―臨時本部の作戦室。窓の外では激しさを増す雨が叩きつける中、中隊長と若い騎士は、一枚の白地に金色の紋章が刷られたパンフレット――『光の教団』の宣伝文句を凝視していた。
「――光の教団について、これまで集めた情報をすべて報告しろ」
「はっ」
若い騎士が、胸元の懐から羊皮紙の記録を抜き出し、早口で読み上げる。
「活動を始めたのは、およそ一年半前。この南西海域の街や村々に、巡回神父を名乗る者たちが現れたのが最初です。……奇妙なことに、それ以前の活動実績や、教団がどこから来たのかという経歴は一切不明。まるで、ある日突然、地中から湧き出たかの如くです」
「……やはりな。だが、それほど得体の知れぬ集団が、なぜこれほど容易く街やギルドに受け入れられた?」
「実績……あまりにも鮮やかな『実績』があったからです」
騎士は、自らの言葉に混じる困惑を隠せない様子で続けた。
「ゴブリンに襲われ、重度の心的外傷を患った被害者たちを、彼らは無償で引き取り……わずか数日の儀式で、完全に『完治』させて村へ送り返しているのです。被害者たちは皆、穏やかに笑い、平穏を取り戻している……。村々や市民の間では、彼らを『地母神の慈悲を形にした聖者』と称える声すら上がっています」
「不自然だ」
中隊長は、冷徹な一言で部下の言葉を切り捨てた。
「どれほど高位の聖職者であっても、他人の魂に深く刻まれたトラウマそのものを綺麗さっぱり消し去るなど、不可能だ。それを、名もなき新興宗教が数日で『完治』させるなど……そのような奇跡、聞いたことがない」
「……しかし隊長。彼らが活動許可を得る際、ギルド本部の専任職員が立ち会い、至高神の『看破』の奇跡を用いて、言葉に一切の嘘がないことは確認されております。『被害者に平穏と役割を与えたい』という彼らの宣誓に、偽りはなかったと……」
「――看破の奇跡は、万能ではない」
中隊長は冷ややかに首を横に振った。
「あれが暴くのは、あくまで『発言者が意図的に嘘を吐いているかどうか』だけだ。……もし、発言者が、その狂気的な行為を『真の救済だ』と狂信し、真実だと信じ込んでいたらどうなる? あるいは、事実の一部分だけを語り、背後にある具体的な企みや真の動機を一切口にしなかったら?」
「あ…………」
「看破の奇跡は、心に潜む悪意の深淵までは映し出せんのだよ。……奴らは『救済している』と言ったのだろう。だがその実態が、心を癒すことではなく、心を壊して『別の何か』に作り替えることだったとしたら……奴らの狂気の中では、それすらも『嘘のない真実』として処理されてしまうのだ」
中隊長の言葉が、霧深い夜の空気に重く突き刺さる。
善意を装うことすら必要としない、本物の狂気。
騎士が息を呑んだ、その時だった。
バタンッ!!
宿舎の重い鉄扉が開き、顔を青ざめさせた法術士が飛び込んできた。その手には、神聖術による精神診断の記録盤が握られている。
「――隊長! 先ほど、教団の『治療』を受けて街へ戻ってきたという、町娘を直接診察してまいりました!」
中隊長と若い騎士が一斉に身を起こす。
「どうだった。やはり、何か術式が仕込まれていたのか?」
「術式どころではありません……。恐ろしいことに、感情表現能力が破壊されています」
「なっ……!?」
若い騎士が目を見開く。法術士は震える手で、記録盤に浮かび上がる歪な魂の波形を指し示した。
「彼女は笑っています。一見すれば、ゴブリンの恐怖から立ち直り、朗らかに日常を過ごしているように見える。ですが……彼女の内面には『怒り』も『哀しみ』も、何一つ残っていません。まるで、魂の半分を鋭利な刃物で削ぎ落とされたかのように、不自然な空白が生じているのです」
法術士の声には、術者としての根源的な恐怖が滲んでいた。
「恐怖を乗り越えたのではありません。『恐怖を感じる心そのもの』を、生きたまま奪い取られたのです……! あれは治療などではない。ただの……魂の去勢手術です」
「…………ッ!!」
室内に、凍りつくような沈黙が落ちた。
中隊長は自らの腰の剣の柄に手をかけ、冷徹に、けれど煮え返るような怒りを込めて断じた。
「……最早、クロと断定してよいだろう」
