東方アウトレイジ    作:たこ焼き 龍月

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第九章 全員悪党

 

 

 博麗神社の祭りは、終わっていなかった。

 

 正確に言えば、終わらせる暇がなかった。

 

 夜通し灯っていた提灯は、朝の光の中で色褪せて見えた。屋台の火は落ち、酒樽は空になり、境内の隅には誰かが吐いた跡と、踏み潰された札と、勘定の合わない小銭が転がっている。

 

 昨夜、ここは賭場だった。

 祭りだった。

 博麗の縄張りだった。

 

 今朝は、裁き場になった。

 

 霊夢は本殿の前に立っていた。

 

 賽銭箱の前ではない。社務所でもない。境内の中央。誰が来ても見える場所。誰が逃げても背中が見える場所。

 

 その前には、長い板が何枚も並べられていた。

 

 人里の火消し詰所から運ばれてきた記録。

 命蓮寺の船荷の写し。

 地霊殿の洗浄記録の一部。

 白玉楼の債務帳の断片。

 紅魔館の契約台帳の写し。

 永遠亭の薬包と廃棄記録。

 守矢講の名簿の一部。

 八雲工事の下請け台帳。

 そして、慧音が夜明け前から書き起こした、人里の名もなき者たちの名前。

 

 全部は出せない。

 

 出せば、壊れる者がいる。

 逃げ場を失う者がいる。

 名を出されることで、もう一度傷つく者もいる。

 

 だが、全部隠すこともできない。

 

 隠せば、また同じことが起きる。

 

 だから、霊夢は全員を呼んだ。

 

 呼んだというより、呼びつけた。

 

 射命丸文が朝一番に飛ばした号外には、たった一文だけが大きく刷られていた。

 

『博麗神社にて、幻想郷裏利権調停。関係者は来なければ名前を出す』

 

 文は「少し刺激的ですかね」と言った。

 

 霊夢は「ちょうどいい」と言った。

 

 その結果、幻想郷の悪党たちは、全員、博麗神社に集まった。

 

 最初に来たのは、八雲紫だった。

 

 隙間から現れた彼女は、いつものように笑っていた。薄紫の衣、扇、涼しげな目。だが、後ろに控える藍の顔は硬い。橙は緊張した様子で周囲を見ている。

 

 霊夢は紫を見るなり言った。

 

「遅い」

 

「呼びつけておいて、挨拶もそれ?」

 

「お茶会じゃないの」

 

「知っているわ。だから来たのよ」

 

 紫は境内に並べられた記録を見た。

 

 その笑みが、ほんの少しだけ薄くなる。

 

「ずいぶん集めたわね」

 

「上から下まで流れてたものよ。拾うのが大変だったわ」

 

「拾ったものをそのまま並べれば、拾った者の手も汚れる」

 

「もう汚れてる」

 

 霊夢は紫を睨んだ。

 

「今さら綺麗な手を探す場じゃないわ」

 

 次に来たのは、守矢だった。

 

 八坂神奈子は堂々と石段を上がってきた。東風谷早苗はその後ろで、どこか不安そうに境内を見ている。洩矢諏訪子は、楽しそうとも退屈そうともつかない顔で、石段の端をぴょんぴょんと歩いていた。

 

「博麗」

 

 神奈子は霊夢の前に立った。

 

「人里の講の件、説明してもらおうか」

 

「それを言うのはこっちよ。守矢の講で偽薬が出た。名簿と奉納記録が地底へ流れてた。説明するのはあんた」

 

「守矢は被害者だ」

 

「今日はその言葉禁止にしようかしら」

 

 霊夢は声を張った。

 

「全員、自分を被害者って言うの禁止」

 

 境内に妙な沈黙が落ちた。

 

 神奈子は鼻で笑った。

 

「無茶な裁きだな」

 

「裁きじゃない。面倒事の整理よ」

 

 永遠亭は、少し遅れて来た。

 

 八意永琳、蓬莱山輝夜、鈴仙、因幡てゐ。

 

 永琳は境内に入るなり、薬包の置かれた板の前へ向かった。鈴仙がすぐそばに控える。輝夜は眠そうに欠伸をし、てゐは屋台の残り物を物色しようとして霊夢に睨まれた。

 

「永琳」

 

 霊夢が言う。

 

「人里に出た偽薬と、地底に流した廃棄薬の説明」

 

「するわ」

 

「珍しい」

 

「隠しても、もう意味がないもの」

 

「最初からそうしてれば早かったのに」

 

「最初から全部話す医者は、医者を続けられないわ」

 

「裏医者の理屈ね」

 

「それでも医者よ」

 

 紅魔館は、昼近い光を嫌うように現れた。

 

