クビになった庭師の俺、スキル『剪定』が覚醒して行き倒れ少女を整えたら実は最強聖剣士だった!? 訳あり美少女たちを手入れして最強英雄パーティを作ります 作:らっぽん
ルクレツィア公爵邸は、遠目から眺めて伯爵邸よりも、遥かに巨大で威圧的だった。
黒ずんだ重厚な石造りの高い外塀が通りを圧するようにどこまでも延びており、まるで外の世界を拒絶しているかのようだ。その重厚な鉄の正門の前には、精巧なフルプレートの甲冑に身を包んだ精鋭の衛兵が二人、無言で槍を交差させて道を塞いで立っていた。その鋭い視線が、旅装の俺たちを不審者として射抜く。
「止まれ。ルクレツィア公爵家の敷地だ。何者だ、用件を言え」
「……やはり、今の私を見ても分かりませんか。毎日この門を行き来してましたのに」
エルダが、ふっと自嘲気味な笑みを漏らしながら、静かに一歩前に出た。
衛兵たちは怪訝そうに眉をひそめ、エルダを上から下まで値踏みするように凝視した。夜の帳が下りたような紫がかった黒髪、そして月光を浴びて妖しく輝く金と紫のオッドアイ、全身から立ち上る、常人離れした濃密な魔力の気配。
……彼らの記憶にある「エルダ・ルクレツィア」は、目の前の、あまりにも気高く美しい女性と結びつかないのも無理はなかった。
エルダはそれ以上の押し問答を無駄と切り捨てるように、懐から純銀の美しい印章を取り出し、衛兵の目の前に無言で差し出した。そこには、公爵家の直系貴族のみに許された、大鷹の紋章が刻まれている。
「……っ!?」
印章の刻印を確認した瞬間、衛兵の一人が物理的に飛び退くようにして息を呑んだ。槍を握る手が、目に見えてガタガタと震え始める。
「エ、エルダ……お嬢様!? まさか、本当にエルダお嬢様なのですか!?」
「久しぶりですわね。少し見ない間に、随分と物忘れが激しくなったようで。……通してもらえますか」
「は、はい! た、ただちに! 失礼いたしましたっ!」
重々しい音を立てて、鉄の門が左右へと開かれていく。エルダは安堵の表情一つ見せず、振り返りもせずに、凛とした足取りで広大な敷地の中へと歩を進めた。
◇
邸内の、どこまでも続く贅沢な絨毯が敷かれた廊下を歩いていくと、すれ違う使用人やメイドたちが、次々と時が止まったように足を止めた。
誰もが最初は何者かと目を丸くし、それがかつて「出来損ない」と蔑んでいた令嬢だと気づいた瞬間、顔面を蒼白にして小声で必死に囁き合い始めた。
「……嘘でしょう? 本当にエルダお嬢様……?」
「ずいぶん、お変わりになられて……あの、纏っている空気は一体何なの……?」
エルダは、彼らの怯えや驚きの視線に、ただの一度も視線を向けようとはしなかった。ただ、カツ、カツ、と彼女が履くヒールの冷徹な音だけが、静まり返った廊下に冷酷に響き渡っている。
「あれが……噂に聞いていた『呪いの目』を持つ令嬢か……」
「馬鹿な、別人みたいだ。あんなに息を呑むほど綺麗だったか……?」
「随分と雰囲気が……まるで、本物の女王様のような威厳だわ……」
「後ろに一緒にいる、あの異様な風貌の方々は一体……」
俺たちは、周囲の騒めきを無視して黙ってエルダの背中を追った。
隣を歩くシアが、周囲の使用人たちのあまりのビビりっぷりに、小声で「エルダさん、なんだかめちゃくちゃ有名人じゃないですか……みんな腰が抜けてますよ」とくすくす囁いてきたが、俺は「静かにしろ」と視線で制した。この邸宅がエルダにとってどれほど不自由で、冷たい場所だったのかが、使用人たちの態度を見ているだけで痛いほどに伝わってきたからだ。
◇
現公爵の私室は、邸内の最も奥まった、陽の当たらない場所に位置していた。
エルダはためらうことなく、ノックすらもせずに、重厚な木製の扉を堂々と押し開けた。
「……」
部屋の中は、カーテンが閉め切られていて酷く薄暗く、特有の薬草の苦い匂いが充満していた。
ベッドの中に横たわっていた、白髪の混じった初老の男が、無遠慮な開門の気配に気づいて、不快そうに顔を上げた。その傍らの椅子に座って看病をしていた、派手なドレスを着た中年の女性が、驚愕のあまり椅子を鳴らして立ち上がる。
エルダの実の親である、ルクレツィア公爵と、その夫人だった。
「ただいま戻りました、お父様、お母様」
エルダの声の温度は、冷たくもなければ、熱くもなかった。まるで赤の他人に業務報告でもするかのように、徹底的に事務的で、静かだった。
「き……貴様、エルダか……っ」
公爵が、焦燥と困惑の入り混じった目で細い目をさらに細めた。その顔色は土気色で、ひどく痩せ細っている。巷で噂されていた、原因不明の流行り病で臥せっているというのは、どうやら本当のことらしかった。
