冒険者ギルドの面談室。
木製の簡素なテーブルを挟み、厳しい表情の騎士と、かつて歌姫を救出した白磁等級の若者たちが向かい合っていた。
「――君たちが一年前、あの歌姫を救い出した時のことだ。改めて聞きたい」
騎士は手元の聴取記録にペンを走らせながら、鋭い視線を投げかけた。
「一体、どのような群れだったのだ?楽団の護衛についていた銀等級の冒険者や傭兵たちは全滅していた。強大な上位種がいたはずだが」
その問いに、腰に短剣を差した少年戦士は、退屈そうに肩をすくめて鼻を鳴らした。
「あー……一体どんなって言われてもなぁ。正直、拍子抜けするくらいただの雑魚だったぜ? 杖を持ってる奴が一匹いたけど、俺たちの敵じゃなかったしな。」
少年戦士は自慢げに胸を張る。彼にとっては、初依頼で名を上げ、報酬を得た輝かしい武勇伝のままだ。
(杖を持った小鬼……シャーマンか。呪術師が統率していた群れを、白磁の新米が『ただの雑魚』で片付けられるはずがない)
「……ちょっと、いい加減なこと言わないでよ」
新米魔術師が眼鏡の端を押さえ、困ったように口を挟む。
「そういえば、私たちが洞窟に入った時には……ゴブリンは殆ど死んでいましたね」
「……何?」
「通路のあちこちに、小鬼同士が武器を突き立て合って倒れている死骸が、山になって転がっていたんです。まるで、自分たちで勝手に殺し合っていたみたいに……」
少年僧侶がおずおずと言葉を添える。
「それだけじゃありません」
リーダーである女細剣使いが、当時の記憶を呼び起こすように眉をひそめた。
「一番奥の、あの歌姫さんが倒れていた部屋に……ひときわ大きな、岩みたいに筋肉が盛り上がった大柄のゴブリンと、立派な剣を持ったゴブリンの死体がありました。互いに致命傷を負わせ合っていたように息絶えていて……」
「…………」
騎士は、卓上の報告書に素早くペンを走らせ、冷徹に事実を整理した。
「……同士討ちで、群れの上位種が共倒れになった直後に、君たちが踏み込んだというわけか」
騎士の絞り出すような声に、少年戦士は気まずそうに目を逸らした。
「ま、まあ……運も実力のうちって言うしな……」
(……内輪揉めで崩壊するゴブリンの群れなど、珍しくはない。強欲で利己的。エサの奪い合いや、順位争いで容易く殺し合いに発展するのは奴らの習性だ。だが……)
騎士の背筋に、冷たい汗が伝った。
(……タイミングが、良すぎる。百匹を束ねる『ロード』と『チャンピオン』が同時に潰し合い、僅かな生き残りだけが残されたその瞬間に、都合よく初心者の白磁等級が通りかかり、娘を『救出』しただと?)
まるで、誰かが周到に舞台を整え、筋書き通りの悲劇と喜劇を演出したかのような違和感。
小鬼の残忍さを利用し、少女の尊厳を破壊し尽くした上で、最後に「お前を壊したのは雑魚だ」と嘲笑うかのように初心者に後片付けをさせた――。
(まさか……何者かが裏で糸を引いていたのか……?)
「あ、あの……騎士様? 何か問題でもありましたか?」
女細剣使いの不安げな声に、騎士はハッと我に返り、硬い首を振った。
「……いや。ご苦労だった。君たちの証言は非常に参考になった」
部屋を出ていく白磁の少年少女たちの無邪気な背中を見送りながら、騎士は手元の書類を強く握りしめた。
真実に近づけば近づくほど、見えてくるのは魔物の凶暴さではない。
人間の心を解体することだけを目的に動いている、底知れぬ「悪意」の影だった。
――白磁の若者たちを帰した後、近衛騎士団の中隊長はギルドの受付カウンターへと歩み寄った。
羊皮紙の依頼伝票を繰る手元を、鋭い眼光で見据える。
「――確認したいことがある。あの日、あの若者たちにゴブリンの巣穴の場所を教え、討伐依頼を出したのは、どのような依頼者だった?」
カウンターの奥で、受付の女性職員が小首をかしげ、当時の記録台帳をめくった。
「どのような、と言われましても……。ふらりと立ち寄られた、通りかかった旅の方でしたが。身なりは清潔な法衣のようでしたが、深くフードを被っておられたのでお顔までは」
「……名乗りもしなかったのか」
「はい。たまにいらっしゃるんです、人助けを名目に名乗らず立ち去る奇特な方が。ギルドとしても、巣穴の位置が特定できているなら断る理由はありませんでしたので」
中隊長は舌打ちしそうになるのを堪え、カウンターに両手をついた。
匿名の旅人による親切な情報提供。
それは、白磁の子供たちを「絶妙なタイミング」で巣穴へと送り込むための、何者かによる意図的な誘導に他ならなかった。
さらに、中隊長は街を回って感じていた、もう一つの拭いきれぬ違和感を口にした。