 咲夜が大きな日傘を差し、その下にレミリアがいる。美鈴とパチュリーも同行していた。パチュリーは陽の光を嫌そうにしながら、分厚い本を抱えている。

 

「博麗」

 

 レミリアは境内を見るなり言った。

 

「ずいぶん安い会場ね」

 

「帰る?」

 

「冗談よ。紅魔館を侮辱した件の落とし前を、まだつけていないもの」

 

「今日つけるのは、あんたの分も含めて全部よ」

 

「私に落とし前を要求する気?」

 

「要求じゃない。置いていってもらう」

 

 レミリアは楽しそうに笑った。

 

「何を?」

 

「隠してた帳簿の鍵」

 

 咲夜の目がわずかに鋭くなる。

 

 パチュリーが静かに言った。

 

「それは簡単には出せないわ」

 

「簡単じゃなくても出すの。今日の話は全部それ」

 

 白玉楼からは、幽々子と妖夢が来た。

 

 幽々子はいつも通り優雅に、妖夢は少し青い顔で。妖夢の手には、蔵から盗まれた帳面の残りと、封じられた武器商記録の写しがあった。

 

「霊夢、いい天気ね」

 

「そうね。秘密を干すにはちょうどいいわ」

 

「嫌な洗濯物ね」

 

「地霊殿はもっと嫌な洗濯場だったわよ」

 

 幽々子はふふ、と笑う。

 

「さとりも来るのかしら」

 

「来るわ」

 

 霊夢が言った直後、地面の影がわずかに揺れた。

 

 旧地獄から上がってきた気配。

 

 古明地さとりが現れた。お燐、お空、そしてこいしも一緒だった。こいしは境内の端にある屋台の残骸を見て、無邪気に首を傾げている。

 

「お招きありがとうございます」

 

 さとりは静かに言った。

 

「招いた覚えはないわ。呼びつけたの」

 

「同じことです」

 

「違うわよ」

 

 文が横で呟く。

 

「今日の霊夢さん、細かいですね」

 

「黙って記録してなさい」

 

「はいはい」

 

 最後に、命蓮寺が来た。

 

 聖白蓮、村紗水蜜、一輪、星。

 

 白蓮の顔には、明らかな疲れがあった。村紗は険しい表情で、霊夢を睨んでいる。消えた船荷。その責任を一番最初に問われるのは、彼女たちだからだ。

 

「霊夢さん」

 

 白蓮は静かに頭を下げた。

 

「遅くなりました」

 

「来ただけましね」

 

「命蓮寺の船荷の件、こちらにも責任があります」

 

「責任があります、で済む話じゃないわよ」

 

「わかっています」

 

 村紗が低く言う。

 

「船を使われた。うちの海運を」

 

「使われた?」

 

 霊夢は村紗を見た。

 

「本当に?」

 

 村紗は歯を食いしばる。

 

「……うちの中に、協力者がいた」

 

 境内に重い空気が広がった。

 

 これで揃った。

 

 博麗。

 八雲。

 守矢。

 永遠亭。

 紅魔館。

 白玉楼。

 地霊殿。

 命蓮寺。

 天狗。

 そして、人里の自警組。

 

 妹紅と慧音は、境内の端に立っていた。

 

 慧音の手には、人里の記録。

 妹紅の肩には、火消しの半纏。

 

 霊夢は全員を見回した。

 

「じゃあ、始めるわ」

 

 紫が扇で口元を隠す。

 

「議長はあなた?」

 

「文句ある?」

 

「ないわ。責任もあなたが取るなら」

 

「取るわよ」

 

 霊夢は即答した。

 

 紫の目がわずかに動いた。

 

「珍しいわね」

 

「責任を取るのが嫌で、みんな地底へ捨ててたんでしょ。だったら、今日は誰かが前に立たないと終わらない」

 

 神奈子が腕を組む。

 

「博麗がそこまで言うなら聞こう。で、何を裁く?」

 

「裁かない」

 

 霊夢は言った。

 

「全員裁いたら幻想郷が空になる」

 

 文が小さく笑いかけたが、すぐにやめた。

 

 霊夢は続ける。

 

「今日やるのは三つ。まず、何が起きたか確認する。次に、誰が何を隠したか認める。最後に、これから何を隠せなくするか決める」

 

 レミリアが言った。

 

「随分と健全ね。博麗の巫女が道徳の授業?」

 

「嫌なら帰っていいわよ。帰った瞬間、紅魔館の契約台帳の写しを文に渡すけど」

 

 レミリアの笑みが止まった。

 

 文が手を上げる。

 

「受け取る準備はあります」

 

「黙ってなさい」

 

「はい」

 

 霊夢は板の上に置かれた最初の記録を指した。

 

