの必死さはなかった。

 

 代わりにあったのは、底の見えない、暗い何かだった。

 

「……分かった」

 

 薫は言った。

 

「きみが、そう言うなら」

 

 それだけ言って、教室を出ていった。

 

 俺は一人、残された教室で長く息を吐いた。

 

 うまくいった、と思った。薫は納得してくれた。これで俺という重荷から解放される。薫の輝きを、もう俺が邪魔することはない。

 

 胸にぽっかり穴が空いた感覚があった。けど、それは正しいことをした証だと自分に言い聞かせた。

 

 薫のためだ。これでよかったんだ。

 

 ――そう、信じていた。

 

 今だから言える。あの「分かった」は、納得じゃない。あれは、引き止めるのを諦めた音だった。そして同時に、別の何かに切り替わる音でもあった。だが当時の俺の耳には、安堵のメロディーにしか聞こえなかった。音痴にもほどがある。

 

※ ※ ※

 

 それから、俺の高校生活は本物の孤独になった。

 

 薫という最後の一本が消えて、俺は完全に一人になった。けど、不思議と前ほど苦しくなかった。失うものがもう何もなくなったからかもしれない。

 

 一人になった分、考える時間だけは増えた。

 

 俺はぐるぐる考えた。なんでこうなったんだろう。地元であんなに人に囲まれてたのが嘘みたいだ。なんで全部崩れた?

 

 明確な答えは出なかった。ただ、一つだけはっきりしたことがある。

 

 人の心は、当てにならない。

 

 ようやく話せるようになりかけてた連中は、根のない噂ひとつであっさり離れた。誰一人、俺という人間を確かめようとはしなかった。好意ってやつは、こんなに脆い。気まぐれで、移ろいやすくて、いつ裏返るか分からない。

 

 人を信じる、ということが、俺にはもうできなくなっていた。

 

 信じれば裏切られる。期待すれば裏切られる。なら最初から誰も信じなければいい。誰にも期待しなければいい。そうすれば、もう傷つかない。

 

 寂しい結論だ。でも同時に、心は奇妙に楽になった。

 

 もう誰かに分かってもらおうと足掻かなくていい。誰かの好意に一喜一憂しなくていい。人間関係っていう、あの制御のきかないものから降りてしまえばいい。

 

 でも、と俺は思った。

 

 人を信じずに、どうやって生きていく。人は一人じゃ生きられない。社会の中で誰とも関わらずに生きるなんて無理だ。そう教わってきた。

 

 本当にそうか?

 

 ふと、薫の病のことを思い出した。

 

 薫の性別が変わったとき、世界は騒ぎ立てなかった。なぜか。そういう病があると知られていて、それを受け止める仕組みができていたからだ。診断名があり、手続きがあり、法律があった。

 

 人々の気持ちが薫を受け入れたんじゃない。仕組みが薫を受け入れたんだ。

 

 誰かの気まぐれな善意じゃなく、明文化された制度が。決められた手順が。変わらず回り続ける社会というシステムが。

 

 その違いに、初めて気づいた。

 

 人の心は当てにならない。今日笑いかけた相手が、明日には噂を信じて背を向ける。好意は移ろう。約束は破られる。

 

 でも、制度は違う。

 

 法律は気分で変わらない。契約は感情で覆らない。手続きは誰が相手でも同じように進む。そこには好き嫌いも、妬みも、気まぐれもない。決められたルールがただ淡々と機能するだけだ。

 

 人は、裏切る。

 

 でも、仕組みは、裏切らない。

 

 その考えは、暗い水の底で見つけた一筋の光だった。我ながらひねくれた見方だが、光は光だ。海の底に居る人間は、電球だろうが蛍光灯だろうが灯りがあればそちらに向かう。

 

 俺はもう、人は信じない。二度と誰の心にも期待しない。その代わり、仕組みを信じる。法を、契約を、システムを信じる。人の気持ちなんかよりずっと確かな、明文化されたルールの世界を。

 

 そこでなら、俺も生きていけるかもしれない。誰の好意にも頼らず、誰の悪意にも怯えず。自分の足だけで立っていられるかもしれない。

 

 そのためには、力がいる。仕組みを味方につけて、誰にも依存せずに生きるための力が。知識が。そして何より、誰にも頼らなくて済むだけの、自分の基盤が。

 

 俺はぼんやりと、これからのことを考えはじめた。

 

 まだ何も具体的じゃない。ただ、漠然とした方針だけが胸の中でゆっくり定まっていく。

 

 人ではなく、仕組みを頼りに。好意ではなく、ルールを頼りに。誰にも左右されない、自分だけの場所へ。

 

 それが、孤独の底で俺が見つけた、たった一つの生き方だった。

 

 薫のことはもう考えないことにした。

 

 薫は俺が自由にした。それでいい。これから眩しい場所で眩しいまま生きていくのだろう。俺とはもう関わりのない世界で。

 

 俺は俺で、冷たく確かな仕組みの世界で生きていく。

 

 二度と交わらない、別々の道を。

 

 そう思っていた。本当に、そう思っていた。

 

 ――この「本当に」って念押ししてる時点で、嫌な予感がするだろう。正解だ。

 

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