『ゴブリンスレイヤー』外伝【幻声哀歌編】   作:いっかず

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第21話:伝説の葬送

黒い魔力の波が荒れ狂い、キャンバスの描いた実験船は、今にも漆黒の海へと飲み込まれようとしていた。目の前にそびえ立つのは、生物という概念を置き去りにした巨大な「質量」。

 

「――ば、馬鹿な……。島が動いているのか!?」

 

教団研究員が、観測窓にへばりついて叫びあげる。クラーケンの巨躯が浮上するたびに、海面は数百メートル単位で盛り上がり、周囲の空間が歪んで見える。

 

「閣下、大渦潮(メイルストローム)が来ます! 逃げ場はありません、船体が耐えきれず崩壊しますぞ!!」

 

教団幹部の警告通り、海面には巨大な漏斗状の渦が発生し、実験船をその中心部――クラーケンの巨大な顎へと引き摺り込み始めた。

 

「――――――――ッ!!」

 

その絶望的な状況下で、セイレーンは自らの喉をかきむしるようにして、調べを紡ぐ。

これまでいかなる軍勢も、いかなる魔獣も一瞬で自壊させてきた死の旋律が、荒れ狂う海へと放たれた。しかし――。

 

「だ、駄目です! 止まりません!」

 

解析機を見つめる研究員が絶望の声を上げた。

 

「 精神耐性……いや、魂の格そのものが、今までの標的とは比較になりません! セイレーンの『声』が、あの巨体の深層意識にまで届いていない!!」

 

巨大な触手が空から振り下ろされ、船の防護結界が火花を散らして軋む。あと一撃。あと一度の打撃で、この「虚構の船」は塵となって消え、セイレーンもまた深海へ消えさるだろう。

 

(……あ、あぁ……。また……またなの……?)

 

渦に巻かれ、巨躯に押し潰されようとする瞬間。セイレーンの脳裏に、あの谷底で逃げ場を失った時の「無力さ」が蘇った。

どれだけ叫んでも、誰にも届かない。

どれだけ足掻いても、不浄に飲み込まれていく。

死が、すぐ目の前で大きな口を開けて笑っている

 

しかし。

 

「ククク……。何を慌てているのかね」

 

司祭だけがその光景を愉しげに眺めていた。彼は怯える部下たちを余所に、水晶の中の少女へ向けて、祝福するように腕を広げた。

 

「彼女の歌の『サビ』は、これからだよ。……恐怖が、彼女の喉を焼き切り……『死にたくない』という生存本能が、世界への『拒絶』に変わる瞬間……。そこからが、真の神話殺しの始まりなのだから」

 

その言葉と同時。

触手が振り下ろされ、船体が粉砕されるその寸前。

セイレーンの喉に刻まれた紋章が、世界を塗り潰すほどの漆黒の光を放った。

 

(……ああ……。沈め……。……全部……私と一緒に……暗闇へ……!)

 

彼女の喉から漏れ出たのは、もはや歌ですらなかった。

それは、「世界そのものを物理的に腐食させる、純粋な悲鳴」。

 

「――歌が……!」

 

観測室で教団幹部が息を呑んだ。魔水晶に映る波形は、もはや計測不能なノイズへと変わっていた。

 

「クラーケンの動きが、止まりました……ッ!!」

 

教団研究員が戦慄と共に叫ぶ。

つい先ほどまで暴れ狂っていた無数の触手が、あたかも時間が凍りついたかのように、海中で硬直した。伝説の怪物の巨大な瞳が、恐怖と困惑に染まり、自らの支配下にあったはずの海流が、逆に自らの肉体を締め付け始めたのだ。

 

「クク……。さあ、最終楽章だ」

 

司祭が恍惚と呟いた。

「脳が足りぬなら、細胞の一つ一つに教え込んでやれ。……お前は『不浄』であり、この世に在ってはならないゴミなのだと」

 

「――――――――――――ッ!!!」

 

セイレーンが、自らの命を燃やし尽くすかのような『絶唱』を放つ。

 

――――――――キィィィィィィィィィィィィィィッ!!!

 

高周波の振動が海水を媒介にして、クラーケンの巨躯へと突き刺さる。

それは、クラーケンの細胞一つ一つを強制的に「自死」させる絶望の調べ。

 

「……ギ、ガ……ア、アガガガガッ!!!」

 

クラーケンの断末魔が、海中から泡となって吹き上がった。

狂乱した深淵の王は、自らの意思を失い、自分の触手で自分自身の頭部を、何千もの吸盤で自らの皮膚を引き千切り始めた。

凄まじい怪力が自らに向けられ、山のような肉塊が、自らの手でミンチ状へと解体されていく地獄絵図。

 

自壊したクラーケンの巨躯が、自らが作り出した大渦潮の底へと、自らの重みで吸い込まれていく。

ズズズ……と海が鳴り、深海の王は、一人の少女の悲鳴に完敗したまま、永遠の深淵へと帰っていった。

 

――実験船、甲板。

 

「……はぁ、……っ、げほっ……!」

 

渦が消え、静寂を取り戻した海の上で、セイレーンは血の海に倒れ伏していた。

喉は焼け、意識は朦朧とする。

 

(……倒したの……? 私……あの怪物を……)

 

彼女の瞳に映るのは、自分が救ったはずの海ではなく、自分の歌声で自らを噛み砕いて消えた、神話の無残な残骸。

 

「……見事だ。実に見事だよ、セイレーン」

 

水晶球から、司祭の冷徹な、けれど満足げな声が響いた。

 

「合格だよ……君は今日、竜に匹敵する神話を殺した。……これで君を『傷物』と呼ぶ者はいない。……君は、神の玩具から、神を殺す刃へと昇華されたのだからね」

 

(……神……?)

 

(……違う。……こんなの、私が……求めていたものじゃない……!)

 

彼女の心の中で、かつて愛した人が贈ってくれた青い花の残像が、急速に色褪せていく。

強大になればなるほど、彼女の魂は「人間」から切り離され、ただ世界を拒絶するための冷たい氷へと変わっていく。

 

彼女の瞳から流れるのは、勝利の喜びではなく、二度と戻れない「歌姫」としての自分への葬送の涙であった

 

 

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