「命蓮寺の船荷。これが始まり。表向きは法具と救援物資。実際には、各勢力の処理予定物が混載されていた。八雲の工事書類、永遠亭の廃棄薬、紅魔館の契約写し、白玉楼の債務記録、守矢の講関係、その他いくつか」

 

 白蓮が目を伏せる。

 

「命蓮寺は、荷のすべてを把握していませんでした」

 

 霊夢はすぐに言った。

 

「それ、言い訳として最悪よ」

 

 白蓮は顔を上げた。

 

「そうですね」

 

 村紗が拳を握る。

 

「うちは、船を貸した。荷を運んだ。けれど、中身までは」

 

 慧音が静かに言った。

 

「荷を運ぶ者は、いつもそう言われます。中身を知らないから責任がない、と」

 

 村紗は言葉を失った。

 

 白蓮が慧音を見る。

 

「その通りです。知らなかった、では済まされない。命蓮寺の海運は、慈悲と救済の名で荷を運び、その中に誰かが捨てたいものを混ぜる余地を作ってしまった」

 

 神奈子が低く言う。

 

「それは命蓮寺だけではないだろう」

 

「そうよ」

 

 霊夢は次の板を指した。

 

「八雲。大結界再整備計画。下請け台帳に、実在しない人足、名前を伏せた作業員、地底処理に回された廃材がある」

 

 藍が一歩前に出た。

 

「工事現場では、多数の下請けが関わっている。すべてを八雲が直接」

 

「藍」

 

 紫が静かに止めた。

 

「言い訳は醜いわ」

 

 藍は口を閉じた。

 

 紫は霊夢を見た。

 

「八雲は、大結界再整備計画において、いくつかの不透明な下請け処理を認めます。危険な廃材や記録を地底へ送ったことも事実」

 

「なぜ隠した」

 

「幻想郷の安定のため」

 

 霊夢は鼻で笑った。

 

「便利な言葉ね」

 

「ええ。便利だから使ってきたの」

 

 紫の声は静かだった。

 

「でも、便利な言葉で隠したものが、今回は戻ってきた。認めるわ」

 

 神奈子が口を挟む。

 

「八雲が認めるとは珍しい」

 

 紫は神奈子を見た。

 

「次はあなたよ」

 

 霊夢は守矢の板を指した。

 

「守矢安全講。紹介者記録、奉納記録、現場安全祈祷部。人里の不安を集めて、信仰と金に変えてた」

 

 早苗が顔を青くした。

 

「霊夢さん、その言い方は」

 

「きつい?」

 

「……はい」

 

「でも、事実から遠い?」

 

 早苗は答えられなかった。

 

 神奈子が代わりに言う。

 

「守矢は信仰を集めた。人里に入り、互助会を作り、現場祈祷を請け負った。そこに金が動いたことも認める」

 

「人の不安に値段をつけた」

 

「不安に形を与えた」

 

「同じよ」

 

「違う」

 

 神奈子の声が強くなる。

 

「博麗、お前は救えない不安を放っておいた。こちらはそこへ手を伸ばした。手を伸ばせば、金も責任もついてくる。それを全部悪と呼ぶなら、お前は人里の日々をどう支える?」

 

 慧音が言った。

 

「支えると言うなら、記録を開示してください。誰が紹介し、誰が払えず、誰が講の中で肩身を狭くしたか。守矢が把握しているはずです」

 

 早苗が慧音を見る。

 

「慧音さん……」

 

「責めているだけではありません。守矢の仕組みで助かった者もいるでしょう。それも記録する必要がある。だが、助かった者だけを見せ、苦しんだ者を隠すなら、それは救済ではなく支配です」

 

 神奈子はしばらく黙った。

 

 そして言った。

 

「名簿は出せない」

 

 霊夢が札を抜きかける。

 

 神奈子は続けた。

 

「全員には、だ。だが、慧音と博麗、そして本人同意のある範囲で確認する場を設ける。守矢が握っていた不安を、人里側にも見せる」

 

 早苗が驚いたように神奈子を見た。

 

「神奈子様」

 

「早苗。信仰は奪い合いでは終わらん。残すなら、形を変える必要がある」

 

 霊夢は小さく頷いた。

 

「次。永遠亭」

 

 永琳は前に出た。

 

 霊夢は薬包を指した。

 

「偽薬は永遠亭のものじゃなかった。でも、地底に流した廃棄薬と記録が悪用された。禁制薬の管理にも穴があった」

 

「認めるわ」

 

 永琳は短く言った。

 

 鈴仙が隣で唇を結んでいる。

 

「永遠亭は、表に出せない薬、治療記録、処理品を地底へ送っていた。医療上必要なものもあった。けれど、その仕組みが外部に利用された」

 

