クビになった庭師の俺、スキル『剪定』が覚醒して行き倒れ少女を整えたら実は最強聖剣士だった!? 訳あり美少女たちを手入れして最強英雄パーティを作ります 作:らっぽん
改めて見ても大図書館の内部は、外から見て想像していたよりも遥かに広大だった。
天を突くほどに高い本棚が、まるで巨大な迷路のように幾重にも並び立ち、その一つひとつの棚には、俺の一生をかけても手が届かないほどの膨大な知識が、埃の匂いと共にうず高く積み重なっている。
エルダは迷いのない足取りでその迷宮を進み、神話に関する棚、地脈研究の棚、古代種族の記録、さらには失われた文明の極秘資料にいたるまで、片っ端から片手を伸ばしては当たっていった。
だが、その結果は――無情にも、完全な空振りだった。
「……信じられませんわ。翼を持つ種族に関する記述が、本当に、ただの一行すら見当たりません」
俺たちは丸二時間を費やして床に積み上げた、分厚い専門書の山を見下ろしながら、小さく溜め息を漏らした。
「神話の上位存在への言及自体は、いくつかの古い写本にありますわ。……けれど、その名前も姿も、具体的な詳細も、まるで最初から存在しなかったかのようにすべて黒く伏せられているか、あるいは意図的にページごと切り取られていますの」
エルダが、パタンと手元の本を静かに閉じた。その表情には、明らかな苛立ちと困惑が滲んでいる。
「つまり、誰かが意図的に情報を消して回った、ということか」
「ええ、そう考えるのが一番自然でしょうね。あの傲慢な翼の連中が、自分たちの存在を地上の歴史から徹底的に消し去っているのだとすれば、公式な文献に残っていないのも当然の話ですわ」
二人で揃って、言葉を失って黙り込んだ。
ふと窓の外へ目をやると、夜空はもう深夜に近い深い闇に染まっている。ギルドでは今頃、シアたちが首を長くして俺たちの帰りを待っているはずだ。一度あそこへ戻って合流し、明日以降の別の方針を練るべきだろうか。
「……手詰まりだな。一度引き上げるか」
俺がそう言って膝に手を置き、立ち上がろうとした、その瞬間だった。
視界の端で、ふと奇妙な違和感に目が止まった。
そこは図書館の最奥の奥、一番端に位置する、街灯の光すら届かない薄暗い一角だった。他の整然とした専門書の棚とは、明らかにまとっている空気が違う。そこには、どこか年季の入った、小ぶりで色鮮やかな背表紙がひっそりと並んでいた。
「……あそこ、まだ見ていなかったな」
エルダが俺の視線を追い、その先にあるものが何かを一瞬で悟ったように、呆れたように小さく鼻を鳴らした。
「あそこは児童書の棚ですわよ、アルト様。子ども向けの絵本に、わたくしたちが追い求めているような翼の種族の文献がある可能性なんて、それこそ天文学的にゼロに近いですわ」
「まあ、常識的に考えればそうだな」
「神話の専門書にすら一切の記述がなかったのですわよ? 物語を面白おかしく崩しただけの子ども用の本に、真実が隠されている道理がありません」
「分かってる、分かってるよ」
「分かっているのでしたら、さあ、早く帰りましょう。時間の無駄ですわ」
「でも……一応、本当に一応だけでいいから、見てみよう。気になるんだ」
エルダは「はぁ……」と、これ以上ないほどに深いため息をついた。
「……まったく。アルト様のその妙な勘の良さには、いつも困らされますわ」
口ではそんな風に不満をこぼしながらも、彼女の綺麗な足は、しっかりと俺の後ろをついてきていた。
◇
児童書の棚は、学術書が並ぶ他のエリアと違って、心なしか少し埃っぽかった。ここ最近、誰もこの場所へ立ち入った様子がない。
絵本、おとぎ話、大昔から伝わる寓話集。どこにでもある、子どもが寝る前に親に読んでもらうための、ありふれた本が並んでいる。
俺は背表紙の文字をぼんやりと指先で追いながら歩いた。エルダの言う通り、どうせ何もないだろうな、という諦めの気持ち半分で。