「……もう一つ聞く。先ほど地母神の神殿に立ち寄ったのだが、あそこの救護所、小鬼禍(ゴブリンハザード)で長期療養しているはずの生存者が、ほとんど見当たらんのだ。一体、どういうことだ?」
普通、小鬼に襲われ、心身を壊された被害者は、神殿の救護所で数ヶ月から数年にわたって寝たきりになることが多い。それが、病床のほとんどが綺麗に空になっていたのだ。
「ああ……そのことでしたら、ご心配には及びませんよ。1年以上前にこの街に拠点を置かれた慈善団体がございましてね。行き場をなくした小鬼の被害者の方々を、無償で引き受けて社会復帰のためのカウンセリングや療養を行ってくださっているんです」
「慈善団体だと?」
「はい。『光の教団』という、とても熱心で慈悲深い方々ですよ。神殿の方々も『奇跡のように心が穏やかになって帰ってくる』と大変感謝しておられました」
「…………光の教団?」
背後に控えていた若い騎士が、怪訝そうに首を傾げた。
「聞いたことのない名ですね。至高神や地母神の公認組織にも、そのような教団の名は記録にありませんが」
「ああ。それに、なぜ『小鬼の犠牲者』を専門に引き受ける?」
中隊長の戦士としての直感が、激しい警鐘を鳴らし始めた。
名誉ある戦争の負傷者でもなく、裕福な市民でもない。社会から最も忘れ去られやすく、誰も追跡調査をしようとしない「小鬼の被害者」だけを、無償で、組織的に集めている団体。
その瞬間、若い騎士がハッと息を呑んだ。
「――! 隊長、まさか……! あの潮風の歌姫も、ゴブリンに……!」
「…………!!」
中隊長の背筋に、氷柱を突き立てられたような悪寒が走った。
小鬼の巣穴へ白磁を誘導した謎の依頼人。
姿を消した歌姫。
そして、傷ついた被害者たちを「無償」で回収していく謎の慈善団体。
点と点が、あまりにもおぞましい一本の線となって繋がっていく。
「……善意の皮を被った、人攫いか。……あるいは、それ以上の『何か』か」
中隊長は即座に踵を返した。その瞳には、戦場に立つ時と同じ鋭利な殺気が宿っていた。
「調査隊各員に調べさせろ! その『光の教団』とやらの活動拠点、出入りしている人間、そして引き取られた者たちの現在の所在……すべてだ! 埃一つ残さず洗い出せ!!」
「はっ!」
港街の善意と無関心の隙間に巣食い、絶望した魂を根こそぎ掻き集めている蜘蛛の巣の主が、いま、白日の下にその輪郭を現そうとしていた。
――深淵の岬、海を見下ろす監視塔の最上階。
潮風の湿り気と、地下から漂う屍肉の甘たるい腐臭が混ざり合う指令室で、教団幹部は水晶球に映し出された港街の様子を眺め、皮肉な笑みを浮かべた。
街中では、近衛騎士団の兵たちが『光の教団』の看板を掲げていた救護所や連絡所へと、一斉に捜索の手を伸ばし始めている。
「――流石は近衛騎士団。港町のボンクラ共とは違いますな。あの曖昧な失踪記録から、よくぞここまで嗅ぎつけたものだ。『真相』に辿り着くのは、もはや時間の問題かと」
幹部の言葉には、追手を警戒する焦りなど微塵もなかった。ただ、自らが仕掛けた罠の周りをうろつく獲物を眺めるような、冷淡な愉悦があるのみ。
窓辺に佇む司祭は、手元のワイングラスを軽く傾け、波の砕ける音に耳を澄ませながら、静かに喉を鳴らした。
「……構わないさ。あの街での『収穫』は、もう全て終わったのだからね」
司祭は、地下で眠るセイレーンの部屋へと視線を落とした。
「港街の無関心が育ててくれた、最高級の絶望。そして、『聖歌隊』を肥え太らせるための、無数の『怒り』と『哀しみ』の澱。……必要な素材は、すでに全てこの岬へ運び終えている。あの街に残っているのは、空っぽの抜け殻と、使い古した書類の山だけだよ」
司祭の口端が、三日月のように吊り上がる。
「騎士たちがどれほど必死に街を走り回ろうと……最早、後の祭りだよ。彼らが真実の扉を蹴破った時、そこに待っているのは我らの首ではなく、深淵からの招待状だけだ」
司祭が指を鳴らすと、港街の廃屋に仕掛けられた通信用の魔導装置が、遠隔操作で静かに起動した。
「さあ、急ぎたまえ、誇り高き王国の騎士諸君。……君たちが真実に辿り着き、絶望のあまりこの岬へと兵を差し向けてくるその瞬間を、私は心待ちにしているのだから」
霧の向こうで、セイレーンの喉元が、運命の始まりを告げるように青白く発光した。
騎士団が手に入れた「手がかり」は、希望などではなかった。
それは、自らの手で地獄の蓋を開け、王国全土を巻き込む惨劇へとなだれ込むための、最も残酷な「誘導」に過ぎなかったのである。