 霊夢は言う。

 

「患者の秘密を盾にして、隠しすぎた」

 

「そうね」

 

「認めるの早いわね」

 

「遅すぎたからよ」

 

 永琳の声は冷たかったが、いつもより少しだけ重かった。

 

「薬は人を救う。でも、薬を扱う者が自分だけは正しいと思えば、人を支配する。今回、永遠亭はその危険を突かれた」

 

 鈴仙が一歩前に出た。

 

「永遠亭は、人里に出た偽薬の回収と治療に協力します。薬包の見分け方、安全な封じ方も、必要な範囲で共有します」

 

 てゐが小声で言う。

 

「商売あがったりだね」

 

 永琳がてゐを見る。

 

「てゐ」

 

「はいはい、黙ります」

 

 霊夢は次に紅魔館を見た。

 

「紅魔館」

 

 レミリアは日傘の下で笑った。

 

「さあ、何を認めろと言うのかしら」

 

「契約台帳。保護対象、労務登録、沈黙契約。人を資産扱いしてた」

 

「紅魔館は所有する。そこは変えないわ」

 

 境内に緊張が走る。

 

 霊夢はレミリアを睨んだ。

 

「今日くらい、言葉を選びなさいよ」

 

「選んでいるわ。嘘をつかないようにね」

 

 レミリアは一歩前に出る。

 

「紅魔館は、幻想郷のルールに完全には従わない。館の中には館の法がある。これは変わらない。けれど、紅魔館の契約記録が外へ流れ、他者を脅す道具になったことは認める。私の所有物が、私の意志を離れて動いた。これは許しがたい」

 

 慧音が低く言った。

 

「所有物ではなく、人です」

 

 レミリアは慧音を見た。

 

「あなたにとってはね」

 

「幻想郷にとってもです」

 

「本当に?」

 

 レミリアは周囲を見回した。

 

「八雲は人を人足として使う。守矢は信者として数える。永遠亭は患者として記録する。白玉楼は債務者として見る。博麗は客や揉め事として扱う。天狗は情報源として見る。私だけが、人を人でなくしていると?」

 

 慧音は一瞬黙った。

 

 だが、すぐに答えた。

 

「いいえ。だからこそ、ここで止める必要があります」

 

 レミリアは少し笑った。

 

「面白いわね、先生。あなたは弱いのに、言葉だけは強い」

 

「弱い者を見てきたからです」

 

 咲夜が静かに言った。

 

「お嬢様。紅魔館の契約台帳については、本人同意のない拘束契約、処理済みとされた労務記録、外部仲介の名簿を再確認すべきかと」

 

 レミリアは咲夜を見た。

 

「咲夜までそちらにつくの?」

 

「いいえ。私はお嬢様の従者です。だからこそ、紅魔館の穴を塞ぐ必要があります」

 

 パチュリーが本を閉じる。

 

「同感ね。支配を続けたいなら、腐った契約は切るべきよ。腐敗を抱えた所有は、館ごと腐らせる」

 

 レミリアはしばらく黙った。

 

 やがて、面白くなさそうに言った。

 

「いいわ。紅魔館は、契約台帳の一部を監査させる。ただし、博麗と慧音、そして本人に関係する範囲まで。天狗には渡さない」

 

 文が残念そうに言う。

 

「信頼がありませんね」

 

 全員が同時に文を見た。

 

「……はい、黙ります」

 

 霊夢は白玉楼を見る。

 

「幽々子」

 

「はい」

 

「債務帳、武器商記録、死者の蔵」

 

「認めるわ」

 

 幽々子は穏やかに答えた。

 

「白玉楼は、死者だけでなく、生者の未払いも扱ってきた。金を貸し、品を預かり、武器を封じ、時には危険な取引も止めずに見ていた」

 

「止めなかったの?」

 

「止めれば、別の場所でもっと悪くなることもあるのよ」

 

「それも便利な言い訳ね」

 

「ええ。便利だったわ」

 

 妖夢が悔しそうに俯く。

 

 幽々子は続けた。

 

「でも、借りた者の名を隠すことと、貸した側の都合を隠すことは違う。白玉楼は、前者を守るつもりで、後者まで守っていたのかもしれないわね」

 

 慧音が言う。

 

「債務者の名は、本人の同意なく出すべきではありません」

 

「その通り」

 

 幽々子は頷いた。

 

「でも、貸した側、取り立てた側、武器を流した側の記録は別。そこは見直しましょう」

 

 霊夢は地霊殿を見る。

 

「さとり」

 

「はい」

 

「掃除屋。洗浄屋。証拠処理」

 

「認めます」

 

 さとりは最初から逃げる気がなかった。

 