エルダも隣で同じように、興味なさげに背表紙を流し見ていた。
だが――その白く細い指先が、ある一冊のところで、ピタリと止まった。
「……アルト様」
エルダの声のトーンが、一瞬で変わった。
「ん? どうした」
「……これを見てくださいな」
エルダが棚の隙間から、古びた一冊の絵本を静かに引き抜いた。
表紙には、美しい夜空を背景にして、純白の大きな翼を広げた人物の姿が、鮮やかな色彩で描かれていた。そして、その顔には――
地上を冷徹に見下ろす、金色に輝く双眸。
俺の指先が、一瞬にして冷たく強張る。
「……あの日、あの地の底で、俺たちを嘲笑った奴の姿そのものだ」
「ええ……」
エルダの声が、わずかに震えていた。
タイトルは、今の時代ではもう使われていない古い書体で刻まれていた。
『星の使い――天使のおはなし』
俺たちは吸い寄せられるようにして、その場でゆっくりとページをめくった。
その絵本に描かれていたのは、やはり翼を持つ種族の物語だった。「天使」と呼ばれる大いなる存在が、遥か上空の、雲のさらに上にある世界から地上を監視している……という、典型的なおとぎ話の体裁を取っている。
だが、その描写が、おとぎ話にしては不気味なほどリアルだった。
翼の生え方、目の色、そして彼らの「地上を間引く」という冷酷な言動の傾向までが、俺が地の底で戦ったティラエルという男の姿と、恐ろしいほどに一致している。
「この目……」
俺はある一枚の挿絵の前で、指を止めた。
「ただの黄色じゃない。本物の……黄金色だ」
エルダが、何も言わずに静かに頷いた。
俺は思わず、すぐ隣にいるエルダの横顔を見つめた。彼女の持つ、綺麗な金色の右目が、今まさにページの上の天使が放っている輝きと、まったく同じ不気味な色彩を湛えている。
「エルダ」
「……偶然、ですわよね。たかが子ども向けの、ただの絵本ですもの」
「かもしれない。だけど……」
二人とも、それが単なる偶然などではないことを、肌に刺さるような確信と共に悟っていた。
「ルクレツィアの公爵家の中で、この悍ましい目の色を持って生まれてきたのは――」
エルダがゆっくりと、自らの忌まわしい過去を反芻するように言葉を紡ぐ。
「わたくしと、それから、もう一人だけですわ」
「……誰だ?」
「わたくしの、祖母です」
エルダの指先が、絵本の表紙の縁を、愛おしむように静かに撫でた。
「わたくしが生まれ持ったこの金と紫のオッドアイは、『呪いの目』と蔑まれてきました。異形の目を持つ子は、家の恥だと。わたくしは幼い頃から、長い間、出来損ないの化け物と呼ばれて育ちましたの」
俺は何も言わず、ただ彼女の告白を静かに聞いた。
「ただ一人、わたくしのことをそう呼ばなかったのが、祖母でした。その目は特別なのよ、誇りを持ちなさいと、いつも優しくわたくしに言い聞かせてくれた。……自分と同じ、金色の目を持つ人間として」
エルダの視線は、未だに絵本から離れない。
「その祖母は、今も帝国にあるルクレツィアの屋敷に健在ですわ。わたくしが魔術学園に入学してからは、一度も会えていませんけれど……」
エルダの話を聞いて、俺の頭の中にひとつの可能性が浮かび上がった。
「もし……その話が本当なら。この絵本を書いた作者のところへ行って話を聞ければ、何かが分かるかもしれない。この天使たちの正体が」
「……作者、ですか」
エルダが、躊躇いがちに表紙の裏の白いページを開いた。
そこには、古い印刷技術で、作者の紹介と名前がひっそりと記されていた。
開いた瞬間、エルダの息が、喉の奥で止まった。
「エルダ? どうしたんだ」
エルダは何も答えなかった。言葉を失ったかのように、ただ、そのページを震える手で俺の方へと向けて見せてきた。
そこに、はっきりと刻まれていた作者の名前は――。
『オリビア・ルクレツィア』
俺は、その名前を目にした瞬間、言葉を失って激しく息を呑んだ。
(第64話 終)