慈善団体の仮面を被り、救いを求める被害者を甘言で誘い込み、その心を切り刻んで何かの糧としている。街を挙げて歓迎されていた「聖者」たちの正体は、人知を超えた禁忌の実験集団に他ならなかった。
若い騎士は悔しげに拳を握りしめ、困惑の声を絞り出した。
「しかし、隊長……一体なぜ、奴らはそんな真似を? ゴブリンに襲われ、心身共にボロボロになった娘達から『感情』を抜き取って、一体何をしようというのです!? そんなもの、何の役に立つのだ……!」
「……理由は分からん」
中隊長は、苦渋に満ちた表情で首を横に振った。
「奴らが何を企んでいようと、これ以上の犠牲者を出すわけにはいかん。……一刻の猶予もないぞ。直ちに王都の騎士団本部に増援を要請せよ。港町の教団の拠点を一斉摘発する!」
「はっ!」
騎士が駆け出していく。
中隊長は、机の上に置かれた街の地図――「光の教団」の救護所が記された地点を、軍刀の切っ先で強く突いた。
「慈善の時間は終わりだ、邪教徒どもめ……。貴様らの仮面を、叩き割ってくれる!」
――港街の北西、かつて慈善団体『光の教団』が「救護所」として使っていた古い屋敷。
ドォンッ!! と重厚な木扉が蹴破られ、白銀の甲冑を纏った騎士たちが雪崩れ込んだ。
「――動くなッ!! 邪教徒ども、神妙に……ッ!」
先頭の騎士が叫ぶが、その言葉は虚しく板張りの廊下に反響した。
窓から差し込む夕闇の光が、埃の舞う室内を照らし出す。そこには抵抗する教団員の姿も、救いを求めていたはずの被害者たちの影もなかった。
「クソッ! 既に、もぬけの殻か……!」
「隊長! 奥の執務室に、不審な魔導装置が設置されています!」
部下の報告を受け、指揮官が最奥の部屋へ踏み込む。
整然と片付けられた机の上に、一つだけ、青白く脈動する『音声記録装置』が置かれていた。指揮官が近づいた瞬間、装置がひとりでに回転を始め、部屋の中に、あの「司祭」の冷徹な声が響き渡った。
『――やあ。近衛騎士団の諸君。まずはご苦労様と言わせてもらおうか』
騎士たちが一斉に身構える。録音された声だというのに、その場に本人がいるかのような、粘りつく威圧感。
『大司教の助言があったとは言え、わずか数日でここまで真相に辿り着くとは……流石は王都の精鋭と言うべきかな。君たちのその勤勉さには、心から敬意を表するよ』
「……貴様が、大司教様の仰っていた旧魔神王軍の科学者か」
『私は司祭。……行き場のない迷い子を救う「光の教団」……またの名を、「深淵なる拒絶の教団」の代表を務めている者だよ』
『まずはこの一年、我が教団への多大なる「素材提供」に感謝するよ。君たちやギルドが無関心にゴブリンに壊された者たちを次々と救護所へ送り届けてくれたおかげで、我々の研究はかつてないほどに進展した』
「……貴様ッ……!」
『……そして……お察しの通り、あの岬で歌っている怪物の正体だよ』
司祭の笑い声が、魔導のノイズに混じって響く。
『彼女の新たな名は、【セイレーン】。……一年前、ゴブリンに壊され、街に捨てられたあの哀れな歌姫だ。……ふふ、一年前の彼女の王都での舞台を、楽しみに待っていた者も騎士団の中にいるのではないかな?』
装置から放たれる魔力が一段と強まる。
「…………っ!!」
『折角の機会だ。彼女の新たな、世界を塗り潰す絶唱を……今度は君たち自身が、全身で受け止めてみるがいい』
音声の最後に、カチリと機械が切れるような音が響き、司祭の冷徹な笑い声が告げられた。
『――お代は、君たちの命だがね』
プツリ、と。
魔力の糸が切れ、水晶はただの濁った石ころへと戻った。
後に残されたのは、血の気の引いた騎士たちの荒い息遣いと、侮辱され尽くした王国の誇り。
中隊長は、自らの剣を力任せに鞘へと収めた。その瞳には、炎のような怒りと、後戻りのできない覚悟が燃え盛っていた。
「……王都へ早馬を飛ばせ。『怪異の正体は邪教団の生物兵器、潮風の歌姫の成れの果て』と報告しろ」
中隊長は、窓の外の黒い海を見据えた。
「……あのような外道どもに、この海を好き勝手にはさせん。……奴らを、あの塔ごと海の底へ叩き落としてやる!!」