「地霊殿は、上から流れた汚れを受け取ってきました。危険物を処理し、書類を封じ、記録を消し、あるいは消したことにした。上の世界が綺麗な顔をするための下水でした」

 

 お燐が顔をしかめる。

 

「さとり様、そこまで言わなくても」

 

「言うべきです」

 

 さとりは霊夢を見た。

 

「ただし、地霊殿はこれからも危険物を処理します。それ自体をやめれば、幻想郷は別の形で壊れる。変えるべきは、何を、誰が、なぜ流したかを完全に消さないこと」

 

 紫が静かに言った。

 

「記録を残すのね」

 

「ええ。地底だけで抱えない。上にも、責任の一部を戻す」

 

 霊夢は頷いた。

 

「最後に、人里」

 

 慧音と妹紅が前に出た。

 

 境内の空気がさらに重くなる。

 

 今回の騒動の火種は、ここにあった。

 

 慧音は深く息を吸った。

 

「人里の自警組は、各勢力の荷や揉め事に関わってきました。問屋、火消し、人材派遣、用心棒。その中で、見て見ぬふりをしてきたことがあります。私は、それを記録しながら、公表できなかった」

 

 妹紅が続ける。

 

「私は、火をちらつかせた。羽根を置いた。上の連中を疑わせた。怒りで動いた。結果、仁助に利用された」

 

 仁助。

 

 火消し詰所で拘束された男の名だった。

 

 その名が出た瞬間、境内の端に座らされていた男がわずかに顔を上げた。今は札で縛られている。だが、誰も彼を荷物のようには扱っていなかった。

 

 慧音がその名を記録したからだ。

 

 霊夢は言った。

 

「仁助は、各勢力の処理荷を運んでいた元人足。賭場で負けて、問屋を追われ、名前も信用も失った。慧音たちが取った写しと、妹紅の火の偽装を使って、今回の騒ぎを広げた」

 

 仁助は笑った。

 

 乾いた笑いだった。

 

「どうせ俺が全部悪いってことで終わらせるんだろ」

 

 霊夢は彼を見た。

 

「終わらせない」

 

「なら、俺は何だ」

 

「犯人の一人」

 

 仁助の笑みが止まった。

 

「一人?」

 

「そう。一人で全部やったわけじゃない。あんたは怒りを運んだ。妹紅は火を置いた。慧音は記録を隠した。命蓮寺は荷を運んだ。八雲は隠した。守矢は不安を集めた。永遠亭は薬を流した。紅魔館は契約を握った。白玉楼は債務を抱えた。地霊殿は汚れを受け取った。文は情報を売った。私も、賭場であんたを切り捨てた」

 

 境内に沈黙が落ちた。

 

 霊夢は言った。

 

「だから、あんた一人を燃やして終わりにはしない」

 

 仁助は俯いた。

 

「……今さらだ」

 

「そうね。今さらよ」

 

「全部遅い」

 

「遅いわね」

 

「遅すぎる」

 

「それでも、今やるしかない」

 

 仁助は何も言わなかった。

 

 霊夢は全員を見回した。

 

「さて」

 

 その声は、境内の端まで届いた。

 

「ここからが本題」

 

 紫が静かに言う。

 

「落とし前ね」

 

「そう」

 

 霊夢は指を三本立てた。

 

「一つ。地底へ流す処理荷は、今後、博麗、地霊殿、人里記録係の三者で記録を残す。危険物の中身までは全部出さなくていい。でも、誰が、何を、なぜ流したかの責任者名は残す」

 

 永琳が言う。

 

「医療機密に触れるものは?」

 

「患者の名は伏せる。責任者の名は出す」

 

 永琳は少し考え、頷いた。

 

「妥当ね」

 

「二つ。人里の人足、火消し、問屋、自警組を、各勢力の使い捨てにしない。危険な荷には危険手当。怪我をしたら治療保証。消えたら調査義務。これは守矢、永遠亭、八雲、命蓮寺、紅魔館、白玉楼、全部に適用」

 

 神奈子が言う。

 

「金がかかるな」

 

「かけなさい」

 

「誰が管理する」

 

「慧音」

 

 慧音が驚いた。

 

「私?」

 

「人里の記録係。あんたがやるしかないでしょ」

 

「だが、私は今回」

 

「だからやるの。隠した人間が、今度は隠さない仕組みを作る」

 

 慧音はしばらく黙り、やがて頷いた。

 

「引き受ける」

 

「妹紅は火消し側の責任者」

 

 妹紅が眉を上げる。

 

「私も?」

 

「当たり前でしょ。火をちらつかせた罰よ。今度は本当に火を消しなさい」

 

 妹紅は苦笑した。

 

「きつい罰だな」

 

「死なないんだから働きなさい」

 