「魔術学園を……飛び級で勝手に卒業したと連絡が来て以来、音沙汰がないと思えば……一体どういうことだ。ルクレツィアの人間としての自覚が……ゴホッ! ゲホッ、ゴホッ……!」
激しく咳き込み、胸を押さえて苦悶する公爵。夫人が慌てて背中をさするが、一向に収まる気配はない。
エルダは、その哀れな親の姿を、冷淡なオッドアイで見つめていた。可哀想だとも、ざまあみろとも思っていない、完全な無関心の目だ。
「――こういうことですわ」
エルダが、すっと白い右手を公爵に向けてかざした。
「聖陰の渾沌たる癒し《カオス・ヒーリング》」
彼女の指先から、眩いばかりの純白の光と、すべてを飲み込むような漆黒の闇が混ざり合った、見たこともない柔らかな混沌の輝きが放たれ、公爵の全身を優しく包み込んだ。
「な……っ!?」
夫人が短い悲鳴を上げる。しかし次の瞬間、公爵の激しい咳が、ピタリと止まった。
公爵は呆然とした様子で自分の両手を見つめた。死人のようだった皮膚に、みるみると健康的な血色が戻っていく。体力を奪っていた高熱が、劇的な速度で引いていくのが、傍で見ている俺たちにもはっきりと分かった。
「……っ、体がお、重くない……? 呼吸が、楽に……これは、一体……」
「それから、お母様」
エルダが、今度は腰を抜かしている夫人へと右手を向け、指先を軽く鳴らす。やはり同じ混沌の光が夫人を包み込んだ。
「その顔にできている、醜い出来物は、娘からのせめてもの慈悲ですわ」
夫人は弾かれたように、近くの化粧台の鏡へと駆け寄り、自分の顔を凝視した。長年彼女を悩ませていたであろう赤黒い発疹が、跡形もなく消え去り、白く滑らかな肌へと戻っている。
「ど、どうして……私の出来物が……いいえ、今の魔法は……」
「こ、この凄まじい反属性の同時展開、まさか、『混沌の魔力』……!?」
公爵がベッドから飛び起き、信じられないものを見る目で娘を凝視した。
「おとぎ話に登場するような、幻の力……! 出来損ないのお前が、なぜ……!」
「おとぎ話ではありません。現実ですわ。わたくしはもう、あなた方に『出来損ない』などと蔑まれるような、ただ怯えて佇んでいる存在ではないのです」
エルダは傲然と言い放ち、そこで初めて表情を和らげると、俺の方を振り返って優しく手で示した。その瞳には、親に向けるものとは全く違う、誇らしげな熱が宿っていた。
「そして、この方がアルト・バトラー様。不当に帝国を追われながらも、わたくしにこの新しい力と、数え切れないほどの尊い経験を与えてくださった、わたくしの最愛の主です。今のわたくしの命も、魔力も、その全ては、この方のお役に立てることに捧げていますの」
「な……庭師、だと……?」
公爵が、俺の作業着姿と腰の剪定鋏を見て、絶句した。何かを言いかけ、しかしエルダから放たれる圧倒的な魔力の威圧に気圧され、またカタカタと歯を鳴らして黙り込んだ。
「まあ、あなた方の病状など、今のわたくしにとっては些事。それはさておき」
エルダは興味を失ったように、淡々と会話を戻した。
「お祖母様は、どちらにいらっしゃいますか」
「……え、母上…か?」
「オリビア・ルクレツィア。わたくしの、たった一人の理解者であった祖母です。どちらにいますか」
公爵は生唾を飲み込み、まだ目の前で起きた現実についていけない呆然とした顔で、掠れた声で答えた。
「あ、ああ……母上なら、この時間はいつも……離れの個人庭園にいるはずだが……」
「そうですか。ありがとうございました」
エルダが、完璧で、どこまでも冷ややかな一礼をしてみせた。
「では、お体に気をつけて。失礼いたします」
彼女はそれだけ言い残すと、未だに呆然自失としている両親にこれ以上の言葉をかけることなく、素早く踵を返して部屋を出た。俺たちも、その背中に続く。
パタン、と、高級なマホガニーの扉が、静かに、そして完全に閉まった。
◇
静まり返った廊下を歩くエルダの後ろで、閉じた扉の向こうから、防音の隙間を縫って夫人の、ひどく取り乱した震える声が漏れ聞こえてきた。
「あなた……エルダが、あんな……あんな信じられない力を……。私たちは、一体、あの子をどれほど見くびって……」
「…………」
それきり、公爵は何も言わなかった。
しばらくの重苦しい沈黙が続いた後、完全に立場が逆転してしまったことを悟った公爵の、ひどく掠れた、後悔に満ちた呟きが微かに響いた。
「エルダ……わたしたちは、お前を……」
しかし、その懺悔の言葉が届くべき先に、もう、エルダ・ルクレツィアの姿はなかった。
彼女はただ真っ直ぐに前を見据え、俺の隣で、祖母の待つ庭園へと足早に歩みを進めていた。
(第69話 終)