「お前な」

 

 霊夢は三本目の指を立てた。

 

「三つ。今回の記録のうち、名を出せるものは文が残す。ただし、面白おかしい記事にしたら、天狗の山ごと祓う」

 

 文が目を丸くする。

 

「山ごとですか」

 

「比喩よ。たぶん」

 

「たぶん?」

 

 慧音が文を見る。

 

「射命丸。名を出す者、伏せる者、その線引きは私も見る」

 

 文は少しだけ真面目な顔で頷いた。

 

「わかりました。今回は、新聞というより記録として扱います」

 

 レミリアが言う。

 

「紅魔館に不利な部分は?」

 

「出るわよ」

 

 霊夢が即答する。

 

「ただし、契約者本人の安全に関わる名は伏せる。紅魔館の不正と、被害者の名は別」

 

 レミリアは霊夢を見つめた。

 

「あなた、いつからそんな器用なことを考えるようになったの」

 

「夜通し歩き回れば、嫌でも考えるわ」

 

 紫が扇を閉じた。

 

「面白い案ね。でも、それだけでは足りない」

 

 霊夢は紫を見た。

 

「何が」

 

「博麗神社はどうするの?」

 

 境内が静まった。

 

 紫は微笑む。

 

「賭場。屋台。用心棒。異変後の示談。博麗もまた、人里と妖怪の間で利権を持っている。あなたは他者に記録を求める。では、自分は?」

 

 霊夢は黙った。

 

 文が手帳を持つ手を止める。

 

 妹紅も慧音も、霊夢を見た。

 

 霊夢はゆっくり息を吐いた。

 

「博麗も出す」

 

 紫の笑みが止まった。

 

 神奈子が驚いたように眉を上げる。

 

「本気か」

 

「全部じゃない。賭場の客名簿なんて出したら、それこそ別の火事になる。でも、屋台の場所代、用心棒代、示談金、博麗の印を使った書類は、慧音と文に見せる」

 

 文が目を丸くした。

 

「私にも?」

 

「変なこと書いたら落とす」

 

「了解しました」

 

 紫はしばらく霊夢を見ていた。

 

「変わったわね」

 

「変わってないわよ。私の名前を勝手に使われたから、腹が立ってるだけ」

 

「それだけ?」

 

「それだけよ」

 

 霊夢はそっぽを向いた。

 

 幽々子が楽しそうに笑う。

 

「霊夢らしいわね。善意ではなく、腹立ちで秩序を作る」

 

「最悪の褒め方ね」

 

「褒めているわ」

 

 さとりが静かに言った。

 

「霊夢。あなたは今、少しだけ怖がっていますね」

 

「読まないで」

 

「博麗の帳を出すことで、自分の足元が崩れるかもしれないと思っている」

 

「読まないでって言ったわよね」

 

「でも、それでも出すと決めた。理由は、自分だけ隠したままでは、二度とこの場で札を振れなくなるから」

 

 霊夢はさとりを睨んだ。

 

「本当に嫌な妖怪ね」

 

「よく言われます」

 

 紫が小さく笑った。

 

「では、決まりかしら」

 

 神奈子が腕を組む。

 

「守矢は条件付きで受ける」

 

 永琳が言う。

 

「永遠亭も、患者保護を前提に受ける」

 

 レミリアは不満そうだったが、咲夜とパチュリーに視線を向けられ、ため息をついた。

 

「紅魔館も受ける。ただし、館内の法は残す」

 

「少しは減らしなさい」

 

 霊夢が言うと、レミリアは笑った。

 

「考えておくわ」

 

「絶対考えないやつね」

 

 白蓮が深く頭を下げる。

 

「命蓮寺は、海運の監査を受け入れます。荷の名目と実態を、少なくとも人里側に確認できるようにします」

 

 村紗も渋々頷いた。

 

「船を使われっぱなしは、こっちも腹が立つ」

 

 幽々子が言う。

 

「白玉楼も、貸し手側の記録を見直すわ。債務者を守るためにもね」

 

 さとりが頷く。

 

「地霊殿は、洗浄記録を閉じすぎない。上に責任を戻す仕組みを作ります」

 

 紫は最後に言った。

 

「八雲も受けるわ。ただし、幻想郷全体の均衡に関わるものは、私の判断で伏せることがある」

 

 霊夢が札を抜いた。

 

「却下」

 

 紫は目を細める。

 

「霊夢」

 

「伏せるなら、理由を書きなさい。誰が判断して、なぜ伏せたか。それも記録に残す」

 

 紫は黙った。

 

 藍が紫を見る。

 

「紫様」

 

 紫はやがて、小さく笑った。

 

「本当に面倒な巫女になったわね」

 

「誰のせいよ」

 

「私かしら」

 

「半分くらいね」

 

 紫は頷いた。

 

「いいわ。伏せる理由も残す。これで満足?」

 

「全然」

 

「でしょうね」

 

 これで、表向きの合意はできた。

 

 だが、境内の空気は軽くならなかった。

 

 誰も勝っていない。

 

 紫は管理の穴を認めた。

 神奈子は信仰商売の歪みを認めた。

 永琳は薬の管理の危うさを認めた。

 レミリアは契約の腐敗を認めた。

 幽々子は債務の闇を認めた。

 白蓮は海運の責任を認めた。

 さとりは掃除屋の共犯性を認めた。

 慧音と妹紅は怒りの暴走を認めた。

 霊夢は博麗の利権を認めた。

 

 全員悪党。

 

 だが、悪党が全員いなくなれば、幻想郷は明日から動かない。

 

 その事実が、一番救いようがなかった。

 

 仁助が境内の端で笑った。

 

「結局、上の連中は残るのか」

 

 誰も答えなかった。

 

 仁助は続けた。

 

「俺は捕まる。妹紅さんと先生は責められる。でも、神様も、妖怪も、吸血鬼も、医者も、寺も、みんな席に戻る」

 

 霊夢は仁助の前に歩いていった。

 

「そうよ」

 

 仁助は顔を上げた。

 

「認めるのか」

 

「認めるわ。全員を落としたら、幻想郷が壊れる。あんた一人を落としても、何も変わらない。だから、全員の席を少しずつ削る」

 

「それで許せって?」

 

「許さなくていい」

 

 霊夢は言った。

 

「許すのは、あんたの仕事じゃない。私の仕事でもない。慧音が名前を残す。文が記録する。各勢力が金と責任を出す。妹紅が火を消す。私は、逃げようとした奴を祓う」

 

 仁助は小さく笑った。

 

「それで、俺は?」

 

「罪は残る。名前も残る」

 

 慧音が近づく。

 

「仁助。君がやったことは消えない。だが、君がなぜやったかも消さない」

 

 仁助は慧音を見た。

 

 しばらくして、彼は俯いた。

 

「……それでいい」

 

 その声は、怒りが消えた声ではなかった。

 

 だが、燃え尽きる寸前の火のように、少しだけ静かになっていた。

 

 その時、文が空を見上げた。

 

「来ますね」

 

 霊夢も気づいた。

 

 妖怪の山の方角から、天狗たちの気配がする。

 人里の方からは、人々が少しずつ石段の下へ集まり始めている。

 地底、湖、竹林、冥界、命蓮寺、守矢。

 この会合の気配は、もう幻想郷中へ広がっている。

 

 隠して終わることはできない。

 

 霊夢は本殿の前へ戻った。

 

「最後に」

 

 全員が霊夢を見る。

 

「この件、異変として処理する」

 

 紫が目を細めた。

 

「名前は?」

 

 霊夢は少し考えた。

 

 そして、足元に落ちていた紙片を取り出した。

 

『こいつら、全員悪党』

 

 その文字を見て、霊夢は小さく笑った。

 

「黒社会異変」

 

 文の目が光る。

 

「そのまま載せていいですか」

 

「載せるなら、名前も一緒に載せなさい。消えた人足、怪我をした火消し、黙らされた問屋、薬で壊れかけた者、契約に縛られた者、借金で逃げられなかった者。書ける範囲で、全部」

 

 文は深く頷いた。

 

「わかりました」

 

「あと、私の賭場の件は小さめに」

 

「そこは公平に大きくします」

 

「落とすわよ」

 

「記録ですので」

 

 境内に、初めて少しだけ笑いが生まれた。

 

 乾いた笑いだった。

 

 だが、昨夜までの笑いとは違った。

 

 隠すための笑いではなかった。

 

 霊夢は全員を見回した。

 

「これで終わりじゃない。むしろ、これから面倒が始まる。逃げる奴がいたら、私が行く。隠す奴がいたら、文が嗅ぐ。名前を消す奴がいたら、慧音が書く。火をつける奴がいたら、妹紅が消す。薬をばらまく奴がいたら、永遠亭が止める。契約で縛る奴がいたら、紅魔館も責任を取る。信仰で囲う奴がいたら、守矢が説明する。荷を流す奴がいたら、命蓮寺が中身を見る。借金で潰す奴がいたら、白玉楼が貸し手を見る。地底へ捨てる奴がいたら、地霊殿が記録を戻す。八雲が隠したら」

 

 霊夢は紫を見た。

 

「私が隙間ごと祓う」

 

 紫は笑った。

 

「怖いわね」

 

「怖がってなさい」

 

 神奈子が言った。

 

「博麗。これは新しい秩序か?」

 

「違うわ」

 

「では何だ」

 

「応急処置」

 

 永琳が小さく笑った。

 

「医者の言葉ね」

 

「借りただけよ」

 

 霊夢は賽銭箱の方を見た。

 

 朝日が境内を照らしていた。

 

 賽銭箱は相変わらず空に近い。

 

 だが、その前に並べられた記録だけは重かった。

 

 金より重い。

 血より面倒。

 信仰より厄介。

 薬より苦い。

 契約より逃げにくい。

 

 名前だった。

 

 消えかけた者たちの名前。

 

 それを前にして、全員が少しだけ黙った。

 

 悪党たちが、ようやく自分たちの足元を見た。

 

 それだけで幻想郷が良くなるわけではない。

 

 だが、見なければ何も始まらない。

 

 霊夢は言った。

 

「じゃあ、解散。逃げるなよ」

 

 誰も、すぐには動かなかった。

 

 それぞれが、それぞれの記録を見ていた。

 

 やがて紫が隙間を開き、神奈子が早苗を連れて石段を下り、永琳が薬包を回収し、レミリアが咲夜に日傘を持たせたまま不機嫌に帰り、幽々子が妖夢に帳面を預け、白蓮が村紗と低く話し合い、さとりがこいしの手を取った。

 

 最後に残ったのは、霊夢、文、慧音、妹紅、そして仁助だった。

 

 仁助は慧音に連れられて人里へ戻される。罰は免れない。だが、今度は荷物としてではなく、名前を持った者として裁かれる。

 

 妹紅は彼の背中を見ていた。

 

「霊夢」

 

「何」

 

「私は、あいつを責めきれない」

 

「責めなさいよ」

 

 妹紅は霊夢を見る。

 

「え?」

 

「責めるのと、理解するのは別。理解したからって、やったことが消えるわけじゃない。あんたも同じ」

 

 妹紅は苦笑した。

 

「厳しいな」

 

「甘くしたらまた燃やすでしょ」

 

「燃やさねえよ」

 

「しばらくはね」

 

 慧音が霊夢に頭を下げた。

 

「記録を始める。だが、全員の名前を守りながら残すのは難しい」

 

「難しいことをやるために先生っているんでしょ」

 

「無茶を言う」

 

「幻想郷は無茶でできてるのよ」

 

 文が手帳を閉じる。

 

「私も手伝います。記録の形を整えます」

 

 慧音は文を見た。

 

「ありがとう」

 

「礼はまだ早いですよ。私は天狗です。時々、余計なことを書きたくなります」

 

「その時は私が止める」

 

「怖い先生ですね」

 

 妹紅が言った。

 

「止まらなかったら、私が燃やす」

 

「もっと怖いですね」

 

 霊夢は空を見上げた。

 

 朝は完全に来ていた。

 

 夜に動いた悪事が、朝の光の中で情けなく見える。だが、それでも消えない。消えないから、記録し、縛り、時々殴るしかない。

 

 霊夢は社務所へ向かった。

 

「どこへ行くんですか」

 

 文が訊く。

 

「寝る」

 

「この状況で?」

 

「寝ないと、次に誰かを祓う時に手元が狂う」

 

 妹紅が笑った。

 

「物騒な理由だな」

 

「私らしいでしょ」

 

 霊夢は振り返らずに言った。

 

「あと、文」

 

「はい」

 

「記事の見出し」

 

「はい」

 

「『全員悪党』だけはやめなさい」

 

「なぜです?」

 

「開き直って格好つける奴が出る」

 

 文は少し考えた。

 

「では、こうしましょう」

 

 彼女は手帳に一行を書いた。

 

『悪党たち、名もなき者に頭を下げる』

 

 霊夢はそれを覗き込み、眉をひそめた。

 

「下げてない奴もいるでしょ」

 

「では、『下げさせられる』にしますか?」

 

「そっち」

 

 文は笑った。

 

「了解です」

 

 霊夢はようやく少しだけ笑った。

 

 博麗神社の境内に、朝の風が吹いた。

 

 提灯が揺れる。

 札が揺れる。

 記録の紙が、飛ばないように石で押さえられている。

 

 その紙の上には、まだ乾ききっていない墨で、いくつもの名前が書かれていた。

 

 幻想郷は、昨日と同じように今日も続く。

 

 ただ、少しだけ違う。

 

 今まで地底へ流れていた汚れが、少しだけ地上に残った。

 

 それは醜い。

 

 だが、醜いものを見える場所に置くことからしか、落とし前は始まらない。

 

 霊夢は社務所の戸を開け、ぼそりと呟いた。

 

「本当に面倒くさい」

 

 けれど、その声は昨夜より少しだけ軽かった。

 

 

 

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